心と神経の哲学/あるいは/脳と精神の哲学

心の哲学と美学、その他なんでもあり

脳と精神の間としての自我

2013-08-30 00:27:49 | 脳と心

歌手の宇多田ヒカルの母親の歌手・藤圭子が先週自殺した。

精神病だったらしい。

精神科医の和田秀樹さんは「統合失調感情障害」が疑われると分析していた。

 

これに触れ、またこのブログの過去の記事を読み返しているうちに、「自我と脳」の関係をまた深く考察したくなった。

自我と脳の関係を神経哲学の立場から考察したいのである。

私がたてた神経哲学は認知神経哲学と臨床神経哲学の二部門から成り立っている。

この両側面から自我と脳の関係を徹底的に論じたいのである。

その際、「脳と精神の<間>としての自我」という観点が基幹となる予定である。

自我と脳の関係は脳科学と心理学と哲学の共通テーマであり、心脳問題の核心に当たる。

かつてジェームズがこの問題に取り組み、ポパーとエックルスが大々的に論じた。

非常にポピュラーな問題であると同時に最も難解で深遠なこの問題にどう取り組むか。

答えは出るのか。

否、そんなことはどうでもいい。

死ぬほど興味のあるこの問題と徹底的に格闘したら、ノーベル賞も夢ではなかろう。

否否、とにかく面白いからのめりこむのだ。

 


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最近すごしやすい季節が短くないか ?

2013-08-29 09:49:38 | 日記

昨日、偶然おばさん二人の会話を耳にした。

それは「今暑いから、早く寒くならないかなー、と思う。それでいて冬の寒い時には早く暑くならないかなー、と思っちゃう」というものであった。

実は私もここ数年それを感じていた。

何か一年が暑い夏と寒い冬しかないような感じなのである。

春と秋のすごしやすい気候がすごく短くて、すぐに寒い冬から暑い夏へ、暑い夏から寒い冬へ、と転換するような感覚なのである。

そういえば最近の3月や11月は寒いし、9月がかなり暑い。

春と秋はかつては3か月ずつぐらいに感じていたが、最近は1.5か月ずつぐらいに感じる。

とにかく、9月が暑い。

今年はそうでもなさそうだが。


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さいたま新都心の高層ビル

2013-08-29 09:47:04 | 日記

今年の1月末に撮った写真です。

埼玉の冬はほんとにこのような快晴の紺碧の空が広がり、綺麗です。

夏は猛暑ですが、晴れても雲が多くて、このような綺麗な青空にはなりません。

 


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今日は涼しい

2013-08-25 08:45:23 | 日記

今日は雨が降っており、久しぶりに涼しい。

連日30-35℃だったので、やっと晩夏の気配である。

予報では明日からまた32℃以上になっているが、どうだろうか。

30℃以下になってほしいものだ。


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天野夏さんを見守る猫(2)

2013-08-18 19:08:25 | テレビドラマ

前の記事の猫を後ろから見たキャプチャ画像です。


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倒れた天野夏さん見守る猫

2013-08-17 22:14:51 | テレビドラマ

今日の「あまちゃん」で倒れた夏さんを引き戸の隙間から見守る猫。

猫は飼い主が卒中などで倒れると人間に知らせる習性をもっている。

それによって初めて倒れたことが分かったり発見が早まったりする。

これ実話なー。

 


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私が体で覚えている大地震の恐怖

2013-08-16 01:37:18 | 日記

私は小学校4年生のとき、青森県むつ市に在住してたが、十勝沖地震という大地震を体験した。

1968年5月の朝である。

小学校に登校し、朝の始業を教室で待っているとき、突然揺れが始まった。

それは長く続き、次第に強くなり、古い木造の校舎は今にも倒壊しそうなぐらいに波打つように揺れた。

(記録的には震度4-5であったが、間違いなく6強だったと思う。また、一昨年の大地震のように、とてつもなく長く揺れた。湖の堤防が決壊して、線路が波打つようにめちゃくちゃになったし)。

床が落ち、天井が落ちてくる、と確信した。

階段では多数の児童が阿鼻叫喚の様相を呈しており、私は「多分死ぬ」と思った。

先生が不在で、みんな必死で校庭に逃げようとしていたのだ。

・・・・・・・

結果、今こうして生きているように、死ななかった。

しかし、死んでもおかしくなかったであろう。

私はこの体験を「体で覚えている」。

だから地震に対して敏感なのだ。

私は別に死んでもよいが、日本国には生き残ってほしい。

だから、みんな東南海地震や関東大震災について真剣に考えてほしいのだ。


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2010年夏の猛暑について

2013-08-16 00:03:06 | 日記

前の記事でも触れた2010年の猛暑、気象庁では予測してなかったらしい。

むしろ冷夏を予想していた。

来るぞ、2か月後か半年後に関東~東海~南海のどこかに大地震が。

詳しい考察はまた後にすることにして、とりあえずウィキペディアの記事を貼っときます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/2010%E5%B9%B4%E3%81%AE%E7%8C%9B%E6%9A%91_%28%E6%97%A5%E6%9C%AC%29


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「脳が分かれば心が分かるのか」という主張の真意

2013-08-15 09:58:54 | 脳と心

この主張の真意は「脳と心は別の存在次元にある」とか「心の本質は物質としての脳と関係ない精神的なもの」だとかいうことと全く関係ない。

消費税の増税が心に及ぼす影響は誰もが実感しているが、脳と心の関係を考える際にはそのことはあまり顧慮されない。

とかく政治経済に関する事柄は「心」の概念として重視されない。

こういう神秘性の全くない生活的な事柄こそ「心」ないし「意識」の核心を構成してるんだけど・・・・。

「心」は政治経済的、歴史的、風土的、IT企業的、交通信号的、東京メトロネットワーク的なのだ!!

ちなみに東京メトロネットワークとか山手線とかなんとかの23区の複雑な鉄道網って、

脳の神経回路網と似てるよね!!

東京都にも心や意識があるんじゃないの?

ここらへんに考えるためのヒントがありそうやね。

 さあ、脳科学の本をまた読まなくちゃ。←こころらへんが二元論者や反脳科学主義者とちがう と・こ・ろ

 

 


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山本貴光・吉川浩満『心脳問題』を買った

2013-08-15 09:28:57 | 脳と心

2004年6月に出版された山本+吉川著『心脳問題 「脳の世紀」を生き抜く』(朝日出版社)をアマゾンのマーケットプレイスで350円で買った。

「脳が分かれば心が分かるのか」をスローガンとしたこの本は、脳科学の限界を「心」の概念を分析しながら論じたものである。

前から概要は知っていたのだが、この本には私の2001年の『脳と精神の哲学 心身問題のアクチュアリティー』(萌書房)の影響が表れているように思えてならない。

少なくとも触発しているだろう。

この本の参考文献表には私の『脳と精神の哲学』は掲載されていないが、山本と吉川のHP『哲学の劇場』だったかどこかに2004年の8月に「『脳と精神の哲学』に続く河村氏による心脳問題の書第二弾」として、その年の6月に出版された『意識の神経哲学』が紹介されていた。

とにかく『心脳問題』は脳をめぐる科学と哲学の対話に大変な波紋を投げかけ、今日まで影響を遺している。

一部には心脳問題は不毛だと主張する人もいるが、脳還元主義は年ごとに勢力を弱め、「心」の概念を脳を超えて自然的世界、環境世界、社会の情報構造へと拡張して理解する傾向が強くなってきている。

これに合わせて脳科学では「社会脳」の概念が重視されてきている。

問題は「心」が脳に還元されない超自然的精神実体だということではない。

そう思われるから、誤解の輪はどんどんひろがるのである。

問題は「社会」と「生活」と「世界の情報構造」というところにある。

「生活世界」である。

「心」はそこに住み着いた生態的現象なのである。

それを脳の神経システムの働きに還元しようとするから、無理が起きる。

心脳問題は、そこに目をつけて、脳を含んだより広大な「生命的情報世界」の中で「脳と心の関係」の再把握を狙っているのである。

まあ、その前に「脳しかない」という能無しの発言を徹底して批判し、同時に「心しかない」という唯識論的主張も粉砕しておかなきゃならないんやけどね。


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2008年10月軽井沢

2013-08-09 17:34:48 | 日記

2008年10月29日の軽井沢の画像です。

天候に恵まれ、紅葉が綺麗でした。

早くこういう季節が来てほしいものです。

いやー、軽井沢ってほんとにいいですねー。

大宮近辺に住んでると、今日みたいな猛暑日は、「軽井沢でも行ってこようかなー」と気軽に逝ける。

新幹線で35分、往復8000円強だし。

といっても、気温はさいたま市や東京から-5℃なので、36℃の日は31℃なんだにゃー。

これだと郷里の青森県むつ市の方が涼しいかな、という感じ。

 


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郡司ペギオーの『群れは意識をもつ』という本を買った。

2013-08-09 13:21:19 | 日記

昨日、ズッキノンを買ったついでに郡司ペギオー-幸夫の『群れは意識をもつ 個の自由と集団の秩序』(PHPサイエンス・ワールド新書)を買った。

大型書店の新書コーナーには置いてなかったが、大宮駅の中の書店に前から平積みになっていたので、そこで買ったのだ。

「群れは意識をもつ」という発想は識者の間では周知のトピックだが、一般の人はぎょっとするであろう。

これは全体的システムの自己組織化と新たなシステム特性の創発ということに深くかかわる問題系である。

具体的には生物の集団行動が一つの認知システムのように振る舞い、そこに新たな経験的認知特性が創発することが挙げられる。

人工知能の集団的振る舞いでもこの現象が起こる。

しかし、「群れ」に直接「意識をもつ」という特性を帰属させるのは、どうであろうか。

「意識」というよりは「情報の自己組織化」に由来する「経験」のほうが穏当であろう。

その「経験」からシステムの自己言及が起こり、それが精密化されて「意識」に近いシステム特性となるのである。

このことを顧慮して、この本をよく読んでから、レビューしたいと思う。

ズッキノンを塗りながら読もうww


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塗る頭痛薬 ズッキノン軟膏

2013-08-09 08:47:03 | 日記

市販薬でもっとも売り上げが高いのは頭痛薬である。

イブA、バファリン、ナロンエースといった老舗からロキソニンという新鋭まで、ドラッグストアで手軽に買える頭痛薬は大人気である。

私も20年来の頭痛もちで日頃よくイブAを服用する。

また肩こり、首こりもある。

これらに由来する頭痛は軽く、痛いというよりは重い、という感じである。

典型的な緊張性頭痛である。

そもそも私は頭痛で寝込んだり吐いたりとたことは一度もない。

片頭痛の人は頻繁に寝込んだり吐いたりするらしいから、気の毒に思う。

しかし、緊張性頭痛の人の悪い癖は、首と肩がこり頭が重くてすっきりしない、というだけで気軽に頭痛薬を飲むことである。

頭痛薬は本当に頭が痛いとき、ないし痛くなりそうなときに飲むべきなのである。

そこで、私はCMで見たことがある「塗る頭痛薬」のことを想い出した。

しかし、すぐに商品名が出てこないので、ネットで「頭痛薬、軟膏」で検索したら、小林製薬の「ズッキノン」がひたすら表示された。

ズッキノンには軟膏と飲み薬の二つがあるが、必要なのはもちろん前者である。

さっそくドラッグストアに行ったら、最初の店では軟膏がなくて、大きい二店目にあった。

なんか親しみが持てるかわいいデザインだね。

と思いつつ、その日の夕食(+飲酒)後にさっそく首と肩に塗ったら、「きくー」って感じだった。

いい塗り薬です。

価格が980円とちょっと高めだが、それだけ払う価値はあると思う。

 

頭痛には緊張性と片頭痛と群発頭痛があるが、ズッキノン軟膏は緊張性の人用なので、他のタイプの人は使わない方がよいでしょう。


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権威やブランドを盲信するバカ

2013-08-08 08:45:39 | 日記

Fランの大学の学生に多いね。

Aランの大学にも多いから、学力や知能とは関係ないと思う。

とにかく、自分で根拠づけたり、論理的に因果関係を抉り出すことができない。

「教科書にそう書いてあったから」とか「世間一般でそういわれているから」とか「みんながそういっているから」が判断基準となっている。

たとえば「有島武郎のほうが夏目漱石や森鴎外より優れた作家である」と言っても、信じない。

ビッグネームの漱石や鴎外を読んだこともないのに無批判に崇拝、つまり盲信しているのである。

自分で調べる癖がないのだからしょうがない。

高校と大学入試までの「問題と答えの一直線的結合」に毒された思考態度である。

そもそも感情に支配されて、論理的思考ができないのである。

人生論には答えがないから考える必要がない、と言う。

答えがある問題は高校までの定期試験や大学入試だけだよ。

これらは答えが時間内に出る問題によってのみ構成されているから、真の思考力や真摯な思索姿勢を養うことができない。

脳と心の関係を問われても、脳=心という割り切りやすい安っぽい答えにしがみつこうとする。

難しいことを考えたくないのである。

徹底的に教育しなおさなければならない。


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