心と神経の哲学/あるいは/脳と精神の哲学

心の哲学と美学、その他なんでもあり

西浦博氏の誤算

2021-01-16 09:58:35 | 社会・政治

八割おじさんこと西浦博・京大教授の数理モデルには誤算がある。

それは彼が社会・経済的要素を変数として取り入れていないことである。

彼が算出する感染率や死者数はあくまで疫学内のものであり、経営破たんや貧困やオリンピック開催の裏にある政治的利得などの社会的変数を顧慮していない。

また、純粋に感染症医学の観点から見ても完全なものではない。

それこそ、医学的、疫学的に見ても八割正当といったところであろう。

これに社会的変数の無視が加わり、彼の提出する数理モデルは部分的にしか信用できないものとなる。

彼の意見は非常に参考になるが、全面的に信頼してはならない。

それは、近藤誠のがん放置療法を全面的に信じてはならないのと同様である。

近藤よりはましだが。

 

日本の大学は教養教育、リベラルアーツの教育が薄っぺらで、多くの専門馬鹿を排出(輩出ではない)している。

感染症(と人間の関係)は生物・心理・社会のトリアーデから理解されるべきものだが、日本の医学者は専門馬鹿なので、社会的要素を顧慮できない。

また、政治家や社会科学者は医学に疎いので、医学者の意見を鵜呑みにしてしまう。

 

理解されるべきなのは感染症のメカニズムだけではなくて「感染症と人間」「感染症と社会」の生物・心理・社会モデルによるシステム論的理解である。

それにトランスパーソナル・エコロジーの観点が加わらなければならない。

 

医学の中には公衆衛生学があるが、これの専攻者たちも真の哲学、システム論的思考を身に着けていないので、十分に対処できないでいる。

一方、哲学者も医学や生物学に弱いので、手をくわえて見ているしかない。

生命倫理学などで対処するのは、内科医が脳や心臓の手術をするようなものであり、危険極まる。

 

とりあえず、オリンピック中止を早急に決定し、10万円一律給付を早急に実施することが必要だ。

中止を決定したがらないのは、政治的・経済的既得権益を守るためなのである。

 

このことについてはまた後で詳しく説明します。


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哲学B1 文章講義(第40回目)

2021-01-16 09:24:46 | 哲学

今回は「7 存在と生成、あるいは生命と進化」について説明する。

 

この節の理解のために肝要なのは、存在と生成の関係を生命と進化の関係に重ね合わせて理解することである。

 

存在と生成の関係については前期から繰り返し述べて来たので、ここで改めて説明する必要はないであろう。

ただ、私が存在と生成を決して切り離さないで理解することの重要性を説いてきたことは銘記しておいてほしい。

我々各自の存在も世界全体の存在も存在がそのまま生成である形で経過・存続しているのだ。

 

ところで、生命と進化の関係だが、これも進化論の基本的知識があれば、だいたい察知できるであろう。

生命的現象は誕生と死の間での成長と進化と変化によって成り立っている。

生命的現象の代表は生物の生命であるが、それ以外にも社会、文化、自然、宇宙といったものも進化する。

とにかく、これらが生成し変化し発展することは誰でも分かるであろう。

しかし、それを生物の進化に重ね合わせて理解することには躊躇する。

この戸惑いを捨てて、ぜひ生命と進化の概念を社会や自然や株式会社や医療にも応用して理解してほしいものである。

 

ちなみに、この宇宙における生命の誕生は、それに先立つ宇宙における物質の分子的進化の帰結であることは、これまで何度も指摘した。

生命の誕生は神の御業などではなくて、情報構造を核とする自己組織化する宇宙の創発機能によるものなのである。

 

あと、この節の中にカミュのシジフォスの神話の話が出てくるが、ただやる気さえあればそれでよいというのは馬鹿の考え方である。

或阿保の一生である。

やる気だけでは、何もやらないに等しい。

転げ落ちてくる岩をただ支え続けるのではなくて、それをよけて、そんな無駄な努力はやめて、脇道で勉強し始めればよいのである。

これは創発の概念や形相因や目的因、さらには能産的自然の自己組織性を理解し、死後の世界での復活と幸福という或る阿呆の一生的な観念を捨て去ることと並行するのだ!!

 

                 そうしてほしいにゃ

 


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哲学B1 文章講義(第39回目)

2021-01-16 08:37:01 | 哲学

今回は「6 創発現象が形相因や目的因に対してもつ意味」について説明する。

 

前に触れたように、アリストテレスはこの世界の現象を引き起こす「原因」を四つに分類した。

それは質料因、始動因、目的因、形相因である。

これらについては前に説明したので、ここではこの四原因が創発現象にたいしてもつ意味に述べることにする。

 

まず、質料因と始動因は自然現象や社会現象や生命的現象や人間的現象に関して、創発主義においても決して無視されることはない。

ただ、それのみを重視する機械論的自然観や原子論的唯物論が否定されるだけである。

創発の現象や創発主義が重視する有機的自然観を理解するためには、目的因と形相因を最上位に置くのである。

 

機械論的物質主義は形相因と目的因を排除する。

近代の技術重視、実用性重視の科学は、形相因と目的因を積極的に排除してきた。

しかし、前世紀に始まった西洋のニューサイエンスでは、形相因と目的因が洗練された形で復活した。

自然や社会や生命や精神という現象の奥深い理解のためには、創発の現象を目的因と形相因に結び付けて理解する必要があるのだ。

 

    僕もそうだと思うにゃ。これが分からない学生は僕よりも頭が悪いにゃ!!


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