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心と神経の哲学/あるいは/脳と精神の哲学

心の哲学と美学、その他なんでもあり

『心の哲学への誘い』を買おう

2014-06-29 14:56:19 | 日記

私が2007年に上梓した『心の哲学への誘い』は非常に読みやすい上質の啓蒙書である。

この本は言うまでもなく心の哲学への入門を狙ったものであり、その概略と根本と諸問題を取り扱っている。

まず、「心の哲学」の西洋哲学史における生成過程とその本質の定義から始まって、心身問題の哲学としての位置を明らかにしている。

それから、臨床医学への応用、クオリアの問題、生命論との関係、自由意志の問題、脳科学との関係をそれぞれ考察している。

四六版で170ページあまりのこの本は、読み通すのも容易で、心の哲学への最高の入門書となっている。

また、英米の心の哲学の方法に偏向しないで、アリストテレス、ジェームズ、プラグマティズム、現象学などの視点も取り入れている点も優れている。

各章の末尾に付された練習問題を解いてみるのも大変楽しい。

なお、本書は畿央大学の国語の入試問題に出典引用され、大阪府立大学の学生推薦図書となっている。

とにかく、優れた心の哲学への入門書であり、「心とは何か」「自分って何?」という、とかく逃げ出したくなる問題に取り組むためのヒントを与えてくれる。

そう、多くの人が手を付ける手立てをもちにくい「心」の本質、「精神」の問題の理解と解決の手がかりを与えてくれるのである。

価格も1900円と安いし、買わなきゃ損でしょ!!

 

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『創発する意識の自然学』を買おう

2014-06-28 07:16:00 | 日記

地元へ帰ろう ♪

地元を愛そう ♪

というGMTの歌のように、『創発する意識の自然学』を買おう ♪

そして、『創発する意識の自然学』を読もう ♪

我々人間の意識には自らの故郷に帰ろうとする性質がある。

その故郷とは出生地ないし出身地であることが多いが、究極まで遡ると、それは「自然」それ自体となる。

我々の魂の故郷は自然なのである。

つまり、意識の根源は自然なのである。

それも冷たい機械的物質体系としての自然ではなく、心的生命によって賦活される自己組織化的有機体としての根源的自然(生ける自然=ピュシス)である。

私が去年上梓した『創発する意識の自然学』は、自然の大生命の躍動的前進に根差した意識の自然的本性を創発主義的存在論の方法によって解き明かした力作である。

読んで損はない!!

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アパマンショップと上戸彩

2014-06-27 20:18:00 | 美人

アパマンショップのイメージキャラは上戸彩である。

私はこれまで何度か引っ越ししており、その都度アパマンショップとエイブルと地元不動産屋のお世話になった。

そして、アパマンショップに行くと、必ず目に入ってくるのが、この上戸彩のポスターである。

なんか借りたくなるが、結局アパマンで決めないでエイブルや地元不動産屋で決めた。

なぜなら、アパマンは意味不明な初期料金を加算しようとするからだ。

また、勤め先や収入に関してもうるさい。

それに対して、エイブルはうるさいことは言わないし、安く上がる。

それにしても上戸彩は、よくいそうなタイプだが、独特のかわいい「美」を所有してるね。

 


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『情報の形而上学』を買おう

2014-06-27 16:31:31 | 日記

私が2009年の秋に出版した『情報の形而上学』(萌書房、2700円)は力作である。

副題が「新たな存在の階層の発見」となっている。

つまり、この本は存在論的観点から「情報」というものを取り扱ったものなのである。

チャルマーズに触発されて書いたが、彼とは大分違う思想が展開されている。

そもそもチャルマーズはプラトンとアリストテレスのエイドス(形相)がinformationの存在論的意味に深く関与していることを知らないのだ。

また、生物学における情報概念の重要性を顧慮している点も彼と違う。

とにかく読んでほしい。

ちなみに、この本けっこう売れましたし、まだ売れています。

ある人はツイッターで「『情報の形而上学-新たな存在の階層の発見』というタイトルに魅かれて買ってしまった」と言ってました。

そういえば、このタイトル、めちゃくちゃカッコイイよね!!

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『心・生命・自然』を買おう

2014-06-26 08:36:36 | 日記

2009年に出版された『心・生命・自然 - 哲学的人間学の刷新』は読みやすい力作である。

四六版で200ページあまりで量的にも手ごろなこの本は、はっきり言って啓蒙書の部類に入る。

別にはっきり言わなくてもそうである。

心と生命と自然という三つの主題をめぐって話は進み、そのうち文学の話になる。

ここが面白い。

芥川龍之介、梶井基次郎、太宰治、志賀直哉、有島武郎が話題となっている。

特に太宰と有島である。

また偽善の本質について哲学的考察を試みているのは注目に値する。

ネットでも「偽善に関する論文や本は以外になくて、ようやくこの本を見つけた。大変参考になった」という感想が書かれていた。

「不安の臨床哲学」という一節についても「とても分かりやすく書いてあり、大変参考になる」という意見があった。

研究的色彩があまりなくて、初心者や専門外の人にも分かりやすく書いたので、大学入試の模擬試験に出典引用された。

代々木ゼミナールの「東大・京大トップレベル模擬試験」と「早大プレ」の国語の問題にである。

はっきり言って買わなきゃ損でしょ!!

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『自我と生命』を買おう

2014-06-25 07:44:59 | 日記

2007年の10月に出版された『自我と生命』は名著である。

副題が「創発する意識の自然学への道」となっているが、これは実際に2012年刊の『創発する意識の自然学』へと結実した。

この本は前半部で四人の哲学者の思想を分析し、それを「創発する意識の自然学」の前形態として評価している。

四人の哲学者とはジェームズ、ホワイトヘッド、ラッセル、サールである。

その後、意識と自我の本質を「生命」に絡めて論じるという手法をとっている。

我々は、自己の存在を世界の中で自覚し、そこから生命の意味を考えるようになる。

つまり、意識と生命、自我と生命は密接に関係しているのである。

とにかく、ここまで意識(自我)と生命の関係を深く考察した本は他にない。

ベルグソンもここまで深く考えなかったであろう。

彼は自己の意識の消去しえない原事実に囚われたがゆえに生態系全体の中での、

あるいは自然の摂理の中での「自己の存在の意味」をとらえることができなかったのである。

それに対して、上に挙げた四人の哲学者から継承した「自然的実在論」「生命的自然主義」の思想は、本書に見事に生かされている。

それは「自己への配慮と社会福祉」という思想にまで延び広がっていくものなのである。

そして、こうした論点が死の問題に絡めて着目され、You Tubeで紹介されている。

哲学するサラリーマンの「死を哲学する」である。

http://www.youtube.com/watch?v=OsKXKm7szLc

ぜひ見てほしい。

 

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『意識の神経哲学』を買おう

2014-06-24 09:20:35 | 日記

私が2004年に上梓した『意識の神経哲学』は名著である。

意識に関してこれほど緻密にかつ体系的に考察した哲学書は日本では類を見ない。

現代の意識哲学の四潮流とそれを代表する哲学者の思想の核心を抉り出すことから始めて、次第に考察は私自身の意識哲学へと進む。

自我と脳の深淵への哲学的旅がそこで展開されている。

現代において意識の問題を考える際に必須の神経哲学的考察がそこにはある!!

また、哲学と科学の接点への鋭いまなざしもそこにはある!!

買って損はない!!

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『脳と精神の哲学』を買おう

2014-06-23 17:18:17 | 日記

2001年に出版された私の著書『脳と精神の哲学』は時代を先取りする斬新な哲学書であった。

アメリカでは既に1990年代から脳科学(神経科学と認知科学)と対話する心の哲学の一派が存在した。

それは神経哲学(neurophilosophy)と呼ばれた。

しかし、日本では脳科学と積極的に連携する心の哲学は存在しなかった。

私が『脳と精神の哲学』において初めて脳科学と対話する神経哲学を展開したのである。

この本の副題は「心身問題のアクチュアリテイー」となっており、哲学上の重要な問題「心身問題」の現在進行形と実用性を論じている。

本題が「脳と精神の哲学」となっているのは、実はこの本が「脳科学と精神医学の哲学」だからである。

認知科学と対話する哲学や精神医学と対話する哲学は既に我が国にも存在したが、神経科学と精神医学双方と対話する哲学は初めてである。

日本の哲学者が関心を持つ精神医学は精神病理学や精神分析などの脳科学と疎遠な分野がほとんどで、脳科学そのものである生物学的精神医学との対話はなかった。

私がこの本で初めて生物学的精神医学の話題を取り入れ、それを「心身問題のアクチュアリティー」の舞台で考察したのである。

ちなみに、心身医学にも一章割いている。

ある読者いわく「この本面白いんです。幻影肢とか生理学の話が出てくるんです」。

基本に据えた哲学はアルゼンチンの科学哲学者マリオ・ブンゲの創発主義的精神生物学の哲学である。

それにメルロ=ポンティの心身両義性の哲学を加味した。

そして、精神医学と心身医学と意識科学における「脳と心」の問題を個別に考察した。

書評が『図書新聞』と『週刊読書人』に載った。

後者における東大の科学哲学の信原教授(当時、助教授)による評は絶賛に近いものであった。

その後、日本の心の哲学は脳科学と積極的に対話するようになった。

この本、いつ買うの?

今でしょ!!

 

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花は咲く

2014-06-22 21:45:38 | 日記

東日本大震災のチャリティーソング「花は咲く」は、日本人の誰もが知っているお馴染みの曲である。

「花」と人間の「心」は深く関係している。

なぜなら人類の祖先はアフリカの熱帯雨林の中で数百万年前に類人猿から分化して誕生したからである。

そして、その熱帯雨林では色鮮やかな花が多種咲き誇っていた。

それゆえ、我々の心には無意識の深いところで「花の命」が宿っているのである。

前の記事では福井地震の惨状を示す画像を貼ったが、ここでは2010年4月3日に私がさいたま市で撮った写真を掲載しようと思う。

場所は見沼代用水である。

桜と菜の花のコントラストが美しい。

背景の超高層ビル群はさいたま新都心である。

これから11か月後に、あの大震災が起こるとは・・・・

しかし、花は再び咲くのだ。

「花は 花は 花は咲く  いつか生まれる君に  花は 花は 花は咲く  わたしは何を残しただろう」

私は少なくとも9冊の本を残した。

あと何冊残せるだろうか。

そのうちの一冊は「震災と人間の心」を扱ったものにしたい・・・・・


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心因性朦朧状態における意識の機能

2014-06-22 17:09:57 | 意識・心理学

西丸四方は『精神医学入門』において次のような心因性朦朧状態の症例を挙げている。

 

「或る鉄道作業員は組合大会でつるしあげられた後失踪し、九日目に帰宅した。ただ汽車に乗っていなければならないという気もちしかなく、大阪、仙台、青森の駅を通ったことは思い出せた。無料パスの自分の名を見て、これは誰だろう、どうしてこんなもので汽車に乗れるのかといぶかったことも思い出せた。このパスでうまく旅行し、食事も摂ったらしてが、このことについては思い出せなかった」。

 

身体運動がスムーズになされているとき、意識は内面へと向かわず、周囲世界へと拡散される。

つまり、意識のもつ再帰的な働きが抑制され、身体運動を制御するための「覚(awareness)」として機能するのである。

これは、要するに意識が身体のとなり、環境の中で有機体が生命を維持するための道具となる、ということである。

そして、この傾向が極まると「覚」の機能すら消尽点へと向かい、朦朧状態となる。

鉄道員の症例では、意識混濁は目立たないが、意識が狭くなって少しのものだけしか意識されず、過去から現在までの自己の歴史の意識も絶たれ、以前の自分とは連絡のない別の人間になっている。

つまり、注意の機能が、生存を維持するために最低限にまで低下し、行為の主体が自分であるという再帰的意識がほとんどなくなる。

しかし、基本的な社会的行為とそれを可能ならしめる身体運動の空間性は維持される。

件の鉄道員の場合、普段やりなれて習慣として身に付いた「汽車に乗って駅をめぐる」という行為は、滞りなくなされている。

これは、無意識の習慣的身体性のなせる業である。

ただし、ここで「無意識の」というのは、全く意識に上ってこないとうことではなく、意識に上ってきていることが自覚されないということなのである

換言すれば、普段の我々の意識的行為は注意と短期記憶の数珠つなぎからなっているが、朦朧状態においては注意と連動した短期記憶が現れてはすぐに消え、結果として「短期記憶の速やかな記憶喪失の数珠つなぎ」となってしまうのである。

それゆえ、朦朧状態においても意識は失われているわけではなく、その再帰性と記憶への保存が損なわれている、とみなされるのである。

これは格闘技、特にボクシングの試合中に時折起こることである。

いわゆる「記憶が飛んだまま試合を続け、その経過を覚えていない」という、あの状態である。

以上に述べた「朦朧状態の意識」は決してレベルの低いものではなく、意識の根源的自然を示唆する貴重な現象である。

これを私は2007年の『自我と生命 - 創発する意識の自然学への道』の第11章で論じた。

なお、デネットの『解明される意識』(青土社)とメルロ=ポンティの『知覚の現象学』(みすず書房)も参照されたい。


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加藤茶の状態がやばい

2014-06-17 19:31:18 | 日記

三年前、68歳で45歳下の女性と結婚したコメディアンの加藤茶さん、最近調子が悪いようです。

NHKの月曜夜8時からの鶴瓶の『家族に乾杯』にゲスト出演した加藤茶さんの動画↓

http://www.youtube.com/watch?v=s18k-QZjN_U

滑舌、反応が悪く、表情がないです。

数年前に生死の境目をさまよう大病を患ったので、その後遺症でしょうか。

とにかく71歳にしては覇気がなさすぎです。

これではコントはできないでしょう。


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佐々木希のプロフィール

2014-06-15 21:56:10 | 美人

プロフィールとはよく聞く言葉で、その人の生い立ちや経歴や特徴を意味します。

ただし、その原意は「横顔」です。

佐々木希は若い世代の女性で日本一の美人と言われることが多い人ですが、正面から見た顔は少しシャープさに欠けます。

ところが次の画像では・・・・・・

こっちのアングルの方が精悍ですね。

佐々木希(ささき・き)の「別の顔」を見た気分になりませんか ?

ちなみに「別の顔」と言う言葉も比喩的に使われますね。

「昼の顔と夜の顔」とか。

 

 


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イケメン格闘家ミルコ・クロコップ

2014-06-12 10:33:42 | イケメン

イケメン格闘家は何人か思い浮かぶが、そのうち際立っているのはミルコ・クロコップ(Mirco Filiporic,1974~)だ。

ミルコはクロアチアのキックボクサーにして総合格闘家。元警察官(クロコップというリング名はクロアチアのコップ[警察官]という意味)、元クロアチア国会議員でもある。

身長188㎝、体重100-104㎏

ブルース・リーにあこがれ、テコンドー、空手、アマチュア・ボクシング、キックボクシングと遍歴する。

 K-1で活躍後、PRIDEのリングに上り大活躍しスターにのし上がる。

2006年のPRIDE無差別級グランプリでは自己の誕生日に優勝。

その後UFCに移籍するも不振に終わり、一時引退をほのめかしたが、またK-1と総合格闘技に復帰。

大みそかのイノキ・ボンバイエに出場予定。

得意技は伝家の宝刀・左ハイキック!!

その画像を次にupする。


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記事を間違って削除してしまった

2014-06-04 01:20:31 | 日記

昨日upした風間トオルの記事を間違って削除してしまった。

まぁ、あまり出来がよくなかったし、後で練り直してupしようと思う。

風間トオル ↓


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モテる人って同性からはわからない?

2014-06-01 22:26:24 | 日記

三日前に2chのある過疎ってるスレにレス書き込んだら、即座にレスがあった。

そのスレは「モテる人って同性からは分からないよね」というものである。

では、私が書き込んだものにどういう反応があったか、見てみよう。

 

80 :名無しさんの初恋:2014/05/30(金) 20:45:32.74 ID:FCY+Phi9

なんか分かってない人がいるみたいだけど、
要は「男から見てもてそうに見える男と女が実際に好きになるタイプの男は
かなり違う」ということだろ。
たとえば、男はマッチョで彫が深くて親分肌の男前こそもてると思い込んでいるけど、
女は中性的でジャニーズ系でかわいいタイプのハンサムを好む、とか。
女から見ていい女と男から見ていい女も同様にギャップがある。

81 :名無しさんの初恋:2014/05/31(土) 18:18:49.20 ID:UWl0/tlC

「もてる」の発信情報がお互い異性からじゃないと現実的ではないということだろう

俺について来い男は現実的には持てないけど 未だにそう思い込んでいる男は多いわな
男の前だけぶりっ子が現実的に持てないけど 未だにそう思い込んでいる女は多いわな

82 :名無しさんの初恋:2014/05/31(土) 18:25:45.97 ID:9WcuFj8N

男前で俺様はモテてるよ
社会人の場合はね
ジャニは中学生は騙せても
大人には近所の子供にしか見えない

83 :名無しさんの初恋:2014/05/31(土) 18:27:24.25 ID:qATg/s9l

>>78
嵐のメンバーの中では相葉的なポジションなのかもしれない

一般的な容姿の女から比較的好まれるタイプと三田友梨香

松本潤や桜井翔タイプだとアプローチまではされるけど告白される
までには至らない感じがする。

84 :名無しさんの初恋:2014/05/31(土) 18:56:41.95 ID:aqVKvWV2

>>82
あんたは金巻きあげられてるだけだろオッさんw

 

84のレスを読んで、腹を抱えて笑ってしまった。

実は、このスレは2012年の8月に立てられたもので、ものすごく進行が遅い。

私が書き込んだものの直前の79のレスは今年の3月2日のものであった。

私は適当な意見を書き込んで様子を見たが、日曜日までにレスは91に達していた。

このスレのアドレスは↓

http://peace.2ch.net/test/read.cgi/pure/1345280765/l50

私は社会心理学的観点から時々2chを覗いているが、こういう反応はすごく面白く興味深い。

インターネットにおける意見の交換は直接対面してなされるものではなく、何よりも匿名によるものなので少し現実味に欠けるが、そこに自由性があることもまた確かである。

 


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