心と神経の哲学/あるいは/脳と精神の哲学

心の哲学と美学、その他なんでもあり

二つの『白い巨塔』における戝前五郎と里見脩二

2016-08-30 19:49:25 | テレビドラマ

何度もテレビドラマ化された山崎豊子原作『白い巨塔』のうち最もポピュラーなのは1978年の田宮二郎主演のものと2003-2004年の唐沢寿明主演のものである。

「白い巨塔」とは象牙の塔としての国立大学医学部付属病院のことであり、そこで繰り広げられる患者蔑視の権威主義が批判の対象となっている。

そして、このドラマの主舞台・浪速大学医学部附属病院のモデルは言うまでもなく大阪大学医学部付属病院である。

その大学病院の第一外科の戝前五郎教授と第一内科の里見脩二助教授の友情と対立が話の軸となっている。

戝前は出世志向の典型的な野心家だが、世界屈指の食道外科医であり、医者としては超一流だ。

が、人格卑しく品性下劣なところがあり、金と女と酒をひたすら好む。

それに対して、里見は研究一筋で、患者には誠実に対処し、出世や権威には全く無頓着である。

それゆえ、言うまでもなく正義感が強い。

この二人が、ある胃噴門ガンの患者の誤診と死亡をめぐって激しく対立するのである。

その詳しい経緯はまた後で述べることにして、ここでは1978年版と2003年版の二人の主人公の配役について意見しておこう。

まず1978年版は戝前を田宮二郎が、里見を山本學が演じた。

田宮二郎は超はまり役であり、彼以上に「戝前五郎」をうまく演じれる俳優はいないであろう、と言われた人であり、唐沢がかわいそうなほどである。

本当に田宮の戝前教授は説明無用である。

一方、山本學の演じた里見脩二も秀逸であった。

世渡り下手で正義感が強い、研究志向の内科医を演じさせたら彼が一番であろう。唐沢ほどではないが、江口も分が悪い。

次に2003年版は戝前を唐沢寿明が、里見を江口洋介が演じた。

まず、田宮版とは逆に里見の方が戝前よりも背が高くなっている。

もともと原作では戝前五郎は筋骨隆々とした長身のバイタリティあふれる男であり、背の高い俳優の方がいいはずである。

田宮は身長180㎝、江口は185㎝である。

唐沢は174㎝ぐらいで、山本は169㎝といったところである。

比率が同様なままに二人の背の高さが逆転している。

しかし、唐沢は彼なりにあくの強い野心家・戝前を演じ、喝さいを浴びた。

江口もいい味を出していたが、実は予想以上に評価が低かった。というより人気がなかった。

それは彼の演技が下手だったからではなく、視聴者の価値観と道徳観が25年前とは大きく変わっていたからである。

江口の演じた里見は自己満足的な偽善者とみなされたのである。

これには呆れるばかりである。

現代的道徳観は、いじめを黙認するような教育から生まれたものだから、しょうがないと言えばそれまでだが、ちょっとひどすぎないか?

みんなトリックに引っかかっているんだよ。

医学と医療を進歩させたのは戝前的医者じゃなくて里見的医者だったんだよ。

いつの時代にも。

自分が患者になってみれば分かるよ。


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イライラしたらトムとジェリー

2016-08-24 20:56:28 | テレビドラマ

イライラしたらアニメを観るのもいい。

特にかわいい動物を主役にしたアニメ(カートゥーン)を観るのがいい。

「トムとジェリー」は最高にいい。

このカートゥーンはUSAの映画会社メトロ・ゴールドウィン・メイヤーに所属していたウィリアム・ハンナとジョゼフ・バーベラが製作したもので、

1940年から現在まで連作されている。

日本では1964年にTBS系で放映されて以来、現在まで大人気である。

まず主役の頭の悪い猫(トム)と賢くてすばしこいネズミ(ジェリー)。

二匹は1940年から現在まで仲良くケンカばかりしている。

ちなみにときどきジェリーのいとこの子ネズミ・ニブルス(タフィーとも呼ばれる)が出てくる。

私は小学生の時からこのアニメが大好きで今でもたまに観るが、イライラも吹き飛んでしまう。

ショッピングセンターなんかで放映していると、今の子供もテレビにかじりついて観ているから、その普遍性が分かる。

おまけに現実のトムとジェリーの画像を載せとく。


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400mリレーで日本がついに銀メダル

2016-08-21 08:19:45 | 日記

ついに日本がこの競技で銀メダルを獲得した。

やはり私が『情報の形而上学』で 言っていた通りチームワークとバトンパスが功を奏したな。

一位でゴールしたジャマイカのアンカー・ボルトもそう言ってた。

また、失格したアメリカも日本の実力を心底認めた。

予選から「気をつけなきゃならないチーム」と見ていた。

創発の現象だ。

みんな『情報の形而上学』を読もう。


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400mリレーで日本がジャマイカに勝った

2016-08-19 18:46:32 | 日記

リオ五輪の400mリレー予選でボルトを欠くジャマイカに日本チームが勝った。

それに対してボルトはインタビューで「日本はバトンパスが素晴らしい」とコメントした。

やはり私が『情報の形而上学』の中で主張したことは素晴らしい真理だな。

な。

な。

な。


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田宮二郎=戝前五郎

2016-08-15 22:11:27 | イケメン

『白い巨塔』の主役・戝前五郎はやはり田宮二郎だな。

唐沢寿明も頑張ったけど、田宮の足元にも及ばない。

唐沢も彼なりにいい味出してたけど、究極のはまり役だった田宮には、どうやったって適わない。

また基本的イケメン度でも田宮>>>唐沢だからね。

これ田宮二郎=戝前五郎


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『情報の形而上学』の一節(1)

2016-08-15 19:47:51 | 自著紹介

2010年の都立日比谷高校の国語の問題に引用された『情報の形而上学』の一節(本では168-173ページ)を三回に分けて掲載します。

 創発とは予期せぬ事態が起ることである。また要素の線形的加算からは全体の性質は導き出せない、ということである。北京オリンピック男子百メートルの決勝でジャマイカのウサイン・ボルト選手は九・六九秒という驚異的記録を出して優勝した。しかも後半余裕の走りをしてこの記録であった。短距離走の世界記録はオリンピックや国際陸上大会の決勝で出やすい。なぜなら、決勝に残った八人の選手はみな精鋭であり、第一コースから第八コースまで粒が揃うからである。こうして八人は力を出し合って競合的「協力現象(シナジー)」を引き起こす。つまり、スタートダッシュから横並びの甲乙つけがたい猛者たちがお互いの力を引き出し合い、結果として優勝候補の記録に拍車を駆けるのである。一人で走っていては競合者の刺激がないので記録が伸びない。また、レベルの低い選手に囲まれて走っても記録への潜在能力は引き出されない。ボルト選手の世界記録樹立はまさに創発現象であった。

 また、北京オリンピック男子百×四リレーでは個々の選手のレベルがあまり高くない日本チームが健闘して銅メダルを取った。もちろん優勝したのは四人のレベルが非常に高いジャマイカであったが、構成員のレベルがみな高ければ金メダルを取れると言えないのがリレーというものなのである。たとえば百メートルを十秒ジャストで走る選手四人のチームと九・九秒で走る選手四人のチームを比較すると、線形的思考では前者が後者に勝てる見込みがない。しかし、現実には前者が後者に勝つことが少なからずある。まずバトンパスに失敗するというのはよくあることで、アメリカチームに特徴的な現象である。また個人記録に力点を置く強豪国はリレーの練習をあまりしない。そこでバトンを落とすことはないけれどパスの際にもたついたりして遅れることがある。それに対して、個々の選手の力がそれほどでもない日本のようなチームは、まず間違えることのないバトンパスと全体のスムーズな流れで健闘し、予想外のメダル獲得に至るのである。これもまた創発的現象である。

 我々はみな小学校から高校までに習った算数や数学に毒されており、世の中すべて1+1=2のようにすんなり割り切れると思い込んでいる。しかし現実の世界は多面的で複雑なので、とうていそのような割り切りでは括れない。1+1=2が間違いなのではない。ただ、それが複雑多面多層的な関係的世界の一局面を切り出したときにのみ当てはまるものだと言いたいのである。これは物理的世界にも当てはまることである。現実の世界が要素の線形的加算で理解できると考えるのは、(a+b)²=a²+b²とみなすようなものである。周知のように(a+b)²の解はa²+b²ではなくa²+2ab+b²である。これを前掲の例に当てはめてみると、2abは非線形的創発現象を引き起こす変数ないし結合要素として理解できる。つまり、リレーの場合2abはバトンパスと個々の選手のリレー向けの走りの熟達に当たるのである。これが全体としてのスムーズな走りを実現している。しかし、個々の要素にのみ着目して、その線形的加算から全体を捉えようとすると、(a+b)²=a²+b²とみなすような単純な間違いを犯してしまうのである。ボルトの場合2abは相乗効果を引き起こす変数として理解できる₍₃₎。

 

アマゾンのリンク。
http://www.amazon.co.jp/%E6%83%85%E5%A0%B1%E3%81%AE%E5%BD%A2%E8%80%8C%E4%B8%8A%E5%AD%A6%E2%80%95%E6%96%B0%E3%81%9F%E3%81%AA%E5%AD%98%E5%9C%A8%E3%81%AE%E9%9A%8E%E5%B1%A4%E3%81%AE%E7%99%BA%E8%A6%8B-%E6%B2%B3%E6%9D%91-%E6%AC%A1%E9%83%8E/dp/4860650468/ref=sr_1_6?s=books&ie=UTF8&qid=1347363356&sr=1-6


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ボルト100m三連覇なる

2016-08-15 10:28:49 | 日記

たった今、リオ五輪男子100m決勝が終わった。

結果はウサイン・ボルトが優勝。

記録は9.81秒でさえないが、三連覇なる!!

ガトリンに中盤後半まで優位を許したが、最後に逆転した。

ガトリンは9.89秒。

まあ、ボルトはもう記録は更新できないだろう。

しかし、彼の9.58秒の世界記録はしばらく抜かれないであろう。

ボルトが特別なのは195cmの長身なのに短距離に適した筋肉と骨格を有していることである。

彼並みの長身ないしそれ以上の身長で100m走に適した筋力をもつ者が現れない限り、彼の記録は抜かれないであろう。

それは女子のフローレンス・ジョイナーのスバ抜けた世界記録10.49秒が20年以上抜かれていないのと同様である。

次の画像は北京五輪決勝でのゴール前の欽ちゃん走りである。

 


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思いつめる滝川クリステル

2016-08-10 22:41:55 | 社会・政治

クリステルは絶望しているわけではない。

福島第一原発による被害を憂いているのである。

我々は地元に打撃を受けないと他人事のように考えてしまう。

しかし、福島の人たちは東京圏の電力の浪費の犠牲になったのである。

それに罪の意識を感じない楽天家は、キルケゴールの言葉で言えば「絶望していないことによって、より深い救いようのない絶望に陥っている」のである。

この逆説の意味が分かるであろうか。

絶望の反対は悩みのない快活な気分ではなく、誠実な隣人愛と自然への帰依の感情なのである。

キリスト者にとっては信仰であろうが、私にとっては自然への帰依の感情である。


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来月出版される新著のカバー

2016-08-10 01:23:21 | 日記

来月出版される『存在と時空』のカバー(装丁)が内定した。

それは以下のようなものだ。

この本はA5(専門書サイズ)のハードカバーで230ページ程度。

校正は再校まで終わっている(責了)。

9月15日頃に出来上がる予定。

書店に並ぶのは9月の最後の週だろう。

内容と目次は後ほど紹介します。

 


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三人の里見助教授

2016-08-04 10:13:37 | テレビドラマ

山崎豊子原作の映画とテレビドラマ『白い巨塔』の最も重要な脇役として里見助教授がいる。

里見脩二は、浪速大学医学部第一内科助教授であり、主役の戝前五郎と医学部生のときからの親友であった。

周知のように里見と戝前は性格的に正反対であり、戝前の医療過誤と医学部の隠蔽工作をめぐって対立した。

しかし、二人はときおり外科医と内科医のすばらしい連係プレーをみせた。

戝前はいつか愛人と酒を飲んでいたとき、「里見とは学生時代、医学の話題で朝まで語り明かしたものだった」と話していた。

アクの強い行動派で野心の塊だった戝前と研究者肌で患者思いの里見は、外科医と内科医の性格的相違をよく表していた。

特に、原告側の証人として法廷に立ったときの里見は正義漢そのものであり、その内面的強さと誠実さを体現していた。

そうした里見助教授を演じた三人の男優を紹介しよう。

まず、1966年の映画版で里見を演じた田村高廣(1928-2006)。

最初に里見を演じたのは、この田村である。

最初の画像では田宮の演じる戝前と、次のでは東教授の娘役の藤村志保と写っている。

田村は里見をよく演じ、その味を余すところなく引き出した最初の男優である。

この映画では戝前は関西弁で里見は標準語であった。

里見の戝前の呼び方は「戝前君」であった。

「戝前君。君は患者に対してもっと謙虚であるべきなんじゃないのか」「戝前君。君の担当の佐々木庸平のことだがね・・・」

次に、1978年のフジテレビのドラマ版で里見を演じた山本学(1937-)。

多くの評論家とファンが、この山本学を最高の里見役と評価している。

田村もよかったが、2時間の映画に一回限りの出演であり、その味はよく分からなかった。

ただし、山本はドラマで毎回出演したから味が分かったというだけではなく、まさに「はまり役」だったのである。

それは、田宮二郎が戝前教授にこれ以上はありえない「はまり役」であったのに匹敵するものであった。

それは、レンタルビデオ屋に行って、田宮版ドラマの『白い巨塔』を借りてきて観ればすぐ分かる。

ちなみに、上の画像でも分かるように里見役の山本は戝前役の田宮よりも大分背が低い。

田宮は180cm、山本は169cmなのである。

これは戝前と里見のキャラともマッチしており、映画版での田宮と田村のときも田宮の長身が圧倒感を出していた。

里見は背が低い正義漢な方がよいのだ。

この1978年のドラマ版での里見の戝前の呼び方は、映画版と同じく「戝前君」であった。

次に、2003年のフジテレビの記念復刻ドラマ版で里見を演じた江口洋介(1967-)。

周知のように江口は185cmの長身で、174cmの唐沢寿明の演じる戝前よりも大分高い。

この時点で江口は里見を演じにくいように感じるが、実際はそうでもなかった。

それは唐沢が戝前を演じにくいのに、かなりいい味を出していたのと同様である。

そもそも原作者の山崎豊子は、復刻版の戝前役が唐沢だと知り、実際にあったとき、「この人では戝前を演じれない」という第一印象をもったが、

会食して談話しているうちに「大丈夫だ。この人面白い」という印象に変わったという。

里見を演じた江口の視聴者的評判はあまりよくなかったが、私としてはかなりよかったと思う。

里見の別の味を引き出していたと思うのだ。

江口が演じる里見の戝前の呼び方は「戝前」であり、「君」がなくなっている。

ここらへんにも江口版の里見の性格が表れているのだ。

 ん・・・・

今思いついたのだが、江口を里見役に充てたのは、前の里見役の山本と同様に長髪気味だからではないのか ?

山本学は芥川龍之介に似てるし、江口洋介は太宰治に似てる・・・・

芥川も太宰も長髪気味だし。

 


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さいたま新都心で建設中の高層ビル

2016-08-01 20:51:27 | 日記

今日、さいたま新都心に行ってきた。

午後一時頃に駅に着いて、外に出ると急に雨が降ってきて、すぐにどしゃ降りに変わった。

そして、後ろを振り向くと、建設中の高層ビルが目に入った。

巨大な電波塔をもつNTTドコモのビルにくっ付くように建設されている高さ100mの新ビルである。


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