今日から最後の第8章に入る。
この章の構成は次のようになっている。
はじめに
1 続・自然学としての形而上学
2 情報の客観的実在性
3 存在の階層の中での情報の位置
4 真実在をめぐる巨人の戦い
5 情報の形而上学
まさに締めくくりにふさわしい内容である。
この本は非常に論理的で、緻密な構成と複雑な文章によって成り立っている。
味わい深い本である。
しかし、馬鹿にとっては豚に真珠である。
真珠の輝きを享受するためにも、この最終章を熟読し、深い味わいに浸ってほしい。
まず「はじめに」について解説しておこう。
言うまでもこれは序であり、本章の意図と目的と構成に触れている。
高学力の高校生は文系でも理系でも現代文の読解や小論文の添削による訓練に長けているので、本書の理解などお茶の子さいさいであろう。
とにかく、読解は構成の把握と著者の意図の看取から始まる。
その意味でも序をよく読み、その意味を把握しておくことが求められる。
だたし、この章の序には新しい内容はない。
それもそのはず、本章は締めくくりであり、総括なのだから、これまでの論述の再把握を目指しているのだ。
もちろん、それだけではないが。
「はじめに」におけるキーワードは、「ものとこと」「形相と情報」「人間中心主義の間違い」「擬人化だという誤解」「解釈学的循環」である。
これらの語に注意して、この短い序の内容をしっかり把握し、その意味を理解することが求められる。
あたりまえのことだけど、当たり前のことをしっかり理解することほど難しいことはないんだにゃ
あたりまえのこのなかに深い意味を看取できる人が哲学的なんだにゃ
僕は哲学的猫なんだにゃ