今日は哲学と精神医学の関係について話す。
両者は精神の苦悩と人生の意味を意識と脳の関係に照らして解明し、癒し、病気にまで発展したら治療する、という点で共通している。
もちろん、哲学は直接診断と治療にはかかわらないが、精神科医が治療する際に哲学的観点をもっていると有益になる。
ある学生が自殺したいと悩んでいたとしよう。
だいたい友人や親や先生に相談する。
学生相談室に行くことも多い。
しかし、精神科に行くことを勧められても、気後れして行きたがらない。
最初から自主的に行こうとする者は、前に行ったことがある人か医学的知識、特に精神医学的知識があり、それを正確に理解している人である。
まず「精神科」という言葉が気にかかる。
自分の精神と人格が歪んでいるから、そこに行って道徳的に矯正されるのか、それとも薬漬けにされるのか、という疑念がわいてくる。
そこで紹介者は「精神科」ではなくて「心療内科」と言う。
実際、現代の街中の開業医は「精神科」ではなく「心療内科」という看板を掲げている。
内実は精神科でも、敬遠されるので心療内科とするのである。
また大きく心療内科と書き、その後に小さく神経科、精神科と付け加えている看板もある。
とにかく、精神科は敬遠されやすい。
また、うさん臭いものに思われやすい。
精神科領域の病気、つまり精神疾患は非常に多種多様であり、テキストに書いているように心因・内因・外因に分かれる。
このうち心因と外因は分かりやすい。
それに対して内因は分かりにくい。
しかし、この内因性の精神疾患こそ精神病の中核であり、王道なのだ。
具体的には統合失調症と双極性気分障害である。
前者はかつて精神分裂病と呼ばれ、後者は躁鬱病と呼ばれていた。
これらの患者には病識がないことが多く、患者は「自分は病気や異常ではない。異常なのはあなたの方だ」と断固主張し、精神科に行かない。
しかし、症状が身体におよび、つらくなってくると、仕方なくいくことになる。
ただし、ほとんどの場合は、半ば強制的に周囲の者が彼らを病院に連れて行くのである。
警察が関与することすらある。
私はかつてある父親から相談を受けたことがある。
それは「息子が精神病のように見えるが、本人はそれを認めないし、精神科に絶対行こうとしない。どう説得したらよいか分からない。
河村先生に説得してもらいたい」というものであった。
私は父親と二十代の息子と三者で会談し、説得に当たった。
そのときのことである。
私が「君はなぜ精神科に行きたがらないのかね」と訊くと、彼は「精神は非物理的なものであり、医学の治療対象にするのはカテゴリーミステイクだからだ」と言った。
鴨葱である。
説得しがいがある。
面白い、と私は乗り気になった。
そして開口一番に言った。
「君、精神もやはり物理的なものなんだよ」と。
息子は虚を突かれたような顔になり、「そんな考え方がありえるんですか」という表情になった。
つまり、直接そのように言わなかったが、あきらかなそう思っているように見えた。
それから、手を変え品を変え説得に当たったが、ついに成功しなかった。
しかし、彼の記憶には残るようにした。
まだ急いで病院に行く段階ではないし、今日はこれぐらいにしておこうと思って、そのまま帰した。
彼には幻聴と追跡妄想と注察妄想があった。
アパートに盗聴器が隠されている、と訴えていた。
誰かが僕を付け狙っている、監視している、と言っていた。
もちろん、彼にとってそれは事実であり、妄想とか幻覚などと言うと怒るのである。
しか、そのときはまだ不眠、パニック的混乱、頭痛、倒れそうな衰弱感、自分の行動を制御できないような混乱といった身体に連なる症状はなかった。
しかし、その後、不眠と脳内の不安パニックで頭が破裂しそうになり、身体の衰弱は著しくなった。
独り暮らしの夜に目の前で上の部屋の家族がうるさく対話し、一晩中いなくならない。
もう、精神よりも身体が破裂しそうである。
この段階でだいたい精神病自己否認の精神病者は観念して、精神科に行くのである。
実際、彼は行った。
親や兄弟と同伴で。
医者も同伴で来てほしいと言うし。
それならまだよい。
突然暴れたり、自殺未遂したりして警察や救急車の世話になることも多々ある。
この例から精神病と心脳問題の関係の考察の意義は分かったであろうか。
キーワードは「精神って非物理的なものだから精神科には行かない」である。
とろこでアルツハイマー病はかつて老人の精神的苦悩(よくて呆け)と思われ、梅毒による進行麻痺は心理的原因で起こる、と信じられていたのである。
また、逆にがんセンターは精神腫瘍科を設置して、患者の心のケアに当たっている。
心身二元論を超克するということは、精神を物質に還元することではなく、心と身体、精神と物質の一体二重性に気づかせ、両方を重視する姿勢を身に着ける、ということなのである。
哲学と精神医学の対話の意味はそこにある。
人は身体に起こった病気や苦痛はどうにもならないが、精神ないし心は自分の自由になると思ってしまう。
しかし、身体から切り離された心、物質とは独立の精神といったものなど存在しないのである。
パーキンソン病の患者の使う薬は副作用として幻聴と幻視と被害妄想を引き起こす。
これは統合失調症と同様の症状である。
どちらもドーパミンという神経伝達物質が過剰になり、脳のセルフモニタリング機能が破綻しているのである。
また、慢性覚醒剤中毒でもよく似た症状が現れる。
息子の精神症状は過剰なドーパミンの放出を制止する抗精神病薬によって一気に消え去った。
医師は「この薬を使って反応をみるからね」と言って、その後、統合失調症と確定診断した。
ちなみに、私は最初の面談ですでに統合失調症と確信していた。
ただし、ドーパミンの過剰伝達が統合失調症の原因ではないことはおぼえておけ。
脳のセルフモニタリング機能の破綻を引き起こす自我システムの障害であり、ドーパミンの過剰はその指標なのである。
以上のことを銘記して、テキストの当該の箇所を再び読んでほしい。
君たちも気を付けてほしいにゃ、にゃ