心と神経の哲学/あるいは/脳と精神の哲学

心の哲学と美学、その他なんでもあり

歴代の財前五郎

2019-05-29 19:47:35 | テレビドラマ

 

 

最高の財前教授は田宮二郎であり、他を三馬身以上引き離しています。

しかし、今回の岡田准一も悪くはない。

なにか田宮二郎の面影をしのばせていた。

イケメン度でも田宮と岡田が抜けているでしょう。

岡田の身長は残念だが。

田宮はあの世代で180cmで、今に当てはめれば185cm級でしょう。

 

浪花大学医学部第一外科教授・財前五郎(M.D.  Ph.D)=田宮二郎

田宮二郎が1978年末の『白い巨塔』の最終回放送の前々日に自殺したことは有名。

そこで、ますますこのドラマは神格化されたのだ。

 

今回のテレビ朝日の『白い巨塔』の財前役の岡田准一は不評だが、私は評価する。

ダメなのは唐沢である。

岡田の精悍さと力強さは田宮を想起させる。

 

下の画像は裁判時の岡田=財前

それに対して、裁判時の田宮=財前

教授総回診時の田宮=財前

同じく岡田=財前


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現在放映中の白い巨塔について

2019-05-26 00:46:48 | テレビドラマ

現在五夜連続で放映中の岡田准一主演の白い巨塔は、評判悪いです。

おそらく、これはテレビ朝日とフジテレビが仕組んだ陰謀です。

東京オリンピック後にフジテレビが再び25回ぐらいの連続ドラマにして再制作し、放映します。

現在のはわざと出来を悪くした、そのための伏線だと思われます。

配役も大幅に入れ替わります。

今度は本気を出します。


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千葉大医学部附属病院

2019-05-17 16:28:03 | 病院ネタ

旧六の名門医学部である千葉大附属病院の画像です。

なぜここに載せるのかは22日に分かります。


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『白い巨塔』の浪速大学のモデルは大阪大学

2019-05-17 16:23:37 | テレビドラマ

このブログで何度も取り上げた山崎豊子原作の映画とドラマ『白い巨塔』の主舞台・浪速大学医学部のモデルは国立大阪大学医学部である。

山崎は複数の大学をモデルにしたと言っているが、直接のモデルとなったのはどう考えても大阪大学である。

1966年の田宮二郎主演の映画『白い巨塔』で戝前助教授(田宮)は関西弁を使っているし、東都大学から来た東教授以外ほとんどそうである。

なぜか、浪速大学で戝前と同級であった里見助教授は標準語だったが。

1978年のフジテレビのドラマ版では田宮の演じる戝前は標準語になっているし、大学と医学関係はみな標準語である。

ただし、佐々木庸平の家族などその他の庶民は関西弁を使う、という変な設定になっていた。

それはともあれ、浪速大学のモデルは明らかに大阪大学なのであり、浪速大学医学部附属病院は大阪大学医学部附属病院なのである。

これは2004年の唐沢・江口版でも同じである。

それらすべてにおいて浪速大以外の大学で有力なものは別名になっている。

東京大学は東都大学、京都大学は洛北大学、鳥取大学(?)は山陰大学である。

しかし、千葉大学、東北大学、金沢大学、愛媛大学、岡山大学などはそのままの名前で出てくる。

東大と京大と里見が飛ばされる予定だった鳥取大の名前を伏せたことは、「浪速大学=大阪大学」だからである。

それをあからさまにしないためにそうしたのである。

とにかく、あのドラマで浪速大学医学部は大阪の企業や財閥との癒着が指摘され、大阪という商人の街で絶大な信頼を得、権力を振るっていたことが描かれている。

阪大医学部も実はそうなのである。

少し古い本だが、和田努の『大学医学部 その人脈と名医たち』(1991年、日新報道)では阪大医学部は「東大、京大を凌ぐ町人の町の実力派」として紹介されている。

旧帝大の中で六番目にできた大阪大学の医学部は、その後急成長し、医学部旧御三家の九州大を抜いて、新御三家となった。

つまり、東大・京大・阪大が医学部新御三家なのである。

この中で阪大が一番臨床に力を入れ、病院としての信頼を獲得し、商人の町の財力のバックアップを受けつつ、戝前のようなやり手教授を生み出しているのである。

実は東大も京大も医学部は看板学部ではない。

それに対して阪大は医学部が看板なのである。

そして、旧帝大として研究にも強く、かつ臨床は東大と京大を凌いでいる。

この点は実は私学の勇・慶應医学部に似ている。

事実、阪大医学部と慶應医学部は東大・京大に次ぐ三位の座を常に争っている。

大阪では病院と言えば「阪大病院」なのであり、そこなら死なないし死んでもかまわない、という絶大な信頼を集めている。

財界のお金持ちに特に人気なのは慶應と同じである。

ちなみに、1978年のドラマ版『白い巨塔』では中之島に巨大な船のように浮かぶ大阪大医学部病院がはっきり出ていた。

 

次の動画の2:45のところを見よ。

https://www.youtube.com/watch?v=pPPqAcNnjVA

 

次の画像は、建設中のものであるが、中之島にあった旧阪大病院のビルである。

周知のように、このビルはもう取り壊され、郊外の吹田市に移転し、次のような立派なビルの病院に生まれ変わった。

 


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戝前の里見宛ての遺書

2019-05-05 21:55:45 | テレビドラマ

2003年のテレビドラマ『白い巨塔』の最終回「戝前死す」で戝前が里見に宛てた遺書をここに掲載する。

里見へ

この手紙をもって僕の医師としての最後の仕事とする。
まず、僕の病態を解明する為に大河内教授に病理解剖をお願いしたい。
以下に癌治療についての愚見を述べる。
癌の根治を考える際、第一選択はあくまで手術であるという考えは今も変わらない。
しかしながら、現実には僕自身の場合がそうであるように、発見した時点で転移や播種を来たした進行症例がしばしば見受けられる。
その場合には抗癌剤を含む全身治療が必要となるが、残念ながら未だ満足のいく成果には至っていない。
これからの癌治療の飛躍は手術以外の治療法の発展にかかっている。
僕は君がその一翼を担える数少ない医師であると信じている。
能力を持った者にはそれを正しく行使する責務がある。
君には癌治療の発展に挑んでもらいたい。
遠くない未来に癌による死がこの世から無くなる事を信じている。
ひいては僕の屍を病理解剖の後、君の研究材料の一石として役立てて欲しい。
屍は生ける死なり。
なお、自ら癌治療の第一線にある者が早期発見できず、手術不能の癌で死すことを心より恥じる。    
                                                                 
財前五郎

 ドラマ最終回最終場面での唐沢(戝前)の肉声↓

https://www.youtube.com/watch?v=M23Y3NtB5TA


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文系と理系の接点

2019-05-02 08:32:43 | 哲学

周知のように大学の入試と入学する学部は文系と理系に分かれている。

また、学問も文系と理系に分かれている。

文系の学部は文学部、経済学部、法学部、経営学部、社会学部・・・・等々であり、理系の学部は理学部、工学部、薬学部、医学部、農学部・・・・等々である。

このように基本的に学部は文系と理系に分けられるが、両方にまたがる学部ないし学科がある。

たとえば教育学部の国語コースや社会コースは文系だが、理科コースや数学コースは理系である。

また、情報学部や教養学部などは学部そのものが文系と理系の融合となっている。

私の専攻する哲学は基本的に文系に属すが、理系のセンスもないと一流にはなれない。

西洋の偉大な哲学者のほとんどは理系のセンスないし自然科学の素養をもっていた。

科学者を兼務した者も多々いる。

万学の祖アリストテレスはその代表だが、デカルト(数学、物理学)、パスカル(数学、物理学)、ロック(医者)、カント、ジェームズ(医学、生理学)、ホワイトヘッド(数学、物理学)と枚挙に暇がない。

近年のアメリカの心の哲学の専攻者の多くは認知科学と神経科学に通じているし、20世紀の多くの科学哲学者は物理学、数学、生物学に通じていた。

哲学こそ文系と理系両方のセンスを必要とする学問の代表なのである。

医学の分野では昨日取り上げた精神医学がそうである。

そもそも人間の本質を知るためには文科と理科の両方の素養と知見を必要とする。

それを無視して、ひたすら文学部的つまり文献学的研究ばかりしているから、哲学が形骸化して「哲学文献学」ないし「思想解釈学」に堕落してしまうのである。

哲学だけではない、医学や情報学や心理学や生態学や人類学も文科・理科両方の素養と知識を必要とする分野である。

「私は文学部を出て哲学を研究しているが、かつては理系志望だった」ということを知ったある人が「理系の方が面白いんじゃないですか」と言っていた。

たしかに理系の方が文系よりも具体的で技術的で色彩豊かで金になり面白いかもしれない。

しかし、「理系と文系の接点」は理系よりもさらに面白いのである。

私は心身問題や心脳問題や時空論や生命論や意識哲学を主に研究しているが、これらはすべて理系と文系の両方の要素をもっている。

そして、文系と理系の接点を示唆する最も重要な概念は「情報」である。

物質も精神もどちらも究極的には「情報(information)」からできているのではないのか、ということは数十年前から物理学や哲学やシステム論において常に話題となってきた。

そして、その研究は進んでいる。

これは万物の根源を純粋形相とみなしたアリストテレスの存在論の洗練版的再生である。

我々の身体の物質組織を形成し秩序を付与しているのは、細胞の核の中にあるDNAという生命情報なのである。

 


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