今日は三島由紀夫について話す。
もうテキストは各自読んでいると思うし、これから読むと思うので、少し敷衍した話をする。
この節のタイトルは「狂人の星・三島由紀夫」となっている。
このタイトルは昭和の大人気アニメ『巨人の星』をもじったものである。
このアニメは元巨人軍の選手で野球に挫折した父・星一徹が、息子の飛雄馬(humanの音写である)を一流の野球選手へと鍛え上げ、自分が成し遂げれなかった
巨人軍の星の座を飛雄馬に託した物語である。
次の画像は一徹が飛雄馬に向って「お前は一際でっかく輝く巨人の星となれ」と夜空の星を指さしつつ檄を飛ばしているところである。
私はこれをもじって三島由紀夫を日本文学界において一際でっかく輝く「狂人の星」と呼んだのである。
また、世界上の狂気の天才の中でも一際でっかく輝く狂人の星とみなされる。
三島由紀夫ほど「天才」、それも「狂気の天才」の本質を体現した人はいない。
彼は極めて知能が高く、才能にあふれ、努力家でもあったが、何よりもその常軌を逸した行動と生きざまは、天才とマニアの深い関係を世界で一番象徴している。
彼ほど「天才と狂人は紙一重」という格言がふさわしい人は歴史上いない。
晩年の軍服姿やボディービルのイメージから誤解している人が多いようだが、三島は典型的な秀才であり、高知能と天賦の芸術的才能をもち合わせていた。
三島は学習院の高等科を首席で卒業すると、東大法学部に入学した。
文学部ではなく法学部を選んだのは、父親の影響で官僚になろうとしたからである。
それよりも、彼は数学や論理的思考にも秀で、後の作品にも法科的論理性が表れている。
また、もし理系に進んだとしても優れた業績を遺したであろうほど、頭がよかった。
理数科目が苦手な文学部出身の作家とは一線を画している。
そんな三島が日本で一番尊敬していたのは、東大医学部卒の最高軍医・森鴎外であった。
三島は鴎外の話をするとき、手を合わせて拝むようにしたという。
ところで、三島の作家活動は十代前半から始まっており、法学部在学中や、卒後大蔵省(現・財務省)に勤めていたときは、夜執筆活動をしていたのだ。
(大蔵省から帰宅中の三島)
その後、作家活動に専念するために大蔵省を辞職した。
そして、多数の名作を書き上げた。
その中で一際光り輝くのは『金閣寺』と『豊饒の海』である。
『金閣寺』はノーベル賞の候補に挙がった時、最も注目された代表作であり、『豊饒の海』は四部からなる大作であり遺稿となったものである。
三島の代わりにノーベル文学賞を受賞した川端康成は、『豊饒の海』の第一部「春の雪」を読んだとき「これは『源氏物語』以来の日本文学の最高傑作だ」と絶賛した。
また、「本当にノーベル賞にふさわしいのは、先に候補に挙がっていた三島君だ」と言っていた。
(川端と対談する三島。二人は一応師弟関係にあるが、実は三島は川端から何も学んでいない。
すべて独創である。天才は先生を必要としないのである。)
また、三島の作品は多数が数十か国語に翻訳され、全世界にファンをもっていた。
そして、文学的、芸術的に非常に高い評価を受けていた。
日本に帰化するほど日本好きだったアメリカ人の日本文学者ドナルド・キーンは三島と親友関係にあったが、彼が三島文学を世界中に広めた功績は大きい。
(キーンと対談する三島)
私も川端やキーン、その他大勢の人のように三島は日本最高の作家、純文学者だと思う。
ちなみに、かれは余技で大衆小説やエッセイも書いている。
ところで、誤解が多いが、三島はそのマッチョな外観とは違い、繊細な精神のもち主であった。
そして、その作品は、暗く、変態的なものが多く、オタク的である。
しかし、華麗な文体と緻密な構成は天下一品であり、それは代表作『金閣寺』に端的に表れている。
しかし、やはり彼が身体鍛錬に凝っていたことはたしかであり、「肉体こそ不滅だ。精神は死ぬ」と主張していた。
彼は剣道五段の腕前であった。
ところで、三島はなぜ「魂ではなくて肉体こそ不死」だと主張したのだろうか。
それには彼が偏愛していた谷崎潤一郎の『金色の死』の影響がある。
この作品の主人公・岡村君は三島本人そっくりな変わり者の天才であり、奇妙な芸術観を唱え、肉体こそ芸術そのものだと主張し、箱根の奥にパラダイスを造り、
夜通しの大宴会を催した。
その際、岡村は鍛え上げられた筋骨隆々の肉体に全身金粉を塗りたくって一晩中踊り狂い、最後は皮膚窒息で死んだのだ。
まさに金色(こんじき)の死である。
誤解の多い、三島の市谷駐屯地のにおける自決の裏には、実はこの「金色の死」の思想があるのだ。
それよりも、彼は生物学的、精神医学的にみると、常に自死を狙っており、死に必然的に向かっていたのだ。
死によって自己の芸術が完成すると思っていたのだ。
まさに狂気の天才の典型、天才中の天才、マニアの顕現である。
(この姿を政治的な観点から見るのは阿保である。これは歌舞伎の一種である。)
なぜ、三島は「霊魂ではなくて肉体こそ不滅だ」と主張したのか。
それは彼の厭世観、自殺願望の表れである。
精神に対する肉体の重視の背後には「確実に死ぬことができるのは肉体だ」という真理が控えている。
彼は夭折の美学を信条としていたが、これは凡人にはとうてい理解できない心理であろう。
確実に死に、無になるためには、それを可能とする肉体の方を重視する必要があるのだ。
これを批判する凡人は野暮でしかない。
言うまでもなく、三島文学は人類の文化とともに永遠に生きるであろう。
そして、それを可能ならしめたのは、彼の夭折の美学なのである。
ちなみに、私は三島を超える自信はある。