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心と神経の哲学/あるいは/脳と精神の哲学

心の哲学と美学、その他なんでもあり

田島治著『社会不安障害』について

2021-02-01 01:45:39 | 書評

杏林大学教授の精神医学者・田島治さんが2008年に上梓した『社会不安障害 -社交恐怖の病理を解く』(ちくま新書)は名著である。

田島さんは1950年生まれで、杏林大学医学部卒、現在、杏林大学保健学部教授(医学部精神神経科兼担教授)だが、うつ病と社交不安障害の薬理学と治療において日本トップの実力をもっている。

社交不安障害(social anxiety disorder、略してSAD)とは、社会不安障害とも呼ばれるが、かつて日本で「対人恐怖症」と呼ばれた神経症の普遍的・国際的病名である。

我々の中には人前で緊張したり、大勢の人の前で話したりするとき緊張を感じる普遍的心理がある。

これは人によって強弱がある感情だが、ある種の人々はその緊張・不安・憂鬱が日常生活に支障をきたし、社会的引きこもりに至る場合がある。

つまり、単なる人見知り・内気・シャイネスを超えて病気のレベルにまで高まっている例があるのだ。

この病気のレベルの「あがり症」を「社交不安障害(SAD)」と言うのである。

普通のあがり症や内気や恥ずかしがりは、人と交流したり社会経験を積んだりしているうちに次第に症状が軽くなり、治ったりするが、精神疾患とみなせるSADの場合、いつまでも症状が軽減化しないのみならず、無理に社交的にふるまったり逆説志向的行動に出ると悪化してしまう。

年を取って社会的に成熟するから治るというものではないのは、虫歯や糖尿病や高血圧症と同じである。

しかし、多くの人はSADを性格のせいであるとか甘えだと決めつけて、病気として治療しようとは思わない。

つまり、精神科ないし心療内科を受診しようとはしないでがまんしているのである。

こうした傾向の背景には日本特有の悪しき精神主義の伝統が控えている。

しかし、どうしても症状が治まらず、むしろ悪化していくので、患者はアルコール依存になったり、うつ状態になったり、自殺念慮が強くなったりする。

こうした傾向に歯止めをかけ、SADに関する正確な知識を伝授し、多くの隠れた患者を救おうとして書かれた啓蒙書、それが田島治さんの『社会不安障害』なのである。

田島さんはこの本の前書きで、まず最近の日本における自殺者の増加を指摘し、次に2005年頃からSADについての啓発広告がメディアに多数現れ始めたことを指摘している。

そして、性格のせいと思われていたSADが本当の医学的疾患であり、薬での治療が有意に有効であることが分かったことを指摘している。

本文に入ると、田島さんは、この病気が日本特有のものではなく世界中に存在する普遍的な精神疾患であることを強調する。

SADがかつて対人恐怖症と呼ばれていたものにあたることは既に述べた。

対人恐怖は日本的精神文化と人間関係性に根差した日本特有の心の病とみなされていたものであるが、実は世界中に昔から散在した普遍的な病だったのである。

そういえば、ウィトゲンシュタインやニュートンやムンクの伝記を読むと、SAD の傾向が表れている。

他にもいっぱいいる。

そこで、田島さんはSADが薬で治療すべき普遍的な脳神経系の病であるという観点から、薬物療法の有効性を主張し、その詳細を分かりやすく説明している。

もちろん、薬物療法だけではなく認知行動療法という精神療法の一種を併用しなければならないのだが、とかく精神主義的に「甘え」とか「性格のせい」と誤解されやい傾向を打破するためには、薬物療法の重要性を知ることは大切なので、田島さんの話に傾聴したくなる。

それではどういう薬を使うのかというと、それはSSRI(選択的セロトニン再取り込阻害薬)という抗うつ薬の一種である。

特にルボックスあるいはデプロメールという商品名が付けられている「マレイン酸フルボキサミン」という薬が有効である。

これを第一選択肢として、それに従来使われている抗不安薬を頓服として付け加えつつ、症状を軽減化していくのである。

その際、随時認知行動療法が付け加えられる。

田島さんは、自ら治療した患者の症例と治療経過を紹介しつつ、SSRIの治療効果を説明している。

ところで、SADが本当の精神疾患ではなくて単なる内気にすぎず、精神科医と製薬会社が不当に疾患として宣伝している、という批判はアメリカを中心として全世界に散在している。

田島さんはこの批判に真っ向から対峙し、それを論破している。

この点は非常に重要である。

それから田島さんはSADにおける「脳と心」の関係について説明している。

ここではSADが強迫性障害(かつて強迫神経症と呼ばれていたもの)と関連が深いことを指摘している。

この点も重要である。

とにかく、田島さんは私立医大出身らしく、臨床と治療を最重視する傾向が強く、実学志向なので、その叙述・説明は分かりやすく、説得力がある。

また田島さんはうつ病とSADの薬物療法の第一人者であるだけではなく、薬物療法の弊害の啓発における第一人者でもあるのだ。

こうした姿勢が本書の随所に表れている。

社交不安障害に関する本は既に多数出版されているが、田島さんのこの本が最初に読むには最も適している。

新書で安く、読みやすいし。


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『消費税25%で世界一幸せな国デンマークの暮らし』という本を読んだ

2015-12-02 22:34:11 | 書評

日本の岩手県生まれで40年前にデンマークに移住したケンジ・ステファン・スズキの『消費税25%で世界一幸せな国デンマークの暮らし』(角川SSC新書)という本をアマゾンで買って読んだ。

面白かった。

来月から日本では消費税が5%から8%に上がるが、デンマークでは25%である。

デンマークをはじめとする北欧諸国が高税率によって福祉国家を運営していることは前から知っていたが、その詳細に関しては疎かった。

そこで、今回その詳細を知ろうと思って、スズキ氏の新書を買って読んだのである。

まず、医療費と学費がただだということに驚かされた。

また、大学入試がなくて誰でも入れるが卒業が厳しいということも興味深かった。

さらに、いつでも何歳でも別の大学に再入学ができるというのも驚きだった。

前にフィンランドでは日本のような偏差値による大学(学校)格差がなくて、高度の学力を実現させていることを知っていたが、このような制度が背景にあるのか、と納得させられた。

やり直しがきかない日本の大学世界、学歴世界、偏差値信仰とは偉い違いだ。

前の記事でも書いたが、日本における収入格差と貧困問題は深刻であり、生活保護制度の不備から餓死や自殺が相次いでいる。

アベノミクス、というより旧来の自民党のやり口は、大企業が儲けて、結果として経済が繁栄すれば万事よしなので、期待はできない。

民主党はへぼだったが、少なくとも自民党よりは北欧的福祉国家を目指していたと思う。

日本は将来、大震災、少子高齢化、原発事故の危険性など多くの問題を抱えているが、これを経済の表面的繁栄で解決することはできない。

自然との共存の哲学と福祉国家の理念がない限り、ジャパンシンドロームは治療できないであろう。

ちなみにスズキ氏が、デンマークの福祉国家の実現に、大学の政治学科における哲学・倫理学の必修制度が大きく寄与している、と述べていることは傾聴に値する。

日本の政治家に哲学などない。

そもそも日本の政治家や実業家は哲学を虚学として軽蔑し、守銭奴と化している。

なんでも経済と金で解決できると思っているのだ。

それに対して、高税率の北欧諸国は、高い消費税によって貨幣を道具化し、その偶像化を戒め、国民の総所得をむしろ引き上げているのである。

まぁ、簡単に言えば高税率制度によって貧困と格差を無くし豊かな生活を実現しているのである。

日本人はこうした福祉国家制度に賛否両論であろう。

好きなだけ金儲けして贅沢の限りを尽くしたい人には忌み嫌うべきものであろう。

しかし、節度を守れば福祉国家でも富豪にはなれるのだ。

というより、日本で問題なのは、貧乏人を造りだすことによって金持ちの生活を維持しようとする悪しき資本主義と自民党のやり方である。

これをすぐに直すことは不可能である。

しかし、少なくとも北欧の福祉制度を見習いつつ、漸進的に社会改革することはできるであろう。

そのためには個人の意識の変革も必要だが。


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天才論の名著

2015-11-15 23:08:10 | 書評

天才について論じた本は多数あるが、その中でおすすめなものを数点あげよう。

1. ロンブローゾ『天才論』。翻訳は辻潤によるものが『辻潤全集 第五巻』(五月書房)として出されている。イタリアの犯罪学者ロンブローゾが精神病理学的見地から天才と狂気の関係を論証した古典中の古典。天才と狂気の関係は古くから指摘されてきたが、彼によってこの関係は確定的なものとなった。しかし、あまりに狂気との関係づけが強調されているきらいがある。最後の章でそっと「正気の天才」を論じているが。

2. E・クレッチマー『天才の心理学』(内村祐之訳、岩波文庫)。『体格と性格』で有名なドイツの精神医学者クレッチマーの名著。ロンブローゾと同様に天才を狂気と関係づけて天才の本質を解明しようとしているが、精神病理学的により精緻な考察となっており、こちらの方がおすすめである。第三部の天才の肖像集が面白い。

3. 宮城音弥『天才』(岩波新書)。日本における天才論の先駆けであり、新書の割には内容は充実しまくりである。天才は狂気であるというよりは社会不適応である、という指摘は面白い。独創性の実現のためには因習を破り、社会への適応を犠牲にする必要があるのだ。一番読みやすい。

4. W・ランゲ=アイヒバウム『天才 創造性の秘密』(島崎敏樹・高橋義夫訳、みすず書房)。ランゲ=アイヒバウムはドイツの精神病理学者で、やはり天才と精神障害の関係を重視しているが、ロンブローゾやクレッチマーよりはその傾向が弱い。彼は、天才を「関数概念」として捉え、「天才」という個人よりも「天才」という「ものの見方」があるのだ、と指摘した。少し地味だが、面白いことに変わりはない天才論の必読書である。

5. 飯田真・中井久夫『天才の精神病理 科学的創造の秘密』(中央公論社)。二人の精神医学者が病跡学の見地から天才的科学者の創造性の秘密を解き明かした名著。病跡学は主に文学と芸術における天才と精神病理の関係を解明する学問だが、飯田と中井はこれを科学者に応用した。その功績は絶大である。はっきり言ってめちゃくちゃ面白かった。これまで10回ぐらい読んだ。「分裂病圏」と「躁鬱病圏」と「神経症圏」に分けて、それぞれの科学者の精神病理と科学的創造性の関係を考察しているが、とにかくめちゃくちゃ面白い。特に分裂病圏のニュートンとウィトゲンシュタインに関する考察には引き込まれる。ウィトゲンシュタインは哲学者だが、数学基礎論や論理学も専攻していたので、この本の考察対象になった。彼の他の伝記よりも数倍面白かった。

6. 福島章『天才 創造のパトグラフィー』(講談社現代新書)。パトグラフィーとは病跡学のことである。福島は有名な犯罪心理学者であり、日本における天才論の草分けである。これまでの天才論の系譜そのものの叙述で目新しいことはないが、よくまとまっており、初心者にはおすすめである。ゲーテのIQが185でニュートンのIQが125であることを指摘してくれているのは初心者にはありがたいことであろう。識者には周知のことだが。

天才の概念は一般に誤解されており、基本的なことすら知らない人が多い。

まず、芸能や経営やスポーツの世界に天才などいないのである。

天才は天賦の才能などではない。

天才は社会への適応を犠牲にした独創性の実現なのである。

 

コメント (1)
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最近買った本

2013-05-10 17:12:46 | 書評

最近買った本を挙げる。

1. 植草一秀『知られざる真実 勾留地にて』イプシロン出版企画 → 痴漢、盗撮などの疑いで二回逮捕された経済学者・植草一秀氏の警察による強引な取り調べと冤罪を暴き立てた告白の書。私はマスコミの報道を鵜呑みにして植草氏は文字通り「ミラーマン」だと思っていた。しかし、この本を読んで、彼が米国CIAの陰謀の下、日本の警察・検察によって無理やり犯罪者に仕立てられた可能性があることを知った。まだ半信半疑だが、ネットなどで調べてみても、国策逮捕説や冤罪説が多数取り上げられており、無視できず、再考の必要性が極めて大きい。植草氏がりそな銀行のインサイダー取引を批判し、小泉首相と竹中大臣の政策を徹底して批判したことが米国CIAの怒りを買ったのが冤罪・国策逮捕につながったという説は、必ずしも肯定できないが、無視もできない、というのが今の私の感想である。少なくとも、もう簡単に植草氏をにミラーマン呼ばわりしようとは思わない。

2. 植草一秀事件を検証する会編集『植草事件の真実 ひとりの人生を抹殺しようとするこれだけの力』ナビ出版 → 植草氏の二度にわたる逮捕劇を徹底的に検証し、警察と検察のやり方を批判し、冤罪説を裏付けようとした力作。まだ読んでないが、面白そう。

3. ベンジャミン・フルフォード『暴かれた「闇の支配者」の正体』扶桑社 → 日本の政治家と警察を陰で操る米国の「闇将軍」を暗示する衝撃の書。この闇の支配者の逆鱗に触れた者は国策逮捕、冤罪、自殺などに追い込まれるらしい。植草氏もその一人だ。

4. ジェイムズ・グリック『インフォメーション 情報技術の人類史』楡井浩一訳、新曜社 → この世のものはすべて「情報」から出来ているということをあらゆる観点から考察・論証した大著。私の考えと一致するので星30個つけとく。

5. V・S・ラマチャンドラン『脳の中の天使』山下篤子訳、角川書店 → 「幻影肢と可塑的な脳」を論じているところが興味深い。「魂をもつ類人猿」という章で「内観はどのようにして進化したのか」を論じているところはもっと興味深い。神経科学を新しい哲学と捉えるラマチャンドランの著書はどれも刺激的だ。この分量(440ページ)で1900円は安い!!

とにかく、植草氏の国策逮捕・冤罪説について考えさせられた。

マスコミの情報操作や警察の強引なやり方に民衆は容易に騙されてしまうのである。

問題は植草氏が全くの白かどうかということではなく、マスコミや警察のモラルの欠如と我々の情報の解釈の低劣さだと思った。

植草氏についてはいろいろと調べてまた後で論じることにします。

とにかく↓のような報道を盲信してはいかんのだ。

真相は↓なのだ。

植草氏のブログに詳しく書いてある↓

http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/

そもそも何で痴漢(の疑い)ぐらいで何十日も勾留されたんだ?

 


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笠原嘉『精神病』について

2013-03-27 09:35:29 | 書評

精神医学者・笠原嘉が書いた『精神病』(岩波新書)は名著である。

1998年に初版が出て以来増刷を重ねているが、内容的に少しも古くなく、その的を射た叙述と読みやすさは秀逸である。

精神病の中でもその代表格たる精神分裂病(2002年に統合失調症と改名された)をもっぱら論じているが、その分かりやすい説明はまさに初心者向きである。

しかも、ある程度知識のある人や専門家にも読み応えのあるものとなっている。

テキストにも使用しやすいであろう。

とにかく入門書として最適である。

笠原嘉氏は京都大医学部卒の精神医学者で、長く名古屋大医学部精神科教授を務めていた。

彼は木村敏、中井久夫とともに京大精神医学の人間学派三羽ガラスであるが、木村敏的な哲学的・思弁的偏りがなく、中井と同様に穏当な臨床医という性格を有している。

学問的にも堅実である。

笠原精神医学は、精神病における脳病理と精神病理を臨床的二元論の観点から統合的に理解しようとする点に特徴がある。

ただし、この二元論は精神と物質を別次元に置く形而上学的二元論ではなく、患者への対処という治療的配慮から生まれたものである。

それゆえ、薬物療法と精神療法の使い分けと両者のシステム的統合を顧慮したものとして、現場志向の医者にもなじみやすいものとなっている。

そうした彼の姿勢は『精神病』にも見事に表れている。

この本は10章構成となっているが、第1章ではある分裂病の大学生の症例の話から切り出し、最終章を患者の家人へのアドバイスで締めくくっている。

第2章と第3章と第4章は分裂病の特徴と発病と経過を扱っており、その叙述は平易かつ明晰、説明は分かりやすく的確でかつ深い。

ここら辺をしっかり押さえておかないと、精神病に対する偏見はなくならず、正確な知識が得られず、患者への接し方を誤る元となるので、笠原の功績は大きいと言える。

第5章は「今日の治療」つまり1998年頃の治療を論じているが、驚くべきことに少しも古くなく、今日なお極めて有効である。

治療薬の変化を顧慮すれば、そのまま現在の治療に生かせる内容となっている。

笠原は常に医師と患者の対人関係・信頼関係を重視し、そこから寛解と社会復帰の糸口を見出そうとしてきたのである。

しかも、それが薬物療法と二人三脚的にマッチングしている。

第6章では社会復帰について具体的に論じている。

笠原は社会性というものを非常に重視し、精神病を「社会脳」の障害とみるが、この姿勢は現京大精神科教授の村井俊哉に引き継がれている。

社会復帰に関しては福祉制度も顧慮して具体的に説明している。

第7章では分裂病と犯罪の関係について啓蒙的に説明している。

とにかく一般人には精神病=犯罪者のイメージが刷り込まれており、これを突き崩さないかぎり、患者の社会復帰は阻まれ続け、治療は滞るのである。

ここでの説明も分かりやすく的確である。

第8章になって初めて分裂病の原因を論じているが、これを後にもってきたのは慧眼だと思う。

多くの精神病に関する入門書が原因論を最初にもってきているが、実はこれが難しさのイメージを増幅し、誤解の元となるからである。

笠原は、定番の遺伝と環境、脳病理、心理面の研究(精神病理)を論じた後、「社会性」の重要性を指摘し、脳の社会野、社会脳の研究の必要性を説いている。

第9章は「分裂病からの贈り物」となっているが、ここには患者と家族の悲観を打ち破る愛情あふれる臨床医の視点があますところなく表れている。

 

とにかく分かりやすくおすすめである。

少しも古くない。

 

*なお、現在この病気は「統合失調症」と呼ばれ、「分裂病」は用いられなくなっているが、原著にしたがってそのまま用いた。

そもそも笠原的愛情があれば「精神分裂病」でも何の偏見ももたれないんだけどね。

 


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和田秀樹著『東大の大罪』

2013-02-21 09:49:48 | 書評

和田さんの『東大の大罪』(朝日新書)を読み終わった。

大変面白かった。

おすすめである。

和田さんは自ら母校である東大を徹底的に批判している。

まず、東大の教授は努力していないし官僚や政府におもねって独創的研究を放棄している、とこき下ろす。

そして、教授の人選が教授会に委ねられていることの弊害を指摘する。

教授は終身雇用ではなく任期制にして、業績のない者はすぐに辞めさせ、優れた非常勤講師や助教や他大学の准教授を引き抜くべきなのである。

また、最初にノーベル賞受賞で京大>>>>東大であることを強調している。

京大は東大とは違って権威主義的ではないので、純粋の探究心を押し進め独創的な成果を上げやすいのである。

京都大教授として受賞した学者でも、ノーベル医学・生理学賞の山中教授は神戸大医学部出身だし、物理学賞の益川教授は名古屋大理学部出身である。

また、反原発の旗手の京大助教・小出裕章さんも東北大出身である。

つまり、京大は東大よりも開かれた学問用大学なのである。

和田さんは、東大の入試が20年ぐらい前から易化したことと中高のゆとり教育の弊害も指摘している。

それでも東大が最難関であることは変わりないので、日本全体の学問水準が下がることを危惧しているのである。

それと和田さんは拝金主義を嘆いている。

真のエリートは教養高い進歩主義者であるべきで、拝金主義などもってのほか、というわけである。

私としては和田さんの意見に大方賛成であるが、「これは違うな」という部分もけっこうあった。

それは、受験勉強の重要性を強調する姿勢である。

彼は受験勉強や大学での講義の充実が優れた教養人としてのエリートを養成すると主張するが、それは違うと思う。

それらは手段ではあっても目的ではない、必要条件ですらない。

それは道具である。

前に取り上げた天野篤教授の例を参照すれば、それはすぐ分かると思う。

また、益川教授は入試問題は易しくして、大学に入ってから自由に猛勉強することを推奨している。←これ俺がやったことだ。

益川さんは英語が苦手で、会話は全くできないし、英文の論文もまともに書けないので、海外の学術誌に発表する英文の論文は大学院生に添削してもらっていたのである。←豪傑!!

益川さんは名古屋大の大学院修士の入試では英語が20点、ドイツ語が0点で、不合格になりそうになったが、物理学の才能と努力を認められて、ようやく合格したのである。

そういえば、ノーベル化学賞の田中耕一さんも英語とドイツ語が苦手で東北大の大学院進学をあきらめ、ソニーの入社試験でも落とされ、島津製作所に拾われたんだよね。

こういうことを顧慮すると、和田さんの意見には「ちょっとね」という感じになるが、全体としての姿勢には共感する。

なお、和田さんの専門の精神医学の話は少ししか出てこないが、東大医学部精神科の事情を垣間見させる箇所には引きずり込まれた。

東大精神科は大学紛争の火種となった所でもあり、もともと研究派(教室派) と治療派(臨床派、病棟派)に分裂しており、それは建物が別になっていることにも表れている。

和田さんは反権力派の病棟派に属し、しかも精神分析系だったので、東大精神科の主流から外れたのである。

これはそのまま日本の精神医学界の主流から外れたことを意味する。

ちなみに、和田さんは現在の東大精神科の教授が画像診断を専門とする研究者で、問診を軽視する傾向があり、これが教室員や日本の精神医学の主流になることを危惧している。

これには大いに共感をもった。

精神科診断における画像診断は道具ではあっても目的ではないのだ。

 


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最近買った本

2013-02-10 17:23:18 | 書評

最近買った本を列挙し、その内容と感想を簡単に述べます。

詳しいレビューはまた後でします。

(1) クリストフ・マラテール『生命起源論の科学哲学 創発か、還元的説明か』佐藤直樹訳、みすず書房。これは先月の18日に出版されたばかりの本。定価は5200円+税だが、アマゾンのマーケットプレイスで4500円でゲットした。送られてきた本は新品同様。マラテールはフランス出身の科学哲学者だが、現在カナダの大学で哲学の教授をしている。この地球上になぜ生命が誕生したかは、昔から謎とされてきた。物質の化学的進化に還元して説明できそうでできないのが生命の起源なのである。そこで定番の「創発」概念が登場するのだが、マラテールは認識論的観点から「創発」の概念を生命起源論の核心に置こうとする。その考察は緻密で精確である。しかし、私としては彼の認識論的観点に満足できない。なぜなら、認識論的な創発の概念は結局、生命の起源が「説明不能」というネガキャンペーンに終わってしまうからである。私は創発の存在論的概念を重視し、意識と生命の起源に関する積極的考察をしてきた。そして、「新奇への創造的前進」ということを、アリストテレスやシステム論を顧慮しつつ、目的因と形相因の観点から考察し、それを「創発」の概念の中核に据えてきた。その点が顧慮されていないのが不満である。

(2) 島次郎『精神を切る手術 脳に分け入る科学の歴史』岩波書店、2012年5月。この本は、ロボトミー(前頭葉白質切断術)に代表される精神外科を生命倫理の立場から批判的に考察したものである。精神外科に関する本はあまり多くないが、私は前からそれに興味をもっており、いくつかの文献を読んできた。その中でもこの本は秀逸である。ポルトガルの神経科医モニスが発案し、その後アメリカのフリーマンとワッツが精神科の治療に大規模に導入した精神外科手術は、いろいろの批判にさらされ、現在では定位脳手術が細々となされているのみである。なぜ、そうなったのかを島(ぬでしま)は精神医学と脳科学の実験的結託の功罪という観点から考察している。もともと精神外科を精神病治療の王道とみなした人たちは、精神分析や精神病理学などの心理的精神医学を「非科学的なもの」として排除し、物質還元主義の観点からロボトミーやロペクトミーを推進してきたのである。どうやら問題はここにありそうである。結局、近代科学の信奉者は、デカルト的心身二元論の哲学に翻弄されて、心理学的ないし人間学的な方法と生物学的ないし外科的方法の「両立」ということに目を開けなかったのである。この傾向は現在にまで及んでおり、薬の処方一辺倒という精神科の状態につながっている。日本においては東大精神科が精神外科を推進し、京大精神科がそれを批判した対立の構図が、この本を読むとよく分かる。後で詳しくレビューするが、とにかくおすすめの本である。

(3) 坂井克之『脳科学の真実 脳研究者は何を考えているか』河出ブックス。2009年に出た本で前から興味をもっていたが、島さんの前掲の本で援用されていたので、ついに買った。アマゾンのマーケットプレイスで新品同様を半額でゲットした。いわゆる自称脳科学者や商業主義的脳科学者が軽薄に述べる「脳と心の関係」やその謎の解明の宣伝を批判した本である。そもそも脳は外から入ってきた情報を処理し、それを統覚的自我に解釈させているだけの中継装置なのである。それゆえ、心の本質は脳を調べなくても分かるのである。換言すれば、心を生み出すとされる脳を調べて分かることは、実は脳を調べなくても分かるものなのである。脳の神経的情報処理の過程を調べることはコンピュータのハードウェアの仕組みを調べることに似ている。脳科学者は節度をわきまえて、脳と心の関係を研究すべきである、ということを教えてくれる本である。

(4) 天野篤『この道を生きる、心臓外科医ひとすじ』NHK出版新書、2013年2月10日発刊。今日発売されたばかりの本。天野先生2冊目の本である。さっき、ざっと読んだが分かりやすく面白い。どのようにして医学部に入り、卒後どの病院で研修し、なぜ心臓外科を選んだかを述べている。そして、どうして医局を経なかった自分が医学部の教授になれたかを語っている。詳しいレビューは後で書く。天野先生というと「日大医学部出身」ということがよく取り上げられ、それでも東大の教授より優秀だとか他大学の医学部の教授になっただとか言われるが、日大の医学部はそんなにレベル低くないよ。それをあえて「偏差値50からの挑戦」というキャッチフレーズにつなげているところは編集者の意図を感じる(現在の日大医学部の偏差値は65で地方国立医学部や東工大と同程度である)。そもそも天野先生は東大に80人合格者を出していた頃の浦和高校に410人中60位の入試成績で入ったのだから、地頭いいよね。とにかく、前の本より安いし、おすすめですよ。


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橘木俊詔『早稲田と慶応』

2013-01-31 09:07:19 | 書評

大学受験のシーズンになりました。

私立大学では圧倒的な力と人気をもつ二つの大学について論じた新書を紹介します。

それは、橘木俊詔著『早稲田と慶應 名門私大の栄光と影』(講談社現代新書、2008年9月初版発行、720円+税)です。

 

早稲田大学と慶應義塾大学(慶応大学)は、東大や京大などの国立最優秀大学と並ぶ私学の巨峰として広く知られている。

両校が政界、財界、官界、マスコミ、文学、芸能、スポーツ、学会に送り込んだ逸材は数知れない。

橘木(たちばなき)さんは、両大学の栄光と影、つまり長所と短所を手際よく説明している。

まず、戦前から戦後初期にかけて旧帝大などの国立優秀校に遅れをとっていた両校が、いかにして東大と京大に次ぐ地位を獲得したかを説明している。

東大と京大は別格として、他の国立優秀校(たとえば阪大、東工大)には引けを取らないどころか凌駕している、というわけである。

そして、次に両大学が伸びた理由をその創立者、つまり福澤諭吉と大隈重信の創立理念に根拠づけている。

それから、両校の個性を述べる。

慶応は慶應ボーイと三田会によって特徴づけられるスマートでセレブな大学である。

それに対して早稲田はバイタリティと一匹狼的精神と在野精神を特徴とするマンモス大学である。

こうした特徴づけは一般に知られたものだが、橘木さんの説明はよくまとまっており、また的を射た叙述が多く、概要を得るのに最適である。

早稲田と慶應はよくサラリーマン養成のエリート大学ではあっても、学問にはそれほど強くないと言われる。

たしかに学問の世界では、卒業生の率からすると東大や京大にはかなわない。

それに対して、司法試験、公認会計士試験などでは日本一クラスである。

また、大企業の社長、役員、管理職などへの進出は東大と並び、一橋と京大と阪大を凌いですらいる。

政界での活躍は周知のことである。

これは早稲田と慶應がもともと実学を重視し、私学特有の自由主義を重んじたことによる。

橘木さんはこれらの業績を認めつつも、両校が世界一流の大学の仲間入りするためには、やはり学問・研究でも超一流の業績を上げることが要求される、と主張する。

たしかに、早稲田も慶應も優れた学者を多数輩出したが、その率は実業界に比べると低い。

なお、慶應は卒業生の中からこれまで二人のノーベル賞候補を出している。

一人は英文学者で詩人の西脇順三郎(慶應文教授)、もう一人は医学部の誰か。

慶應医学部の初代学部長の北里柴三郎(東京帝大卒)のことじゃないよ。

早稲田では作家の村上春樹が近いうちに受賞するだろうね。

ちなみに、芥川賞と直木賞は早稲田がダントツで全国一受賞者を出してるよね。

 


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立花隆『天皇と東大』(Ⅰ)

2013-01-28 19:36:10 | 書評

先日、立花隆著『天皇と東大』の第Ⅰ巻(文春文庫)を買った。

東大(帝大→東京帝大→東大)の成立過程と権威主義がよくわかる。

それから、東大を慶應、早稲田、京大、一橋というライバル校と比較している点が面白い。

特に「慶應は東大より偉かった」という章が興味深い。

福澤諭吉が創始した慶應義塾は勝海舟が作った東大よりも古く、東大が最初に招いた教授は外国人以外は慶應義塾から来たのである。

今日、東大>>慶應という図式が定着しているが、これは見直すべきである。

そもそも日本は国立大学を重視しすぎている。

そして私立大学を軽蔑している。

しかし、世界に名だたるハーバード大やエール大は私立なのである。

カレッジ制をとるオックスフォード大やケンブリッジ大も私立とみなせる。

そこで、「早大の自立精神、東大の点数主義」という章が興味を引く。

そもそも早稲田大学(東京専門学校)は東大批判を信条とした実学重視の大学なのである。

また「東大経済は一橋にはかなわない」という章も面白い。

東大文学部出身の立花は前から法学部を中心として東大の在り方を批判してきた。

そもそも日本人は東大をあまりに過大評価している。

東大出身者がたいしたことないのにそのブランド力によって優遇されることは識者の間では周知のことである。

科研費などの予算もあまりに東大過多となっており、京大、慶應その他有力大学は迷惑している。

官僚と政治家のバックアップが強力で、しかも背後に天皇が控えているのでは仕方がないが、そうも言っていられない。

立花の本を読んで、ぜひ東大の権威主義を批判する観点を身に着けてほしい。

 

 

 


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最近買った本

2013-01-27 09:26:38 | 書評

最近買った本を列挙します。

(1) C・ダニエル・バトソン『利他性の人間学 実験社会心理学からの回答』新曜社、4600円。→アマゾンで3600円で買った。最初ジュンク堂で立ち読みして、タイトルをプリントして、家に帰って、速攻でアマゾンマーケットプレイスを見たら安いのが出ていた。それで注文して届いたら、新本同様!!ヒャッホー。まだよく読んでないけど、内容充実。

(2) 水木楊『東大法学部』新潮新書。→ブックオフで105円で買った。東大法学部が中身のない丸暗記のマスプロ教育をしているのがよく分かる。

(3) 田村康二『「震度7」を生き抜く 被災地医師が得た教訓』祥伝社新書。→ブックオフで105円で買った。2004年の中越地震を医師の立場から考察したもの。被災後のサバイバルに役立つと思 う。

(4) 水崎野里子『有島武郎におけるエロスと死 ホイットマンの受容をめぐって』詩画工房。定価1500円のやつをアマゾンで1350円でゲット。せこいと思うかもしれないが、新品同様のものが来たのでラッキー。最初ジュンク堂で見つけてタイトルをメモして家に帰ったんだけどね。全部で128ページの本だけど考察内容が面白い。それにしても有島ってもてたんだよなー。前の記事もよろしく。

(5) 新形信和『ひき裂かれた 思想としての志賀直哉』新曜社。定価2600円のものをアマゾンで1440円でゲット。届いたものは新品同様!! 志賀直哉は好きじゃないが、自我の問題には興味があるので買った。作者は生粋の日本文学者ではなく、哲学系の比較文化論学者で私にとっては分かりやすい。なんたってマッハやメルロ=ポンティが出てくるんだから。文学における、「自我」の問題には並々ならぬ関心があるんだよ、わたくし的には。

(6) 別冊一億人の昭和史『昭和文学史 二葉亭四迷から五木寛之まで』毎日新聞社。絶版だがアマゾンで中古本を650円でゲット。程度は並。これ高校生の時買って擦り切れるまで閲覧したものだ。青森の実家にまだおいてあると思ったが、また買った。これは貴重な写真集である。特に五木寛之の若いころの写真があってgoo。後でupします。有島や織田作のもね。

(7) 秋山庄太郎『昭和の美女』朝日文庫。→アマゾンで中古本を251円でゲット。内容は豊富だが、松坂慶子の写真が悪いのと評価があまり高くないのでダメ。とはいえやはりおもしろい。

(8) 『さくら伝説 松坂慶子写真集』バウハウス、2001年。アマゾンで中古本を980円+送料で買った。先日神保町に逝ったら、3000円から5000円で売ってた。松坂さん50歳のときの写真集で、まだ痩せてる。ちなみに、1979年の全盛期の写真集も注文中だが、まだ届いていない。こちらは2000円+送料だが、神保町では5000円から10000円で売られていた。やはり今は古書店じゃなくてネットだな。

 


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芳原信著『色彩の教科書』

2013-01-10 08:48:30 | 書評

先日、アマゾンで芳原信の『色彩の教科書 「色」のチカラと不思議』(洋泉社新書)を買った。

定価1050円だが、新品に近い中古本で440円だった。

私は色彩に並々ならぬ関心を持っている。

それは、このブログを観れば分かるであろう。

前から、東洋大学名誉教授で日本における色彩学とカラーマーケッティング学の第一人者・野村順一さんの本は愛読していたが、その野村さんの影響を受けた芳原さんの本はもちろん面白かった。

まずカラー図版とカラー写真が豊富で視覚的クオリアでひきつけてくれる。

また学術的堅苦しさがなくさがなく、気軽に読めるところがよい。

私は基本的にブルー系が好きで、自室は白とブルーを基調に配色している。

そこにアクセントとして黄色や緑や赤をはめ込むのである。

ブルーの中では地中海ブルーが特に好きだが、コバルトブルーなどもいいと思う。

前の記事にも書いたが、ブルーの周縁にある藤色、ラベンダー、ピーコック、ターコイズなども好きだ。

色彩は意識と密接に関係している。

ちなみに、色彩は網膜からだけではなく皮膚からも吸収される。

我々は目だけではなく前身で色を感じているのである。

藤あや子さんのトレードマーク「藤色」はそれを象徴している。

色彩が気分と性欲と時間・空間感覚にも影響を及ぼすことはよく知られている。

色、艶、艶やかさ、色っぽさ、粋、ダサさ、と色々なことに関係している。

色彩はまさに人生を彩る感覚質である。

それは生命の根源を示唆しさえするのである。

 


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早野透著『田中角栄』を買う

2012-12-26 17:06:32 | 書評

今日、最近出た中公新書の早野透『田中角栄 戦後日本の悲しき自画像』を買った。

まだ、ざっと目を通しただけだが、おもろしそうだし、緻密に書いてある。

そもそも最近の新書の低劣ぶりはひどいものだが、中公新書には重厚なものが多い。

この本もそうである。

田中の金権政治が自民党の政策の伝統の中でどういう位置にあるのか、ということを理解するうえで貴重な踏査・考察がなされている。

佐藤栄作、田中角栄、三木武夫、福田赳夫、中曽根康弘という路線はどう結び付くのか、ということを再考させられる内容である。

また、もっと古い岸・池田政権時代にまで遡って考察してあり、大変参考になりそうだ。

今、「田中角栄」という現象の本質を改めて抉り出す必要がある。

あるいは、端的に田中角栄の功罪を明らかにしなければならない。

そこから日本国民の自民党依存症の原因が分かると思う。


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アンディ・クラークの新著

2012-11-05 19:29:36 | 書評

アンディ・クラークの『現れる存在』が今週出版される。
たぶんBeing Thereの翻訳だと思う。
この本の中でクラークはハイデガーとメルロ=ポンティの哲学を認知科学と対話させつつ、心と脳と身体と世界の統一性を論究している。
楽しみだなー。
原書は結局読み止しだったしーorz

アマゾンのリンク
http://www.amazon.co.jp/%E7%8F%BE%E3%82%8C%E3%82%8B%E5%AD%98%E5%9C%A8%E2%80%95%E8%84%B3%E3%81%A8%E8%BA%AB%E4%BD%93%E3%81%A8%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AE%E5%86%8D%E7%B5%B1%E5%90%88-%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%82%AF/dp/4757102674/ref=wl_it_dp_o_pC_nS_nC?ie=UTF8&colid=STUUJI0OEXW6&coliid=ISASG5P4SGL54


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The Mystery of Consciousnessの概要(2)

2012-10-28 09:08:37 | 書評

The Mystery of Consciousnessの概要の後半です。

第4章では物理学者ロジャー・ペンローズの『心の影 ― 失われた意識の科学を求めて』が取上げられ、彼の意識の量子脳理論とそれに強い影響を与えたゲーデルの不完全性定理が批判的に吟味される。
第5章では哲学上のライバルたるダニエル・デネットの『解明される意識』が取上げられ、その消去的機能主義の思想が意識の存在そのものを否定するものとして激しく批判される。さすがにライバルに対する意見として、ここでのサールの論調には熱が入っており、過激ですらある。付録として、書評に対するデネットの反応が載せられ、さらにそれに対するサールの応答が続く。
第6章では気鋭の後輩哲学者デイヴィッド・チャルマーズの『意識する心 ― 根本的理論の探究』が取上げられ、その奇妙な立論が容赦なく解体される。サールによると、チャルマーズは性質二元論と機能主義という本来相容れない対場を一つの傘の下に収めるという暴挙を犯しており、これが諸々の矛盾を生み出している、とされる。また、形而上学的「情報」の概念に訴える姿勢も無益だと断定される。付録として、書評に対するチャルマーズの反応が載せられ、それに対するサールの応答が加わっている。ここでのチャルマーズの反論は強力である。
第7章では神経学者イスラエル・ローゼンフィールドの『意識の解剖学』が取上げられ、その臨床的な意識理解における身体性への言及が高く評価される。この章は極めて短いが、唯一肯定的な書評となっている。意識の核心に身体イメージがある、という考え方にサールは強い興味を示しているのである。
自分の意見を表明した第1章では、意識はあくまで生物学的生命現象の一つであって、コンピュータによるシミュレーションによっては、その意味論的内容とクオリア的構成は捉えることができないと主張される。また、意識は脳の神経活動に基づくにしても、創発的現象なので、神経科学的に還元して捉えることはできない、とも言われる。最終章では、こうした主張が、書評で取上げられた諸思想と絡められて、意識の神秘を合理的問題に置き換える方法が手際よく論じられている。意識はたしかに謎めいており、客観主義的科学の限界を超えているように思われるが、そこから神秘主義的方向に逸脱してはならないし、安易な還元主義(唯物論)に落着してもならない、というのがサールの眼目である。


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The Mystery of Consciousnessの概要(1)

2012-10-27 09:06:25 | 書評

The Mystery of Consciousnessの概要の前半です。

『意識の神秘』の概要

 本書は現代アメリカ哲学の第一人者ジョン・サールが、1995年から1997年にかけてThe New York Review of Booksという雑誌に載せた書評を編集してできたものである。
 周知のようにサールは言語哲学と心の哲学を専攻するアメリカ哲学界の重鎮で、その著書は我が国でも数冊翻訳出版されている。彼の思想は英米系の哲学では最も日本人に親しみやすい部類のものと言える。
 サールが得意とするのは心身問題、特に最近の脳科学の成果を踏まえた心脳問題である。彼は自分の立場を「生物学的自然主義」と称し、この立場から還元的唯物論と心身二元論の双方を徹底的に批判している。また、人間の社会的言語行為から生じる心の意味論的次元を重視し、その観点から強い人工知能(strong AI)の可能性を完全否定していることでも有名である。
 『意識の神秘』は八つの章からなるが、第1章と最終章で自分の思想を述べている以外は、すべて書評にあてられている。この本の狙いは、近年興隆してきた意識の科学の基礎を心脳問題の観点から吟味することにある。そこで、数人の学者の思想が生物学的自然主義の立場から糾弾されることになる。
まず、第2章ではフランシス・クリックの『驚異の仮説 ― 魂の科学的探究』が取上げられ、その神経還元主義の立場が批判される。これによって、脳の高次の創発特性としての質的意識が、神経科学的研究によっては十分解明できないことが示される。
 第3章では生物学者ジェラルド・エーデルマンの『明るき気、輝ける火 ― 心の問題について』と『想起された現在』が取上げられ、その神経ダーウィニズムと再入力地図の思想が吟味される。エーデルマンによると、人間の脳は環境からの情報入力をカテゴリー化能力によって神経回路網にマッピングするのだが、これでもやはり意識の主観的特質(クオリア)と意味論的心の本質は理解できない、と糾弾される。


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