カワサキ750SSは1974年発売当時世界最速を誇った。
前にそのノーマル車の画像を載せたが、今回は見事にカスタマイズされたものを載せようと思う。
カラーリング、マフラー、デイスクブレーキ、ハンドルなど大幅に改造されている。
ノーマルのものも美しいが、これはまた別の味がある。
元がいいから当然だが。
今でも十分通用する美しさである。
というか、今のとは別のバイクらしさがある。
まさにWay Out but Classicである。
カワサキ750SSは1974年発売当時世界最速を誇った。
前にそのノーマル車の画像を載せたが、今回は見事にカスタマイズされたものを載せようと思う。
カラーリング、マフラー、デイスクブレーキ、ハンドルなど大幅に改造されている。
ノーマルのものも美しいが、これはまた別の味がある。
元がいいから当然だが。
今でも十分通用する美しさである。
というか、今のとは別のバイクらしさがある。
まさにWay Out but Classicである。
2011年3月12日を忘れるな。
なお、廃炉が進んでいない現状では、もう一度震災・津波の被害に遭うと、この原子炉は本体が爆発する。
そして、日本は壊滅する。特に東日本は。
これまで何度も取り上げた世界初のロータリーエンジン搭載のバイク・スズキRE-5です。
今回はその永遠の美を色々な角度から鑑賞してみましょう。
まさにRE-5の前にRE-5なし、RE-5の後にRE-5なし、というべき唯一無比の「美」を醸し出しています。
それは永遠に光り輝くことでしょう。
これまで多くの大学病院の建物を観てきたが、名古屋市にある公立の名古屋市立大学医学部付属病院の建物は迫力がある。
病床数は808とそれほど多くはないが、その建物は威容を誇っている。
特に上の画像の左端、下の画像の中央の建物は異様な迫力がある。
17階建てらしいが、ただ巨大というだけではなく、その形態が迫力に満ちているのである。
側面の途中から斜めに折れ曲がっている形態が威圧感を増している。
たとえば、東京医科歯科大病院や慈恵医大病院の高層棟も迫力はあるが、名古屋市立大のこの形態の17階の建物の威圧感にはかなわない。
とかく、旧帝の名大病院の陰に隠れがちな市立大病院だが、建物のユニークさと迫力では勝っている。
名大病院もユニークな形態で綺麗だが。
無頼派の作家三羽烏の特徴的写真を貼る!!
まず、最も人気の高い太宰の有名な銀座ルパンでのポーズ。
次に織田作之助。太宰に次ぐイケメンだが、織田の方が好きだという人もいる。
ちなみに次の写真は上の太宰の写真と前後してルバンで撮られたもの。
次に坂口安吾。
彼は決してイケメンではなかったが、その豪快な風貌は「聖なる無頼」にふさわしい。
ある意味では彼こそ本物の無頼派だったかも。
この部屋の散らかり具合はすごい!!
ボンネビルとはまた一味違うが、やはりめちゃめちゃ味のあるバイク。
トライアンフ・サンダーバート900。
DOHC三気筒である。
東宝が1963年12月に公開した特撮映画『海底軍艦』(監督 本多猪四郎、円谷英二)には、空を飛び地中にもドリルで潜り込む潜水艦を兼ねた原子力の戦艦が登場する。
その名は轟天号。
そのスペックは次の通り。
全長150m、重量1万トン、空中速度:マッハ2、水上速度:80ノット、水中速度:50ノット、地中速度:20km/h、地上速度:300km/h
この超戦艦の偉容を見てみよう。
次に映画のポスター。
この映画の主な出演者は、高島忠夫、藤山陽子、上原謙、田崎潤である。
次の画像は轟天号の艦長で製作指揮者の神宮寺元大佐(田崎潤)とその娘役の藤山陽子である。
さらに次の画像は抱き合う高島忠夫と藤山陽子、そして佐原健二(左)である。
この特撮映画は傑作である。
轟天号が素晴らしいのもあるが、出演者が重厚である。
上原謙演ずる楠見元海軍少将とその部下だった田崎潤の神宮寺大佐のからみが最高である。
上原謙がとにかく重厚!!
また、このブログで何度も取り上げた藤山陽子も最高に綺麗で気品あふれている。
次の画像は楠見元少将(上原謙)と神宮寺真琴(藤山陽子)。
そして、次のは厳しい意見のやり取りをしている楠見と神宮寺。
とにかく、素晴らしい映画だ。
その予告編動画を観てほしい。
https://www.youtube.com/watch?v=KOLin7U3ZlE
アマゾンで買いたい人は↓
ところで、知ってる人は知ってると思うが、上原謙は加山雄三の父親であり、絶世のイケメンとして有名だよ。
昨日の朝、厳密には一昨日夜中から風邪気味で体調が悪い。
最初はいつもの頭痛の発作だと思っていたが、次第に風邪のような症状になって来た。
昨日は特に頭痛症状が強く、頭がガンガンしていた。
今日になって頭痛は弱まったが、軽い吐き気と倦怠感がある。
昨夜から寝ているとき全身のツッパリと軽い痛みを感じた。
熱は何度計っても平熱だ。
少しだけ高いぐらいかな。36.7℃
こうなったのは久しぶりだ。
そもそも私は風邪と無縁の男で、20年に一回ぐいしか引かない。
まぁ、これまでの経験では明日には完治しているだろう。
それにしても、気分が塞いで何もやる気にならない。
逆に退屈を感じることもない。
昨日は18時間ぐらい布団に入っいた。
今は起きているが、今夜も多めに睡眠を取ろう。
1995年1月17日の早朝に神戸市を襲った震度7の激震。
阪神淡路大震災である。
それから23年経った。
私はその日、朝10時頃起きた。
そして、テレビをつけると・・・・・
衝撃のニュース、大都市の惨状。
なんと高架の高速道路が1kmにわたって倒壊し、鉄筋のビルも倒壊している。
信じられない光景であった。
もう少し早く起きていたら、また感じ方が違ったであろうか。
とにかく、その日はテレビにくぎ付けになった。
そして、今日の午後9時にNHKで阪神淡路大震災の特集が放映される。
メメント・モリ(死を忘れるな)というのは西洋の有名な格言である。
それと同じ意味で都市型激震の恐ろしさを忘れるな、と言いたい。
なお、この地震の16年後にあの東日本大震災が起こった。
どちらも甲乙つけがたい被害状況だったが、私としては神戸の惨状の方が印象深い。
上の画像に示された近代都市の崩壊はどうしても目から消えず、脳裏を離れない。
東日本大震災はマグニチュード9.1の横揺れ型の長期振動であった。
それに対して神戸の奴はマグニチュード(エネルギーと範囲)ははるかに低いものの、強烈な震度7の縦揺れであった。
私は小学校4年生の時に震度6の縦揺れを経験して死にかけた経験があり、身体でその恐怖を知っているのだ。
ちなみに次の画像は地震当日の朝日新聞の夕刊である。
まだ「死者・不明1000人を超す」となっている・・・・・
さきほどの記事に載せた画像のうち、激震の脅威を端的に伝える画像をいくつか拾ってきた。
それはおそらく多くの人が記憶にとどめている、とんでもない場面である。
まず、道路に横倒しとなった6~7階建のビル。
なんか怪獣映画の一場面みたいですね。
しかし、これはフィクションではなくてまぎれもない現実なのです。
白黒の画像はまた妙なリアリティーがあります。
とにかく、東京でこうなる日は遠くないのです・・・・・
次に揺れで切断された高架の高速道路から車体の前半分を乗り出したバス。
バスの屋根には出発先で積もっていた雪が残っています(このことについては下のリンクを参照)。
とにかく、九死に一生。
これもまた特撮映画の一場面みたいですが、まぎれもない現実です。
前のビルの写真もそうですが、こうして下から見上げる人々が一緒に写っていると現実感が増します。
次のリンクはこのバスを運転していた人の証言を取り上げたものです。
http://news.livedoor.com/article/detail/9686372/
この奇跡のバスは受験生にとって「落ちない」ことの象徴として崇められているそうです。