精神医学は周知のとおり少し変わった医学分野だ。
一応、脳の病変に基づく精神症状を標的としているのだが、身体医学の標準的な方法をそのまま適用できないのである。
脳の病変には機能的なものと器質的なものがある。
器質的病変というのは分かりやすい。
神経細胞を中心とした脳の組織が直接侵されるのである。
脳神経外科や神経内科が扱っているのはこの種の病変が中心である。
脳出血、脳梗塞、脳腫瘍、くも膜下出血、脳炎など。
それに対して機能的病変というのは、記憶や感情や知覚機能や意識といった精神機能の異常のことである。
それには前述の器質的病変が関わっていることもあるが、そうでないものも多い。
というか、器質的病変が微細であったり、遺伝子レベルでの偏りなので、明確に組織の病変として確認できないのである。
精神医学が扱う病気の中でアルツハイマー病や進行麻痺やアルコール依存による脳の委縮といったものは、それに対応する器質的病変が確認しやすい。
しかし、神経症や内因性精神病(統合失調症、躁うつ病)や気分障害(うつ病)にはそれが見出しにくい。
あったとしても微細である。
それゆえ、精神医学が扱う疾患の中核群は脳の機能的病変とみなされている。
アスペルガー症候群などの発達障害もこれに分類される。
人間の精神機能は脳によって営まれるので、それに異常が見いだされるなら、必ずや脳の働きのどこかがおかしいはずである。
しかし、脳はほかの器官と違い、環境因子と相互作用する情報処理器官という側面が強いので、脳の微細な病変ないし機能的偏りが、患者の生活状況やストレスや対人関係によってたやすく増幅されてしまう。
それゆえ、神経症や統合失調症やうつ病を扱う際には、脳の局所的病変や部位的機能変化や生化学的代謝の変化にのみ着目していてはだめで、患者の世界内存在的心理も顧慮する必要がある。
要するに生理と心理の両方を診よ、というわけだが、これが簡単そうで難しいのである。
とにかく、精神医学は患者の脳の病態生理と患者の生き方を統合的に理解しつつ、複数の方法を併用しながら、経験主義的に治療にあたらなければならない。
というのも、精神機能は脳というホモ・サピエンスに共通の器官の働きであるとともに、個別的生命体が一回限りの人生を歩む際に生じる、独自の時間空間的構造をもつ意識世界だからである。
前者は法則化して捉えやすいが、後者は法則化に逆らう個性をもっている。
それゆえ、ヤスパースは精神医学における説明と了解という方法の併用を説いたのである。
脳の機能的・器質的病変と精神障害の間の因果関係は法則化的方法、つまり自然科学的医学の「説明」的方法で理解できる。
それに対して、患者の人格や意識や生活状況は個別的なもので、単純で斉一的な法則化に逆らう性質によって彩られている。
そこで、個性記述的な精神現象ないし心理の解釈、つまり「了解」的方法が求められるのである。
前世期の後半から精神医学は脳科学のバックアップを受けつつ、精神病を脳の病理から把握する生物学的精神医学をリーダーとする傾向が顕著になってきた。
それに伴い、患者の心を了解し解釈する精神病理学や精神分析は実証性に乏しいものとして軽視され始めた。
しかし、生物学的精神医学一辺倒では埒が明かないので、精神病理学とのシステム論的統合も模索されている。
その際、問題となるのが、精神病の理解における脳と心の関係であり、精神医学と心脳問題の関係なのである。
少し長くなったので、続きは次の記事に書きます。
今日、近くのブックオフで樋野興夫著『がん哲学』を買った。
定価762円が108円でさらに20%オフで86円なり。
樋野氏は順天堂大学医学部病理学教授であり、「がん哲学」を提唱し、啓蒙活動を続けている。
順天堂医院には「がん哲学外来」もある。
「がん哲学」とは面白いが、今一つ深みに欠ける。
人生論的視点はあるが、科学哲学的視点は不十分。
樋野氏も科学哲学的視点に触れているが、十分取り込めていない。
これでは単なる「悩み事相談」になってしまう。
サイコオンコロジー(精神腫瘍学=がんの心身医学)との対話が求められる。