心と神経の哲学/あるいは/脳と精神の哲学

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哲学B1 文章講義(第40回目)

2021-01-16 09:24:46 | 哲学

今回は「7 存在と生成、あるいは生命と進化」について説明する。

 

この節の理解のために肝要なのは、存在と生成の関係を生命と進化の関係に重ね合わせて理解することである。

 

存在と生成の関係については前期から繰り返し述べて来たので、ここで改めて説明する必要はないであろう。

ただ、私が存在と生成を決して切り離さないで理解することの重要性を説いてきたことは銘記しておいてほしい。

我々各自の存在も世界全体の存在も存在がそのまま生成である形で経過・存続しているのだ。

 

ところで、生命と進化の関係だが、これも進化論の基本的知識があれば、だいたい察知できるであろう。

生命的現象は誕生と死の間での成長と進化と変化によって成り立っている。

生命的現象の代表は生物の生命であるが、それ以外にも社会、文化、自然、宇宙といったものも進化する。

とにかく、これらが生成し変化し発展することは誰でも分かるであろう。

しかし、それを生物の進化に重ね合わせて理解することには躊躇する。

この戸惑いを捨てて、ぜひ生命と進化の概念を社会や自然や株式会社や医療にも応用して理解してほしいものである。

 

ちなみに、この宇宙における生命の誕生は、それに先立つ宇宙における物質の分子的進化の帰結であることは、これまで何度も指摘した。

生命の誕生は神の御業などではなくて、情報構造を核とする自己組織化する宇宙の創発機能によるものなのである。

 

あと、この節の中にカミュのシジフォスの神話の話が出てくるが、ただやる気さえあればそれでよいというのは馬鹿の考え方である。

或阿保の一生である。

やる気だけでは、何もやらないに等しい。

転げ落ちてくる岩をただ支え続けるのではなくて、それをよけて、そんな無駄な努力はやめて、脇道で勉強し始めればよいのである。

これは創発の概念や形相因や目的因、さらには能産的自然の自己組織性を理解し、死後の世界での復活と幸福という或る阿呆の一生的な観念を捨て去ることと並行するのだ!!

 

                 そうしてほしいにゃ

 

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