心と神経の哲学/あるいは/脳と精神の哲学

心の哲学と美学、その他なんでもあり

『心・生命・自然』のあとがき

2012-10-30 11:09:55 | 自著紹介

あとがき

  一昨年の暮れに自転車で転倒して左の足首を捻った。数時間しても痛みが引かないので、駅前の整形外科を受診した。レントゲン検査の結果、靭帯が少し伸びているから、包帯で固定しよう、と言われた。二三日あまり歩かない方がいい、とも言われた。とにかく要心が肝心だと思って、自宅でテレビを観たり本を読んだりしていた。年末だということもあって、それでゆったりと読書にふけっていた。
  そのうちある短編小説のことを思い出した。志賀直哉の「城の崎にて」である。高校生のときに最初に読んだその作品には、電車に跳ね飛ばされた後の温泉での養生と心境が淡々と綴られている。そのことを思い出したのである。しかし、今の自宅の本棚にその短編が含まれた本は見当たらない。そこで、自転車に乗って近くの大型書店に出かけて、かつてと同じ新潮文庫版の『小僧の神様・城の崎にて』を買った。そして、書店内の喫茶店でさっそく読み始めた。真新しい文庫本の後付を見ると七〇刷と記してある。三十年間ロングセラーを維持していたのだ。
  病気や怪我をしたとき、かつて読んだ小説や随筆のことを思い出す人は多い。「城の崎にて」には小動物の偶然による生死の境が自己の心境に即して描写されている。そして、自分が死ななかったのは偶然だった、と言う。
  足首の捻挫がすっかり癒えた頃、今度は歯が激しく痛み始めた。近所の歯科にいくと、根の治療が必要だということで、それを始めた。その数日後の夕方から耐えられない激痛に襲われ、それは次の日の夜まで続いた。こういう日に限って歯科は定休日なのである。歯科でもらった鎮痛薬が切れたので市販の頭痛薬を四時間おきに飲んで凌いだが、ほとんど気休めにしかならなかった。そのときまたあるエッセーを思い出した。坂口安吾の「不良少年とキリスト」である。虫歯の激痛に襲われると、この作品を思い出す人はけっこういる。インターネットで検索すると感想がいくつも出てくる。今回は、新たに文庫本は買わずに、インターネットでその文章を読んだ。その書き出しは次のようなものである。

   もう十日、歯がいたい。右頬に氷をのせ、ズルフォン剤をのんで、ねている。ねていたくないのだが、氷をのせると、ねる以外に仕方がない。ねて本を読む。太宰の本をあらかた読みかえした。
  
  周知のようにこのエッセーは太宰の自殺に対する感慨を述べたものである。そして、その中には志賀のことも書かれている。
  太宰と坂口は無頼派を代表する作家仲間であり、その視点から志賀の因襲的思考法には共通する反感をもっていた。しかし偶然、怪我と虫歯の痛みに触発されて志賀と坂口の作品を連続して読んだ筆者の経緯からすると、無頼派も権威派もどちらも自然の子なのだという思いは消せないものとなった。
  本文中では志賀を偽善者の典型のように論じたが、根源的自然主義の観点からすれば、どちらも「痛みの友」であって、平等に見るべきなのである。この点を顧慮して本文を読み返してほしい。そのとき太宰と有島の偉大さが再認識できるであろう。
  我々は自然の中に生まれ、いずれ自然に還る。文学も哲学もそうした人間存在の根本に触れようとする衝動から生まれたのである。
 
   二〇〇九年六月一一日 紫陽花の色づく頃、象徴的あとがきに自得しつつ
                                    河村次郎


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自分の本を買う

2012-10-29 21:39:09 | 日記
アマゾンのマーケットプレイスで自著『脳と精神の哲学』が1円(+送料250円)で売られていたので、注文した。
状態が「非常に良い」となっていたので注文したのだが、届いてみないと分からない。
これで自著の古本を買ったのは二度目だ。
ちなみに、私がマーケットプレイスに出している本で著者から注文がきたことは三度ある。
私もそうだが、自著の手持ちが切れるとプレイスで買いたくなるのだろう。

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『心・生命・自然』の詳細目次

2012-10-29 09:55:26 | 自著紹介

2009年の秋に出版した『心・生命・自然』の詳細目次です。

心・生命・自然 ― 哲学的人間学の刷新 ―

   目次



第Ⅰ部 心・生命・自然
第1章 人間の本質への問い
 はじめに
 1. 人間における精神と自然
 2. 自己・自然・社会
3. 人間的生命としての人生
4. 人間の本質理解を目指して
第2章 心の本質について
 はじめに
 1. 人と人との間としての心
 2. 心と生命
 3. 意識と自我
 4. 心の本質(自然)
第3章 心身関係論
 はじめに
 1. 霊と肉の相克から心身の合一へ
 2. 生きられた感覚としての身体の自然
 3. 不安の臨床哲学
 4. 生命のリズムと心-身の調和
第4章 生命論の諸問題
 はじめに
 1. 人文系の生命観
 2. 自然科学系の生命像
 3. 哲学における生命論の統合
 4. 人間学と生命論
第5章 人生(人間的生命)の意味
 はじめに
 1. 死生観と生物学的生命概念
 2. 人間的生命と時間
 3. 自己意識と自然
 4. 人生と自然的生命の和解
第6章 自然と人間
 はじめに
 1. 心と自然
 2. 身体と自然
 3. 人間社会と自然
 4. 自然災害の驚異
 5. 自然の美と人間の感性
 6. 人間と自然の生きた関係
 7. 君自身にではなく自然に還れ

第Ⅱ部 文学と哲学における人間理解
第7章 文学的人間観
 はじめに
 1. 人間失格とは?
 2. 奇跡か隣人愛か
 3. 太宰治と志賀直哉
 4. 有島武郎と自然
 5. 人間的現実と文学
第8章 偽善の研究
 はじめに
 1. 財産放棄は偽善か?
 2. 世知と老獪
 3. 唯物論批判という偽善
 4. 他人に行動を強制することの恐怖
 5. モラルなき倫理
第9章 哲学的人間学の方法
 はじめに
 1. 科学を参照する
 2. 文学から学ぶ
 3. 現実を直視し事象そのものを取り扱う
 4. 哲学的問題設定を練り直す
 5. 人間存在の時間性と空間性に着目する
 6. 現代における哲学の意義

あとがき

アマゾンのリンク
http://www.amazon.co.jp/%E5%BF%83%E3%83%BB%E7%94%9F%E5%91%BD%E3%83%BB%E8%87%AA%E7%84%B6%E2%80%95%E5%93%B2%E5%AD%A6%E7%9A%84%E4%BA%BA%E9%96%93%E5%AD%A6%E3%81%AE%E5%88%B7%E6%96%B0-%E6%B2%B3%E6%9D%91-%E6%AC%A1%E9%83%8E/dp/4860650514/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1351126523&sr=8-1


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別の写真

2012-10-28 21:49:11 | 作家・文学


有島の別の写真。
やはり男前。


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『創発する意識の自然学』の画像

2012-10-28 16:55:53 | 日記

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The Mystery of Consciousnessの概要(2)

2012-10-28 09:08:37 | 書評

The Mystery of Consciousnessの概要の後半です。

第4章では物理学者ロジャー・ペンローズの『心の影 ― 失われた意識の科学を求めて』が取上げられ、彼の意識の量子脳理論とそれに強い影響を与えたゲーデルの不完全性定理が批判的に吟味される。
第5章では哲学上のライバルたるダニエル・デネットの『解明される意識』が取上げられ、その消去的機能主義の思想が意識の存在そのものを否定するものとして激しく批判される。さすがにライバルに対する意見として、ここでのサールの論調には熱が入っており、過激ですらある。付録として、書評に対するデネットの反応が載せられ、さらにそれに対するサールの応答が続く。
第6章では気鋭の後輩哲学者デイヴィッド・チャルマーズの『意識する心 ― 根本的理論の探究』が取上げられ、その奇妙な立論が容赦なく解体される。サールによると、チャルマーズは性質二元論と機能主義という本来相容れない対場を一つの傘の下に収めるという暴挙を犯しており、これが諸々の矛盾を生み出している、とされる。また、形而上学的「情報」の概念に訴える姿勢も無益だと断定される。付録として、書評に対するチャルマーズの反応が載せられ、それに対するサールの応答が加わっている。ここでのチャルマーズの反論は強力である。
第7章では神経学者イスラエル・ローゼンフィールドの『意識の解剖学』が取上げられ、その臨床的な意識理解における身体性への言及が高く評価される。この章は極めて短いが、唯一肯定的な書評となっている。意識の核心に身体イメージがある、という考え方にサールは強い興味を示しているのである。
自分の意見を表明した第1章では、意識はあくまで生物学的生命現象の一つであって、コンピュータによるシミュレーションによっては、その意味論的内容とクオリア的構成は捉えることができないと主張される。また、意識は脳の神経活動に基づくにしても、創発的現象なので、神経科学的に還元して捉えることはできない、とも言われる。最終章では、こうした主張が、書評で取上げられた諸思想と絡められて、意識の神秘を合理的問題に置き換える方法が手際よく論じられている。意識はたしかに謎めいており、客観主義的科学の限界を超えているように思われるが、そこから神秘主義的方向に逸脱してはならないし、安易な還元主義(唯物論)に落着してもならない、というのがサールの眼目である。


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The Mystery of Consciousnessの概要(1)

2012-10-27 09:06:25 | 書評

The Mystery of Consciousnessの概要の前半です。

『意識の神秘』の概要

 本書は現代アメリカ哲学の第一人者ジョン・サールが、1995年から1997年にかけてThe New York Review of Booksという雑誌に載せた書評を編集してできたものである。
 周知のようにサールは言語哲学と心の哲学を専攻するアメリカ哲学界の重鎮で、その著書は我が国でも数冊翻訳出版されている。彼の思想は英米系の哲学では最も日本人に親しみやすい部類のものと言える。
 サールが得意とするのは心身問題、特に最近の脳科学の成果を踏まえた心脳問題である。彼は自分の立場を「生物学的自然主義」と称し、この立場から還元的唯物論と心身二元論の双方を徹底的に批判している。また、人間の社会的言語行為から生じる心の意味論的次元を重視し、その観点から強い人工知能(strong AI)の可能性を完全否定していることでも有名である。
 『意識の神秘』は八つの章からなるが、第1章と最終章で自分の思想を述べている以外は、すべて書評にあてられている。この本の狙いは、近年興隆してきた意識の科学の基礎を心脳問題の観点から吟味することにある。そこで、数人の学者の思想が生物学的自然主義の立場から糾弾されることになる。
まず、第2章ではフランシス・クリックの『驚異の仮説 ― 魂の科学的探究』が取上げられ、その神経還元主義の立場が批判される。これによって、脳の高次の創発特性としての質的意識が、神経科学的研究によっては十分解明できないことが示される。
 第3章では生物学者ジェラルド・エーデルマンの『明るき気、輝ける火 ― 心の問題について』と『想起された現在』が取上げられ、その神経ダーウィニズムと再入力地図の思想が吟味される。エーデルマンによると、人間の脳は環境からの情報入力をカテゴリー化能力によって神経回路網にマッピングするのだが、これでもやはり意識の主観的特質(クオリア)と意味論的心の本質は理解できない、と糾弾される。


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John Searle著The Mystery of Consciousnessの目次

2012-10-26 08:46:36 | 書評

アメリカにおける心の哲学の泰斗サールは1997年にThe New York Review of BooksからThe Mystery of Consciousnessという本を出した。
以下はその目次の訳である。

意識の神秘
J.R.サール


目次


第1章 生物学的問題としての意識
第2章 クリックと結合問題 ― 意識の40ヘルツ仮説をめぐって
第3章 エーデルマンと再入力地図
第4章 ペンローズとゲーデル ― 細胞骨格と意識の関係
   付録: ゲーデルの証明とコンピュータ
第5章 否定された意識 ― デネットの消去的機能主義
   付録: デネットとの問答
第6章 チャルマーズと意識する心
   付録: チャルマーズとの問答
第7章 身体イメージと自己 ― ローゼンフィールドの観点から
結論 意識の神秘を合理的問題に置き換える方法
図表の出典
人名索引
事項索引

概要は追って掲載します。


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『創発する意識の自然学』のあとがき

2012-10-25 08:27:18 | 自著紹介

あとがき

 本書で体系的に論じられた「創発する意識の自然学」の構想が最初に浮かんだのは二〇〇三年に『意識の神経哲学』の原稿を書いていたときである。その後、二〇〇七年の二冊の著書『自我と生命』と『心の哲学への誘い』において、その輪郭は明瞭となった。特に『自我と生命』は副題が「創発する意識の自然学への道」となっており、その問題意識は確然たるものとなっている。また『心の哲学への誘い』において初めて「君自身にではなく自然に還れ」というモチーフが前面に押し出された。そして、それは二〇〇九年の『心・生命・自然』において論述の収斂点にまで地位が高まり、本書において終章を飾るに至ったのである。
 意識についての哲学的研究は近代以降興隆し始め、現代においてますます多くの研究者の関心を集めている。また、意識の研究は心理学の一分野でもあり、近年は脳科学も積極的に関与してきている。こうした流れの中で最も注目すべき学者がジェームズであることは、本書で詳しく説明した。筆者はジェームズの意識哲学をホワイトヘッドの自然哲学によって深める姿勢を自らの「創発する意識の自然学」の基盤に据えた。そして「創発」の概念に生命論的深みを与えつつ、それを意識哲学の存在論的基礎とした。
 筆者の意識哲学は、哲学上の分類としては「心の哲学」に属すものだが、生命論と存在論のバックアップを受けている点が特徴的である。またプラグマティズムにおける経験概念も重視している。それらを創発主義によって統制して、根源的自然主義の立場から意識の自然的(生命的)本性を解明しようとしたのが本書なのである。
 本書はまた、明確な体系化を目指して書き上げられた体系的哲学書である。日本における哲学研究のほとんどが文献学と思想解釈と翻訳に従事していることは由々しき事態である。かつては西田幾多郎や和辻哲郎、近年では廣松渉が独自の理論体系を構築した。本来なら今頃、日本の哲学界は欧米なみに理論体系の構築が主流となっていたはずなのに、現状は言わずもがなである。
 それなら筆者が、たとえへぼでも、それを請け負わなければならないのである。数年前の著書からそれを心掛けてきたが、本書でその意図は明確に示された。つまり、本書は完全な体系的哲学書である。読者の脳に深い意識哲学のプネウマが吹き込まれることを願いたい。ちなみに、次の体系的哲学書は数年後に『存在と時空』、その後に『心の臨床哲学』を予定している。既にその構想は固まっているのである。
 最後に、本書を昨年の大震災で命を落とした多数の人々の霊前に奉げ、自然の大生命と生命の大いなる連鎖に謝辞を申し上げることを、許していただきたい。

  二〇一二年六月二四日 梅雨空の雲間から差し込む陽光まばゆい自室にて
                                    河村次郎


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新著のジュンク堂リンク

2012-10-22 19:13:44 | 日記
新著『創発する意識の自然学』のジュンク堂リンクです。
http://www.junkudo.co.jp/detail.jsp?ISBN=9784860650704

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P・L・ルイージ『創発する生命』

2012-10-21 09:40:52 | 書評

アマゾンの広告で私の『自我と生命』と併読されている本として、ピエル・ルイジ・ルイージの『創発する生命-化学的起源から構成的生物学へ』NTT出版が挙げられていた。
ルイージのこの本は、現段階で創発主義的生命論の本として世界一のものであり、その緻密で奥深い論述には目を見張るものがある。
基本的に分子生物学の立場に立ちつつ、自己組織性やオートポイエーシス理論への目配りが絶妙である。
しかも科学哲学の手法も取り入れている。
たいしたもんだ、見上げたもんだ、すごいもんだ!!

アマゾンのリンク。
http://www.amazon.co.jp/%E5%89%B5%E7%99%BA%E3%81%99%E3%82%8B%E7%94%9F%E5%91%BD%E2%80%95%E5%8C%96%E5%AD%A6%E7%9A%84%E8%B5%B7%E6%BA%90%E3%81%8B%E3%82%89%E6%A7%8B%E6%88%90%E7%9A%84%E7%94%9F%E7%89%A9%E5%AD%A6%E3%81%B8-%E3%83%94%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%82%B8/dp/4757160372/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1350780321&sr=8-1


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新著のアマゾンの広告

2012-10-21 08:58:21 | 日記
新著『創発する意識の自然学』のアマゾンの広告です。
すでに書店に並んでおり、購入可能ですが、出版社のバカが奥付の発売日を10月31日にしたので、アマゾンでは予約の状態になっています。
http://www.amazon.co.jp/%E5%89%B5%E7%99%BA%E3%81%99%E3%82%8B%E6%84%8F%E8%AD%98%E3%81%AE%E8%87%AA%E7%84%B6%E5%AD%A6-%E6%B2%B3%E6%9D%91-%E6%AC%A1%E9%83%8E/dp/4860650700/ref=sr_1_11?ie=UTF8&qid=1350777284&sr=8-11

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注意と短期記憶

2012-10-19 19:50:02 | 意識・心理学

意識の発生には注意と短期記憶が深くかかわっている。
外部の環境世界の対象への関心と周囲の状況への注意に短期記憶が加わると、「意識の流れ」の感覚が発生する。
そして、それを自覚すると、自己意識の感覚が生まれる。

そもそも記憶は心的現象の基幹をなしている。
記憶という機能があるから、自己への反省や意識の流れの感覚が生まれるのである。


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意識と時間

2012-10-16 08:50:45 | 意識・心理学

意識は時間的流れによって構成されている。
それでは意識が「流れる」とはいかなる事態であろうか。
川が流れるようにそれは流れるのだろうか。
流れは普通、不可逆のもとみなされているが、逆流というものもある。
川は水という流動的物質が流れるのである。
それでは意識が流れるという際、何が流れるのであろうか。

それは「時間」であると思う。
意識を構成するのは記憶、思考、表象、知覚内容、感覚質(クオリア)、予期、期待、他者への関心、世界の状態への関心、自己の在り方への関心、自覚、後悔などである。
まだあるが、とりあえずこれだけあげておく。

こうした意識の構成内容は、過去・現在・未来という三つの相をもつ時間を土台ないし骨格として形成される。
そして、その際「現在」という時制が意識の構成内容の発現点となる。
それゆえ、「意識が流れる」ということは、「川が上流から下流へと流れる」ということとは違って、意識構成的主観が現在という構成の原点から過去→現在→未来と流れる時間への関心を自己意識へと反映させている、ということなのである。
自己意識へと差し戻している、と言ってもよい。

そこで問題は「時間が流れる」とはいかなることか、ということになる。
時間は川と同じように流れていると理解できるであろうか。

時間に関しては、古くから始まりと終わりを想定するものと円環的な回帰性を主張する思想の対立があった。
その対立は、不可逆の前進的時間と回帰する可逆的時間の概念的対立と並行する。

熱力学の第二法則によると、自然界の事物は放っておくと時間の進行とともに秩序が崩壊する方向に進み、最後には解体してしまう。
これはエントロピーの増大という事態である。
それに対して、生命あるもの、ないし生命的システムは、このエントロピーの増大に逆らって、秩序を自己組織化し、完成態へと進む、という思想がある。
創発主義的宇宙進化論はその代表である。

意識は生命的現象ないし生命の本質の顕現とみなされる。
「意識が流れる」ということは、時間の矢と生命の矢を統合する観点から理解されなければならない。
つまり、意識の流れは、生命の根源的時間性のもつ自己組織化的前進に根差した生命的現象なのである。
このことが人間の死生観とどう関係するかは、また後で論じよう。
なお、今回は比較的意識内在主義的観点から論じたが、次の機会には「経験の自然性」や「脱自的世界内存在」の観点から論じようと思う。


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新著が店頭に並び始めた

2012-10-13 10:10:25 | 日記
新著『創発する意識の自然学』が、ジュンク堂、紀伊国屋書店、丸善、ブックファースト、三省堂、東京堂書店などの大型店舗の書棚に並び始めました。
アマゾンではまだ署名しか出ていませんが、追って注文できるようになるでしょう。

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