心と神経の哲学/あるいは/脳と精神の哲学

心の哲学と美学、その他なんでもあり

哲学B1 文章講義 第3回目

2023-12-23 17:39:47 | 哲学

次は「心と身体の関係はメビウスの帯である」について解説すると思ったかもしれないが、これは省略する。

各人で、この短い小説を読んでおくこと。

 

講義中に「鶏と卵のどっちが先か」という難問の答えは明白だ、と言った。

「卵」が先なのである。

これは創造主と被造物、親と子供の関係のイメージを括弧で括って、宇宙の物質進化における生命の誕生を知ると、理解できる。

より無形の物質に近いものの方が先なのである。

遺伝子の方が先なのである。

リボ核酸とデオキシリボ核酸の方が原子生物たる単細胞生物よりも先であり、卵を産む恐竜や鳥類などの多細胞生物よりははるか先なのである。

イメージに囚われずに、科学的に考えないと、へんな謎かけにはまってしまい、変な方向に行くよ。

心身問題にはちゃんと答えがあるし、合理的な解決法があるんだよ。

しかし、その際、心と身体の関係を「メビウスの帯」として捉えることが肝要なんだ。

 

       僕もそう思うにゃ。     

 

         僕たちのどっちが先かなんて言えないよにゃ。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

哲学B1 文章講義 第2回目

2023-12-23 10:56:44 | 哲学

今回は「抗うつ薬と魂の救済」という作品について論じる。

今度もまたテキスト中のこの作品を未読の者は、この文章を読む前にテキストに戻り、呼んだから出直せ!!

 

さあ、みんな作品を読んだようなので、解説に入る。

 

この作品は「抗うつ薬」による「魂の救済」を題材とした心境小説である。

心境小説というよりは、エッセイまがいの論文と言えるような代物だが、小説には定型というものがないので、型破りの心境小説ということになる。

 

最初の方に極めて印象深い精神科医の文章が引用されている。

それは次のようなものである。

 

「自殺企画が切迫していると思われる症例にはクロミプラミン(アナフラニール)の点滴治療を依頼し、救急処置としてはホリゾン10mgを静注」。

 

恐ろしい。

ショッキングだ。

それに精神の苦悩に対いて物質的処置を最優先している。

自分がこうなったら、どうしよう。

嫌だ。

逃げたい。

そう思うかもしれない。

しかし、それはこういう状態になったことがないからである。

あるいは、よくある少し激しい精神的動揺状態のことを想い出して、この文章の感想を得るので、そう思うのだ。

むしろ、事故による大怪我、ナイフで刺されて大出血、腸閉塞その他による腹部の法外な激痛。

こういうものを想定した方がいい。

自殺企画が切迫した精神疾患者、あるいは健常者のとてつもない精神的動揺、苦悩に対して緊急の抗うつ薬の持続的点滴について感想を得るときには、

こうした極限的肉体的苦痛を連想した方がいい。

これは、これまで講義で何度も触れて来た心身二元論の克服を意味する。

この作品のテーマは心身二元論の克服である。

特にうつ病理解におけるそれである。

それと「痛み」の意味が深くかかわってくる。

 

途中「私」=作者の体験が述べられる。

一つは酷い精神的動揺く

もう一つは尿路結石のこの世で一番の激痛体験。

さらに、二ヶ月ほどの持続とはいえ、原因不明の強い疼痛体験。

 

このうち最後のものに抗うつ薬が奇跡的効果を果たしたことが告白されている。

実体験がある。

私は実は抗うつ薬による慢性疼痛からの奇跡的解放ということに関して半信半疑であった。

医学書その他から、その症例と鎮痛メカニズムについては知っていたが、実体験はやはり強力である。

やはり本当だったんだ。

そのとき私は抗うつ薬ルボックス(マレイン酸フルボキサミン)を神として讃えた。

神なんてその程度のものなんだ、と本文でも述べている。

 

死はたしかに恐ろしい。

生物である人間はいつか必ず死ぬものだということが理屈では分かっていても、感情が勝ってしまう。

しかし、この作品中で述べられるように、死よりも怖いものがあるのだ。

それは末期がんの回復不能の激痛である。

これは死というオプションがついているので、さらに辛い。

しかし、原因不明の回復のめどが全く見えない長期の持続的疼痛、激痛も、それに劣らず辛い。

それに耐えかねて自殺する者もいる。

こうなると、死は不幸や凶事ではなくて「救い」となる。

しかし、早まってはいけない。

諦めるのは早計である。

末期がんの激痛は処置なしだが、30年ぐらい続く原因不明の慢性疼痛は抗うつ薬が救済してくれるのだ。

この際、抗うつ薬は「病は気から」という精神的次元で効くのではなく、脳の痛覚中枢から脊髄後角に向って降りて行く神経線維の束、

下行性疼痛抑制系のノルアドレナリン経路とセロトニン経路の麻痺を修正することによって劇的効果を発揮するのだ。

しかし、心身二元論に囚われていると肉体的苦痛が向精神薬である抗うつ薬によって治るわけがないと思ってしまう。

肉体的苦痛になんで精神科なの、と思ってしまう。

そこで、精神科から逃げて、回復の機会を何十年も逃してしまうのであ。

精神科医の方でも、また整形外科他の身体科の医師の方でも、慢性疼痛に対する抗うつ薬の効果について知らない人がけっこう多いので、こうなるのだ。

 

結局、抗うつ薬による魂の救済というのは、心身二元論の克服を示唆したものであり、痛みの心身両義性を超えて精神の物質性を暗示したものなのである。

 

以上のことを顧慮して、もう一度作品に向ってほしい。

細部を省いたのは、自分で読んで理解させるためである。

 

       痛みはつらいにゃ。僕の心砕くにゃ。

 

       死にたいにゃ。抗うつ薬の点滴たのむにゃ。

 

      治ったにゃ。僕の魂は抗うつ薬によって救済されたにゃ。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

哲学B1 文章講義 第1回目

2023-12-20 10:16:28 | 哲学

今日はテキスト『心境小説的短編小説集』の中の五番目の作品「医学と哲学と人生」について文章で講義する。

この講義を読む者は、あらかじめ作品を読んでいなければならない。

必ず一度読んでから、この文章講義を読むこと。

もしテキストを読んでいなかったら、ブログから離れてテキストに向え!!

 

はい、みんな「医学と哲学と人生」を読んだね。

すごく短い作品だから、すぐ読み終えたはず。

それに簡単で読みやすい内容だから、すぐに読み終えたはずだよね。

それでは、解説に入ることにする。

 

この作品は他の典型的なものとは違い、最初からすぐ心境小説が展開し始める。

語り手の「私」のモデルはいちおう私自身だが、百パーセントそうなわけではない。

少し脚色している。

心境小説というものは私小説的性格が強く、だいたい自分の体験や心境を想起して書かれるものだが、少し脚色しているものもある。

また、この「医学と哲学と人生」は、これまでこの授業で扱ってきた短編小説群の中では最も専門用語や哲学議論が少なく、生活感に満ちているので、学生諸君も親しみやすいはずだ。

自分の体験や心境にも重ね合わせやすい。

 

それでは、内容に入ろう。

 

冒頭には私の小学生の頃の嗜癖が書かれている。

それは家庭医学書、あの分厚い家庭医学書を愛読書にしていたことである。

昭和の頃にはどの家庭にも必ず分厚い家庭医学書が一冊常備されていた。

私の家には二冊あり、他にも父親の勤める会社から付与された類書が三冊あった。

この計五冊を私はよく読んでいたのである。

母親に「心配性になるから止めなさい」と言われたが、止められない。

止められない止まらない、のである。

普通の少年、いや大人でも死に至る病の厳しい症状が多数記載された医学書は読みたくないものであるが、私はまるでホラー映画を楽しむしように、読みふけった。

 

読んだ後、恐ろしく不安になり、病気ってこんなに怖いんだ、死にたくない、自分は虚弱気味だから、多分30代で大病になり死ぬかもな、と戦慄、悪寒でがくがくブルブル状態。

だったら、読むの止めなよ、と言われそうだが、止められない止まらないカッパエビセンなのである。

あの頃からあのお菓子はあったのだろうか。

 

古い家庭医学書を読んでいると、医学と治療の進歩をつくづくと感じるが、昔と大して変わらないものもある。

それに最近増えている重病、難病もあるし。

例えば、日本においてかつて「がん」と言えば、まず「胃がん」であった。

それが近年、大腸がん、乳がん、肺がん、前立腺がんの方が優位に立ってきた。

また、昔はがん=死のイメージが強烈で、ほとんど死ぬという感じだったが、近年はかなり長生きするようになってきた。

たしかに、未だに手の打ちようのない悪性度の高いがんもあるが、典型的で症例の多いがんは治りやすくなってきたし、死なない。

治らない、死なない、というよりもがんと共生して何十年も生きられるようになったのである。

また、インターネット全盛のこの時代、ネットには闘病ブログがあふれ、書店には闘病記本がたくさん置かれている。

かつて家庭医学書オタクであった私は、今や闘病ブログ・闘病記オタクになっている。

続けて読んでいる闘病ブログが常に5~10あるが、読んでいるうちに死んでしまうものが多い。

今も、近いうちに死にそうな女医のブログを読み続けている。

これには禁断の楽しみがある。

 

禁断の楽しみと言うと、悪い嗜癖のように思われやすいが、そうでもない。

もし、知人がこういう状態になったら色々アドバイスできるし、自分の健康維持のためにもなる。

死に瀕したがん患者は、他人の役に少しでも役に立てばと思い、あえて無様な自分の状態をさらしているのだ。

それは必ずしも本人にとってマイナスの要素しかないものではない。

むしろストレス解消となるのだ。

やりきれない末期がんとの戦い、あるいは長期の闘病のストレスの愚痴として書くのだ。

応援のコメントも励みになるし、広告収入もある。

 

抗がん剤治療は高くつくからなー。

仕事も休み、収入は減るし。

 

テキストを要約してもしょうがないので、すかしたような文章で間接的に内容に触れているが、どうしても引用したい部分がある。

それは頚髄損傷を負った出版社の編集長の言葉である。

 

「闘病記なんてものは、健康な人が自分はこんな苦しい思いや不自由さを味合わなくて済むんだなー、とその有り難味を再認識するために読むものなんだよなー」。

 

これがその文章である。

頚髄損傷においては首から下の上半身・下半身が全麻痺になる。

それには程度の差があるが、基本一生寝たきりになる。

想像以上に厳しい。

治るタイプのがんよりも数十倍厳しい。

 

私は禁断の楽しみを指摘されたように感じ、いったん恐縮したが、すぐに、「そんなことないよ。それだけじゃないよ。医学、病理学、治療技術、死の意識、患者の心理

に興味が強く、それを自分の臨床哲学と小説執筆のために役立てているんだよ」と言いたくなった。

実際、それは自身の健康の維持、病気になった他人へのアドバイス、臨床哲学の研究に役立っている。

医学自体を趣味でずっと研究、勉強しているが、患者本人の心理、苦しみ、死の意識には並々ならぬ興味がある。

そして、ここから「医学と哲学と人生」という思考案件への思い入れとその心境小説化が実現したのだ。

 

この短編のなかで他に注目してほしい箇所が二つある。

それは「私」の友人の睡眠習慣と安倍元首相のことである。

安倍元首相というよりは、故・安倍元首相ということろが悲しいところだが。

 

私の友人が豪語していた「俺は五時に寝て七時に起きる」ということに着目されたい。

これは二時間睡眠ではなく、14時間睡眠である。

その後、彼は38歳で大腸がんで死んだ。

ここら辺の叙述を良く味わい、その意味を深く考えてほしい。

 

安倍首相に関しては暗殺のことはもとより、彼が抱えていた潰瘍性大腸炎という難病の克服、しかしその後の暗殺ということについて深く考えてほしい。

 

最後の方で「長期療養生活」について書かれている。

今では前述の頚髄損傷などがこれにあたるが、かつては「結核」がこの代表であった。

この長期療養生活についても深く考える必要がある。

これによって「医学と哲学と人生」という思考案件への視界がひらけてくるであろう。

 

以上、内容を体系的に解説することを避け、すかした解説にしたが、この方が君たちのために有益なんだ。

 

最後に、恒例の猫様に登場願う。

 

 

      面白かったにゃ

               ためになったにゃ

 

            この魚のように旨いにゃ


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『七人の侍』の中で「ミスターさむらい」と言われる久蔵(宮口精二)

2023-12-05 20:02:25 | 日記

黒澤明監督の名作映画『七人の侍』は日本映画史上の最高傑作と言われているが、世界映画史上でも必ずベスト10に挙げられ、下手すると一位になる。

世界一の映画ということ。

この映画に登場する七人の侍の中で一番人気なのが宮口清二が演じる「久蔵」である。

久蔵のモデルは宮本武蔵であり、久蔵が七人の中で一番腕が立つのである。

ストイックでニヒルな人柄として描かれるので地味に見えるが、日本のみならず欧米でも人気が高い。

特にフランスを筆頭にドイツ、イギリスなど欧州で人気がある。

私はこの映画を最初にみたときから久蔵がダントツに好きだったが、それは自分の変わった趣味のせいと思っていた。

しかし、そうではなかった。

万人、特に欧米人に一番尊敬され、好かれているのが、一見地味な剣豪・久蔵なのである。

その独特の構え(脇構え、車[しゃ]の構え)。そして、相手を斬る場面。

ネットにおける久蔵の批評には「この人めちゃめちゃかっこいい。かっこ良すぎる」というのが多い。

驚くべきことに女子高生や小学生まで、そうなのだ。

外国人もkyuzoに対してそうなのだ。

 

次の記事を参照。

七人の侍の久蔵がかっこいい理由は剣術の腕と人柄※裏話と併せて徹底考察 (20thcentury-lab.com)

 

画像の場面の動画

(87) SAMURAI DUEL SCENE - SEVEN SAMURAI - AKIRA KUROSAWA- FOOLISH SAMURAI DUELS WITH REAL STEEL SWORDS - YouTube


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする