心と神経の哲学/あるいは/脳と精神の哲学

心の哲学と美学、その他なんでもあり

志村けんの死は人類滅亡の前兆

2020-03-30 20:05:08 | 日記

日本一、いや世界一のお笑いタレント志村けんが新型コロナウイルス感染による重篤な肺炎のため昨夜、都内の病院で死去した。

70歳であった。

彼の代名詞でもあった「だいじょうぶだぁ」は音を立てて崩れ落ちた。

これは楽天観への警告である。

「まじめな人は長生きする」という確固たる実証データがある。

これは理想論や精神論の類ではなく、医学と心理学の合体による長期追跡が明らかにした客観的真理である。

我々はついつい楽天観で押し切ろうとするが、この際、最悪の事態を想定して、感染対策に協力したほうがよい。

志村は性格はよいが、不摂生で有名である。

既に数年前から健康不安を訴えており、抵抗力と免疫力は最低レベルだったと思う。

彼の死を警告として受け取り、人類の滅亡を阻止しなければならない。

そして、昨日死去・・・・・


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人類滅亡の危機とトランスパーソナル・エコロジー

2020-03-28 20:44:44 | 哲学

コロナウイルスによる新型肺炎がいよいよパンデミックの様相を呈してきた。

最悪の場合、人類滅亡の危機が迫ってくる。

そこで、どうしてもトランスパーソナル・エコロジーの観点が要求されることになる。

詳しくは後で論じます。


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大宮公園の桜

2020-03-27 07:58:27 | 備忘録

昨日観てきた大宮公園の桜です。

宴会自粛のため露店なし、花見客まばらです。

特に第一公園の雰囲気は異様です。

毎年酒臭くて汚いので、嫌だったのですが、今年は綺麗です。

まず、大好きな第二公園の桜。

次に第一公園の桜。

御覧の通り、ブルーシートを敷いたグループ客がほとんどいません。

歩いている人も例年よりかなり少ないです。


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またもやマスクが買えた

2020-03-21 15:20:36 | 日記

今日は快晴で気温が20℃。

絶好のサイクリング日和となり、荒川沿いを走っていた。

そのとき、ふと思い出した。

そして、先月マスクが買えた、あのドラッグストアにまた寄ってみよう、という勘が働いた。

ダメもとでその店に寄ったら、なんとまた奇跡的にマスクがあった。

しかも、ふつうサイズ最後の一箱。

何と運がいいんだ俺は。

人生の勝利者か。

アイリスオーヤマ製の60枚入り立体型マスク。

値段は980円。

これでも今の情勢に鑑みれば、極めて安いだろう。

これで、あと三ヶ月は大丈夫だ。

それにして、他の店ではどこも売ってない。

件の店は埼玉県の桶川市と北本市の境目にある。


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自分の頭で考え、自分の言葉で書く、ということ

2020-03-14 10:42:42 | 哲学

日本における哲学界の動向は数十年来、西欧の大哲学者の思想の翻訳と解釈が中心であって、自己の思想の構築と展開は志向されていない。

かつては西田幾多郎、田辺元、三木清などの自己思想の展開者がいたが、その後減ってゆき、今日の文献学と思想解釈と翻訳が超優勢となってしまった。

最後の自己思想展開の大物は廣松渉である。

彼が死んだのが1994年だから、もう二十数年間、日本には本物の哲学者(体系的思想家)がいないことになる。

今日でも数人それらしき人はいるが、理論と体系の構築が甘く、エッセイ調に流れやすい。

とても本物の理論的、独創的哲学者とは言い難い。

とにかく、ホワイトヘッドやハイデガーやベルクソンのような自前の思想を緻密に展開する理論家が現れてほしい。

明治以降、小説家や科学者や医学者では世界に誇る人物が多数出たが、哲学者で世界から注目された人は稀である。

なぜ、三島由紀夫や湯川秀樹や野口英世のような天才が日本の哲学界に現れないのだろうか。

それは「自分の言葉で自分の思想を展開する」ということを軽く見ているからである。

その努力すらせず、西洋哲学の古典の解釈と分析に終始し、合間にエッセイを書くのみである。

たとえば、中島義道がその代表である。

永井均ももてはやされているが、思想構築のアルゴリズムに根差した緻密な理論体系に到達しているとは、とうてい言えない。

エッセイに毛が生えたようなものである。

私は、真の哲学者たらんとして、へぼながら体系的哲学理論(体系的哲学書)の構築に挑んできた。

はっきり言って、へぼで貧弱でダサいかもしれないが、とにかく挑戦してきた。

その代表作が『創発する意識の自然学』である。

 

https://www.amazon.co.jp/創発する意識の自然学-河村-次郎/dp/4860650700/ref=sr_1_6?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&dchild=1&keywords=%E6%B2%B3%E6%9D%91%E6%AC%A1%E9%83%8E&qid=1584169388&sr=8-6

 

これが、いつの日にか評価され、哲学の古典になることを願っている。

その他の数冊もけっこう頑張って自前の思想の体系構築たらんとしたものである。

とにかく「自然の大生命の躍動的前進に根差した意識の根源学の構築」というテーマを一貫して追求した前掲書が歴史に残ってほしいと思う。

「意識の根源学」である。

佳作という言葉があるが、その程度でよいのである。

まだ、書きたいことがいっぱいあるし、出来上がった原稿もある。

まだまだこれからだ。

「敵に勝つより己に克て」という信念が自分を奮い立たせる。


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春の証

2020-03-12 20:42:43 | 美学

今日は風が比較的強くて寒めだったが、素晴らしい青空が広がった。

まさに春本番に突入である。

次の画像は埼玉県上尾市郊外の田園地帯の今日の模様です。

紺碧の空の色と木蓮の鮮やかな白のコントラストが素晴らしいですね。

このコントラストに見とれて、思わずスマホのカメラで撮影しました。

梅が散って、桃の花が咲き始めると、続いてこの木蓮の花が咲きます。

その一週間後ぐらいに桜が満開となるのです。

それにしても、このスカイブルーは素晴らしい色映えですね。

私は色の中では青が一番好きですが、このスカイブルーは格別だと思います。


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空飛ぶ猫

2020-03-08 09:30:40 | 日記

私は猫好きである。

それゆえ猫の写真が好きである。

しかもユニークなものが好きである。

次の写真は空を飛ぶ猫を撮ったものである。

この瞬間を撮るには高度の技術が必要だ。

熟練の写真家でないとこうはいかない。

 


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大地震について思うこと

2020-03-01 11:00:50 | 日記

今年の1月17日は阪神淡路大震災が起こってから21年目の日であった。

その日の夜にCATVを観ていたら3時間に渡って今後起こる大地震について分析する番組をやっていた。

日本はもともと世界有数の地震国であり、断続的に数々の大地震に見舞われてきた。

これついては、寒川旭著『地震の日本史』(中公新書)が的確な概観を示してくれる。

江戸時代や明治期にも大きな地震が多数あったが、日本人の誰もが知っている国内の大地震となると、やはり大正期の末に起った関東大震災である。

これは死者10万人超の国内最大最悪の災害であり、これを凌ぐものは未だ現れず、また過去にもない。

ただし、1923年の関東大震災を直接体験したり、その報道をリアルタイムで聞いた人は、もはやほとんどいない。

それゆえ、近年起こったものからいくつか挙げるとすると、まず1995年の阪神淡路大震災と2011年の東日本大震災の二つが突出している。

昭和期以後でそれ以外の目立つものとしては1948年の福井地震とか2004年の中越地震などが挙げられる。

また、2011年の大震災における津波の被害地区、つまり岩手と宮城の太平洋岸は大正期から数十年おきに20m超の大津波に襲われている。

ところが、この地区の住民は「天災は忘れたころにやってくる」という教訓を忘れ、繰り返し津波の犠牲になってきた。

現在の東京とその周辺の住民も同じである。

神戸の大震災の惨状を目の当たりにしてビビりはしたものの、それから19年経っても起こらないとなると、みんな何食わぬ顔である。

私などは小学生のときに大地震を経験し、死にかけたので、地震の怖さは体で知っている。

これは1968年の十勝沖地震であり、公表された震度が5の縦揺れであった。

しかし、実際は震度6あったと思う。

とにかく縦揺れはこわい。

関東大震災も阪神大震災もすさまじい縦揺れであった。

そして、福井地震もそうである。

この三つに共通するのは、どれも震度7ということである。

実は福井地震のときには震度は6までしか想定されてはおらず、福井地震は最初震度6と発表されたのである。

その後、地震学的見地から再検討して福井地震は震度7であった、と修正され、新たに「震度7」が設定されたのである。

阪神大震災の惨状は有名なので、ここではあまり知られていない福井地震の一場面を寒川氏の前掲書から引用しつつ紹介しよう。

 

 「1948年6月28日。福井平野はどんよりした雲に覆われ、蒸し暑くて息苦しい日だった。午後4時13分、地鳴りとともに大地が激しく揺れ始めた。道を歩く人は地面に倒れて這いつくばり、屋内の人は壁にたたきつけられ、家並みは土煙とともに倒れ落ちた。福井市の中心にあった鉄筋7階建ての大和デパートは、真ん中の柱が折れて東半分が20度近く傾いた。・・・・家の下敷きになったままで炎が迫り、助けを求めながら焼死する人が相次ぎ、梁にはさまれた腕を鋸や鉈で切断して助け出された人もいた。火の勢いが強くて近寄れない肉親や知人に避難を勧め、「さようなら」の言葉を遺して炎に包まれるなど、市内の建物の8割が全壊して2000棟近くが焼失した。福井・石川両県の死者は3769人に達した」(p.233-234)。

 

もはや理屈はいらない。

ただ次のくだりを何度も読み、心に刻み、肝に銘じ、絶対忘れず、死んでも忘れず・・・・・・・

うっ、涙がこみ上げてきた。

とにかく、次のくだりだよ。

 

「梁にはさまれた腕を鋸(のこぎり)や鉈(なた)で切断して助け出された人もいた」。

 

腕を鋸や鉈で切断するんだよ・・・・麻酔もしないで。

それと、

 

「火の勢いが強くて近寄れない肉親や知人に避難を勧め、「さようなら」の言葉を遺して炎に包まれるなど」・・・

 

「さようなら」の言葉を遺して火に包まれるなんて・・・・・

あまりに悲しく切ないじゃないか。

とにかく、近いうちに首都圏でこれに類した惨状が再現される可能性は極めて高いのだ。

それを肝に銘じるためにも福井地震の惨状を画像で観ておこう。

まず、大きく壊れた大和デパート。

これは福井地震のシンボルとなっている画像であるが、復旧期のものなので、リアルタイムのものも観ておこう。

とにかく、都市型大地震は火災が怖い。

こんなふうに倒壊した木造家屋の中から腕を鋸や鉈で切断されて助けられた人がいるんだ・・・・・・・・・・・・

 

東京大地震は差し迫ってるぞ!!

  

 


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