世界一のアクションスター・故ブルース・リー
『燃えよドラゴン』『死亡遊戯』などで有名なブルース・リー(李小龍、1940-1973)は、意外なことに大学で哲学を専攻していた。 出身大学はワシントン大学哲学科で、卒後武術の指導の傍ら高校で哲学の講師をしていた。 彼の哲学は彼が創出したジークンドーという武術と不可分のもので、東洋的「無」の概念に根をもっていた。 万物を包み込む「無」は、身体の自然を介して武術へと湧出し、自己へと還ってくるのである
世界一のアクションスター・故ブルース・リー
『燃えよドラゴン』『死亡遊戯』などで有名なブルース・リー(李小龍、1940-1973)は、意外なことに大学で哲学を専攻していた。 出身大学はワシントン大学哲学科で、卒後武術の指導の傍ら高校で哲学の講師をしていた。 彼の哲学は彼が創出したジークンドーという武術と不可分のもので、東洋的「無」の概念に根をもっていた。 万物を包み込む「無」は、身体の自然を介して武術へと湧出し、自己へと還ってくるのである
前に何度か取り上げた沖雅也を再び掲載します。
拳銃を構えた全身像は貴重です。
刑事ドラマ『太陽にほえろ』の一場面だと思います。
言うまでもなくスコッチ刑事役です。
彼が31歳で亡くなったのは1983年です。
その後多くのイケメン俳優が世に出ましたが、沖の独特の雰囲気と格好よさに適う人はいないように思われます。
それはこの画像を見れば一目瞭然でしょう。
2020年の8月10日、漢の中の漢、渡哲也が亡くなった。
彼は日本を代表するワイルド派のイケメンであった。
特に『西部警察』での大門部長刑事の役は圧巻であった。
そのサングラスでショットガンを構えた姿は世界一格好よかった。
もうこれ以上の俳優は日本には出ないであろう。
ハリウッドなど外国を見渡しても指折りの迫力あるイケメンであった。
おそろしく決まっている。
刑事というよりはプロの殺し屋である。
渡哲也よ、永遠なれ!!
1969年の夏の甲子園大会の決勝戦は史上初の延長18回引き分けで再試合になった。
このときの対戦校は愛媛県の松山商業と青森県の三沢高校であった。
青森県の高校が甲子園の決勝に残ったのは初めてであり、話題となっていた。
しかし、それだけではない。
三沢高校の投手はこの大会の一回戦から女性ファンの人気を独り占めし、日本中の注目を集めていたのだ。
その投手とは、米軍基地の街・三沢市に生まれ育った、ロシア人の母と日本人の父をもつハーフ太田幸司である。
もちろん超イケメン、というより色白の美少年であった。
ハーフではなく、アメリカ人夫婦の捨て子であるという俗説もあるが、それはどうでもよい。
とにかく、太田幸司投手は、女性ファンを虜にした「甲子園のアイドル」の最初の男なのである。
つまり、元祖甲子園のアイドルである。
その後、数多くの甲子園のアイドルが生まれた。
最近ではダルビッシュや斎藤祐樹が思い浮かぶであろう。
遡れば、荒木大輔とかいっぱいいるが、どれも太田に比べるとワンランク落ちる。
ハーフないし白人なのだから当然だとも言えるが、太田はダルビッシュに比べても美男子(古い表現をあえて使う)ぶりが上であった。
最初の甲子園のアイドルが他を3馬身引き離して、ダントツかっこよかったのである。
私は当時小学5年生だったが、太田が投げきった決勝戦を4時間近く、固唾をのんで観続けた。
そして彼に惚れこんだ。
彼のこと、というより決勝戦を独りで投げきった彼の雄姿を一生忘れない。
前述の決勝戦における太田の力強いダイナミックな投球フォーム。
本当にダルビッシュなんか相手にならないくらい格好よかった。
元祖・甲子園のアイドル太田幸司(1952年、青森県三沢市生まれ、青森県立三沢高校卒)は、甲子園で準優勝したのちにドラフト1位で近鉄バッファローズに入団した。
プロでは人気が先行して実績はいまいちだったが、それでも一級の成績だったとは言える。
二桁勝利を約4回しているのだから。
1974年 10勝14敗
1975年 12勝12敗
1976年 9勝7敗
1977年 10勝14敗
近鉄時代は13年間で通算58勝85敗であったが、75年の成績は立派で二番目のエースとして活躍した。
すくなくても斎藤佑樹よりははるかに立派な通算成績であろう。
十分、一流選手であった。
とにかく太田はイケメンであり、一説によると日本野球史上一番らしい。
まぁ、ハーフないし純粋の白人なのだから、仕方がないが、白人だってブサメンはいっぱいいるしね。
その太田の画像をまた数点載せます。
上下の画像を見ると、純粋の白人のイケメンに見える。
下は左が太田。言うまでもないけど。
太田の決勝戦における投球姿。
きれいなフォームでした。
当時は剛速球と言われたが、トップレベルのものではなく、140km/hぐらいだったと思われる。
しかし、白人の血が入っているためスタミナはすごかった。
準決勝から9回+18回+9回を連日一人で投げ抜いたのだ。
『白い巨塔』の主役・戝前五郎はやはり田宮二郎だな。
唐沢寿明も頑張ったけど、田宮の足元にも及ばない。
唐沢も彼なりにいい味出してたけど、究極のはまり役だった田宮には、どうやったって適わない。
また基本的イケメン度でも田宮>>>唐沢だからね。
これ田宮二郎=戝前五郎
去年取り上げたイケメン格闘家ミルコ・クロコップを再び掲載します。
クロコップとはクロアチアの警官(コップ)と言う意味なのはみんな知ってます。
テコンドー→ボクシング→キックボクシング(K-1)→総合格闘技(PRIDE→UFC)→再びK-1(悲願の初優勝)と遍歴した彼は、
もともとクロアチアの警察官であり、テロ対策特殊部隊に属し格闘技の教官を兼ねていました。
また、格闘技によって世界的名声を得たことによる祖国への功績から一時クロアチアの国会議員を務めていました。
そんな彼を印象付ける画像を数点upしましょう。
まず、特殊部隊のころのレアな写真。
次に、格闘家になってからのイメージ画像。
次に、格闘家兼クロアチア国会議員として来日したとき、小泉元首相との対談の一場面。
ユーモラスです。
次に、試合の画像を二点。
まず、宿敵バンダイレイ・シウバと2002年に初対決した際、左ハイキックを繰り出したときの写真。
このとき、ミルコはまだ総合格闘技の試合に慣れておらず、思わぬ苦戦を強いられました。
結果はドローでしたが、シウバの優位を主張する評価が多かったようです。
しかし、真の実力差は2006年の再試合で明らかとなりました。
もちろん、ミルコ>>>シウバです。
それはさておき、ミルコvs.シウバはあらゆる格闘技の試合の中でもっともスリリングで面白い、という人がかなりいます。
試合前のにらみ合いもすごいです。
二枚目の写真は、ミルコが余興にプロレスに試合に出て、投げをはなったときのものです。
こういう息抜きの試合でも、彼の身体能力の高さはいかんなく発揮されます。
ミルコの左ハイキックが決まった瞬間
これはプロレスラー永田裕志に対して決まったもの。わずか21秒で失神KO!!
これは金原弘光に対して決まったハイキック。KOには至らず。
体調が悪いにもかかわらずマーク・ハントにくりだした左ハイキック。
PRIDEグランプリ準決勝で宿敵バンダレイ・シウバにくらわした渾身の左ハイキック。
これによってシウバはぴくぴくと痙攣しながら失神。ものすごいシーンであった。
これはすごい!! すごすぎる!!!
身長218㎝、体重160㎏のチェ・ホンマンにくらわした左ハイキック。
アナウンサーが「218㎝のホンマンにも届くんですね!!」と唸っていた。
ミルコの左ハイキックは、彼のイケメンぶりと相まって、まさに芸術的である!!
イケメン格闘家は何人か思い浮かぶが、そのうち際立っているのはミルコ・クロコップ(Mirco Filiporic,1974~)だ。
ミルコはクロアチアのキックボクサーにして総合格闘家。元警察官(クロコップというリング名はクロアチアのコップ[警察官]という意味)、元クロアチア国会議員でもある。
身長188㎝、体重100-104㎏
ブルース・リーにあこがれ、テコンドー、空手、アマチュア・ボクシング、キックボクシングと遍歴する。
K-1で活躍後、PRIDEのリングに上り大活躍しスターにのし上がる。
2006年のPRIDE無差別級グランプリでは自己の誕生日に優勝。
その後UFCに移籍するも不振に終わり、一時引退をほのめかしたが、またK-1と総合格闘技に復帰。
大みそかのイノキ・ボンバイエに出場予定。
得意技は伝家の宝刀・左ハイキック!!
その画像を次にupする。
昨日、電車に乗ってたら竹野内豊の缶コーヒーのポスターが目に入ってきた。
ポスターのデザインがよかったせいもあると思うが、かなりのイケメン度に圧倒された。
竹野内は1971年東京都生まれの人気俳優。
現在、日本屈指のイケメン俳優である。
髭があったほうがイケメン度が増すように思われる。
先週引退を表明したプロサッカー選手デビッド・ベッカムは2006年に自分が強迫性障害であることを告白している。
強迫性障害とは、かつて強迫神経症と呼ばれていたもので、強迫観念に囚われて意識と行動が著しく制約される精神障害である。
精神障害と言っても、神経症圏の軽症のものなので、本人が告白しないと周りは分からないことが多い。
長嶋一茂もうつを伴う強迫性障害であることを告白しているが、芸能人やタレント他有名人にこれに罹っている人はけっこう多い。
それではベッカムは具体的にどういう症状に悩まされているのだろうか。
まず、ベッカム選手の証言。
「冷蔵庫にペプシコーラの缶を入れるとき、一つ多すぎるとしたら、 その缶を戸棚にしまわないと気がすまないんだ」。
「ホテルについても、部屋においてあるリーフレットや雑誌を 全部引き出しの中にしまわないとリラックスできないんだ」。
「すべてがパーフェクトじゃないと、ダメなんだ」。
次に奥さんのヴィクトリアの証言。
「飲み物用の冷蔵庫の中身は完璧に左右対称に物が並んでいて、 もし何かが3つあれば、夫はそのうちの一つを冷蔵庫から出してしまうのよ」。
「偶数でないと嫌なの」。
これはまだ軽い方である。
ひどくなると不潔恐怖の強迫観念から何時間も手を洗い続けたりする。
そうなると薬物療法や認知行動療法では無理で、脳の手術が必要になるのだ。
この病気をなめてはならない。
精神力で治るようなものではないのだ。
このように一見健康そのもので明るいイケメンの彼にもそういう裏の側面があっのだ。
前に紹介したアラン・ドロンを再び取り上げます。
彼はフランス生まれの男優で20世紀最高のイケメンと全世界で認められています。
フランスには美男美女が多いが、その中でも傑出していたのです。
彼はハンサム、美男子、イケメンを語るとき必ず参照されるべき偉大なサンプルなのです。
では、そのイケメンぶりを見てみましょう。
まず、一番若いころの写真。
なんというか、雰囲気もいいですね。
ナチュラルにイケメンですね。
次にネクタイ、スーツ姿の画像。
なんか典雅ですね。
「顔がよすぎる」とまで言われたイケメンは彼だけです。
こういう帽子を被るとまた別の魅力が出ますね。
最後にワイルドな彼の画像。
「ル・ジタン」というアクション映画の一場面です。
髭も似合うし、ピストルも似合いますね。
結局、現在まで彼を上回るイケメン、ハンサムは出てません。
彼以前を探してもいないかも。
とすると、アラン・ドロンって人類最高のイケメンなのか ?
答えは風の中・・・・・・