心と神経の哲学/あるいは/脳と精神の哲学

心の哲学と美学、その他なんでもあり

東大生は対面授業よりオンライン講義が好き

2021-02-23 08:18:32 | 日記

調査の結果、東大生は対面授業よりもオンライン講義の方が好きらしい。

その率は75%。

自分も今、大学生だったら、オンラインの方が絶対いい。

そもそも、学生のときは授業さぼって自分で勉強してたから。

全部じゃないが。

 

下の記事を参照。

「対面が一番かと言われれば微妙」東大生の75%がオンライン授業に満足する意外な理由って?(文春オンライン) - Yahoo!ニュース


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スズキRE-5の広告から感じるその永遠の美

2021-02-16 07:51:47 | バイク ・ 自動車

スズキRE-5は世界初のロータリーエンジン搭載のバイクでした。

ウェブ上にはいくつかのカタログや広告が載っていますが、それをピックアップしてみました。

まず、基本的なエンジンの内部構造を描いたものから。

なんかすごいですね。

これを1973年に発売したなんて。

とにかく機能美を感じます。

次に、車体とエンジンを合わせて表示した広告。

ドイツ語で書かれています。

ベンツとポルシェとBMW(英語でビーエムダブリュー、ドイツ語でベーエムベー)を生み出したメカ大国ドイツ人をも魅了した日本のスズキの技術なんです。

次に、諸部分の解説を載せた広告。

「新しいバイクの指標」と絶賛されています。

数々の四輪と二輪の名車を生み出したドイツのメーカー技術者にとってもRE-5のロータリーエンジンと車体諸部分は目を見張るものだったのです。

「来たるべき新バイクの時代の先駆け」として最高の賛辞をドイツの技術者から送られたRE-5でしたが、排ガス規制その他の事情により短命に終わり、後続モデルは現れませんでした。

つまり、この種でロータリーバイクは絶滅してしまったのです。

その後現れたスーパーバイクはどれも味がない画一的なレーサーまがいのフルカウルをつけた大型車ばかりでした。

そうした中でクラシックなバイクらしさを遺したモデルも多々ありました。

たとえば、カワサキW650とかヤマハSR400とかトライアンフとかハーレーとか。

しかし、そうした中でもRE-5は独特な典雅さと格調の高さを兼ね備えつつ、かつ時代を先取りする未来的な風貌をもっていたのです。

これこそ九鬼周造が『の構造』で表現した「粋(いき)」を示唆する、高度の機能美としての「美」なのです。

「地味派手の小粋さ」とか「wayout but classic」と表現される、あの「粋な美しさ」です。

まるで美人薄命の言葉のように、RE-5は短命に終わり、子孫を残さずにこの世を去りました。

花火のように一瞬のきらめきをバイク界に遺して、永遠の「瞬間の美」を演じたのです。

美しいままで死んだのです。

少しセンチメンタルになりましたが、中古車は、バカ高いけど手に入るので絶望するには至りません。

たとえば、このように状態のよいものが中古屋にいくつもあるのです。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

追倬 渡哲也

2021-02-11 23:48:20 | イケメン

2020年の8月10日、漢の中の漢、渡哲也が亡くなった。

彼は日本を代表するワイルド派のイケメンであった。

特に『西部警察』での大門部長刑事の役は圧巻であった。

そのサングラスでショットガンを構えた姿は世界一格好よかった。

もうこれ以上の俳優は日本には出ないであろう。

ハリウッドなど外国を見渡しても指折りの迫力あるイケメンであった。

 

おそろしく決まっている。

刑事というよりはプロの殺し屋である。

渡哲也よ、永遠なれ!!

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

次著の原稿を書き始めた

2021-02-11 16:45:27 | 備忘録

先月から次の著書の原稿を書き始めた。

タイトルは『哲学的短編小説集』で、またAmazonのKindleから電子書籍として出版する予定。

このままではけっこうなページ数になると思うので、下の目次の1~10を上巻、11~20を下巻とする予定。

もう第2章まで書きあがり、現在3を執筆中である。

 

哲学的短編小説集

 

第1章 生命を主題とした短編小説(生まれてこない方がよかった)

第2章 存在を主題とした短編小説(存在しなかったことにしてほしい)

第3章 意識を主題とした短編小説(無意識のまま徘徊した日の記憶)

第4章 経験を主題とした短編小説( 臨死体験の嘘 )

第5章 時間を主題とした短編小説(一生涯、五分遅れている時計)

第6章 空間を主題とした短編小説(身体が動かない)

第7章 心身問題を主題とした短編小説(ある不幸な精神主義者のうつ病罹患)

第8章 心脳問題を主題とした短編小説(ある不幸な反唯脳論主義者の悪性脳腫瘍罹患)

第9章 死生観を主題とした短編小説(ある不幸な宗教家の死)

第10章 哲学と科学の関係を主題とした短編小説(文系と理系の哲学観)

 

第11章 運命と幸福の関係を主題とした短編小説(決して不幸になれない男の話)

第12章 健康と病気と人生観の関係を主題とした短編小説(まじめな人は長生きする)

第13章 偶然と必然の対立を超えた創発の概念を主題とした短編小説(偶然と必然の彼方)

第14章 精神医学と哲学の関係を主題とした短編小説(いのちの電話と心の科学)

第15章 人工知能と人間の心の関係を主題とした短編小説(不老不死を否定した永愛君)

第16章 自殺の哲学的意味を主題とした短編小説(死にたくないが生きていたくもない)

第17章 情報時代の哲学の意味を主題とした短編小説(自己組織化するインターネットの暴走)

第18章 人類滅亡の危機を主題とした短編小説(そして誰もいなくなった)

第19章 無神論の優位性を主題とした短編小説(神を否定する者の方が神に近い)

第20章 自我と自然の関係を主題とした短編小説(「君自身にではなく自然に還れ」という思想を拒否する男の悲惨な最期)

 

紙の本にすると上巻と下巻が、それぞれ200ページ前後になると思う。

各章がWordのA4で8~15ページぐらいなので、紙の本では14~25ページぐらいになる。

各章がそれぐらいの短編小説だということ。

超短いわけではないが、それほど長くもない短編小説である。

書いていて楽しいし、推敲のために見直すとなお面白い。

なお、実際の本では章付けはなく、普通の小説集のように題名だけ、つまり( )の中のタイトルだけとなる。

 

               期待してほしいにゃ


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

田島治著『社会不安障害』について

2021-02-01 01:45:39 | 書評

杏林大学教授の精神医学者・田島治さんが2008年に上梓した『社会不安障害 -社交恐怖の病理を解く』(ちくま新書)は名著である。

田島さんは1950年生まれで、杏林大学医学部卒、現在、杏林大学保健学部教授(医学部精神神経科兼担教授)だが、うつ病と社交不安障害の薬理学と治療において日本トップの実力をもっている。

社交不安障害(social anxiety disorder、略してSAD)とは、社会不安障害とも呼ばれるが、かつて日本で「対人恐怖症」と呼ばれた神経症の普遍的・国際的病名である。

我々の中には人前で緊張したり、大勢の人の前で話したりするとき緊張を感じる普遍的心理がある。

これは人によって強弱がある感情だが、ある種の人々はその緊張・不安・憂鬱が日常生活に支障をきたし、社会的引きこもりに至る場合がある。

つまり、単なる人見知り・内気・シャイネスを超えて病気のレベルにまで高まっている例があるのだ。

この病気のレベルの「あがり症」を「社交不安障害(SAD)」と言うのである。

普通のあがり症や内気や恥ずかしがりは、人と交流したり社会経験を積んだりしているうちに次第に症状が軽くなり、治ったりするが、精神疾患とみなせるSADの場合、いつまでも症状が軽減化しないのみならず、無理に社交的にふるまったり逆説志向的行動に出ると悪化してしまう。

年を取って社会的に成熟するから治るというものではないのは、虫歯や糖尿病や高血圧症と同じである。

しかし、多くの人はSADを性格のせいであるとか甘えだと決めつけて、病気として治療しようとは思わない。

つまり、精神科ないし心療内科を受診しようとはしないでがまんしているのである。

こうした傾向の背景には日本特有の悪しき精神主義の伝統が控えている。

しかし、どうしても症状が治まらず、むしろ悪化していくので、患者はアルコール依存になったり、うつ状態になったり、自殺念慮が強くなったりする。

こうした傾向に歯止めをかけ、SADに関する正確な知識を伝授し、多くの隠れた患者を救おうとして書かれた啓蒙書、それが田島治さんの『社会不安障害』なのである。

田島さんはこの本の前書きで、まず最近の日本における自殺者の増加を指摘し、次に2005年頃からSADについての啓発広告がメディアに多数現れ始めたことを指摘している。

そして、性格のせいと思われていたSADが本当の医学的疾患であり、薬での治療が有意に有効であることが分かったことを指摘している。

本文に入ると、田島さんは、この病気が日本特有のものではなく世界中に存在する普遍的な精神疾患であることを強調する。

SADがかつて対人恐怖症と呼ばれていたものにあたることは既に述べた。

対人恐怖は日本的精神文化と人間関係性に根差した日本特有の心の病とみなされていたものであるが、実は世界中に昔から散在した普遍的な病だったのである。

そういえば、ウィトゲンシュタインやニュートンやムンクの伝記を読むと、SAD の傾向が表れている。

他にもいっぱいいる。

そこで、田島さんはSADが薬で治療すべき普遍的な脳神経系の病であるという観点から、薬物療法の有効性を主張し、その詳細を分かりやすく説明している。

もちろん、薬物療法だけではなく認知行動療法という精神療法の一種を併用しなければならないのだが、とかく精神主義的に「甘え」とか「性格のせい」と誤解されやい傾向を打破するためには、薬物療法の重要性を知ることは大切なので、田島さんの話に傾聴したくなる。

それではどういう薬を使うのかというと、それはSSRI(選択的セロトニン再取り込阻害薬)という抗うつ薬の一種である。

特にルボックスあるいはデプロメールという商品名が付けられている「マレイン酸フルボキサミン」という薬が有効である。

これを第一選択肢として、それに従来使われている抗不安薬を頓服として付け加えつつ、症状を軽減化していくのである。

その際、随時認知行動療法が付け加えられる。

田島さんは、自ら治療した患者の症例と治療経過を紹介しつつ、SSRIの治療効果を説明している。

ところで、SADが本当の精神疾患ではなくて単なる内気にすぎず、精神科医と製薬会社が不当に疾患として宣伝している、という批判はアメリカを中心として全世界に散在している。

田島さんはこの批判に真っ向から対峙し、それを論破している。

この点は非常に重要である。

それから田島さんはSADにおける「脳と心」の関係について説明している。

ここではSADが強迫性障害(かつて強迫神経症と呼ばれていたもの)と関連が深いことを指摘している。

この点も重要である。

とにかく、田島さんは私立医大出身らしく、臨床と治療を最重視する傾向が強く、実学志向なので、その叙述・説明は分かりやすく、説得力がある。

また田島さんはうつ病とSADの薬物療法の第一人者であるだけではなく、薬物療法の弊害の啓発における第一人者でもあるのだ。

こうした姿勢が本書の随所に表れている。

社交不安障害に関する本は既に多数出版されているが、田島さんのこの本が最初に読むには最も適している。

新書で安く、読みやすいし。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする