心と神経の哲学/あるいは/脳と精神の哲学

心の哲学と美学、その他なんでもあり

重厚な『意識の神経哲学』

2015-10-26 08:40:21 | 自著紹介

2004年の7月に『意識の神経哲学』萌書房、2800円という本を上梓した。
現代英米の意識哲学の四つの方途(還元主義、機能主義、現象論、ミステリアニズム)を基盤として、その基本姿勢の比較と代表的哲学者の思想を考察した。
さらに、私自らの意識論と自我論を展開した。
その際、脳の社会的相互作用という観点を重視した。
また、主観と客観、物と心の間としての情報という観点も取り入れた。
内容は多岐にわたり、考察は深く、論述は体系的となっており、全体として重厚である。
目次は次の通り。

序 意識の難問に挑む
第Ⅰ部 意識の神経哲学の多様性
 第1章 現代における意識哲学の四つの方途
 第2章 ポール・チャーチランドの神経物理主義
 第3章 デネットの機能主義的意識論
 第4章 チャルマーズと現象的意識
 第5章 マッギンの奇妙な不可知説
第6章 統一的見地の獲得は可能か
第Ⅱ部 心身問題と心脳問題
 第7章 心身関係論と心脳問題の循環的関係
 第8章 視覚の神経哲学
第Ⅲ部 自我・脳・社会
 第9章 自我・脳・社会
 第10章 ジンガーの「脳の社会的相互作用説」をめぐって
第Ⅳ部 自我の形而上学と形而下学
 第11章 ポパーにおける世界3と自我
 第12章 自我の形而上学と形而下学(自然学)
第Ⅴ部 情報と創発性
 第13章 心身問題と情報理論
 終章 創発する意識の自然学

これでA5版、274ページである。
この本において初めて「創発する意識の自然学」という構想が生まれた。
原稿を書いているうちにひらめいたのである。

書評が週刊読書人と図書新聞に載った。ただし、どちらも的を射ていない。
また、この本はリハビリテーション医学の一派に影響を与え、認知行動療法研究会のテキストとなった。
全く顧慮していないことだったので、少し驚いた。
しかし、私の意図はそういう領域的存在論に尽きるものではなく、もっと普遍的な宇宙論と存在論に向かっている。
それが、今回の新著として結実したのである。

この本は第1刷2000部のうち1800部弱売れた。


アマゾンのリンク。
http://www.amazon.co.jp/%E6%84%8F%E8%AD%98%E3%81%AE%E7%A5%9E%E7%B5%8C%E5%93%B2%E5%AD%A6-%E6%B2%B3%E6%9D%91-%E6%AC%A1%E9%83%8E/dp/4860650115/ref=sr_1_2?s=books&ie=UTF8&qid=1345509977

コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

花形満

2015-10-24 13:36:47 | 巨人の星

ご存知アニメ界一のイケメン花形満

彼の髪形は未だ謎に満ちている。
身長はそれほど高くない。
ライバルの星飛雄馬もイケメンだが、路線が少し違う。
ちなみに、花形のモデルは元阪神監督で大投手だった村山実らしいが、村山ってイケメンだったか?
少なくも、花形に比べるとかなり太っていただろう。


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

意識と空間

2015-10-24 09:19:21 | 哲学

意識の本質に関する哲学的考察において常に話題となる事柄として意識と時間の関係がある。

意識の本質としての「流れ」はたしかに時間と密接に関わっており、時間こそ意識のプロセス的性格を表すものとして重宝されるのだ。

また、意識は記憶とも密接に関係している。

記憶には短期記憶と長期記憶があるが、どちらも意識と密接な関係をもっている。

記憶のないところには認知機能の再帰的自己言及がなく、意識の機能が自覚されないので、自己意識や自我が形成されない。

ベルグソンに代表される時間と記憶の関係づけは、万人によって時間の本質に食い入る姿勢として受け入れられやすい。

ベルグソンはまた時間の本質を「純粋持続」に見出し、それによって時間から空間的延長性を剥奪した。

換言すると、彼は時間と空間を峻別し、空間的性質を全く含まない純粋持続こそ時間の本質だと断定したのである。

この見解はたしかに慧眼であったが、大きな見落としがあることもまたたしかである。

ベルグソンは純粋持続の概念を剔抉する際に、「意識に直接与えられたもの」を忠実に記述することを第一任務とみなした。

この姿勢は、内面的意識の発出点に還帰する精神主義的観点を示唆している。

これは、純粋自我の純粋思考(コギト)に還帰するために、身体を含んだ物理的自然界全体の空間的延長性を排除したデカルトの姿勢とたいして変わらない二元論的思考態度である。

こうした思考姿勢に欠けているのは、「意識に先立つ行動への視点」「意識と経験の関係を経験優位で考える姿勢」「意識の世界内存在ないし世界内属性への視点」などである。

一般に、意識の本質をその主観的現象性に絞りたがる人は、意識自体が空間的、身体的、行動的な世界内属性をもつ以前の様態を過度に重視する。

それに対して、意識の基盤に行動と経験を据え、意識の行動的、身体的空間性を重視する人は、意識と空間を密接に関係づけて理解しようとする。

意識には主観的様態だけではなく、主観的現象性(再帰的現象性)を欠いた純粋の機能的状態もあるのだ。

それは、認知心理学における意識の三段階説、つまり覚醒、気づき、再帰的自己意識の三階層を参照して言うなら、覚醒と気づき(awareness)に当たる。

この二つは生物の行動と知覚に密着したものとして主観化以前の様態にある。

そして、空間と密接に関係している。

この観点から意識と空間の関係を解き明かすことができるが、再帰的自己意識の次元でもやはり意識は時間だけではなく空間と密着しているのである。

なぜなら、時間と空間は「経験」の根本的構成要素であり、かつまた「経験」は意識の基盤として覚醒、気づき、再帰的自己意識の三階層すべてに随行しているからである。

それゆえ、我々は意識の本質を知りたいなら、ベルグソン的意味での「意識に直接与えられたもの」へではなく、ジェームズが主張する主観と客観が分離する以前の「純粋経験」へ還帰したほうがよい。

また、ベルグソンの影響を受けつつも、ハイデガーの「世界内存在」の概念を援用して意識と空間の関係を「生きられる身体」の観点から解明したメルロ=ポンティの視点は極めて重要である。

てゆうか、メルロ=ポンティの『知覚の現象学』に展開された身体空間論こそ、意識と空間の関係を考える際の聖典であろう。

また、彼の『行動の構造』も大変参考になる。

この二著を読むと、意識と身体と行動の関係が世界内存在の観点から明瞭となる。

これにジェームズ、デューイ、ミード、ホワイトヘッドなどのプラグマティズム的思想を加味すると、ますます意識と空間の関係が理解しやすくなる。

とにかく、意識は時間だけではなく空間とも密接に関係した生命的認知機能なのである。

内面的イメージや記憶内容の表象作用においてすら空間は重要な役割を果たしているではないか。

また言うまでもなく、生活的-知覚的行動における意識には常に身体運動的空間の張り渡し、つまり環境世界への脱自的伸張が付随している。

 

 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋の風景

2015-10-14 21:37:28 | 日記

今日は秋晴れ。

快晴であった。

抜けるような紺碧の空が広がった。

そこで、秋を感じさせる写真を数点撮った。

それを載せる。

撮影場所は埼玉県の桶川市と北本市である。

バッタはショウリョウバッタ。


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

創発主義と弁証法

2015-10-13 23:54:31 | 哲学

私は存在論上の立場として創発主義をとっている。

心身問題に関しても認識論に関しても同様である。

創発主義はもともと進化生物学から哲学に移入された立場である。

そして、その主張は次の三点に集約される。

 

1. あるシステムがもつ全体的特性は、個々の要素の線型的加算からは導き出せない。つまり、全体は部分の総和を超えている。

2. 先行する要件から予測できない新たな性質が現れることがあり、それは線型的因果論の推論を超えている。

3. 世界全体、宇宙全体が新奇への創造的前進を繰り返す巨大な有機体である。そして、この性質はより小さなシステム、つまり社会や会社や家族や個人にも見られる。

 

創発主義はまた心身問題において二元論と還元主義(唯物論)の双方を否定するということを特徴としている。

つまり、二元論のように世の中の事象をすべて「精神」と「物質」という二つの相いれない存在次元に分割したり、還元主義ないし唯物論のようにすべてを「物質」に還元してしまうということはないのである。

創発主義はこうした極端な二つの見方の中道を行こうとする。

創発主義にもいくつかの類型があるが、基本的に物質を自然主義的に根本に据え、そこから物質のもつ物理-化学的性質に還元できない性質がシステムに現れる、と主張する。

たとえば、生物の生命や人間の心はそうした創発的性質の代表である。

それゆえ、生命の意味を遺伝子の分子構造や身体の生理的性質に還元したり、心の本質を脳の神経生理的過程に還元したりすることがない。

かと言って、二元論のように生命や心の本質を非物質的精神世界に求めることもない。

こうした観点の基本となる論理は矛盾律と排中律を絶対視せずにグレーゾーンに積極的意味を認める「弁証法」と親近性をもっている。

ヘーゲルが大成させたことで知られる弁証法(Dialektik)は、プラトンの問答法(ディアレクティケー)とヘラクレイトスの存在=生成の思想に影響を受けた存在論と論理の立場である。

弁証法の骨子は、世界のすべての事象は矛盾対立を契機としてより高次の段階へと発展・進化する巨体な目的論的生命体である、ということにある。

たとえば、二元論と唯物論の観点は矛盾対当の関係にあり、一人で二つの観点を同時にとることはできないが、両観点をより高次の段階目指して統合することは不可能ではない。

そのためには、二元論と唯物論が発生・分化・対立する以前の次元へと帰還しなければならないことになる。

そして、そのためには一つの観点に固執ないし閉じこもらずに、相手の主張に耳を傾け、一見矛盾と思われるものが実はそれぞれの立場の見識の狭さによるものであることを悟らなければならない。

心脳問題における唯脳論とそれに対する反発はこうした相互の見識の狭さの対立である。

生命の本質をめぐる生気論と機械論の対立もそうである。

精神と物質、主観と客観、Aと非Aはより高次の全体的有機システムから派生する対立分子なのであり、どちらかに執着するのは阿呆の極みでしかない。

それでは、こうした偏った見方を避けるためにはどういう観点が役立つであろうか。

それは中性的一元論と多元主義を融合させた観点であると思う。

それについてはまた後に論じることにして、とりあえずここでは以上のことから創発主義と弁証法が親近性をもっており、両者を統合することが哲学とシステム科学にとって極めて有益であるとことを確認しておきたい。

(この画像における猫と雀は弁証法的関係にあり、両者の間に新たな生物の創発的性質が現れようとしている)


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする