今回は長いタイトルの短編小説について解説する。
そのタイトルは、
「末期がんの苦痛から36歳で自殺した自称・人間合格者」と「健康長寿を満喫した『人間失格』愛読者」
である。
このタイトルからすぐに二人の相対立する登場人物間の人物像の相違と文学的趣味の対立と性格の相違が予想される。
また、二人の間の心理的葛藤と価値観の対立と人生観と健康観の相違が思い浮かぶ。
二人の登場人物は木俣信志と村川卓也である。
これは実在の人物をモデルにしている。
村川は私であり、木俣は哲学科時代の友人である。
だから、私の体験と実際に在った出来事を物語と対話の中に織り込んでいるが、全部がそうだということはない。
創作付加があるのだ。
小説として当然のことである。
多くの小説には作者の経験と体験と人生行路上の出来事が織り込まれているが、学問的、科学的、芸術的、政治・経済的、医学的知識も盛り込まれる。
ここら辺は教養がモノを言う。
私の書く短編小説は深くて広い知識によって体験が装飾されつつ書かれている。
医学と哲学の知見と知識が最もよく使われるが、文学や心理学の知識も応用される。
この作品もそうである。
以上のことを銘記して、この短編小説をよく読んでほしい。
まず村川と木俣の太宰治、特に彼の代表作『人間失格』に対する評価の相違に注意してほしい。
ここをしっかり把握しておかないと、全体の意味が理解できなくなる。
また、村川と木俣の性格と人物像と価値観と健康観と人生観と行動習慣の相違と対立にも注意してほしい。
この相違と対立が、一方の若死にともう一方の健康長寿への分岐を生んだのである。
一見、木俣の方が長生きし健康を保ちそうだし、木俣自身もそう思っている。
しかし、木俣は刺激を求めて生きるが好きで、努力や節制を軽蔑している。
それに対して、一見虚弱で若死にしそうな村川は、節制家であり堅実であり粘り強い。
そして、医学知識が豊富である。
文学的趣味に関して言うと、木俣は夏目漱石を一番好み、村川は太宰治をこよなく愛している。
木俣は我が強くて、自分の好みを前面にお押し出し、逆に嫌いな太宰を貶す。
それに対して、村川は大人しいので、嫌いなものを貶して、相手を傷つけることがない。
木俣はマウントをとりだがるが、村川は超然としている。
ここに二人の人間性の根本的違いがある。
特に注意してほしいのは、木俣の「他人を批判することはできても、自分を批判することができない」という性質である。
これはある種の人間によく見られるものであり、自分に中身がないくせに去勢を張りたがる性質に由来する心性である。
この自己批判を欠く心性が不摂生と刺激を求める欲望追求性と結びついて、木俣を三十代で発がんに追いこんだのである。
それに対して、木俣に年寄臭い節制的生活と馬鹿にされた村川は、そんな誹謗中傷など気にせずに、健康を維持した。
この対比を良く把握してほしい。
本作品には健康と病気に関する一般論も登場する。
早死にするタイプと長生きするタイプの対比に関する医学的叙述がそれである。
医学的といっても、専門的なものではなく、家庭医学書レベルのものである。
しかし、ここら辺をしっかり把握しておかないと、なぜ木俣が若死にし、虚弱そうな村川の方が長生きし、健康長寿を満喫したのか、
その理由が分からなくなる。
そして、決定的なのは、自殺マニアの太宰を暗いからと蛇蝎のように忌み嫌った木俣が、自殺する破目になったという脅威的事実である。
こうした例は意外に多い。
バイタリティーの塊やクラスの人気者タイプが、意外にも早死にする、ということは科学的に実証されている。
また、健康さの権化のようなスポーツマンは、一般人より平均寿命が6歳も下だという統計的事実もある。
イメージに惑わされはならない。
現実を直視し、健康維持の生理学的メカニズムを客観的に把握しなければならないのだ。
そして、なによりも「他人を批判することはできても、自分を批判することができない」という精神構造の害をしっかり把握しなければならないのだ。
以上のことを顧慮して、この作品をよく読んでほしい。
あと一回、文章講義をするが、そのときは今回の話をもっと掘り下げ、かつ敷衍して論じることにする。
この作品に溺れそうだにゃ

僕は深みに吸い込まれそうだにゃ
