心と神経の哲学/あるいは/脳と精神の哲学

心の哲学と美学、その他なんでもあり

哲学A1 文章講義(第47回目)

2021-07-31 01:33:25 | 哲学

今回で哲学A1の文章講義は終わりとする。

 

前回までに第8章まで、ほぼ全部解説し、残りは第9章だけである。

しかし、期末試験も終わったし、もともと第9章はこの本の総括、ようするにまとめと展望なので、各自で読めば分かるであろう。

 

ただ、「2  人類の未来における危機的状況」はよく読んでほしい。

そもそも、未来と言わなくても、現在がとんでもない危機的状況である。

まさかこんなことになるなんて、二年前には想像もしなかった。

これからどうなるやら。

 

私はこうした感染症だけではなくて、これからやってくる経済恐慌と自然災害に危機感をもっている。

百年前のスペイン風邪のパンデミックの後で世界的大恐慌が起こった。

大恐慌とは経済の著しい衰退であり、大量の倒産、失業、貧困、自殺を生み出す。

そして、前の世代の就職氷河期の再来である。

 

大学生を中心とした若者にはまだ楽天観が蔓延している。

君たちの脳は楽天観ウイルスに感染し、それが全世界の大学生、若者に蔓延しているのだ。

その後に待っているのは、地獄の日々であるのも知らないで。

とにかく、去年から君たちは本来の若者の楽しみを八割近くを失った。

しかもまだ続く。

 

28日の東京都の感染者数はついに3000人を超えた。

29日は3865人。

八月下旬には10000人近くになり、へたすると東京都ロックダウンになるかもしれない。

これではオンライン授業ばかりだと嘆いてもいられない。

それどころではなくなるのである。

むしろ、オンライン授業で済ませていたことに感謝すべきである。

それをしていなかったら、今頃は既にアメリカやイギリスやインド並みだったかもしれないのだ。

 

これからも楽天観は禁物である。

しかし、今問題となってるのは、いくら言っても楽天観は消せない、ということである。

まぁ、菅や小池が利権のために大人の事情でああいうことをやっているのだから、誰も聞かなくて当然だが。

ただ、この授業を取った者は、率先して楽天観に警告を発してほしい。

少なくても危機意識は保持していてしほい。

 

都庁で小池と談笑するバッハに対して「お前は嘘つきだ」と英語で叫んだ男がいて、逮捕されだが、今後の成り行きを考えると、

逮捕されるべきなのはオリンピックによって金銭的、政治的というより議員報酬的利権を確保しようとする連中である。

飲食店の店主には自殺する人が増えている。

その他の業種でもそうである。

被災地復興が目的ではなくて、自分たちの利権が第一だったからである。

政治家は信用できない。

汚い大人になるな。

 

何も真面目腐った人間になる必要はない。

それよりも、自分が利権に組み込まれるという幸運をつかむと、誰しもそうなりやすいのだ、ということに気づくことが肝要である。

トランスパーソナル・エコロジーの哲学を少しだけでも身に着けてほしい。

ではまた、後期の授業で会いましょう。

安心安全のオンラインだが。

 

          また会いたいにゃ。

         僕からもよろしくにゃ。

  

 


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哲学A1 期末試験の提出期限

2021-07-25 04:25:40 | 日記

受付終了後の遅延扱いになりますが、28日の23:55分まで答案は提出可能です。

少し減点されますが。

 

 

                  待ってるにゃ


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哲学1 文章講義(第46回目)

2021-07-20 10:25:34 | 哲学

今日は第8章の付論(a)「人生におけるマレイン酸フルボキサミンの有用性」について説明する。

 

この章は具体的な内容なので理解しやすいであろう。

要するに、ある種の抗うつ薬が人生にとって大変な有用性と価値がある、といういことだからである。

 

ここではルボックス(マレイン酸フルボキサミン)に焦点があてられて、その人生論的意味が説明されているが、その趣旨をよく理解することが肝要である。

 

こういう疑問が出やすい。

抗うつ薬が慢性疼痛を劇的に改善する。

整形外科では抗うつ薬の処方が当たり前となっている。

えっ、精神科の薬がなんで身体病の痛みなんかに効くの。

あぁ、「病は気から」というやつね。分かります。

 

これ典型的な軽薄な見方。

これがなぜ軽薄なのかを理解することがまず要求される。

「病は気から」という意味で抗うつ薬が頑固な腰痛に効くのではない。

抗うつ薬とは単なる名前であり、その内実は列記とした鎮痛薬なのである。

キーワードは「下行性疼痛抑制系」である。

このキーワードが書いてあるあたりをよく読み、なぜ「精神科が身体とその痛みを治療する」のか、をよく考えること。

 

心身二元論の克服ということは四月から嫌というほど言ってきた。

それが本当に理解できているかがここでためされる。

 

具体例の中で、試験対策としては、夏樹静子はなぜ四年間も精神科の受診を拒み続けたのか、を心身二元論克服の観点から説明することが要求される。

よく考えをまとめておくこと。

 

こんな激烈な痛みが心因性のもののはずはない。

君たちもそう考えがちだろ。

精神科で身体の治療をするだって。

オカルトか。

君たちもそう考えるだろ。

 

うつ病は心の病気ではなくて脳の病気だというポリシーのもと、大塚医師は柳澤桂子の往診の際に「あなたの慢性疼痛は脳の代謝異常です」と言って、

アモキサンという抗うつ薬を置いていった。

柳澤は半信半疑でその薬を飲んだ。

すると、三〇年間苦しめられた慢性疼痛から速攻で解放された。

下行性疼痛抑制系とそれの親元たる大脳の痛覚中枢に効いたからであり、「病は気から」という意味で効いたのではない。

純然たる神経生理学的鎮痛効果である。

 

では物質一元論でいいのか、というと、それも違う。

夏樹静子は最終的には平木英人の絶食入院療法という精神分析的精神療法によって奇跡的に治った。

これは心身医学と精神医学の合体である。

なぜ、夏樹は自己の腰痛の心因性ということを最後まで拒絶し続けたのか。

呪術やお祓いには興味を示しても、なぜ精神科や心身医学は嫌ったのか。

君たちの中にもいるだろ。

物質は物質、精神は精神、次元が違う。だから精神科は信用できないってね。

ようするに、心身二元論なのである。

これを克服することが苦痛からの解放と幸福をもたらすのに。

 

これは簡単なようで難しい。

この辺を顧慮して、この付論を読んでほしい。

 

 

       僕もよく読むにゃ。

 

心身二元論の克服ということは精神的次元を無視することじゃないし、物質一元論に収まることでもないにゃ。

猫である僕はそれを自信をもって言うにゃ。

 

君たちはアクロバチックな思考法を要求されているにゃ。

心⇄身体、精神⇄物質というアクロバットだにゃ。


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コロナ禍と酷暑の中、レポート提出期限の再延長

2021-07-18 11:21:20 | 日記

一日延ばして、19日の深夜までレポートを提出できるようにした。

減点は3点ぐらい。

今後のコロナと酷暑とゲリラ豪雨の動向に注意を払うこと。

なお、オリンピックの悪影響がとんでもない事態を起こすかもしれないので、自衛すること。


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哲学A1 文章講義(第45回目)

2021-07-18 10:23:32 | 哲学

今回は「4 哲学と意識科学」について講義する。

 

意識科学は前世紀の後半中期に生まれた超新しい学問である。

もともと、意識は哲学が研究してきたものであり、自然科学が対象とすべきものではない、とみなされていた。

心理学においてすらそうであった。

心理学は内面的意識の研究を排除して、外部から観察できる行動に着目して、そこから心理を研究しようとしたのである。

 

ただし、今から百年前に意識科学を立ち上げようとした哲学者がいた。

ウィリアム・ジェームズである。

前にも言ったが、ジェームズはハーバード大学の医学部(医学大学院)の出身で、最初神経生理学などの基礎医学的研究をしていたが、その後、実験心理学に移り、

意識の研究に手をつけ始めた。

そして、意識の本質を極めるには、さらに哲学に進まなければならないと思い、最後は哲学者となり、母校の哲学科の教授となった。

医学博士で心理学者である人が哲学科の教授になったのである。

うらやましい。

 

ちなみにジェームズは芸術家的センスと文学的才能もあり、宗教心理学においても不滅の業績を遺している。

こういう人もいるんだ、ということを覚えておいてほしい。

 

しかし、ジェームズの意識科学の構想は中途で挫折し、その後意識科学は闇に葬られてしまった。

心理学が行動主義に徹し、内面的意識を無視してしまったのである。

行動主義の心理学とは、理論よりも行動を重視するものなどではなくて、「心とか内面的意識というのものの本体は実は行動なのだ」という信念に基づいた心理の研究である。

 

とにかく、意識はまたしても哲学者に委ねられた。

しかし、哲学者は意識と脳の関係を積極的に研究することはなく、意識の現象的本質、体験的性質を研究するばかりであった。

ジェームスが提唱した意識と脳の相関の研究は虚しくこだまするだけであった。

 

ところが、分子生物学者の中から大胆に意識科学を立ち上げようとする人が出てきた。

しかし、その観点は不十分なものであり、結局は脳優位の科学に落ち着こうとしていた。

そこに、脳科学を勉強した哲学者が意見を差し込み、脳と意識のバランスがとれた意識科学を樹立しようと提案してきた。

これにニューサイエンスの推進者たちが賛同し、今日に至っている。

 

そこで重要な観点は意識と脳の関係を「生命」を媒介にして捉えることである。

より詳しく言うと、「生命と情報の自己組織性」を媒介として脳と意識の間の創発関係を捉える、ということである。

これによって科学と哲学の実り豊かな有機的協力関係が成り立ち、真の意識科学が誕生することになるのだ。

まだ、先は長いが、これが成功した暁には、哲学は再び万学の女王に返り咲く契機ともなるのだ。

そして、AI問題にも寄与すること間違いなしである。

 

 

    人間たちはAIよりも僕たち猫から多く学ぶべきだと思うにゃ。

 

   AIなんかつまんないにゃ。僕の方がおもしろいにゃ。

 


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哲学A1 文章講義(第44回目)

2021-07-17 09:15:10 | 哲学

今日は第6章の「2 心についての哲学的考察と科学的研究」を飛ばして「3  哲学と精神医学」について講義する。

第二節は次の二節によって具体的に説明されるので、各自で読んでおけば十分である。

 

前にある学生が「3 哲学と精神医学」が「非常に分かりやすく書いてある。かみ砕いて初心者にも分かるように説明している」と感心していた。

こういう話は分かりやすいものである。

精神病と精神医学についてある程度知っている人にとっても、ほとんど知らない人にとっても面白い節である。

 

この節は哲学と精神医学の関係について説明している。

その前に、精神病と精神医学とは何かについて概略的に説明している。

これがまた分かりやすいのである。

 

それについては詳しい説明の必要はないであろう。

注意してほしいのは、精神疾患の成因における心因と内因と外因の区別とそれに対応する精神疾患の分類である。

これが基本となるので、よく理解すること。

特に、分かりにくい「内因」ないし「内因性精神病」についてはしっかり把握してほしい。

統合失調症とうつ病と躁うつ病である。

 

とにかく、脳が直接侵される病気と機能的にアンバランスになるにすぎない病気の区別をまず理解し、次に、三つの区別を捉えることである。

また、この区別は完全なものではなく、三つの間で重なり合うこともよく理解してほしい。

 

精神医学と哲学は心身問題ないし心脳問題を介して関係し合う。

内因性精神病は心身両義性をもっており、生理的病変と心理的病変の融合から成っている。

ここが実は分かりにくいのである。

心因と外因の区別は分かりやすいが、内因の概念は分かりにくい。

それは普通人は精神と物質、心と脳を区別して考えるからである。

「心か脳のどっちかにしてくれ」というわけである。

しかし、内因性精神病はこの区別を超えた視点を治療と原因解明のために要求している。

ここに哲学的科学基礎論、医学方法論が必要となる。

心身問題と心脳問題の応用である。

 

この節は分かりやすいと思うので、後は各自でよく読んでおくこと。

 

 

  僕にはすぐわかったにゃ。これが分からないとなると、君は猫以下だにゃ。

 

僕は今、パソコンのキーボードの上に座って、レポートを書いているんだにゃ。

君たちも早く書いてほしいにゃ。

 


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レポートの提出期限の延長

2021-07-17 08:41:24 | 日記

レポートの提出状態が悪いので、期限後の提出を認めます。

ただし、翌日まで。

つまり、18日の23:55まで。

頑張って提出してください。

 

     がんばれにゃ


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哲学A1 文章講義(第43回目)

2021-07-14 09:53:39 | 哲学

今日は「1 心とは何か」について説明する。

 

この節は心の本質を考えるためのヒントを与えるものである。

一応、答えでもあるが、ヒントと言っておく。

なぜかというと、どういう叙述をしても、「心とは何か」なんて考える必要がない、と言う学生が多いからである。

この節はそこにも目をつけている。

 

なぜ、「心とは何か、なんて考える必要はない」と思ってしまうのだろうか。

それは、心というものを、もっぱら自分の主観的意識から捉えてしまうからである。

いつも自分が体験している心的内容、つまり意識、感情、記憶、言語、体感、などは自分のだけのものであり、普遍的本質を問う性質のものだとは思えないからである。

普遍的本質とは客観的性質とも言える。

自分の内面性は自分だけがアクセスできる秘境なので、それに関する客観的本質規定などありえない、と思ってしまうのである。

我々は、この軽薄な信念をまず捨てなければならない。

 

その際、重要となるのは、心と生命、心と身体の関係である。

心は生命と身体から切り離すことができない自然的で社会的な現象である。

このことを忘れると、神秘主義的な精神主義に陥り、心を脱自然化してしまう。

我々は、心の神秘主義を卒業して、心の自然主義を尊重しなければならない。

 

心は内面的意識だけではなく「生きていくこと」そのものに関わる。

心と書いて「いのち」と読むことができる。

思い当たる節があるであろう。

心は「いのち」なのである。

それは意識と思考能力と自我がない生命体、植物と動物に共通する自然的生命機能である。

 

心を自我や人格や言語機能にばかり結びつけると、精神障害者や知的障害者を「人間として認めない」という観点を生んでしまう。

それを主張する本人は正義感からそう言っていると思っているが、実はトンデモの恐ろしい観方である。

これは無知に由来するとともに、心身二元論に基づいている。

これを銘記しておくと、後の節の内容が理解しやすくなる。

 

心は、精神と物質の二元論を脱して理解されるべき自然的生命現象、「いのち」なのである。

 

 

           僕も「いのち」としての心の所有者だにゃ。

 

                     僕もそうだにゃ。


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哲学A1 文章講義(第42回目)

2021-07-12 10:35:30 | 哲学

今日から第8章「哲学と心の科学」に入る。

 

この章の構成は次のようになっている。

 

はじめに

1 心とは何か

2 心についての哲学的考察と科学的研究

3 哲学と精神医学

4 哲学と意識科学

付論(a) 人生におけるマレイン酸フルボキサミンの有用性

付論(b) 笹井芳樹の最後の論文「創発生物学への誘い」について

 

この章は二つの付論があり、長いものとなってるが、内容豊富多で読みやすく面白いので、よく読むこと。

なお、本章における「マイレン酸」というは誤記であり、全部「マレイン酸」に訂正する。

そもそも視覚的には区別しにくいであろう。

 

今日は、とりあえず「はじめに」について説明する。

 

序では、この章が最初の構想では「科学と哲学」になる予定だったが、それではテーマが広すぎるので「哲学と心の科学」に絞ることにしたことにまず触れている。

心の科学とは、心理学、認知科学、精神医学、心身医学などであるが、脳科学も含まれる。

この点は無視されやすいので、注意すること。

脳科学も広い意味での心の科学である。

 

近代の心身二元論の定式化以降、科学、特に自然科学と医学は「心」に関わらないのが本道だと思われてきた。

実験と観察、統計と法則の確率、客観化視点を中核とする科学が主観的現象としての心を取り扱うことなどできない、と思われてきたのである。

この傾向は一九世紀後半まで優勢であり、前世紀の半ばまで西洋の学問界を支配した。

日本においても同様であり、心は科学が取り扱うものではない、と主張された。

しかし、「心理」ならまだよい。

それは心そのものではなくて、意識と行動、特に行動を観察し、分類する科学もどきだからである、というわけである。

で、心の本体、霊的なもの、精神、魂などは科学の外、特に宗教と文学の領域にある、とみなされた。

 

哲学においては意見が二分され、心の科学を推奨するグループとそれをあくまで形而上学的、ないし現象学的に扱うべきだと主張するグループが対立した。

私の立場は自然主義であり、心の科学を積極的に推進しようとするものである。

それを銘記して本章を読んでほしい。

 

なお、精神医学が深く論じられる。

この医学分野は大変な問題児であり、色々と批判が多い。

心身医学もそうである。

学生の中にも精神医学にうさん臭さを感じている人が多いと思う。

その誤解が意外な方向から啓蒙されることになる。

特に付論(a)である。

 

以上を銘記して、全体をまずざっと読み通してほしい。

 

         僕はもう読んで、理解したにゃ。

 


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哲学A1 文章講義(第41回目)

2021-07-11 10:37:01 | 哲学

今日は「5  情報の存在論的意味」について軽く話す。

というのも、この節はこの章のまとめであり、新しい内容はそれほどないからである。

ただ、総括的説明は重要で、序とともに理解の鍵となるので、よく読むこと。

 

DNAの話。

informre (形相付与) という概念ないし語源と関連したinformationの真の意味。

形相的情報という概念。

宇宙全体が一つの巨大なコンピュータであり、その計算能力によって万物の存在を生み出している、という比喩的表現。

今のところSFめいたその比喩的説明が、そのうち洗練されて科学的に証明される可能性。

こうしたことすべてをよく把握すること。

 

その際、繰り返しになるが、一般に認識論的に扱われる「情報」がなぜ存在論的に論じられなければならないのか、その理由をもう一度把握すること。

これが重要である。

そして、これらの問題が科学と哲学の協力によって解答されたとき、先導するのは哲学であり、その結果、哲学は超-哲学となり、再び万学の女王となるであろう、

ということである。

 

     僕もそうなると思うにゃ。だから、僕も哲学を勉強したいにゃ。

 

                    

           僕も陰から応援するにゃ。


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新宿駅東口ビルに巨大猫現れる

2021-07-10 20:50:22 | 社会・政治

新宿駅東口駅前広場の向いのビルに3Dの巨大な三毛猫が現れて人々を驚かせている。

その大きさ10mぐらい。

海外でも話題となっており、新宿まで観に来たい、という声が続々と。

今は試験放映中で、12日から本格稼働する。

そのうち見に行く予定。

そもそも私は東京に25年住んでいたし、新宿は庭のようなもの。

2000回ぐらい行っている。

 

動画

ビルの上に巨大三毛猫が なぜ? 街行く人ビックリ - YouTube

 

 


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哲学A1 文章講義(第40回目)

2021-07-10 07:51:28 | 哲学

今回は「4 能産的自然の自己組織性とinformationの秩序形成機能」について説明する。

 

この節ではこれまで何度の触れてきた「能産的自然の自己組織性」とinformationの関係が論じられている。

ここで、なぜわざと英語のinfoamtion を使うかというと、それは「秩序形成機能」に重みが置かれているからである。

このことに注意して、この節を熟読しよう。

 

すると、まず人工↔自然という周知の対置図式に目が奪われる。

我々はどうしてもこの図式に頼って、人工と自然の関係を理解しようとする傾向がある。

しかし、よく考えてみると、人工というものの大元は人間の「脳」である。

脳の機能によって、機械の設計や建物の建築や写真技術が可能となる。

そこで、結果ないし脳の生産物ばかりに目が奪われると、人工の元が「脳」という自然の産物であることが見失われる。

図式化すると次のようになる。

 

普通の見方では、人工↔自然であるが、この場合、人工の元が「脳」であることが十分見えていなない。

さらに言えば、それが自然の産物であるということは完全に陰に隠れている。

 

つまり、人工(実は自然の産物としての脳の仕業)↔自然という図式の( )の中の部分が無視されているのだ。

 

そこで、一般的な図式 人工↔自然は (自然→脳→)人工↔自然というふうに表記を変えるべきである。

こうすると、人工と自然の対立が表面的なものであることが分かるはずである。

しかし、ここで人工と自然の区別を完全に消し去ってはならない。

たとえ、脳が自然の産物だとしても、それによって人工という概念が完全に自然化されることはない。

なぜなら、自然としての脳とその産物の間には「社会」というものを介した創発関係があり、人工を脳や自然に還元してしまうことはできないからである。

 

要するに、我々はバランスの取れた見方で、人工と自然の関係を柔軟なフレキシブルな姿勢で捉えなければならないのである。

一方的に人工と自然を対置するのもよくないし、人工を自然に還元して、両者の区別をないがしろにするのもよくないのだ。

 

今日環境破壊の問題を介して、人間と自然の共生が大きな問題となっている。

その際にも以上のことは銘記すべきだし、「能産的自然の自己組織性」という有機的自然観の意味も深く考えなければならないのである。

 

なお、文中に「雷は神の怒りだ」という迷信が、その後「雷は自然放電だ」という合理的理解に置き換わった、という例が挙げられているが、

それが「自然の怒りだ」という観点にはまだ意義がある。

地震も津波もコロナウイルス感染症の世界的蔓延も、すべて「神の怒り」とは言えないが、「自然の怒りである」という比喩的表現は許される。

それは人類の存続、人間と自然の共存にとって大きな意味をもつのである。

これは「能産的自然の自己組織性」という概念をトランスパーソナル・エコロジー(脱利己主義的生態学)の観点と洗練された仕方で結びつけたとき、

初めて合理的な実り豊かさを獲得するのだ。

 

 

            全くそうだにゃ。

 


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これから書きたい本

2021-07-09 01:01:10 | 備忘録

忘れないように、そして忘れてもいいように書いたおく。

そのうち書きたい本がある。

『進行がんの告知、そして失われた時を求めて』(心と身体と時間が主題の小説である)

『心境小説と意識哲学 あるいは心象風景』

定まらないが、これに類したタイトルの本は書きたい。

『哲学的心境小説集』でもいい

 

いや

『心と書いて「いのち」と読む ― 生命哲学的短編小説集』がいい。


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哲学A1 期末試験

2021-07-07 21:41:21 | 日記

期末試験は7月24日(土)に実施します。試験範囲は第4章~第9章です。中間試験と同じで、レポート欄に解答をオンライン入力します。

試験時間は約90分で、朝から深夜まで入力できます。

これも中間試験と同じです。

 

           がんばれにゃ


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哲学A1 文章講義(第39回目)

2021-07-07 10:23:23 | 哲学

今日は「2 informationの本来的意味」と「3 プラトンのイデアとアリストテレスのエイドス」の二節を合わせて説明する。

 

日本語の「情報」にあたる英語の単語はinformationである。

情報は情と報から成り立ち、極めて心的で知識的意味合いが強い。

それに対してinformationはin-form-ationと分解的に捉えることができる単語である。

in-form-ationとは物事にform を与えること、混沌から秩序を生み出すことを意味する。

formは形式とともに形態を意味し、アリストテレスが提唱した概念eidosと関係する。

エイドスは「形相」と訳されるが、もともと形態を意味し、そこから発展して物事の秩序、物質の組成、システムの構成原理を意味する。

また、物事の本質も意味する。

これがinformationの裏に隠された深い意味なのである。

しかし、それはまた日本語の「情報」という一般的意味も併せ持つ。

だから、混同されやすいのだが、根源的なのは形相的意味合いの方である。

 

ちなみに、アリストテレスのエイドスの概念にはプラトンのイデアの概念が強い影響を与えている。

ギリシャ語のイデアは英語のアイデアにあたるものであり、表層的には「考え」とか「観念」とか「理想」を意味するが、プラトンはもともとこの語を

「超主観的形態」の意味で使っていたのである。

そして、それは知と存在に共通する根源的原理という哲学的意義をもっていた。

このイデアの観念論的、精神主義的意味合いを取り去り、自然主義的方向へと深めたのがアリストテレスのエイドスの概念なのである。

 

アリストテレスはもともと生物学者であり、生物の発生と成長と形態形成と死滅の過程を「形相」というものが支配していると考えた。

それは今日の生物学が言うDNAに当たる。

DNA(デオキシリボ核酸)は人間の体内に数十兆個ある細胞の核内にある「情報を担った高分子」であるが、それはまさに生体の形態とシステムと生理的機能を生み出し、

維持する生命の秩序維持の原理である。

これがinformationが物理的なものでもある証拠となる。

そして、それは同時に「知」としての「情報」とも無縁ではないのである。

ここにinformationの物心両義性、つまり物質的であり、同時に心的であるという性質が表れている。

このことをよく理解してほしい。

 

僕の体も「情報」からできた物質なんだにゃ。にゃ。

 


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