今日は7月27日
現在くもりで気温は24℃
昨日も涼しかった。
予報では数日曇りが続く予定で、最高気温も30℃どまり
一年で一番熱いこの時期にこれだから、今年の冷夏は確定
あとである程度暑くなっても論外だ
冷夏だー
オリンピックの開会日は近い
今日は7月27日
現在くもりで気温は24℃
昨日も涼しかった。
予報では数日曇りが続く予定で、最高気温も30℃どまり
一年で一番熱いこの時期にこれだから、今年の冷夏は確定
あとである程度暑くなっても論外だ
冷夏だー
オリンピックの開会日は近い
先月の気象庁の長期予報では、今年は2010年以来の猛暑だとか言ってたが、このままでは冷夏だ。
梅雨が延びているいというのはあるが、それにしても気温が上がらない。
7月の下旬でこれほど涼しいのは、遠い記憶では2003年とか1988年とかだ。
暑い夏は大嫌いなので、冷夏は大歓迎である。
梅雨よ明けるな。
冷夏になれ。
って、もうなってるか。
現代英米の心の哲学は脳科学、つまり神経科学と認知科学と積極的に対話し、それを哲学的議論に盛り込んでいるが、臨床医学との対話はあまりない。
臨床医学と積極的に対話してきたのは独仏の現象学や実存哲学であり、特に精神医学が話題となる。
ただし現象学や実存哲学では精神医学のうちでも脳科学的要素の少ない精神病理学や精神分析との対話がもっぱらで、脳科学的要素の濃厚な生物学的精神医学との対話はほとんどない。
ヤスパース、ハイデガー、サルトル、フーコー、アンリ、ドゥルーズなど、みなそうである。
ちなみにこの中でヤスパースだけは別格である。
彼は何といっても医学部出身の真正の医者であり、『精神病理学総論』という大著を若くして仕上げた人である。
彼は精神病の理解における「説明」と「了解」の区別と相補関係を主張した。
脳科学的な生物学的精神医学とは、精神病を脳病理との因果関係から説明しようとするものであり、精神病理学や精神分析は精神病や神経症を心理的関連から了解しようとするものである。
医学者兼哲学者のヤスパースは説明と了解の両方の重要性を理解していたのだが、医者ではない哲学者で精神医学に関与した者は了解心理学に偏向していたのである。
これは特に独仏の哲学において顕著な傾向である。
しかし、英米の心の哲学は脳科学への関心から生物学的精神医学に強い興味をもっている。
そして、精神分析を実証主義的科学観から糾弾する。
こちらも少し偏屈だが、急進派であることには変わりない。
なお、アメリカ哲学の創始者ウィリアム・ジェームズはハーバード大医学部出身であり、ヤスパースと同様プロの医学者であった。
彼は臨床医になることを嫌って基礎医学に進み、神経系の生理学と比較解剖学を専攻した。
それゆえ彼の脳科学の資質は第一級のものであり、意識と脳の関係について当時世界トップクラスの知見を備えていた。
その彼が医学→生理学→心理学→哲学へと専門を変えていったのである。
もちろん専門を変えても前の知識は生かされる。
それゆえジェームズこそ哲学と医学、哲学と心理学、哲学と脳科学、哲学と精神医学の関係を考える際、最高の模範となるのである。
ちなみに、彼は憂鬱症に生涯悩まされていたが、精神医学を特に研究することはなかった。
性格的にもヤスパースとジェームズは似ており、彼らの思想を比較しつつ理解することが、今後の心の哲学の発展に寄与すると思われる。
とにかく、精神医学を媒介項として心の哲学と脳科学の関係を再考し、議論を再編成することが肝要だと思われるのである。
日本大学医学部付属板橋病院。
東京都板橋区大谷口上町にあります。池袋から直通バスがあります。
入院病床数1037、外来数一日平均2200人。
臨床医学の開かれた白い巨塔、殿堂である。東京の城北地区において絶大な信頼を集めている。
旧設の私立医学部付属病院として、その臨床技術と患者への配慮には定評があり、ほとんどの国立大学病院を凌駕している。
特に外科系、肝臓病、小児科、心療内科(東大と九大とここが三羽烏)、救命救急センター(特に脳神経外科と小児科)が優れており、抜群の治療成績を誇っている。
その他の科もすべて堅実で信頼度が高く、リピーターであふれている。
ミーハーはすぐ東大、慶應とさわぐんだけどね(笑)。
医学部の教授は自校出身が50%ぐらいで、残りのうち半分が東大出身で、その他は色々(医科歯科、東北、京都府立医大、慶應・・・・)。
ちなみに、先日一躍有名になった天野篤教授はここの医学部の出身。
彼が在籍していた頃、心臓血管外科の医局には全国から医学部卒の研修医が殺到し、天野さんは自校ながら入れなかったorz
なにしろ、ここの心臓外科(胸部外科)の医局は当時、日本で初めて心臓バイパス手術を成功させた瀬在幸安教授が取り仕切っていたのだから。
その他、日大式と呼ばれる様々な手術法が肝臓、心臓など、いろいろな臓器に適用されているという。
日本初の五つ子もこの病院に入院した。
その後、NICU(新生児集中治療室)をもち、我国における未熟児治療のトップに立ち、長くリードしてきた。
ちなみに現在の日大医学部の入試難易度は早慶理工以上、東工大未満といったところである。
さらには京大工、薬なみという噂もある。
これは20-30年前から予想もつかなかった高騰ぶりである。
といっても前から卒業生の医療レベル、医学力は高いんだけどね。
アパートやマンションといった賃貸物件のなかに「心理的瑕疵物件」というものがある。
「瑕疵(かし)」とは何らかの傷、問題性である。
しかも「心理的」なそれである。
精神的瑕疵とも言われる。
代表的なのは、その物件内で自殺や他殺が起こったものである。
病死や衰弱死や孤独死も含まれる。
しかし何と言っても心理的瑕疵の代表は自殺である。
不動産屋は借主に対して物件の瑕疵を隠すことはできない。
そこで、瑕疵物件は借り手が付かなくなり、結果として家賃を下げざるをえなくなる。
相場の、あるいは前の家賃の40-70%に下げなければならなくなるのである。
たとえば、2DKなり1LDKの物件でその地区の家賃相場が10万円だとすると、心理的瑕疵物件は4~7万円になる。
以前はこのように下げても、なかなか借り手がつかなかったが、不況が続く昨今はかなり早く借り手が現れるそうだ。
私は長い間精神医学や脳科学や自殺者文学や心理学や生理学や哲学を研究してきた。
それゆえ、自殺を冷徹に科学的分析できて、感情的にならず、拒絶感は全くない。
しかし一般の人のおそらく80%以上は拒絶感をもつであろう。
「幽霊が出るし、何か落ち込んだときさらに落ち込みそうだ」とか、とにかく不気味な雰囲気を感じるというのが人情であろう。
私は幽霊の存在など信じないし、家賃に追われるよりは、少しでも贅沢したい。
幽霊は客観的に実在するのではなくて、人の「恐怖心が生み出す主観的幻想」であることは誰もが認めそうなものなのに、なかなかそうもいかないのである。
「出るでしょう。嫌ですよ」とはっきり言った人もいる。
そんなんじゃ病院や斎場には到底勤められないし、家で家族を看取ることもできないよ。
気にしなきゃいいんだよ。
実際、貧乏な一家で自殺物件に家族で引っ越して幸せな生活を満喫している例もあるよ。
ホームレスになったり生活保護になったり一家心中するはめになるなら心理的瑕疵なんて何でもないよ。
自分でもいい場所で良質のマンションなら喜んで心理的瑕疵物件に入りたいよ。
そして、体験談を書いて、ブログや書籍で発表したいよ。
手術の後ですぐにステーキを食べると豪語した外科医がいたけど、そんなもんだよね。
ただし、気を付けなければならないのが、心理的瑕疵の内実が、「隣室の住人がやくざである」とかいう場合である。
そうした例は少ないので無視するとして、「死」にまつわる瑕疵物件なら、借りた方が得だと思う。
しかも、次の借り手が付いた瑕疵物件は、その次の借り手には通告義務がなくなるし、家賃も相場に戻せるんだよね。
不動産屋としては。
だから、もしかしたら、あなたが今住んでいる部屋は、10年前に自殺や他殺が起こったものかもしれないのだ。
ここにヒントがある。
「知らなければ、自殺物件は何の恐怖感情も起さないし、幽霊も出ない」のである。
自殺物件への拒絶感と幽霊の存在を信じることは、どっちも「主観的幻想」ということなんやろね。
9月の下旬に新著『存在と時空』が出版される。
すでに初校の校正を済ませ、出版社に返送している。
A5(専門書サイズ)で230ページ弱になる。
値段はまだ決まってないが、2800円前後となると思う。
これまで9冊の本を上梓しているが、これで10冊目になる。
最初の本を出したのが1999年で、直前のが2012年である。
前の本との間が4年も空いたのは初めてだ。
まだ装丁のデザインは出ていないが、出たらupするつもり。
とりあえず新『存在と時間』の試みなのだが、ハイテガーとは大分違う思想構成なので、そのつもりで。
東京慈恵会医科大学とその附属病院は港区西新橋という都内の一等地にある。
立地としては東京医科歯科大学病院、順天堂医院、慶應病院と並んで最高レベルにある。
慈恵医大は高木兼寛によって1881年(明治14年)に創設された成医会講習所が起源。
1903年に東京慈恵医院医学専門学校となる。
そして、1921年に大学に昇格し、東京慈恵会医科大学となる。
東大などの旧帝国大学がドイツ医学を手本にしたのに対して、慈恵医大は臨床重視のイギリス医学を模範とした。
それゆえ慈恵は研究よりも臨床、実地、治療を優先し、独自の道を歩んだ。
これは我国の私立医科大に共通する傾向である。
高木兼寛のモットー「病気を診ずして病人を診よ」はそのまま慈恵医大の教育・医療理念となっている。
私立では慶應医学部に次ぐ歴史と実績をもち、都内はもとより全国から患者がやってくる。
附属病院(西新橋の本院)の病床数は1075。
東京では東大、慶應に次ぐ関連病院を有し(医科歯科より強い)、卒後は万全である。
また、教授・准教授の85%以上を自校出身者で占め、独立性が高く結束が固い。
また、他大学の医学部(聖マリアンナ医科大など)にもけっこう教授を送り出しおり、この方面でも実績がある。
昔から私立の医学部というと慶應>>>慈恵>日本医大>その他という格付けが定着していた。
これは伝統と実績はもとより、私立としては比較的学費が安いことも影響している。
偏差値は30年前には慶應>>自治医大>>慈恵、日本医大という感じだったが、現在では慶應>慈恵>日本医大、順天堂>自治医大となっている。
慶應医学部が73で慈恵が70(東北大と名古屋大より少し上)なのである。
もちろん、これは合格者偏差値であって、入学者偏差値は少し下がる。
しかし、それを補って余りあるのが、卒後の臨床医としての成功度なのである。
ちなみに、精神医学に興味のある私としては、慈恵というと精神科の初代教授・森田正馬が印象深い。
神経症に対する森田療法は今も慈恵の精神科の柱であり、専用の入院病床もある。
ここの精神科からは多くの優れた精神科医、医学部精神科教授が出ている。
大原健士郎・浜松医大教授とか。
*参考文献 米山公啓『学閥支配の医学』集英社新書
和田努『大学医学部 その人脈と名医たち』日新報道
我々は普段とりたてて自己を意識するときはないが、自己の意識や思考や記憶や表象内容に注意が向かうときがある。
そのとき「意識の内容」とそれを対象化的に観察・スキャン・分析していてる「意識の主体」があるように思える。
「思考の内容」に関しても、「記憶の内容」や「表象の内容」に関しても同様である。
さらに、「私」がこれらを総じて対象化しつつ観察している「意識の主体」である、という「自覚」の感覚もある。
人間の脳が並列分散型の情報処理を行い、諸々の認知・知覚要素を自己組織化的に統合しつつ、意識と行動の統一性にもたらしていることはよく知られている。
問題は、この脳の神経システムの自己組織化的統合作用が、どうして「私が意識の主体である」という高次の自覚的感覚を伴うのか、ということである。
これを旧来の心身二元論によって説明しても無意味である。
それは問題からの逃避に過ぎない。
高次の統覚的自覚の感覚は、あくまで脳の神経システムの機能なのである。
その際、脳は機械装置のように、外界に対して閉じた因果系として理解されてはならない。
脳は身体に有機統合され、環境および他者と相互作用する生命的情報システムなのである。
前頭連合野と大脳辺縁系の連携を中核とした脳の自己監視システムは、脳内で完結する閉鎖系ではなく、環境世界と相互作用する開放的情報システムなのである。
それは人間という社会的生物が他者と交渉しつつ生活するうえでの生命的認知情報システムである。
それゆえ、もっぱら脳の神経システムの中に経験の主体ないし意識の主体としての自我のありかを求める姿勢は必ず挫折する。
自我は脳に局在化されずに環境へと延び広がった生命システムないし社会的存在なのである。
そもそも最近の脳科学は「社会脳」という概念を重視し、脳をもっぱら生物学的ないし生理学的存在としてではなく、社会的存在としてみることを推奨している。
とにかく、自己の意識すら対象化する高次の精神現象としての「自我」という観念に囚われて、自我を脳の外の非物質的次元へと引き込んで理解してはならない。
また、自我を脳の内部に還元し解消してもならない。
「私」という感覚、つまり自我は、最終的には個体性と人称性を超えた自然的心の産物なのである。
このことを新著『創発する意識の自然学』は扱っている。
また、この問題意識は『自我と生命』→『心の哲学への誘い』→新著と受け継がれてきたものでもある。
「自覚しているしているときの脳の状態」は、また改めて深く掘り下げて考察しなければならない問題である。
読みやすいよ。
面白いよ。
買った方がいいよ。
私はもともと色彩の中ではブルー系が好きで、この本の装丁もそれ系でデザインしてもらった。
また、帯の文言も簡潔でパンチが効いてる。
この本を読まない奴は生きている資格がない。
アマゾンのリンク↓
去年取り上げたイケメン格闘家ミルコ・クロコップを再び掲載します。
クロコップとはクロアチアの警官(コップ)と言う意味なのはみんな知ってます。
テコンドー→ボクシング→キックボクシング(K-1)→総合格闘技(PRIDE→UFC)→再びK-1(悲願の初優勝)と遍歴した彼は、
もともとクロアチアの警察官であり、テロ対策特殊部隊に属し格闘技の教官を兼ねていました。
また、格闘技によって世界的名声を得たことによる祖国への功績から一時クロアチアの国会議員を務めていました。
そんな彼を印象付ける画像を数点upしましょう。
まず、特殊部隊のころのレアな写真。
次に、格闘家になってからのイメージ画像。
次に、格闘家兼クロアチア国会議員として来日したとき、小泉元首相との対談の一場面。
ユーモラスです。
次に、試合の画像を二点。
まず、宿敵バンダイレイ・シウバと2002年に初対決した際、左ハイキックを繰り出したときの写真。
このとき、ミルコはまだ総合格闘技の試合に慣れておらず、思わぬ苦戦を強いられました。
結果はドローでしたが、シウバの優位を主張する評価が多かったようです。
しかし、真の実力差は2006年の再試合で明らかとなりました。
もちろん、ミルコ>>>シウバです。
それはさておき、ミルコvs.シウバはあらゆる格闘技の試合の中でもっともスリリングで面白い、という人がかなりいます。
試合前のにらみ合いもすごいです。
二枚目の写真は、ミルコが余興にプロレスに試合に出て、投げをはなったときのものです。
こういう息抜きの試合でも、彼の身体能力の高さはいかんなく発揮されます。