心と神経の哲学/あるいは/脳と精神の哲学

心の哲学と美学、その他なんでもあり

政治屋ー!! 恥を知れ、恥を

2025-02-26 11:25:18 | 社会・政治

石丸、小池、蓮舫、田母神4候補の共同記者会見の動画です。

石神さんの「政治屋一掃。恥を知れ、恥を」が痛快すぎます。

革命よ、起れ。

240605 30s 1530 (youtube.com)

 


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名古屋市立大学病院

2025-02-25 09:54:11 | 病院ネタ

これまで多くの大学病院の建物を観てきたが、名古屋市にある公立の名古屋市立大学医学部付属病院の建物は迫力がある。

病床数は808とそれほど多くはないが、その建物は威容を誇っている。

 

 

特に上の画像の左端、下の画像の中央の建物は異様な迫力がある。

17階建てらしいが、ただ巨大というだけではなく、その形態が迫力に満ちているのである。

側面の途中から斜めに折れ曲がっている形態が威圧感を増している。

たとえば、東京医科歯科大病院や慈恵医大病院の高層棟も迫力はあるが、名古屋市立大のこの形態の17階の建物の威圧感にはかなわない。

とかく、旧帝の名大病院の陰に隠れがちな市立大病院だが、建物のユニークさと迫力では勝っている。

名大病院もユニークな形態で綺麗だが。

 


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やはり星一徹の教育方針は間違っていた

2025-02-22 18:46:43 | 巨人の星

最近、高校の体育科や柔道の強化合宿における体罰ないし暴力が問題となっている。

これらは体罰というより暴力だという意見が大勢である。

また、体罰自体が何の効果もないということが実証されている。

体罰や暴力は上の者が下の者に、支配者が奴隷に、先輩が後輩に、指導者や先生が選手や生徒に、それぞれ有無を言わせずふるうものである。

そこには「鍛える」「根性を叩きなおす」「飴と鞭」といったきれいごとの域を超えた、単なる「ストレス発散」「権力行使」「いじめ」という陰湿さが控えている。

戦中から戦後の高度成長期にかけてスパルタ教育というものがもてはやされた。

その象徴的存在と言えるのが、漫画『巨人の星』に登場する星一徹である。

一徹は名門巨人軍の名三塁手であったが、戦争で肩を壊し、それを補うために魔送球というものを編み出した。

しかし、それを川上哲治から邪道だと非難され、巨人を去り、野球人生を終える。

その後は周知のように飲んだくれの荒れ放題である。

しかし一念発起して、息子の飛雄馬を野球選手として鍛え、巨人の星に育て上げようとする。

これは「自らの夢を息子に託すことだ」と言えば美談で済むが、実際は自分の欲望を息子に押し付けていることに他ならず、偽善である。

息子の自由意志と人格と主体性を無視している。

了解を得ないで強制している。

また周知のように殴る蹴るは日常茶飯事であった。

そして、大リーグボール養成ギブスなるものを強制的に装着させ、飛雄馬を苦しめる。

これ、バネの伸び縮みが筋肉の動きに合わなくて、無効果だと思われるが・・・・

いんちきだ!!

まあ、それはいいとして、とにかく一時もてはやされた一徹のスパルタ教育は単なる自己満足、家庭内奴隷制度、エゴイズム、偽善にすぎなかったのである。

それが今度の体罰・暴力問題でますます明らかとなった、と言えよう。

私は『巨人の星』をリアルタイムで見た世代であるが、そのときは小学生から中学生にかけてであった。

しかし、高校生になって自我の目覚めを経験し、自己や世界や人間存在について深く考えるようになったとき、星一徹の偽善が見えてきた。

私が高校を2年で中退したことは前に書いたが、そのとき何度も説得にやってきた担任の教師と、『巨人の星』のことで議論した。

担任の楠明雄(慶應文卒)は、星一徹の教育方針を肯定し、星親子が二人で頑張って夢を実現したことを評価した。

それに対して、私は、高校の規則やスパルタ教育を批判しつつ、星一徹が飛雄馬を破滅に追いやったことを批判した。

おい楠、お前は間違っていたぞ!!

それと、大学時代、星一徹の教育方針を高く評価していた奴ら、お前たちも間違っていたぞ。

悔い改めろよ!!

コメント (1)
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色々な視角から見たスズキRE-5の永遠の美

2025-02-14 00:47:25 | バイク ・ 自動車

これまで何度も取り上げた世界初のロータリーエンジン搭載のバイク・スズキRE-5です。

今回はその永遠の美を色々な角度から鑑賞してみましょう。

まさにRE-5の前にRE-5なし、RE-5の後にRE-5なし、というべき唯一無比の「美」を醸し出しています。

それは永遠に光り輝くことでしょう。


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スズキGS750の美

2025-01-19 20:55:07 | バイク ・ 自動車

2ストローク・バイクをメインにしていたスズキは、1976年に突如4ストロークの大型バイクを発表した。

それはDOHC4気筒750ccのエンジンを搭載したGS750である。

それまでのスズキのバイクは重厚な感じはもっていたが、美しさは欠いていた。

ただし、このブログで前に紹介したロータリーエンジンのRE-5は別であり、世界最高峰の美を所有していた。

スズキ初の4スト・バイクGS750は、このRE-5のように美しいボディをもって現れた。

そのデザインは2スト水冷のGT750の末期モデルとRE-5を併せたようなイメージで、均整がとれており、動と静を兼ね備えた美しさをもっていた。

それはカワサキ750RS(Z2)とは別の格調の高さであり、似ているようで全く別の感覚を見る人に与えた。

最高出力68ps/8500rpmで最大トルク6kgf.m/7000rpmであった。

 






このように「円」を基調としたデザインであり、それまでのいささかダサいスズキ2スト・バイクのイメージを払拭する、洗練されたボディである。

タンクとリアカウルの形もマッチしており、非常に綺麗である。

4in2のマフラーはZ2の4本マフラーとは別の味をもち、軽快さを演出している。

サイドカバーが黒なのもいい。

これによって派手目のブルーやレッドのカラーリングが抑えられて、格調が高くなっている。

なんか見ていて落ち着くし、吸い込まれるような感じがある。

 


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1958年に東宝が売り出した新人美人女優三人組

2025-01-12 18:19:49 | 美人

(株)東宝は、1958年に三井美奈と水野久美と上原美佐の三人の新人女優を「スリー・ビューティーズ」として売り出した。

左から上原、水野、三井

現代の女優より品がありますね。


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「新型コロナワクチン接種と死亡事例の因果関係を考える」勉強会の動画

2025-01-05 17:28:26 | 医学・医者

被害者家族と福島京大名誉教授と川田議員などによる厚労省職員吊し上げの動画です。

ユーチューブのものはいつの間にか削除されていました。

以下の動画もいつ削除されるか分かりません。

ワクチンは詐欺であり、今感染し拡大させているのはワクチン接種者であることが福島教授の指摘によってよく分かります。

私は福島先生と同様に2020年の時点でこのワクチンはインチキだと確信し、これまで全く接種していません。

それゆえ、これからもけっして感染しないし、症状も出ないでしょう。

ワクチンによって日本人の唾液に含まれるファクターXが殺されなかったからです。

この中で小島医師が指摘しているように

今回のワクチンの副作用で死んだ人は2000人ではなくて、4万人だ。これはこの期間の超過死亡者数と一致する。

厚労省は嘘をついている。

福島教授の言うように、即刻このワクチン接種はやめるべきだ。

 

 

 

11月25日「新型コロナワクチン接種と死亡事例の因果関係を考える」勉強会 (rumble.com)

https://odysee.com/@kazu_uracorona:8/20221125:e


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哲学B1 文章講義(第4回目)

2024-12-21 01:18:29 | 哲学

太宰の『人間失格』は漱石の『こころ』とともに近代日本文学の小説群の中で最も多くの人に読まれた作品である。

文庫本の代表格である新潮文庫において40年間以上、この二作品は売上において毎年、一位と二位を交互に繰り返し、デットヒートを展開している。

実はこの二作品はどちらも非常に暗い内容である。

多くの人は明るくて幸福なものを求めるはずなのに、そうした内容の小説よりも、こうした暗い内容のものが爆発的に売れるのだ。

なぜか。

その理由は簡単ではない。

漱石の『こころ』はたしかに暗い内容だが、それほど毛嫌いされない。

それに対して、太宰の『人間失格』は好き嫌いがはっきり分かれ、嫌いな人はとことん嫌う。

そもそも漱石という作家は日本最高の文豪の一人として尊敬され、愛読者も多い。

しかし、漱石という人間を嫌う人はそれほどいない。

それに対して、太宰に関しては人格そのもの、人間性そのものが問題となり、嫌いな人はものすごく嫌う。

逆に好む人は全身全霊でファンになる。

簡単に言うと、漱石はアクがなくて、太宰はアクが強いのである。

そして、普通、教科書的な文学的評価では漱石の方が上とみなされいる。

国内では特にそうである。

しかし、真に芸術的に、あるいは哲学的に優れているのは太宰の方だとも言える。

これは欧米やアジアという諸外国においては、漱石よりも太宰の方が人気が高く、評価も高く、よく読まれていることからもうかがえる。

歴史に長く遺るのはどちらかと問われれば、太宰だと思う。

特に『人間失格』である。

 

そもそも我々は明るい/暗い、幸福/不幸、強い/弱い、健康/病弱という相対的観点から抜けだす必要がある。

これらの観点、価値観の二元性に囚われているかぎり、太宰の『人間失格』の真価と太宰という人間そのものの意味は分からないのだ。

こうしたことを分からせるために、私はこの短編小説を書いたのである。

それを深く理解してほしい。

そのためには、前回の講義で言ったように、強さと健康と幸福と明るさを求める木俣の方が36歳で末期がんの苦痛から自殺し、暗いものを好む虚弱な村川の方が

長生きし、健康長寿を実現したということ、この対比に着目し、作品全体を読み直さなければならない。

そして、決定打は木俣が『人間失格』を非常に嫌い、村川がそれを生涯の友としたことである。

 

我々は「一見」暗いものから目を逸らし、明るい気分を保ちたくなる。

また「一見」弱い者を嫌い、強い者に憧れる。

また「一見」不健康な者を嫌い、健康なスポーツマンタイプの者を好む。

この短編小説は、これらの「一見」という軽薄な観点を破壊するために書かれたものなのである。

そのことを顧慮して、この作品を熟読してほしい。

 

なお、私と太宰の『人間失格』の関係については、次の最新作を読めば、よく分かるので、興味ある者は読んでほしい。

『新・人間失格』(Amazon Kidle版)→このブログの三つ前の記事を見よ。

 

       そういう意図があったのか。分かったにゃ。

 

        やはり深読みは必要だにゃ。


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哲学B1 文章講義 (第3回目)

2024-12-19 16:43:46 | 哲学

今回は長いタイトルの短編小説について解説する。

そのタイトルは、

「末期がんの苦痛から36歳で自殺した自称・人間合格者」と「健康長寿を満喫した『人間失格』愛読者」

である。

このタイトルからすぐに二人の相対立する登場人物間の人物像の相違と文学的趣味の対立と性格の相違が予想される。

また、二人の間の心理的葛藤と価値観の対立と人生観と健康観の相違が思い浮かぶ。

二人の登場人物は木俣信志と村川卓也である。

これは実在の人物をモデルにしている。

村川は私であり、木俣は哲学科時代の友人である。

だから、私の体験と実際に在った出来事を物語と対話の中に織り込んでいるが、全部がそうだということはない。

創作付加があるのだ。

小説として当然のことである。

多くの小説には作者の経験と体験と人生行路上の出来事が織り込まれているが、学問的、科学的、芸術的、政治・経済的、医学的知識も盛り込まれる。

ここら辺は教養がモノを言う。

私の書く短編小説は深くて広い知識によって体験が装飾されつつ書かれている。

医学と哲学の知見と知識が最もよく使われるが、文学や心理学の知識も応用される。

この作品もそうである。

以上のことを銘記して、この短編小説をよく読んでほしい。

 

まず村川と木俣の太宰治、特に彼の代表作『人間失格』に対する評価の相違に注意してほしい。

ここをしっかり把握しておかないと、全体の意味が理解できなくなる。

また、村川と木俣の性格と人物像と価値観と健康観と人生観と行動習慣の相違と対立にも注意してほしい。

この相違と対立が、一方の若死にともう一方の健康長寿への分岐を生んだのである。

一見、木俣の方が長生きし健康を保ちそうだし、木俣自身もそう思っている。

しかし、木俣は刺激を求めて生きるが好きで、努力や節制を軽蔑している。

それに対して、一見虚弱で若死にしそうな村川は、節制家であり堅実であり粘り強い。

そして、医学知識が豊富である。

 

文学的趣味に関して言うと、木俣は夏目漱石を一番好み、村川は太宰治をこよなく愛している。

木俣は我が強くて、自分の好みを前面にお押し出し、逆に嫌いな太宰を貶す。

それに対して、村川は大人しいので、嫌いなものを貶して、相手を傷つけることがない。

木俣はマウントをとりだがるが、村川は超然としている。

ここに二人の人間性の根本的違いがある。

 

特に注意してほしいのは、木俣の「他人を批判することはできても、自分を批判することができない」という性質である。

これはある種の人間によく見られるものであり、自分に中身がないくせに去勢を張りたがる性質に由来する心性である。

この自己批判を欠く心性が不摂生と刺激を求める欲望追求性と結びついて、木俣を三十代で発がんに追いこんだのである。

それに対して、木俣に年寄臭い節制的生活と馬鹿にされた村川は、そんな誹謗中傷など気にせずに、健康を維持した。

この対比を良く把握してほしい。

 

本作品には健康と病気に関する一般論も登場する。

早死にするタイプと長生きするタイプの対比に関する医学的叙述がそれである。

医学的といっても、専門的なものではなく、家庭医学書レベルのものである。

しかし、ここら辺をしっかり把握しておかないと、なぜ木俣が若死にし、虚弱そうな村川の方が長生きし、健康長寿を満喫したのか、

その理由が分からなくなる。

 

そして、決定的なのは、自殺マニアの太宰を暗いからと蛇蝎のように忌み嫌った木俣が、自殺する破目になったという脅威的事実である。

こうした例は意外に多い。

バイタリティーの塊やクラスの人気者タイプが、意外にも早死にする、ということは科学的に実証されている。

また、健康さの権化のようなスポーツマンは、一般人より平均寿命が6歳も下だという統計的事実もある。

イメージに惑わされはならない。

現実を直視し、健康維持の生理学的メカニズムを客観的に把握しなければならないのだ。

そして、なによりも「他人を批判することはできても、自分を批判することができない」という精神構造の害をしっかり把握しなければならないのだ。

 

以上のことを顧慮して、この作品をよく読んでほしい。

 

あと一回、文章講義をするが、そのときは今回の話をもっと掘り下げ、かつ敷衍して論じることにする。

 

           この作品に溺れそうだにゃ

 

    僕は深みに吸い込まれそうだにゃ


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来年書く予定の四冊の本

2024-12-19 11:14:04 | 備忘録

今年も三冊本を出版した。

来年もこのペースで行く。

だから、三冊以上書いて出版する。

そのタイトルは順に

1    『偽善の研究』(2025年5月上旬ぐらいか)

2 『神経哲学入門』(同8月下旬ぐらい)

3 『神経質の哲学』(同11月上旬ぐらい)

4 『生命哲学的短編小説集』(2026年2月頃)

 

そして、多分次の年になるだろうが、

5    『死の喜び』

6 『自殺の臨床哲学』

7 『心と神経の哲学/あるいは脳と精神の哲学』(このブログのタイトルだ)

それ以降もこのペースで書く。

 

              よーし、頑張って書くにゃ


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