昨日、大宮公園に行って満開の桜を撮ってきた。
第一公園は花見客でごった返し、好きではないので、いつものように第二公園に行った。
ここは出店がなく、人出も少ないので、自然感にあふれ、最高である。
ご覧のように、青空は澄み渡り、桜の白っぽいピンクとのコントラストが素晴らしかった。
ここはおそらく第一公園を抜いて、埼玉県一の桜の名所だな。
昨日、大宮公園に行って満開の桜を撮ってきた。
第一公園は花見客でごった返し、好きではないので、いつものように第二公園に行った。
ここは出店がなく、人出も少ないので、自然感にあふれ、最高である。
ご覧のように、青空は澄み渡り、桜の白っぽいピンクとのコントラストが素晴らしかった。
ここはおそらく第一公園を抜いて、埼玉県一の桜の名所だな。
今まだ起きているが、意識(気分)は落ち着いている。
丑三つ時に近づいた今の時間に不安がない、落ち着いた気分でいるのは、いつかも書いたが格別である。
実は夕方ビールを飲んで2~3時間ソファーで寝た後に、いつものようにネットサーフィンしているうちにこういう気分になったのだ。
この気分を楽しむために私はときどき晩酌後の仮眠をやる。
まぁ、晩酌というほど大げさなものではないが、とにかくそうする。
こういう事情で今こうなのだが、ある言葉が頭に浮かんできた。
「不安の無の明るい夜」という言葉である。
これはハイデガーの『形而上学とは何か』という作品にたしか出てくる言葉で、故川原栄峰さんが『ハイデッガーの思惟』のなかで玩味していたものである。
ドイツ語の原語は忘れたが、「不安の無の明るい夜」というのは単純に「不安の無い明るい夜」なんじゃないのか、と思ってしまう。
でも「不安の無の明るい夜」のほうが趣が深く感じる。
だから、こっちのほうでいい。