心と神経の哲学/あるいは/脳と精神の哲学

心の哲学と美学、その他なんでもあり

哲学Aの試験とレポートの提出数

2020-07-31 09:16:30 | 日記

春学期の哲学A1では二回の試験と二回のレポートを課しました。

それぞれの答案提出数は次の通りです。

 

中間試験 225人

第一回目のレポート  223人

第二回目のレポート 184人

期末試験 230人

 

履修登録者数290人でこの数だと、例年より多めです。

率にすると78%以上の学生が提出しており、例年の平均73%を上回ります。

 

第二回目のレポートは必須ではなかったのに、けっこう多くの学生が提出していて驚きました。

点数は毎年甘めなので、心配しないように。

ただし、提出数が二回以下の人は厳しいよ。

 


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哲学A1文章講義(第29回)

2020-07-26 09:59:25 | 哲学

最後の章に入る。

第9章は「新たな哲学の創発」を論じている。

これはこの本のタイトルそのものである。

 

構成は次の通り。

 

はじめに

1 「新たな哲学の創発」という場合の「創発」とは何を意味するのか

2 人類の未来における危機的状況

3 「超-哲学」はどのような意味で「超」なのか

4 脳科学と生命科学と超-哲学

5 informationと宇宙論と超-哲学

6 筆者の内部における新たな哲学の創発

 

締めくくりにふさわしい内容である。

本書で論じてきたことを総括しつつ、人類の未来を見据えて新たな哲学の創発、いや超-哲学の創発を構築しようとしている。

その構想を述べている。

 

この中で特に興味深いのは第2節の「人類の未来における危機的状況」であろう。

 

この章の原稿を書いていたのは一昨年の秋である。

それから一年半して、全世界がこんなことになるなんて。

私は予言者か、と思ってしまう。

 

しかし、私がこういうことを言い始めたのは一昨年からではなく、2011年の4月以降である。

つまり、あの3.11以降である。

 

私が想定していたのは大地震などの自然災害と放射線汚染などの人災であり、感染症に関しては視野になかった。

医学界では数十年前から「人類は感染症を既に克服した。これからはガンと心臓病の時代だ」と言われていた。

たしかに、人類にとって脅威の感染症は新たにいくつか生まれたが、それほど騒ぎにはならなかった。

しかし、今回の新型コロナウイルス蔓延は違う。

軽症なようで、不気味に広がり、経済を侵食していく。

第一波が収まったと安心していたら、より大規模な第二波がやってきた。

コロナウイルスは紫外線と高温多湿に弱いから、夏には収束するだろうという期待は、脆くも崩れ去った。

人類は滅亡への道を着実に歩んでいる、と言っても過言ではない。

 

大学は首都圏を中心として全国的にオンライン授業となっている。

春学期で終わると思ったら、秋学期もほぼ決定である。

孤独に強いオタクにとっては天国だろうが、リア充にとっては地獄である。

一日中PCに向ってオンライン授業を観たり、課題に取り組む。

友達に会うこともできないし、新入生は友達すらできない。

 

私はこういうのは慣れているが、社交好きの人にとってはたまらない。

鬱になりやすい。

しかし、ここは我慢して勉強しよう。

特に哲学を勉強しよう。

 

哲学を勉強するとは、個々の哲学者の思想を理解することではなくて、哲学的に物事を考えていく姿勢を身に着ける、ということである。

本書はそれを狙って書かれている。

特に、第1章とこの最終章はそうである。

 

君たちは、百年前に全世界で蔓延した「スペイン風邪」を知っているか。

それと日本で1993年から2003年にかけて大学を卒業した人たちが襲われた「就職氷河期」を知っているか。

また、中世のヨーロッパの全人口の三分の一を死に至らしめたペストの大流行を知っているか。

 

人類は本当に大危機に直面してしまった。

地球温暖化などというゆっくりしたものではなくて、急速に進む感染症による経済の崩壊によって大量の人が死に至る可能性があるのだ。

 

我々は全体としても個人としても「いったい何のために生きているのか」ということを改めて考えなければならない。

そのためには文科・理科全科目の知識を総動員して哲学的に本質を突きとめなければならないのである。

自然と社会と人間。

この三次元を統合する生態学的哲学が必要となるのだ。

 

あと、これから半月、二か月後、さらには次の冬にどういう事態になっているかは、予想できないが、1→2→3という増え方ではなく、2→4→16→256と二乗倍の累進になる可能性がある。

そこまで行かなくても、東京オリンピックは中止、大学は来年いっぱいオンライン授業ということもありうる。

 

ところで、私はこれにお構いなしに、研究と執筆を続ける予定で、やることがかえって増えた。

次の著書に関しては出版社からの紙の本ではなくて、Kindle出版の電子書籍を書きまくろうと思っている。

君たちは知らないかもしれないが、紙の本の出版は思いの外難しく、私がこれまで11冊も出せたのは奇跡に近い。

知人のほとんどは本を出す前に出版社から門前払いを食らい、一生に一冊か二冊出せば神である。

じゃ、みんなKindleで出せばいいじゃないか、と思うかもしれないが、実は原稿が書きあがらないのである。

本になる分量のものが書けないのである。

人によっては多作になり、本屋に山積みになっているが、どれも出版社に媚びを売って出した商業主義の駄作である。

 

まぁ、そんな話はあまり興味はないと思うので、とにかく自分たちが置かれた社会的情勢と大学生活についてしっかり自覚してほしい。

この数年を乗り越えれば、明るい未来が開けてくるであろう。

と思いたい。

 

人生はにゃんとかなる

 

 


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答案提出第一号

2020-07-25 10:18:06 | 日記

期末試験の答案提出者第一号が出ました。

さっそくSをつけておきました。

みんなもがんばれ。

 

にゃ


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期末試験の入力時間

2020-07-24 19:43:59 | 日記

哲学A1の期末試験は予定通り25日に実施するが、レポート欄でのオンライン入力時間を変更する。

前は25日の16:00から入力可能と設定していたが、それを朝からに変更する。

多分8:00~9:00開始になると思う。

そして、正規の提出期限は当日の23:50で変わりはない。

期限後の受付は30日までで、遅いほど減点される。

なるべく90分以内に入力して提出してほしいが、コロナも拡大してきたし、大目に見る。

 

                    

                      よかったにゃ


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哲学A1文章講義(第28回)

2020-07-23 10:53:50 | 哲学

タレントの三浦春馬さんが自殺した。

まだ30歳の若さだった。

「人には逃れられないものがある」と生前意味深長なことを漏らしていたという。

 

自殺した人の経歴と性格を見ると、この人は最初からいつか自殺する運命にあったんだろうな、と思える節がある。

自殺に精神的ストレスや苦悩が関わっていることはよく知られているが、同じストレスや苦悩や苦痛にさらされても、それを乗り越える人と負けてしまう人がいる。

それは、うつを推進する神経遺伝子の構成に強弱があるからであり、精神力の強弱というのは、その表層部分である。

 

また、よくうつ病になると自殺する率が25倍になる、と言われるが、これは眉唾物である。

私の知ってるうつ病患者や精神科的統計からしても、25倍もない。

なぜ、これほど高く出るかというと、それは「自殺した人は何らかの形でうつ状態にあった」という後出しジャンケン的視点があるからだ。

うつ病というレッテルを貼らずに、生物・心理・社会の各次元から多元的に見ていく必要がある。

 

自殺は哲学的にも重要な問題であり、人生の意味や生命の尊厳や死生観に関わる道徳的思考案件である。

しかし、それだけではない。

心身問題や生命哲学や神経哲学(脳科学と精神医学の基礎論)にも関わる理系的哲学の真骨頂が問われる思考案件でもある。

 

自殺の是非は哲学、倫理学、精神医学、法律学、教育学、生物学、社会学といった多方面から多角的に分析されるべき複雑系の現象である。

一般に自殺は是非とも食い止められるべきもの、あるいは敗北とみなされるが、私は必ずしもそうだとは思わない。

安楽死が法律的に認められている国があるように、自殺も安楽死の一部として認めてよいと思う。

ある人がヤフーの知恵袋で「私は自殺者が必ず地獄に落ちるという宗教の教義を絶対認めない」と言っていたが、私はこれに全面的に賛成する。

 

卑怯者や偽善者は自殺しない。

自殺する者の中には崇高な精神のもち主が結構いる。

前者が小保方春子であり、後者が笹井芳樹である。

 

私は三島由紀夫が好きである。

その三島が、1964年の東京オリンピック・マラソンの銅メダリスト円谷幸吉の自殺を賛美している。

円谷は、真面目過ぎる性格で知られる自衛官であり、国民の期待を一身に背負いながら、腰と脚を壊し、次回のオリンピック出場が絶望的になっていたのである。

 

東京オリンピックのマラソンで2位で国立競技場に入ってきた円谷。

しかし、そのあと後ろのイギリス選手に抜かれ、3位に終わる。

ラスト200メートルでの出来事だった。

 

円谷の遺書は有名である。

それは次のようなものであり、彼を讃えた歌までできている。

https://www.youtube.com/watch?v=TYWruGl8CoU

 

素晴らしい人だにゃ


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哲学A1文章講義(第27回)

2020-07-23 08:26:14 | 哲学

普通、うつ病は心の病ないし精神疾患と考えられている。

抑鬱、憂欝、不眠、いらいら、焦燥感、意欲喪失、希死念慮、厭世観、倦怠感、自殺願望、自殺未遂・・・・等々。

どれも精神症状である。

うつ病はこれらの精神症状の集積体と思われている。

 

たしかにそうだが、うつ病には思いの外、身体症状が多いのである。

そもそも先に挙げた精神症状のうちで不眠と倦怠感は半ば身体症状であろう。

それはともかく、うつ病は自律神経失調症を伴うことが非常に多く、ほぼ前例に多かれ少なかれ見られる。

逆に身体症状だけが前面に出て、精神症状が目ただない症例もある。

これを「仮面うつ病」という。

 

うつ病の身体症状としては、不眠、食欲不振、吐き気、嘔吐、便秘、頭痛、腰痛、めまい、強烈な倦怠感、ほてり、冷え、蕁麻疹・・・等々がある。

これらはみな自律神経失調を基盤とするものであり、生命力そのものの減退を表している。

 

ある調理人は半年も原因不明のめまいに悩まされ、耳鼻咽喉科や神経内科を転々としても原因不明で、ついに精神科でうつ病の症状であることが判明した。

また、ある人は30年間も原因不明の全身の慢性疼痛と痺れに悩まされていたが、ついに精神科の名医によって「脳の代謝障害としてのうつ病」が原因と診断され、

抗うつ薬の的確な処方によって治った。

この例は生命科学者の柳澤桂子であり、テキストに出てくる。

そして、名医とは大塚明彦である。

 

柳澤は30歳のとき、難病にかかり、周期的嘔吐と全身の疼痛に悩まされてきた。

そのどちらも脳の機能障害によるものだったのである。

しかし、柳澤が受診した多数の身体科と精神科のどれも「あなたは仮病」というようなことを言うのみであった。

身体科からは精神科に行けと言われ、精神科では身体科に行け、とか単なるわがままとか言われて、追い返される。

心身二元論の弊害である。

 

うつ病は基本的に生理的病気であり、脳と身体の病気なのである。

そして、心とは身体と脳を統合する「いのち」である。

うつ病ではこの「いのち」が障害され、様々の心身の症状が現れるのである。

 

うつ病を単なる落ち込みと捉えてはならない。

うつ病の表現としての慢性疼痛に対して、ひたすら神経ブロック注射を打ち続けたペインクリニックの医師がいたという。

この医師は「心因性疼痛」や「脳の誤作動としての慢性疼痛」という概念を頑として認めようとせず、あくまで身体と物質の一元論的観点から麻酔薬的治療に徹したのである。

その結果、患者は副作用で神経麻痺を起こし、疼痛は激痛に変わってしまった。

 

このように精神の存在を認めない唯物論的医師も困ったものだが、うつ病を脳の代謝異常とみなすことができない精神主義者も困ったものである。

君たちの中にもそういう人いないか。

うつ病は単なる甘えてあり、心因性の激痛などありえない、と思ってないか。

30年も続く心因性(=脳の代謝異常)の慢性疼痛などありえない、と思ってないか。

 

がり、がり、がり、にゃ


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私は存在しない

2020-07-21 22:15:57 | 日記

私は存在しない。

私のすべては他人の言葉で出来ている。

 


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哲学A1文章講義(第26回)

2020-07-21 08:38:25 | 哲学

「腰痛は心の叫び」という言葉がある。

また『心はなぜ腰痛を選ぶのか』という書物もある。

腰痛は成人の国民病と言えるほど、その頻度は高い。

 

多くの人は腰痛に悩ませると、まず整形外科か整骨院か整体に行く。

あきらかに病気が疑われる場合、整形外科に直行するが、慢性の自分独自の腰痛の場合、整体や鍼灸院に行く。

それで改善する人もいるが、多くは治らない。

ある人は整形外科を受診して「座骨神経痛ですね。治りません。死ぬまで気長に付き合っていってください」と言われたという。

 

そもそも腰痛の原因は多くが不明であり、明からな腰椎のヘルニアなどを除くと、否それを含めても、脊髄や脊椎や腰回りの骨や筋肉の損傷によるものとは言えないのである。

無理やり腰椎ヘルニアと診断し、手術しても治らない場合が多い。

で、結局患者は一生腰痛と付き合わざるを得ないのである。

まぁ、鎮痛剤や湿布や理学療法や神経ブロック注射やマッサージによって痛みが緩和されることはあるが、完治はしない。

それどころか、少しもよくならなかったり、かえって悪化することもある。

 

テキストに登場する作家・夏樹静子はその典型である。

彼女は主婦と人気作家を兼務するハードスケジュールの毎日を送るうちに、ある日腰痛に襲われ始め、それは四年間続いた。

ときに激痛になることもあり、緩急を繰り返しながら、四年間昼夜を問わず腰痛が続いたのである。

 

彼女はまず定番の整形外科を受診する。

様々な検査と問診を受けるが、どこにも異常が見いだせない。

そこで、つぎの整形外科を受診する。

そこでも同様に異常なし、気のせいとされる。

これを何度も繰り返し、遠方の病院に出向いたりもする。

しかし、どこでもレントゲン、CT、MRIの検査の結果は異状なし、血液検査などの生化学的検査でも異常なしである。

 

「気のせい」と言い切る医者とともに、彼女の腰痛は心因性のものではないのか、と疑い、彼女に心療内科を受診することを勧めた医者もいたが、

彼女はそれを頑として受け入れず、身体的治療に執着し続けた。

 

整形外科が駄目なら東洋医学的な整骨院や整体や鍼灸院だ、と思い、彼女はそこを転々とする。

しかし、それらもやはり全滅である。

 

そうするうちに腰痛は少しも改善されないどころか、悪化の一途をたどり、彼女は絶望して、自殺すら考えるようになる。

しかし、精神科と心療内科に行くことは思いつかなかった。

思いつかなかった、というよりも、そんなところに行きたくない、というのが実情であった。

これには二つの理由がある。

一つは、よくある精神科と精神病に対する偏見である。

「私は精神異常者なんかじゃない。私の腰痛は幻覚なんかじゃない。馬鹿にしないでよ」というもの。

もう一つは、身体科と精神科の二元論的分離の考え方である。

「私の腰痛はあくまで身体の病気。心なんか関係ない。それに、心因性の腰痛がこんな激痛と慢性痛を生み出すわけがない。私の腰痛は気のせいではなくて、

あくまで腰回りの骨や神経や筋肉の病変!!」というものである。

 

こういう考え方に憑りつかれていると、いつまでも心療内科に行って腰痛を治療する、という着想が浮かばない。

結果、いつまでも治らないのである

君たちの中にもこういう考え方する人いるよね。いるよね。

 

「精神科が身体の病気を治すだなんて」って思ってないか?

精神科や心療内科がいんちきだと思ってないか?

心理的治療が身体の物質的異変をどう修正するんだよ、と思ってないか?

 

すべて偏見である。

この偏見を解くためには、心理的治療が脳の機能修正であることを理解する必要がある。

心理的治療は脳の治療なのである。

こう言えば、少しは分かりやすいかな。

しかし、それだけではだめで、もっと心身包括的見方をしなければならないのだが、頑固に心身二元論者を説得するための、「とりあえずの方策」としてこれは有効である。

それについては意識と脳の章を復習してね。

 

ところで、面白い事実がある。

それは、夏樹が精神科や心療内科を否定していたにもかからず、お祓いや祈祷といった宗教的なものには救いを求め、それを信頼したということである。

もちろん、それらの効果は皆無である。

精神科は否定するのに、なぜもっとインチキ臭いそれらにすがるのか。

ここには変な科学主義と超科学主義の共存がある。

精神科はここから抜け落ちてしまうのである。

これは一種の謎であるが、精神と物質、理系と文系、主観と客観などを分離的に二元論に追い込む多くの人の思考傾向に由来する阿保の所業である。

 

しかし、いつまでも治らない腰痛に観念した夏樹は、ついに心療内科を受診する。

平木英人医師は彼女を一目見ると、すぐに心因性腰痛と見抜き、入院絶食療法を開始する。

これは無意識下の葛藤を絶食によって引き出し、原初的心の叫びを引き出し、その腰痛が無意識下の心身連絡的葛藤から生じるものであることを理解させるものである。

栄養学的観点も加味されるが、薬物は一切使わない。患者に触りもしない。

しかし、これは心身相関の科学に基づいたものであり、エビデンスがちゃんとある。

案の定、夏樹はこの治療によって長年悩まされた自殺を考えさせるような腰痛、激痛、疼痛から完全に開放されることになった。

 

君たちは半分信じて半分インチキ臭いと思うだろ。

そうだろ。

分かってるんだ。

まぁ、それはそれでいいだろう。

 

精神医学が科学であり、精神病が立派な医学的疾患である、ということは分かりにくいが、それを理解できると、様々に事柄を柔軟にかつ合理的に捉えることができるようになるんだ。

 

次回は柳澤桂子やM氏を例に、人生と抗うつ薬の関係、ならびに「あなたのその身体の痛み実は鬱ではないですか」について論じることにする。

その次の回では自殺について論じる。

 

なんかすごいにゃ。なんかすごい話だにゃ。猫の僕にもわかるけど、学生に分かるか疑問だにゃ。

 


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哲学A1文章講義(第25回)

2020-07-19 10:03:10 | 哲学

今日は人生における抗うつ薬の有用性の話をする。

 

抗うつ薬とはうつ病を中心とした精神疾患に使われる薬剤である。

その効能は、抑うつ症状の改善を主として、意欲の向上、悲観性の除去、不安・緊張の緩和、不眠の緩和などである。

これはうつ病ないしうつ状態に特徴的な精神症状への効能であるが、長い目で見ると希死念慮や自殺願望の除去にも役立つ。

また、精神症状だけではなく、それが身体に及ぼす心身症的症状にも効く。

 

以上は精神科でうつ病や不安障害や強迫性障害などや不眠症に処方されるときの抗うつ薬の有用性を表しているが、過敏性腸症候群とか

心因性喘息とか神経性胃炎、あるいはその他の心身症的症状にも処方される。

 

15年ぐらい前からは社交不安障害という病気にも効くことが証明され、保険適用となった。

社交不安障害とは社会不安障害とも呼ばれ、かつて対人恐怖症とよばれていたものである。

この疾患の治療には日本独自の森田療法などの精神療法が主流だったが、SSRIという新型抗うつ薬が効くことが分かったのである。

それは、脳内の対人恐怖や過剰な緊張の条件反射的継続の神経的基盤へとSSRIが作用し、その症状を緩和することが分かったからである。

具体的には偏桃体を中心とした恐怖・不安・回避行動をつかさどる神経システムにおける悪しき学習を立ち切る薬理作用が判明したのである。

この症状にはセロトニンとノルアドレナリンという神経伝達物質の過剰伝達が関与していることが分かり、SSRIはこれを抑え込み、

結果として件の神経システムの不自然な興奮を除去するのである。

 

かなりの人が社交不安障害(ないし対人緊張症)を単に内気、シャイネス、恥ずかしがり、気弱などとして捉え、性格のせいとか病気じゃないと思っている。

しかし、他の精神疾患と同様に社交不安障害はれっきとした脳の病気なのである。

 

うつ病も同様である。

うつ病も甘えとか怠けとか仮病と受け取られやすく、脳の病気とはみなされないことがある。

しかし、うつ病者の脳内ではやはりセロトニンやノルアドレナリンなどが枯渇しており、がんばろうにも意欲がわかない。

ぐったりして動けないし、自分が無価値に思えて死にたくなる。

そんなの考え方の問題であって、薬で治すようなものではない、という考え方は今も昔も民衆に流布している。

 

もちろん、上記の精神疾患の成因は脳内の神経システムのアンバランスや神経伝達物質の枯渇ないし過剰伝達に尽きるわけではなく、

精神的ストレスや生活状態や対人関係にも影響され、精神療法が不可欠である。

精神療法は悩みの相談・症状と生活状況の綿密な聴取・認知行動療法によって構成される。

 

ところで、抗うつ薬は精神科と心療内科以外でも処方される。

様々な身体科でうつの症状がみられる患者に、抗不安薬や睡眠薬とともに処方されるが、精神症状と無関係の病気にも実は処方されるのである。

それは整形外科などにおける原因不明の慢性疼痛に対してである。

たしかに、慢性疼痛や長期の病気治療にはうつが伴うが、うつを伴わない疼痛にも抗うつ薬が効くのである。

 

たとえば、原因不明の慢性疼痛に対して、抗うつ薬が劇的な効果を表すことがある。

それは、脳内の精神症状を引き起こす神経部位ではなく、脳から脊髄に降りてくる下行性疼痛抑制系という神経経路に抗うつ薬が作用するからである。

特に新型抗うつ薬が効くが、前世代の三環系抗うつ薬も効く。

代表的なのはSNRIのサインバルタであるが、SSRIのルボックスでもよい。

ルボックスとは商品名であり、成分名はマレイン酸フルボキサミン(テキストではマイレン酸フルボキサミンと誤植されているので気を付けること)。

 

ちなみに、ルボックスは社交不安障害にも顕著な効き目を表す。

 

テキストに登場する夏樹静子、柳澤桂子、M氏は、抗うつ薬が以上のような症状に効いた分かりやすい例である。

特に夏樹静子は重要である。

 

とにかく、抗うつ薬は抑うつを中心とした精神症状だけではなく、胃腸障害、呼吸器障害、慢性疼痛などの身体症状にも効き、最終的には人生を明るくしてくれるのである。

それは心身症的身体症状を超えて、純粋な身体病や人生観にも高い有用性を示のである。

本当は純粋の精神症状とか純粋の身体症状というふうに綺麗に二元分割できないのだが。

 

長くなるので、今回はこれくらいにして、次回は火曜日に夏樹さんの症例を中心として講義することにする。

 

 

              興味深いにゃ


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哲学A1期末試験について

2020-07-18 18:16:53 | 日記

哲学A1の期末試験は7月25日に実施します。

中間試験と同様にネットエースのレポート欄にオンライン入力で解答することになります。

試験範囲はテキストの第4章~第8章。

25日の16:007:00ないし9:00から問題の閲覧と解答入力が可能となり、一応その日の23:50を提出期限とします。

非常事態で受けられなかった人のために、期限後提出期間を設けます。

まだ、決めてませんが28日~30日ぐらいまでとなり、少し減点されます。

解答時間は各自に任せますが、なるべく90分以内に入力してください(本来70分用の問題である)。

中間試験と同様の論述・記述式であり、少し易しくなります。

 

    また、がんばるにゃ


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哲学A1文章講義(第24回)

2020-07-18 09:01:56 | 哲学

今回は哲学と意識科学の関係について話す。

 

「意識」とは何であろうか。

すでに前の講義で意識と脳の関係について説明したので、あえてこの問いに解答を与える必要はないであろう。

しかし、意識が科学の対象になったということは、ここで改めて明記しておきたい。

 

意識はかつて哲学の専売特許であった。

数学的物理学を範とする自然科学系の科学は意識を科学の対象たりえないものとして、長い間無視してきた。

心理学もこれに倣って内面的意識を存在しないものとみなし、研究対象を外部から観察できる「行動」に限定した。

 

しかし、哲学者たちは意識と経験の関係に焦点を当てて、その主観的構成を研究し続けてきた。

それは間主観性ないし相互主観性の領域を含むものであった。

ただし、現象学に代表されるこの研究傾向は、脳の機能と意識の主観性の関係を問うことはなかった。

それに対して、アメリカのプラグマティストたるウィリアム・ジェームズは意識と脳の関係を積極的に問い、数十年後に誕生する意識科学を既に予言していた。

それもそのはず、ジェームズはハーバード大学医学大学院出身の基礎医学者だったのである。

彼は、神経系の生理学→実験心理学→哲学というふうに専攻を変えていった。

この経歴は意識と脳の関係を問う意識科学の誕生にとって打って付けであった。

 

しかし、ジェームズの意向は前述の行動主義の心理学によって打ち消され、長い間陽の目を見ることはなかった。

しかし、1980年頃から分子生物学の側から意識科学の可能性が提唱され、今日に至るまで研究が継続されている。

しかし、生命科学者にしろ脳科学者にしろ意識と生命の関係についてはあまり深く考えていない。

哲学者はそれを積極的に考えるが、その際、脳や遺伝子の働きが十分顧慮されない。

とにかく、意識科学の確立のためには哲学と科学の協力が必須であり、お互いの不備を補い合い、かつお互いの長所を引き出し合いつつ、慎重に進まなければならない。

 

神秘主義やスピリチュアルにはまるようなことがあってはならない。

創発の概念は誤解されやすいが、神秘主義を表すものではなく、自然主義に徹したものである。

脳からどのようにして意識が創発するのか、それを意識科学は明らかにしなければならない。

その際、生命概念の刷新が同時になされなければならない。

また、意識の身体性と世界内属性について深く考察しなければならない。

 

人工知能と生きた人間の心は似ているようで根本的に違う。

それは人間の意識が超自然的な精神性を帯びたものだからではなく、生命の自然的本性の顕現態だからである。

 

意識は生命の本質が現れ出、光り輝いたものである。

それゆえ私は「心」と書いて「いのち」と読むのである。

しかし、その際にも脳の世界内属性という契機は決して無視されない。

 

我々が人生論的問題を文学的見地から考えるときでさえ、意識と脳の関係は無視できない。

それは精神医学という臨床医学の異端児の領域において現れることである。

 

次回は具体的症例に触れながら、人間における心と身体の関係の深淵と精神の科学の奥深さについて論じることにする。

 

これを読んだ僕は今こんな気分だにゃ


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哲学A1文章講義(第23回)

2020-07-14 10:43:31 | 哲学

今日は哲学と精神医学の関係について話す。

両者は精神の苦悩と人生の意味を意識と脳の関係に照らして解明し、癒し、病気にまで発展したら治療する、という点で共通している。

もちろん、哲学は直接診断と治療にはかかわらないが、精神科医が治療する際に哲学的観点をもっていると有益になる。

 

ある学生が自殺したいと悩んでいたとしよう。

だいたい友人や親や先生に相談する。

学生相談室に行くことも多い。

しかし、精神科に行くことを勧められても、気後れして行きたがらない。

最初から自主的に行こうとする者は、前に行ったことがある人か医学的知識、特に精神医学的知識があり、それを正確に理解している人である。

 

まず「精神科」という言葉が気にかかる。

自分の精神と人格が歪んでいるから、そこに行って道徳的に矯正されるのか、それとも薬漬けにされるのか、という疑念がわいてくる。

そこで紹介者は「精神科」ではなくて「心療内科」と言う。

実際、現代の街中の開業医は「精神科」ではなく「心療内科」という看板を掲げている。

内実は精神科でも、敬遠されるので心療内科とするのである。

また大きく心療内科と書き、その後に小さく神経科、精神科と付け加えている看板もある。

とにかく、精神科は敬遠されやすい。

また、うさん臭いものに思われやすい。

 

精神科領域の病気、つまり精神疾患は非常に多種多様であり、テキストに書いているように心因・内因・外因に分かれる。

このうち心因と外因は分かりやすい。

それに対して内因は分かりにくい。

しかし、この内因性の精神疾患こそ精神病の中核であり、王道なのだ。

具体的には統合失調症と双極性気分障害である。

前者はかつて精神分裂病と呼ばれ、後者は躁鬱病と呼ばれていた。

これらの患者には病識がないことが多く、患者は「自分は病気や異常ではない。異常なのはあなたの方だ」と断固主張し、精神科に行かない。

しかし、症状が身体におよび、つらくなってくると、仕方なくいくことになる。

ただし、ほとんどの場合は、半ば強制的に周囲の者が彼らを病院に連れて行くのである。

警察が関与することすらある。

 

私はかつてある父親から相談を受けたことがある。

それは「息子が精神病のように見えるが、本人はそれを認めないし、精神科に絶対行こうとしない。どう説得したらよいか分からない。

河村先生に説得してもらいたい」というものであった。

私は父親と二十代の息子と三者で会談し、説得に当たった。

そのときのことである。

私が「君はなぜ精神科に行きたがらないのかね」と訊くと、彼は「精神は非物理的なものであり、医学の治療対象にするのはカテゴリーミステイクだからだ」と言った。

鴨葱である。

説得しがいがある。

面白い、と私は乗り気になった。

そして開口一番に言った。

「君、精神もやはり物理的なものなんだよ」と。

息子は虚を突かれたような顔になり、「そんな考え方がありえるんですか」という表情になった。

つまり、直接そのように言わなかったが、あきらかなそう思っているように見えた。

 

それから、手を変え品を変え説得に当たったが、ついに成功しなかった。

しかし、彼の記憶には残るようにした。

まだ急いで病院に行く段階ではないし、今日はこれぐらいにしておこうと思って、そのまま帰した。

 

彼には幻聴と追跡妄想と注察妄想があった。

アパートに盗聴器が隠されている、と訴えていた。

誰かが僕を付け狙っている、監視している、と言っていた。

もちろん、彼にとってそれは事実であり、妄想とか幻覚などと言うと怒るのである。

しか、そのときはまだ不眠、パニック的混乱、頭痛、倒れそうな衰弱感、自分の行動を制御できないような混乱といった身体に連なる症状はなかった。

しかし、その後、不眠と脳内の不安パニックで頭が破裂しそうになり、身体の衰弱は著しくなった。

独り暮らしの夜に目の前で上の部屋の家族がうるさく対話し、一晩中いなくならない。

もう、精神よりも身体が破裂しそうである。

 

この段階でだいたい精神病自己否認の精神病者は観念して、精神科に行くのである。

実際、彼は行った。

親や兄弟と同伴で。

医者も同伴で来てほしいと言うし。

それならまだよい。

突然暴れたり、自殺未遂したりして警察や救急車の世話になることも多々ある。

 

この例から精神病と心脳問題の関係の考察の意義は分かったであろうか。

キーワードは「精神って非物理的なものだから精神科には行かない」である。

 

とろこでアルツハイマー病はかつて老人の精神的苦悩(よくて呆け)と思われ、梅毒による進行麻痺は心理的原因で起こる、と信じられていたのである。

また、逆にがんセンターは精神腫瘍科を設置して、患者の心のケアに当たっている。

心身二元論を超克するということは、精神を物質に還元することではなく、心と身体、精神と物質の一体二重性に気づかせ、両方を重視する姿勢を身に着ける、ということなのである。

哲学と精神医学の対話の意味はそこにある。

 

人は身体に起こった病気や苦痛はどうにもならないが、精神ないし心は自分の自由になると思ってしまう。

しかし、身体から切り離された心、物質とは独立の精神といったものなど存在しないのである。

 

パーキンソン病の患者の使う薬は副作用として幻聴と幻視と被害妄想を引き起こす。

これは統合失調症と同様の症状である。

どちらもドーパミンという神経伝達物質が過剰になり、脳のセルフモニタリング機能が破綻しているのである。

また、慢性覚醒剤中毒でもよく似た症状が現れる。

息子の精神症状は過剰なドーパミンの放出を制止する抗精神病薬によって一気に消え去った。

医師は「この薬を使って反応をみるからね」と言って、その後、統合失調症と確定診断した。

ちなみに、私は最初の面談ですでに統合失調症と確信していた。

ただし、ドーパミンの過剰伝達が統合失調症の原因ではないことはおぼえておけ。

脳のセルフモニタリング機能の破綻を引き起こす自我システムの障害であり、ドーパミンの過剰はその指標なのである。

 

以上のことを銘記して、テキストの当該の箇所を再び読んでほしい。

 

君たちも気を付けてほしいにゃ、にゃ

 


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東京オリンピックは2024年に延期

2020-07-14 08:55:05 | 社会・政治

新型コロナ感染症蔓延のせいで来年に延期された東京オリンピックだが、第二波がやってきたことを顧慮すると、2024年に延期が妥当だと思われる。

実は2024年にはパリで開催される予定だが、フランスでは感染者と死亡者がかなり多く、パリはようやくロックダウンから解放された状態で、

フランス側では四年後の開催にも難色を示しているらしい。

ならば、2024年に東京でやればよいのである。

本来四年に一回のオリンピックを一回抜かして、そうするのである。

てゆうか、それしかないだろう。

東京オリンピック完全中止となると、それに付随して建設したり予定したりした諸々の事物が全部無駄になり、莫大な損益と借金をうみだす。

また、来年か再来年に強行しても、感染拡大を増長し、百年前のスペイン風邪並みの死者を生み出すはめになる。

スペイン風邪のときの死者は日本で約45万人、世界全体では5000万人~1億人と言われている。

公衆衛生と医療が格段に進歩した現在でも、日本では数万人、世界では2000万人近くの死者が出て、経済恐慌がやってくるであろう。

大学は5年間ぐらいオンライン授業となるかもしれない。

教育も崩壊する。

ウイルスは悪性(強毒性)のものへと進化する場合がよくある。

特に感染が長引くものはそうである。

甘く見ているとひどい目にあうよ。

 

ちなみに、スペイン風邪流行のときの死者の八割は30歳以下の若者と子供だった!!

 

白と出るか黒と出るか、ではなくて灰と出るか黒と出るかだにゃ


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哲学A1文章講義(第22回)

2020-07-12 09:19:14 | 哲学

今日は第8章の第2節に関する話をする。

しかし、この節を単に要約しただけでは芸がない。

各人が読んでいるわけだし、本文とは別の観点から話した方が有益だろう。

 

問題は「心」について考えたり研究する際、哲学と科学ではどう違い、またどのような共通点をもつのか、ということである。

 

心という現象が対象化しにくく、概念的にも内実的にも把握しにくい、ということは前回説明した。

しかし、哲学者や心理学者や他の学問・科学の諸分野では古くから心について考察し研究してきた。

また、文学や芸術は心について暗示的に表現してきた。

 

心についての哲学的考察は、人間の意識、経験、認識能力の発生と構成とその限界を論じるという仕方で論じられてきた。

また、心を身体との関係において捉え、両者の関係を深く考察する心身問題の観点から心について研究してきた。

さらに、哲学においては心と生命の関係が非常に重視される。

通俗的哲学の観点では、心と人生、心と実存の関係が重視される。

私は心と書いて「いのち」と読むべきことを提案しているが、これを踏まえて、生理学、医学、脳科学、生命科学とのリンクも視野に入れている。

それに関しては、後で精神医学や臨床的話題でも触れられるので、楽しみにしてほしい。

 

現代の心の哲学は、ほぼ科学哲学であって、脳科学との対話が主となり、意識と脳の関係をどう扱うべきか、に考察が集中している。

私は自前の心の哲学として認知臨床神経哲学というものを提唱しているが、これは心について哲学と臨床神経科学、脳科学、心理学、意識科学、コンピュータサイエンスなどを綜合して、

心の本質、とりわけ意識の本質を探るものであり、認知神経哲学と臨床神経哲学という両翼から成っている。

また、私は文学も重視する。

宗教は否定する。というか無視する。

基本的観点は心身問題的であり、心と身体の見かけの相違と真の一体二重性を明らかにすることを趣旨としている。

 

ところで、心についての科学的研究は長い間、タブーとされてきた。

特に意識に関しては厳しく、そんなものを研究対象としようとすると、オカルトとみなされて、大学や研究所から追い出された。

ところが、20世紀の後半になると、意識の研究が科学として認められるようになり、哲学との協調において今日まで発展してきている。

しかし、驚くべきことに意識科学の端緒を切り開いたのは心理学者ではなく、物理学出身の分子生物学者フランシス・クリックであった。

クリックはワトソンと協働でDNAの分子構造を解明した生物学者だが、その後、脳の機能との相関において意識の本質を探る意識科学に向った。

しかし、その構想はすでに数十年前に医学部出身の哲学者ジェームズが立てていたものなのだ。

しかし、ジェームズの意向は長い間無視され、行動主義の心理学の支配によって意識科学の成立は阻まれていた。

 

このように心とか意識は意外に物理学や生物学や医学の方から支持され、積極的に研究され始めたのである。

心理学は意外と頑なで、内面的意識の存在を否定して、心を行動に還元する姿勢を取っていた。

これは分別臭い疑似科学主義であって、外部から定量的に観察し把握できるものに視野を狭めた結果である。

 

現代において科学と哲学は相変わらず対立する面もあるが、協力し融合する部分もある。

もともと科学は哲学から生まれてきたものなので、当然だ。

心とか意識に関しては、従来の還元主義的方法は科学の側からも反省が加えられ、哲学と近似の柔軟な姿勢に変化して生きている。

精神医学においても同様である。

そもそも医学の進歩は、本来進歩したら排除されるはずだった「心」という現象を重視する方向に転換した。

 

かつては馬鹿にされた心のケアは極めて重要なものとして医学の臨床の場で認められている。

全国のがんセンターに先駆けて、築地の国立がん研究センター中央病院は1992年に精神腫瘍科を設置して、がん患者の心のケアに医師があたっている。

なお、天皇陛下の心臓手術の執刀医・天野篤(順天堂大学医学部心臓血管外科教授)は、「優れた医師は医学と看護の両方ができなければならない」と言っている。

 

そりゃそうだよにゃ、にゃ

 

 


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次の文章講義の配信は日曜日

2020-07-10 20:04:25 | 日記

哲学A1の文章講義は毎週だいだい火曜日と土曜日に配信してきたが、今回は木曜日にもしたので、次は土曜日ではなく、12日の日曜日に配信します。

 

それでいいにゃ

 


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