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心と神経の哲学/あるいは/脳と精神の哲学

心の哲学と美学、その他なんでもあり

芥川龍之介の精神病理

2024-06-16 09:39:13 | 作家・文学

芥川龍之介の晩年は苦悶に満ちているが、意識の哲学にとっては非常に興味深い。

神経衰弱によって彼の意識がどのような変遷をたどり、最後に自殺に至ったかを分析すると、精神病理の奥底に人間の本質を理解する鍵が隠されていることが分かる。

周知のように芥川の実母は統合失調症(旧名 精神分裂病 さらに古くは 早発性痴呆)の患者であり、夭折した。

芥川自身は母親からの狂気の遺伝を恐れ、精神病発病を常に危惧していた。

精神病理学における病跡学の観点から多くの見解が提出されているが、芥川を統合失調症であったとみなすものとそれを否定するものに意見が分かれている。

芥川の晩年の作品には自己の病的体験が数多く描かれており、その中には統合失調症の幻覚・妄想状態を思わせるものもある。

「歯車」における半透明の歯車の幻視はその代表である。

また自己の分身を見る体験も述べられている。

しかし、精神医学の診断学を参照しつつ緻密に分析すると、彼の病態、というより「病的経験」は典型的な統合失調症とは違うことが分かる。

統合失調症の中核症状は論理的思考が破綻する「連合弛緩」であり、ほぼ論理的思考が不可能となり、文章が乱れ、会話は支離滅裂となる。

また、それに伴い感情が鈍磨し、周囲に対して無関心となり、不潔になる。

とりわけ未治療の場合、末期的症状として終日黙して座り、ぶつぶつと独り言を言い、ときおり独り笑いしたりして、いわゆる廃人の様態を示す。

芥川には上のような症状はほとんど、というか全くなかった。

また、統合失調症に特有の幻覚は、ほとんどが「幻聴」であり、芥川が体験したと言い張る幻視は稀である。

芥川にも幻聴らしきものはあったが、空耳程度のものであり、統合失調症に特有のすさまじく、執拗な批判性幻聴や対話性幻聴はなかった。

また、精神運動性興奮からの錯乱や暴力は全く見られない。

以上の点を顧慮すると、芥川の晩年は文字通り「神経衰弱」であって、内因性精神病ないし脳の機能障害としての統合失調症ではないと判定される。

「神経衰弱」というのは古い表現だが、現代風に言えば、「うつ」と「神経症」のミキシングであり、これが心身症的に先鋭化し、特に不眠症がひどいものとして定着し、ついには彼を自殺に追い詰めたものと考えられる。

また、彼が述べた幻視の体験は、多量の睡眠薬の服用がもたらした副作用によるものとみなせる。

しかし、彼にはたしかに母から受け継いだ「統合失調症の素質」があった。

それが神経衰弱の症状を「自己の自己性の危機」という様態へと先鋭化したとみなすことができるのである。

いずれにしても、彼の晩年の告白調の短編は、精神病理学的に極めて興味深く、このような体験を断末魔の様態で、文学の鬼の魂をもって描き切った彼の姿勢はまさに純文学の鏡と言うべき、あっぱれなものであった。

私が好きな彼の言葉に次のようなものがある。

「毎年一、二月になれば、胃を損じ、腸を害し、さらに神経性狭心症に罹り、鬱々として日を暮すこと多し、今年もまたその例に洩れず。ぼんやり置き炬燵に当たりおれば、気違いになる前の心もちはかかるものかとさえ思うことあり」(「病中雑記」から)。← 本当の精神病患者は自分を気違いとは認めない。そういう自覚=病識はないのである。

実は大学院の修士課程の頃、飲み友達にこの断片が好きだと言ったら、「そんなの読んでるとほんとにおかしくなるぞ」と言われたことがある。

そのころは「気違い」と平気で書けたが、今はパソコンでこのように変換できず、みんな「基地外」と書いている。

差別用語と認定されたのである。

それと直接関係ないが、実は芥川も太宰も医学と生理学と脳病理学に疎かったので精神病に偏見をもっていた。

そんな彼らの言葉をうのみにせずに、精神医学の診断学を学び、冷静に評定することが肝要であると思われる。


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無頼派三景 太宰・織田作・安吾

2024-03-31 22:00:23 | 作家・文学

無頼派の作家三羽烏の特徴的写真を貼る!!

まず、最も人気の高い太宰の有名な銀座ルパンでのポーズ。

次に織田作之助。太宰に次ぐイケメンだが、織田の方が好きだという人もいる。

ちなみに次の写真は上の太宰の写真と前後してルバンで撮られたもの。

次に坂口安吾。

彼は決してイケメンではなかったが、その豪快な風貌は「聖なる無頼」にふさわしい。

ある意味では彼こそ本物の無頼派だったかも。

この部屋の散らかり具合はすごい!!

 


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狂人の星・三島由紀夫

2019-12-15 16:59:41 | 作家・文学

かつて梶原一騎原作で一世を風靡した漫画『巨人の星』というものがあった。

それは野球道に挫折した星一徹が息子の飛雄馬を巨人軍のエースに鍛え上げる物語である。

一徹は飛雄馬とともに夜空を見上げて「お前は一際でっかく輝く巨人の星になれ」と檄を飛ばす。

三島由紀夫という作家がいた。

ノーベル賞の候補にも挙がった世界的作家である。

彼は日本文学史上ほぼ最高の天才作家であり、世界レベルでもトップクラスである。

彼の天才が狂気を帯びていたことは有名で、最後は市ヶ谷の自衛隊駐屯地で割腹自殺した。

彼ほど「天才と狂人は紙一重」という言葉がふさわしい人は人類史上いない。

彼は歴史上の多数の天才たちの中でも際立った狂気を帯びており、天才中の天才である。

彼は歴史上の狂気の天才の中でも一際でっかく輝く「狂人の星」なのである。

 

 

猟奇作家・澁澤瀧彦は「絶対を垣間見んとして果敢に死んだ日本の天才作家・三島由紀夫の魂魄よ、安んじて眠れかし」と絶対的賛辞を贈っている。

なお、三島の自決の背後に谷崎潤一郎の初期の作品で三島が偏愛していた『金色の死』(konjikinoshi)という作品があることはあまり知られていない。

来年、出版予定の自著『心の臨床哲学の可能性』の中の「作家の病跡を参照する」という章ではそのことを論じています。


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無頼派のイケメン作家・太宰治

2019-08-26 21:28:53 | 作家・文学
 
 

太宰治がイケメンであったことに異論を唱える人はまずいない。数多い太宰の写真の中でも次のものは一番荘厳である。

 

この彫の深さと深刻な表情とかっこいいポーズは際立っている。 しかし、あまり知られていないが、このあと三鷹の陸橋の階段を下りてくるときの写真がある。

 

まるでキリストが地上に降りてくるかのようだ。 私は『心・生命・自然』の中で太宰について論じた。『人間失格』の裏モデルがキリストであることを指摘した。

 私は16歳以来50回ぐらい『人間失格』を読み返してきたが、ますますその(浅い)深みにはまっている。

 

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もてる男 有島武郎と森雅之

2019-08-26 21:27:18 | 作家・文学

前にも記事にした有島武郎は生前、超絶もてた。彼は「もてる男」の代表である。

 有島は東北帝大農科大学の教授を辞して作家業に専念した。

つまりインテリ作家であった。

そして、彼の息子・森雅之(有島行光 1911-1973)は京都大学哲学科で勉学に励んでいたが、中退して俳優になった。

京大哲学科(美学美術史専攻)経由のイケメン俳優である。

日本史上最高にもてるインテリ系イケメン親子だな。

ちなみに小谷野敦は有島の弟の作家・里見敦(ww)を偏愛しているようだが、里見はもてない遊郭通いの男だった。


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大正のイケメン作家

2019-08-26 21:26:23 | 作家・文学

有島武郎


大正期のイケメン作家、いや日本一かも。


何と言っても大学教授兼作家。


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大学教授兼作家の威厳

2019-08-26 21:25:59 | 作家・文学

 

有島武郎は東北帝国大学農科大学(現 北大)の教授であった。
そして大正期を代表する作家でもあった。
ドナルド・キーンは有島の代表作『或る女』について「ヨーロッパ文学の神髄を獲得したこの小説は日本文学の中で栄光ある地位を占めている」と絶賛している。


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芥川龍之介と神経哲学

2018-08-23 21:44:41 | 作家・文学

芥川龍之介が神経質だったのは有名である。

いや、彼は神経質の代名詞であり、端的に言って「THE 神経質」である。

実際、彼は神経衰弱で35歳のとき自殺した。

また彼の作品には「神経」という言葉が頻出し、神経を病んだ状態の心理の描写が多い。

晩年の告白調の作品は、いわゆる「病的に研ぎ澄まされた神経」によって書かれているように感じる読者が多いであろう。

「歯車」「蜃気楼」「夢」「河童」「手紙」「影」・・・・・など。

ちなみに「夢」というのは大正15年の作品だが、その冒頭で彼は次のように書いている。

「夢の中に色彩を見るのは神経の疲れている証拠であると言う。が、僕は子供の時からずっと色彩のある夢を見ている」。

つまり、彼は子供のころから神経が疲れていたのだ。

 

また、同年の作品「僕は」には次のように書かれている。

「僕はどういう良心も、-- 芸術的良心さえ持っていない。が、神経は持ち合わせている」。

彼にとっていかに「神経」というものが大切かを示す言葉である。

また、遺稿というか遺書「或旧友への手記」には次のように書かれている。

「僕の今住んでいるのは氷のように澄み渡った、病的な神経の世界である」。

 

「病的な神経の世界」、これこそ芥川ワールドである!!

私は彼の作品を18歳ぐらいから愛読し、玩味熟読してきた。

といっても初期から中期の歴史物には興味がなく、もっぱら晩年の告白調短編を偏愛してきた。

 

周知のように彼の母は統合失調症(=精神分裂病=早発性痴呆)で夭折した。

それゆえ彼は常に自己の精神病発症を危惧していた。

しかし、彼は神経症レベルにとどまるうつ病という診断が適切な状態で推移した。

最後に自殺に至ったのも、うつ病の特徴を示している。

これを大正時代には神経衰弱と呼んでいたのである。

とにかく、彼の後期の作品には神経に関する話が豊富で、神経哲学にとって極めて貴重な文学的遺産である。

今回は前書き程度の本記事にとどめるが、そのうち本格的に考察しようと思っている。


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有島の愛人・波多野秋子

2017-02-11 01:19:12 | 作家・文学

有島は父から相続した広大な土地を北海道ニセコに所有していだが、これを小作人たちに無償で譲渡した。

しかし、生来の抑うつ気質からニヒリスティックになり、交際していた波多野秋子と軽井沢の別荘で心中してしまう。

波多野秋子は中央公論社の『婦人公論』の美人記者として名高く、多くの作家が心ときめかせたという。

たとえば、取材嫌いの永井荷風や芥川龍之介も秋子が来ると知ると、とたんにOKし、そわそわと待ちわびていたという。

しかし、秋子には「魔性の女」という側面があり、日ごろから「ああ、死にたい」と艶っぽく口走り、有島と船橋で一夜を共にしたとき「先生、死にましょう」と誘ったという。

それは心中の三か月前であった。

波多野秋子(1894-1923)の若い時と熟年(といっても20代後半)の写真

 

 

有島の農場解放と心中の経緯については、彼の道徳観と自然観とともに『心・生命・自然』の第7章と第8章で考察している

 

アマゾンのリンク

http://www.amazon.co.jp/%E5%BF%83%E3%83%BB%E7%94%9F%E5%91%BD%E3%83%BB%E8%87%AA%E7%84%B6%E2%80%95%E5%93%B2%E5%AD%A6%E7%9A%84%E4%BA%BA%E9%96%93%E5%AD%A6%E3%81%AE%E5%88%B7%E6%96%B0-%E6%B2%B3%E6%9D%91-%E6%AC%A1%E9%83%8E/dp/4860650514/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1354582090&sr=8-1


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織田作之助

2013-07-16 21:58:31 | 作家・文学

織田作之助は大阪市生まれの小説家。

1913年(大正2年)生まれで1947年(昭和22年)に肺結核のため死去。

これは太宰治が同じく結核で亡くなる前の年である。

太宰は織田の訃報を聞いたとき、「織田君、君はよくやった」と同志を称賛した。

言うまでもなく、織田は太宰、坂口安吾とともに無頼派を代表する作家であった。

そして、太宰とともに昭和前期を代表するイケメン作家であり、両者のイケメンぶりは甲乙つけがたい。

次の画像を見れば誰もが納得するであろう(なんか太宰に似てるな)。

織田はスタンダールの『赤と黒』に心酔し、その主人公ジュリアン・ソレルに自らを凝していた。

また、旧制第三高等学校(新制の京都大学教養部の前身)中退だから、太宰と同じくらい遊び人の秀才だな。

代表作は『夫婦善哉』(1940年)、『青春の逆説』(1941年)、『土曜夫人』(1946年)。

私と同郷(青森県むつ市出身)の映画監督・川島雄三と親交があったという点で贔屓(ひいき)したい。

 

撮影の際に美人女優と懇談する川島監督↓

川島雄三については次の記事で詳しく書きます。

 

 

 


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太宰のアカデミックな側面

2013-04-29 16:07:19 | 作家・文学

大学教授を小ばかにし、アカデミズムを嫌った太宰にしては珍しい写真を二枚紹介します。

まず一枚目は新潟高校(旧制)での講演の際の記念撮影の写真。

昭和15年(1940年)のものです。

次に同年に東京商大(一橋大)で行った講演の写真。

演題は「近代の病」となっており、黒板には「完全人」「無報酬」の文字が書かれています。

「無報酬」は最初「無償」と書いたものを直したものでしょう。

「近代の病」とはいかにも太宰らしい演題ですが、報酬を全く期待せずに善行に励む「完全人」を求めつつ、

世間の偽善の前で無力に崩れ去る様子は、「走れメロス」から「人間失格」への経路が示しています。

* 画像は『新潮日本文学アルバム 太宰治』(新潮社)から転載したものです。


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太宰治の『人間失格』のあとがきについて

2013-04-29 11:02:24 | 作家・文学

『人間失格』のあとがきは「この手記を書き綴った狂人を、私は、直接には知らない」という文章で始まる。

そして「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、・・・・・・神様みたいないい子でした。」という文章で終わっている。

『人間失格』は『HUMAN LOST』と密接に関係している。

太宰は鎮痛剤バビナール中毒で精神病院に入院させられた。

そこでの惨状を描いたのが日記形式の『HUMAN LOST』である。

これを読むと、太宰が精神病に偏見をもち、精神病院に入院したことを人間としての恥と思っていたことが分かる。

これは太宰の愚見であり、明らかな思想的な程度の低さを表している。

彼は文系の秀才であり、文学の天才ではあったが、科学音痴であったようだ。

精神病は科学的見地から理解されるべき身体と脳の病であって「人間としての恥」などではない。

この点で太宰は思い違いをしていた。

しかし、『人間失格』に見られる人間の偽善と俗物性への批判精神は優れており、その文学的象徴化の才能は天下一品である。

そして、実は精神医学は科学であると同時に「人間理解」という実存主義的側面も持っているのだ。

それは障碍者や社会的弱者への理解と愛情に裏打ちされたものであり、通俗的道徳や処世訓的倫理を超えている。

精神病者は「人間失格」の烙印を押されることが多い。

特に昔はひどかった。

精神病者への愛情と脳病理への科学的アプローチは臨床精神医学の両輪であり、決して切り離せないのである。

この点で、精神科医が太宰から学ぶものはおそろしく多い。

実際、太宰が好きで取り上げる精神科医は多い。


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奇人と言われた作家たち

2013-04-29 08:55:10 | 作家・文学

天才と変人は紙一重というよりは一体です。

天才の中でも作家の中には特に変人・奇人が多いのは周知のことです。

次のまとめを参考にしてください。

http://matome.naver.jp/odai/2127105157538503901

優れた小説、独創的な作品を書くためには世間の常識に囚われていてはだめです。

自分の本能の赴くままに生き、才能をいかんなく発揮するのが天才というものなのです。


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近代日本の作家の自殺

2013-04-07 09:50:38 | 作家・文学

明治以降の近代日本において作家の自殺はかなり多い。

ただし、この傾向はいちおう1970年の三島由紀夫の自決でおさまったと言える。

私の愛読書に長谷川泉編『病跡からみた作家の軌跡』(「国文学解釈と鑑賞」臨時増刊号)があるが、その中に登場する80数名の作家は何らかの形で「病い」を抱えており、それが創作活動に影響を与えていることを分析した小論集である。

作家には病的な人が多い。

虚弱体質、先天性の障害、夭折、病気がち、そして何と言っても神経症と精神病の傾向が作家には見られる。

こうした傾向は近年著しく減退し、明るく健康な作家がほとんどとなった。

その代り、自分の命を文学に賭けるような鬼はいなくなったし、作品が小手先の器用さによる軽薄なものになり、深みがなくなった。

ドストエフスキーやポーを見習えよ!!

近代日本の作家の自殺傾向は明治から昭和の三島で終息を迎えた。

代表的な「自殺した作家」を年代順に列挙してみよう。

・北村透谷(25歳で決行)

・有島武郎(心中)

・芥川龍之介(36歳で)

・生田春月(客船から海に投身自殺)

・太宰治(多数の未遂ののち心中)

・原民喜(46歳で)

・三島由紀夫(あまりに有名、壮絶な切腹事件、45歳)

・川端康成(三島の後追い自殺じゃないよ)

・中村真一郎(妻の死と病苦)

このうち自殺四天王は芥川龍之介、太宰治、三島由紀夫、有島武郎であろう。

三天王にすると、有島を抜かした他の三人になる。

この三人の自殺は、インパクト、知名度、衝撃度、作品との関連において甲乙つけがたい。

いちおうナンバーワンの「the 自殺」を挙げるとするとやはり芥川龍之介であろうか。

「歯車」「河童」「或る阿呆の一生」「西方の人」「夢中問答」といった晩年の告白調の短編と彼の自殺の相関はあまりに強く、セックスのながーい前戯のようで、じらしにじらして自殺に至った経路はあまりに印象が強く、悲惨で、壮絶で、胸がかきむしられる。

まさに、ザ・自殺!!である。

太宰の多数回の未遂と心中という結末も印象的である。

また、三島の一回限りのテロ的自決はある意味最もインパクトが強い。

彼は自殺を芸術とみなし、自らの文学の終幕に位置づけていたのである。

有島の心中は、相手が絶世の美人記者だったという点が印象深い。

川端のは、「じじい、女中に冷たくされたからって、自殺すんなよ」って感じかな。

本当の文士がいなくなった今日、上に挙げた四天王のような壮絶な人生と自殺、そしてそれに密着した創作活動は見られなくなった。

 

 


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川端康成ってたいしたことないよね

2013-03-09 19:10:53 | 作家・文学

近代日本の作家の中でノーベル賞を受賞したのは川端康成と大江健三郎である。

その他、ノーベル賞の候補に複数回挙がった作家としては谷潤一郎と三島由紀夫がいる。

そして、今最も有力視されているのは村上春樹である。

早ければ来年にも受賞するであろう。

私は川端よりも谷と三島の方が作家ないし芸術家として上だと思う。

日本文学者や比較文学者の間でもそう言う人が多い。

まず、同じ耽美主義の作家として見ても谷の方が川端よりも作品のスケールや物語性や影響性において上である。

実際、谷の方が川端よりもノーベル賞の候補に挙がった回数が多い。

また、三島も耽美主義系だが、川端自身が述べているように「三島君の方が私より優れている」。

周知のように、川端と三島は師弟関係にあったが、三島の方が作品のスケールと芸術性と物語性と影響力において優れている。

実は川端ではなくて三島がノーベル文学賞をもらう予定だったのだが、旧ソビエトの陣営からの政治的圧力によってお流れとなったのである。

川端自身は「三島君の大作『豊饒の海』の第一巻「春の雪」を読んだとき、私はこれを源氏物語以来の日本文学の最高傑作だと思った」と述べている。

てゆうか感嘆したのである。

太宰も芥川賞をめぐって川端を罵倒した。

川端はたしかに優れた小説家であったが、漱石、谷、三島にはとうてい及ばないし、太宰よりも下だと私は思う。

そして、日本の近代文学の最高傑作は川端も言うように三島の『豊饒の海』だと思う。


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