です。
http://www.tudou.com/programs/view/_M03HB55kqc/
非常に芸術的で美学的に100点です。
おまけ(オーケストラをバックに歌う藤さん。おそらくこの時が美貌の頂点。38歳)
です。
http://www.tudou.com/programs/view/_M03HB55kqc/
非常に芸術的で美学的に100点です。
おまけ(オーケストラをバックに歌う藤さん。おそらくこの時が美貌の頂点。38歳)
ロシアで氷点下のなかダンボール箱に捨てられた赤ちゃんを救った猫がいる。
この猫は段ボール箱の中で男の赤ちゃんを抱き、誰かが気づくまで鳴き続けた。
そして、氷点下のなか自分の体で赤ちゃんを温め続けた。
http://videotopics.yahoo.co.jp/videolist/official/animal_pet/pe0d6d1ee0a70f69f2981188230aeacc6
ここには生物種を超えた同胞愛がある。
直前の記事にも書いたが、ここ一週間は八月にしては非常に涼しい。
もちろん八月も下旬なのだから少しは暑さも引くであろう。
しかし、それも30℃~32℃に落ちて猛暑日がなくなるぐらいであり、ここまで涼しい日が続くのは珍しい。
天気も曇りと雨ばかりで、まるで九月下旬を思わせる。
昨日の最高気温は20℃であり、今日は23℃ぐらいである。
確かに快適だが、太陽が恋しくもなる。
暑さ、特に35℃以上の猛暑は嫌だが、晴れが10日もないのもまた嫌だ。
鬱陶しい。
三日前に少し晴れたが、最高気温は30℃を下回った。
次に晴れる日は九月に入るから、多分湿度も低く30℃前後になるであろう。
それなら快適に近い。
藤あや子さんの代表曲「雪深々」の動画です。
高画質です。
https://www.youtube.com/watch?v=YHxYmCyI270
ようつべの別バージョンの雪深々の動画について外国の方が次のようにコメントしています。
She is absolutely the very image of beauty: the graceful performance, the powerful but feminine singing and the invincibly good-looking!
彼女は美の絶対的象徴だ。優美な演技、力強いけど女性的な歌唱、そして女神のような美貌だ!!
次は数年後のステージでのもの。
これも高画質です。
http://www.tudou.com/programs/view/IPkVAPOOsyI/
秋田美人だねー
今日は曇りで小雨が一時バラつき、最高気温は22℃。
八月も下旬とはいえ、涼しすぎる一日であった。
寒いぐらいに感じた。
夏らしくないが、猛暑日や真夏日よりははるかにいい。
昨日は立秋だった。
そして、連日の猛暑日が途切れ、最高気温が32℃にとどまった。
今日もそれぐらいの予報が出ている。
さらに、明日からも曇りがちの日が多いらしい。
とりあえず暑さは一段落したようだ。
また猛暑日はやってくるでろあうが、長続きはしないであろう。
それにしても今年は全世界的規模で高温となっており、地球温暖化の切実さを感じさせる。
ただ、今日も昨日ののように比較的雲が多く、いくぶんすごしやすそうだ。
昨日はまさに「立秋」であり、夏の一段落を如実に表していた。
20年以上前の話だが、キリスト教の研究者(プロテスタント系)で「一人で生きていくことが罪の本質だ」と言っていた人がいた。
「一人で生きていく」とは「独りで生きていく」とも言い換えられるが、要するに孤独で独善的で自己中心性の持ち主のことを指しているのだろう。
このような意見は一見もっともらしいが、裏を返せば危険である。
キリスト教、あるいは聖書における「罪」は、一般に言われる「犯罪」や「悪」とは違い、人間の本質を深く突いた概念である。
それを直接法で伝えることは難しく、隠喩や暗示や象徴に頼らざるをえない。
罪とは「自分は善人であり、他人に非難される筋合いはない」と野放図に思い込むことである。
孤独やエゴイズムとの関係で言うと、「自分は協調性と社交性(社会性)があり、孤独なエゴイストの要素がない」と自慢することである。
我々は基本的に快楽主義者であり、不快を避け、快を求める傾向をもっている。
多くの人にとって孤独と孤立は不快であり、社交と交遊は快ないし快楽となる。
罪とは自らが快楽主義者であることを顧慮せずに、孤独を非難し社交性を賛美することである。
たしかに20年前に比べると、近年はオタクが増え、前ほどは孤独は非難されなくなったように思われる。
しかし、イジメはむしろ増えている。
そして、いじめられるのはほとんどが孤独傾向の生徒である。
つまり「独りで生きていくことが罪だ」という独善的意見の犠牲になっているのである。
それゆえ、罪とは最初に挙げた「一人で生きていくことが罪の本質だ」という考え方そのものだということになる。
今、先月起こった岩手での中学生のいじめによる自殺が話題となっているが、この生徒もこうした考え方の犠牲になった、と言えなくもない。
親鸞は「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人おや」と主張した。
これにならって「リア充なおもて往生をとぐ、いわんやオタクおや」と言いたくなる。
親鸞の悪人正機の説は誤解を招きやすい思想である。
それは太宰治の『人間失格』が誤解を招きやすいのと似ている。
自分を野放図に善人ないし人間合格と思い込むこと、その脳天気さが罪の本質なのである。
他人を攻撃する前に自分を攻撃せよ。
少しはオタクになって内省せよ。