数日前から疲労で風邪気味だったが、今朝から急に具合がよくなった。
めでたし。
めでたし。
しかし、日本の行く末は暗い。
前途多難である。
個人が具合がよくなった、悪くなったと嘆いたり、喜んだりしているだけでは埒が明かない。
もっと国全体、社会全体、生態系全体、自然全体、地球全体のことを危惧すべきである。
特に猫の具合を心配しなければならない。
憂国ではなく、憂猫である。
生類憐みの令の復活が必要だ。
数日前から疲労で風邪気味だったが、今朝から急に具合がよくなった。
めでたし。
めでたし。
しかし、日本の行く末は暗い。
前途多難である。
個人が具合がよくなった、悪くなったと嘆いたり、喜んだりしているだけでは埒が明かない。
もっと国全体、社会全体、生態系全体、自然全体、地球全体のことを危惧すべきである。
特に猫の具合を心配しなければならない。
憂国ではなく、憂猫である。
生類憐みの令の復活が必要だ。
地球上には多数の生物種が存在する。
無数と言った方が適切なぐらいその数は多い。
これらの生物種が食物連鎖的関係をもちつつ、この地上で共存しているのである。
そもそも、なぜ食うか食われるかの関係ができたのであろうか。
空気や水という非生物だけを食べて生きていけばよかったのだが、そうはいかない。
植物もDNAによって出来た立派な生物だが、動物ほどにはその生命の尊厳が感じられない。
ゴキブリや蚊やハエを殺すときでさえ我々は自己の無慈悲を感じるが、バラの花をもぎ取ったり、リンゴの果実をもぎ取ることには何の感傷もない。
植物も動物と同様生きているのであり、生命の尊厳を持ち合わせている。
しかし、自ら動くことなく、意志が感じられないので、非生物なみの扱いを受けやすいのである。
とにかく、我々人間は植物と動物と自然に囲まれて生活している。
そこで異種共存の生命哲学は必要となる。
たとえば、次の面白い画像を見たまえ。
なんと、カラスと猫が連れ添って歩いているではないか。
カラスの表情が柔和なのに対して、猫のそれが怖いのは偶然だろうか。
とにかく、これは普通の状況ではありえない光景である。
カラスと猫は犬猿の中であり、いつもケンカばかりしている。
それがこのありさまだ。
我々も見習わなければならない。
そして、異種共存の生命哲学を構築しなければならない。