今回は第2節「余命を宣告された患者の意識について」について話す。
それにまつわる話をするといった方が適切であろう。
がんなどの重病に罹患すると余命を宣告されることが多い。
昭和の時代には基本的に患者にがんであるという告知がなされなかった。
医学に素人の患者に対してはもちろん、医者に対してさえ、明確に「がんである」という告知はなされなかった。
それは昭和の時代にはがんは死病の代表であり、がん罹患=死を意味したからである。
それゆえ、もし患者にがんを告知したら、患者は絶望して自殺するかもしれないと思われていた。
そうでないとしても、ひどく動揺・錯乱したり、自暴自棄になったりするんじゃないか、と懸念され、告知しなかったのである。
例えば、胃がんの患者に対しては「深い胃潰瘍だから、すぐに入院して手術しましょう」だとか、肝臓がんの患者に対しては「肝硬変が進行してます」だとか、
言って取り繕っていた。
これに関しては第6章の闘病記についての話が大変参考になる。
それを楽しみにしてほしい。
平成時代に入ってからは、がん医学ないしがん医療はかなり進歩し、がんは即死病ということはなくなった。
たしかに恐るべき病気であることはたしかだが、死病という印象は大分弱くなり、多くの症例で寛解に至るようになった。
そして、インフォームド・コンセント、患者の同意を得るための懇切丁寧な説明が発達したので、医師にとって患者へがん告知は義務化した。
告知し、患者の承認を得ないと、手術や抗がん剤治療や放射線治療ができなくなったのである。
このように1980年頃までは死と絶望のイメージに直結していたがん告知は、平成以降、比較的平然と受け入れられるようになった。
とはいえ、未だにがんが恐るべき病気であり、死と苦痛のイメージと深く結びついた暗い、暗い病気、あるいは最悪・最凶の人生の出来事であることに変わりはない。
この苦悩と苦痛に対して心の臨床哲学はどのように対処できるであろうか。
がんセンターや大学病院や大規模の総合病院には精神腫瘍科というものがある。
最初にこれができたのは、我国におけるがん医療の総本山たる国立がん研究センター中央病院である。
1992年のことであった。
その後、次々に精神腫瘍科ががん医療の拠点病院に設置されていった。
また、特色があるのは、順天堂大学医学部附属病院のある「がん哲学外来」である。
これはこの病院の病理学の教授が創設したものであり、がん患者の心のケアと人生相談を医学的知見を交えて展開している。
面白い。
心の臨床哲学と精神腫瘍科(精神科医によるがん患者の心のケア)とがん哲学外来は、ほぼ同じことを志向し、目的としている。
ただ、医学に通じた哲学者がやるのか、哲学的医者がやるのか、心理学的医者がやるのか、の違いがあるのみである。
いずれの場合にも精神の病理と身体の病理の双方に通じている必要があり、片手落ちは禁物である。
がん患者の身体病理と生理学を無視した純粋の精神的治療などありえないのである。
むしろ、身体のケアこそいかなる場合にも第一であろう。
しかし、そのとき患者の「生きられる身体」というものを忘れてはならない。
人の痛みが分かる医者、いや人間になりたいものである。
テキストでは精神神経免疫学について少し触れている。
「要は不摂生的楽天観を節制的明朗性に転換することであろう」という文に着目してほしい。
免疫力を高めるのはこれなのである。
心のケアと身体のケアは表裏一体である。
ところで、この節では触れていないが、患者の年齢によって余命の告知に対するショックの度合いは大分違ってくる。
いかなる年齢でも余命の告知に対するショックは大きいが、高齢者ならある程度は諦めがつくであろう。
しかし、50歳以下の人生まだまだこれからの人の絶望感は強いと思う。
特に、25歳以下、あるいは18歳以下の若者が受けた余命の告知は残酷すぎる。
学生諸君は高齢者を「死に向かう人」「死期が近い人」と思っているかもしれないが、実は彼らは「もう原理的に若死にできない幸福者」なのである。
つまり、人生の楽しみを長い間満喫してきた人たちなのである。
それに対して、若さを誇り、それを謳歌する人たちは、実は「若死にしてしまう確率」という爆弾を抱えているのである。
その代表例は前にも触れた水泳の池江選手である。
彼女は白血病を見事に克服したが、一つ間違えば二十歳になる前に死んでいたのである。
本人も死を覚悟していたと告白している。
それ以上に、抗がん剤治療その他の地獄の苦痛について語っている。
半分は運に助けられたのである。
もちろん、彼女の生命力と入院先の慶應義塾大学病院の医学力、医療技術の強力さもあったであろうが、半分は運である。
学生諸君に言っておく。
若さを謳歌するのもいいが、若死にすることができるという妙な特権、爆弾を抱えていることを忘れてはならない。
健康さの裏に死の不気味な影がいつもつきまとっているのである。
死神が若者の若死に、若者のがん罹患を陰から楽しみに見守っているのである。
前にも書いたが、私は若い頃、不健康的で自分が必ず若死にすると思っていた。
それゆえ、青春や若さを謳歌することなく、ひたすら哲学を勉強していた。
そうして、今62歳である。
健康極まる。
そして、私はもう原理的に若死にすることができなくなってしまった。
それに対して君たちは・・・・・・
脳天気な楽天観は禁物だよ。
全く持って禁物だ、と僕も思うにゃ。
若さの裏側は若死にの可能性だにゃ。リア充的楽天観の裏側は余命の告知だにゃ。
次のアニメを読んでほしいにゃ。
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