心と神経の哲学/あるいは/脳と精神の哲学

心の哲学と美学、その他なんでもあり

哲学B1 文章講義(第4回目)

2021-09-29 14:58:39 | 哲学

今回は第1章の第2節「感情を馬鹿にするな それは理性の親分である」について話す。

 

我々は日常、理性と感情を対置させて、どちらかに優位を置く。

あまりに理性的な人は嫌われるし、感情に動かされてばかりいる人も嫌われる。

いずれにして、理性と感情は対極にある人間の心の要素とみなされている。

 

しかし、この節で私が言おうとしているのは、理性と感情のどちらを重視すべきかということではなくて、この対置図式自体を見直した方がいい、ということである。

見直すだけではなく、根底から切り崩すことが必要だ、とも言える。

とにかく、我々の素朴な日常的観点は理性と感情を北極と南極のように極端な対置関係に置き、両者の相互浸透性に目が開かれていない。

とにかく、我々は理性と感情の接点と融合性、ならびに両者の根底に存するものに目を向けなければならないのである。

 

しかし、この際、意外なことが判明する。

それは両者の根底に存するのは普遍的「感情」だというこである。

テキストではそのことを詳しく説明している。

要するに、一般に「理性と感情」という対置図式で捉えられている「感情」は、かなり狭い意味のものであり、もっと生命論的に深い意味での根源的「感情」現象に

目を開かなければならない、ということである。

これは哲学や心理学からだけではなく生物学や脳科学からも主張されていることである。

特に近年の脳科学では「感情」が人間の心におけるより普遍的な現象であることが強調されている。

 

それゆえ、結局、この節のタイトル通り、感情が理性の親分だということになるのである。

そこら辺の詳しい説明はテキストをよく読んでほしい。

 

以上の説明が抽象的だと感じる者は、この節に出てくる「頭でっかち」と「心でっかち」の対比を参考にしてほしい。

その際、次の文章が重要なので、引用しておく。

 

なお、「頭でっかち」という揶揄的表現は、必ずしも「知性に偏重して感性が貧弱だ」「頭だけよくて体力がない」「理屈ばかり立派で実際の行動力が伴わない」といったことを意味しない。「頭でっかち」の特例は世渡り下手の馬鹿正直である。嘘も方便や大人の狡猾な処世術が使えない青臭い理想主義である。偽善性が全くない純粋な少年の心を保持した青年の心である。権力や権威に逆らって社会的弱者を救おうとする非打算的行為である。こうした心性はすべて「頭でっかち」ということが知性偏重主義だけではなく、純粋な少年的意識や非打算的感情をも意味することを示している。このこともまた感情と理性が分断したものではなく、融合したものであり、感情が理性を包摂した心的上位概念であることを理解するためのヒントとなる。

 

軽薄な「理性 vs. 感情」という対置図式から「頭でっかち」を捉えるのと、感情を根底においてそれを捉えるのとでは、観点の深みに大差が出る。

我々の脳の神経活動に基づく認知機能は「感情」という普遍的な生命現象によって潤われているのである。

 

 

     人間だけじゃなくて、僕ら猫もそうなんだにゃ。

 

 

    猫の方が人間よりも深い心をもっているんだにゃ。


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哲学B1 文章講義(第3回目)

2021-09-25 09:32:41 | 哲学

今日から第1章「心と生命」に入る。

 

この章の構成は以下の通りである。

 

はじめに

1 心の概念を捉えるためには主観性よりも生命の次元に着目した方がよい

2 感情を馬鹿にするな それは理性の親分である

3 人間的死生観と生物学的生命概念の相克と統合

4 臨床哲学における心と生命の関係の定式化

 

非常に分かりやすい、整然とした構成である。

論述順序が把握しやすい。

 

今回はまだ追加登録期間であり、また内容の解説の初回なので、「はじめに」と第1節についてさらりと解説する。

 

序ではなぜこの本が、この章が「心」を論じるのか、その意図が書かれている。

そして、その際「心」を主観的意識に収斂させずに、「生命」との関係を重視して論じるべきことが強調されている。

そして、その際「生命」といういかめしい漢字よりは平仮名の「いのち」の方が適切であると主張されている。

そう、心の本質は「いのち」なのである。

心は我々各自が「生きていくこと」と深く関係している意識と感情の内容なのである。

このことをまず徹底的に頭に叩き込んでおく必要がある。

 

次に心について西洋で初めて学問的に体系化して論じた哲学者としてアリストテレスのことが挙げられている。

アリストテレスは古代ギリシャで活躍した西洋哲学の祖の一人であるが、同時に生物学の祖でもあった。

その彼が心について論じた本では、心は身体の形相にして生命の原理であると説かれている。

ギリシャ語で心のことをプシュケーと言うが、これはもともと生命を意味した。

プシュケーの原意を汲むと「心」と訳すよりも「心=生命」と訳した方がよい。

そしてそれにプシュケーというルビを振るのである。

少し複雑だが、非常に重要な事なので、心に深く刻んでおいてほしい。

 

ちなみに、アリストテレスの父親は医者であり、本人は哲学を初めとして万学に通じ、特に生物学を初めとする自然科学に強かった。

彼こそ哲学者の鏡である。

 

次に第1節について。

この節では「心」という概念を理解するためには「主観性」よりも「生命」に着目し、それとの深い関係を捉えたほうがよい、ということの理由を説明している。

 

我々は普通、「心」というと自分が普段体験している自分の意識や感情や思考の内容を思い浮かべる。

つまり、心とはまず「自分の心」「私の心」なのである。

しかし、この観点に囚われると心の深い意味を見逃すことになる。

心の真の意味は無意識的身体の生命活動と直結した「いのち」から理解されるべきものなのである。

 

このことを理解することは簡単なようで難しい。

我々はついつい心を主観性の観点から捉えがちであり、「私の心」に執着してしまう。

そこから出てくるのが「心の科学なんてありえない」とか「精神病は医学的疾患ではなく、異常者であり、精神医学はまやかしだ」という臆見である。

また、心と身体、心と脳の関係を捉える視点も貧しくなる。

 

我々はぜひこういうナイーヴな見方を超えて、心を生命との関係から把握する視点を獲得しなければならないのである。

そのためには意識の三階層説をしっかり把握ししておく必要がある。

それについてはテキストの当該の箇所をよく読むこと。

 

なお、この文章講義はテキストを全部、逐行的に解説するものではなく、概略的に説明していくものである。

それゆえ、学生は常にあらかじめテキストを自分で読んでおく必要がある。

 

    僕は毎回予習しておくことにしたにゃ。


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今期のレポートと試験

2021-09-23 00:14:58 | 日記

今期の哲学B1のレポートと試験は既習の部分と未習の部分の半々から出題されます。

テキストを自主的に読み、理解しようとする姿勢が要求されます。

 

                  半々だにゃ


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哲学B1 文章講義(第2回目)

2021-09-22 10:24:40 | 哲学

今日からテキストの内容の解説に入って行く。

まず「序」について。

 

ほとんどの本には「序」がついている。

それはその本の意図と目的と趣旨と概略と論述の順序を論じたものである。

このテキストの「序」もそうである。

それゆえ、学生諸君はまずこの「序」をよく読まなければならない。

そのとき注意すべき事柄を箇条書きしておこう。

 

1.  「心」という漢字を「いのち」と読む姿勢。

2.   心と生命が非常に深く関係しているということ。

3. 哲学と医学の接点を、以上の点を顧慮して求める姿勢。

4.   臨床哲学は実存哲学と関係が深いということ。

5. 医学の中では特に精神医学と心身医学に焦点があてられる、ということ。

6. 自殺について深く考察するのが心の臨床哲学の重要な課題である、ということ。(→ここでかつて流行した『完全自殺マニュアル』が阿保の作品として馬鹿にされていることに注意!)

7.  自殺した作家の病跡が重視されるということ。

8.   闘病記の内容が重視されるということ。

9.  医者自身が病気、特に死病になったときのことを深く考察する姿勢。

 

以上のことに注意して本文を読むことが要求される。

論述は順序正しくなされており、踏み外すことはない。

とにかく、心は単なる「こころ」ではなくて「いのち」である、ということを念頭に置いて読む必要がある。

心と身体、精神と物質の二元論に逃げてはならない。

心身統合的な生命観をもって心=いのちの本質を臨床哲学的に深く考えなければならないのである。

 

なお、毎回記事の末尾に登場する「猫」の画像を注視し、あらゆる生物種の根底に流れる生命の大河に気づいてほしい。

 

 

       気づいてほしいにゃ、にゃ、にゃ、にゃ

     僕はこの序を踏み台として本文の内容に飛び込むにゃ


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哲学B1第一回目レポート

2021-09-19 09:22:22 | 哲学

哲学B1の最初のレポート課題です。

 

テキスト『心の臨床哲学の可能性』の第1章「心と生命」の内容を要約して感想を書く。さらに、付論(1)、付論(2)、付論(3)、実験小説「ある不幸な唯物論批判者の死」の中から一つ選んで内容の要約と感想を書く。
これは既習の部分と未習の部分の両方を課題とするやり方である。
必ず両方に答えること。
文字数は2000~5000字とする。もちろんそれ以上書いてもよい。
受付終了後の提出は遅延として扱われ、減点される。

 

提出期間は9月25日から10月9日までです。

受付終了後の13日まで提出可能ですが、減点されます。

 

               頑張って書くにゃ。


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哲学B1 文章講義(第1回目)

2021-09-18 00:35:47 | 哲学

今日から哲学B1の文章講義を開始します。

前期に哲学A 1を受講した学生は慣れ親しんでいると思うので説明無用だが、後期から受講する学生に言っておきます。

この授業はこのブログによる文章講義がすべてであり、動画や音声の配信はありません。

それから、テキストをよく読むこととレポートを書くこと、そして二回の定期試験が重要です。

 

テキストは『心の臨床哲学の可能性』というもので、電子書籍です。

AmazonのKindle版です。

これについてはほとんどの学生が知っていると思います。

アマゾンのサイトから簡単に注文できます。

もう何人も買っています。

 

クレジットカードがないとアマゾンで買い物ができないと思っている人がいますが、違います。

コンビニに行くとアマゾンのカードが売っており、それを買って、番号をアマゾンの購入サイトに入力すると誰でも買えます。

パスモやスイカのようなものです。

例えば3000円のカードを買うと、900円のテキストを買い、残りの2100円で他の商品が買えます。

1000円のカードを買ってもよいわけです。

 

これについてはもういいでしょう。

実際の講義の進め方と課題の提出について説明します。

 

前期受講していた学生には説明の必要はありません。

後期から受講する学生は、このブログの過去の記事、今年の4月から7月までも44回の文章講義を少しでも閲覧してください。

それでやり方は分かると思います。

大学生なんだからわかるでしょう。

 

今回は初回でガイダンスなので、内容には来週から入ります。

一週間に1~4回文章講義がなされます。

曜日は決まってませんが、土曜日には必ず記事がupされます。

土曜日に一括して読んでもいいのです。

 

テキストは序と十の章と三つの付論と一つの実験小説から成っています。

これについて要約的に説明していきます。

学生はテキストを読みながら、このブログの文章講義を読むことが要求されます。

 

前期の講義では各章の各節について順番に詳しく解説していきましたが、後期はより概略的、要約的になります。

前期のテキストよりは読みやすく、分かりやすいはずです。

前期のテキストも基礎学力が高ければ簡単なんですがね。

 

第一回目のレポートの課題は明日、Net-Aceにupされます。

このブログにもupされます。

後期は前期よりもレポートの回数が一回増える予定です。

前期はレポート二回で定期試験二回でしたが、後期はレポート三回の定期試験二回になります。

ただし、分量を減らしたり工夫するので、負担は変わりません。

そもそも単位取得だけなら五回全部提出する必要はありません。

二回か三回以上でも可能です。

ただし、AやS を狙う人は四回か五回提出する必要があります。

 

なお、参考書としては同じAmazonのKindle版として出ている『哲学的短編小説集』(上)と(下)を挙げておきます。

興味ある人は買って、読んでください。

 

なお、今回もオンライン授業です。

去年からずっとそうですが、来年も決定的です。

いや、大人数の教養科目、専門科目でも大人数のものは今後10年ぐらいはオンラインと言われています。

オンラインを嘆かずに、楽しんでください。

無駄な登校の必要がないし、周りの私語に悩まされることもありません。

 

では、来週から本格的な文章講義を開始します。

テキストの序から第1章にかけて読んでおきましょう。

来週は平日に一回、土曜日に一回の予定です。

 

なお、この文章講義は末尾に毎回猫様の画像がupされます。

これが好評なんです。

この講義の受講生は猫を神として崇めることが要求されます。

 

            頑張るにゃ

 

                楽勝だにゃ


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