先週の月曜日から気温が30℃を割り、涼しい日が続いている。
7月下旬から8月23日まで暑かった今年の夏も終わった感が半端ない。
今年の夏の暑さの特徴は湿度の高さであった。
これは台風の来襲や西日本で降り続いた大雨の影響もあると思う。
とにかく、晴れても28℃という秋の陽気が早くもやってきた。
これは、2009年以来だと思う。
とにかく、2010年~2013年は9月中旬まで継続して暑かったからね。
先週の月曜日から気温が30℃を割り、涼しい日が続いている。
7月下旬から8月23日まで暑かった今年の夏も終わった感が半端ない。
今年の夏の暑さの特徴は湿度の高さであった。
これは台風の来襲や西日本で降り続いた大雨の影響もあると思う。
とにかく、晴れても28℃という秋の陽気が早くもやってきた。
これは、2009年以来だと思う。
とにかく、2010年~2013年は9月中旬まで継続して暑かったからね。
さいたま市周辺のディスカウント・ショップ「ジャパン」に行くと、次のようなポスターが目を引く。
このポスター、何度か見ているうちに、とても気になるようになった。
なんかコミカルで癒される。
「あぢいー」というセリフも面白い。
といっても、店の人に頼んで、このポスターをもらって帰ることはできない。
そこで、画像検索でなんとか上の画像を見つけ出し、ダウンロードした。
そして、この記事にアップロードした。
実はこのポスター、桐灰化学(株)の熱中症対策商品の宣伝用のものなのだ。
ひんやりスプレーや首もとバンドなどの冷却用品である。
それにしても、今年の夏は気温はたいしたことないが、湿度がすごい。
気温36℃で湿度40%よりも、32℃で60%の方がはるかに暑い。
まさに「あぢいー」である。
こちらも綺麗です。
http://www.pideo.net/video/youku/108bd86be1016116/
次のようなコメントが付いています。
>>う、美しい、、。
>>カワイイ至上主義」の今では見られない「大人のオンナ」像がここにあります。
>>肩のストラップがずれても余裕のほほえみで、スッともとに戻す、その身のこなしの自然さ、上品さが逆に色っぽい。
>>「抱いて・・」を歌唱中にドレスの肩がずれても最後まで直さなかった松田聖子のあざとさ。
>>品格の違いが表れています。
>>絵に描いたようなセクシーなドレスで歌いながらも清潔感漂う慶子様。
>>女性の色気とは、気品を伴ってこそ、とこの映像で改めて感じさせられました。
なかなか味のあるいいコメントやね。
5日の日は私は精神科に遊びに行っていた。
昼休みの精神科医と雑談するためだった(たいていは脳と心と精神薬の関係について議論する)。
そのとき笹井氏は既に亡くなっていたが、そのことは話題にならなかった。
その日はテレビを消したのが8時半で、携帯電話をもたずに外出した。
そして、家に戻ってきたのは午後4時半ごろ。
そこで携帯電話のEZWebニュースを見て愕然となった。
なんと笹井芳樹氏が自殺、と出ている。
さっそく、PCを開いて速報を読んだ。
全身の血の気が引いた。
そして、ある人の死を想いだした。
それはフジテレビの不朽の医療ドラマ『白い巨塔』における主人公で浪速大学医学部第一外科教授の戝前五郎の死である。
戝前の死は自殺ではなく、胃がん(肺がんバージョンもある)によるものだが、世界的生命科学者と世界的食道外科医の道半ばでの死はあまりに似ている。
どちらも研究不正や誤診隠ぺい工作という嫌疑が絡んでおり、ストレスからうつ状態になった笹井博士と胃がんを進行させてしまった戝前教授である。
どちらも超エリートのやり手教授であった。
愛人が絡んでいる点も似ている。
ただし戝前の方が格段にえげつなく、まじめな面がほとんどない。
それに対して、笹井博士は・・・・・・。
まぁ、戝前よりはまじめで良心的であろう。
それと、笹井氏がすでに3月に一か月入院し、継続して心療内科(要するに精神科)に通院し、投薬されていたことを今回初めて知った。
とにかく、彼の自殺は「精神的に追い詰められた」ものの典型で、かなり痛ましい。
マスゴミはサイコパスみたいなもんだからなー。
それにしても小保方は常に「自分の心配」が最優先なんだなー。
STAP細胞をめぐる、今回の一連の騒動、いったいどういう形で結末を迎えるんだろうか。
下村博文って奴、昔板橋で塾経営してて、俺の友達がアルバイト応募の際に面接受けたって言ってたなー。
とにかく、この事件には政治やバイオ株やiPSとの確執が絡んでいて、謎が深いね。
ただ、私より三つ年下の笹井氏がこのような非業の死を遂げたことは、悔やまれてしょうがない。
もちろん彼にも落ち度はあったろうし、不正への関与もあったであろう。
また、研究費の不正使用もあったかもしれない。
しかし、自殺にまで追い込まれる筋合いのものではない。
私は数十年前から自殺について研究してきたが、笹井氏の自殺の原因はやはり、ぶっちゃけて悩みを打ち明けれる人がいなかったことと、辞任を拒否されるような理研の中での立ち位置にあったこと、これだろうな。
私は基本的に、自殺が卑怯なことだという意見を、否定する。
昔の武士の切腹も評価する。
ある人が言っていたが、「自らの不義を直視できる人は自殺するし、それから簡単に目をそらすことができる人は自殺しないのである」。
人間は原罪説どおりに、基本的に悪なんだよね。
だから誰もが不正を犯す可能性がある。
ただし、偽善者だけは、それを認めない。
悪人じゃなくて、偽善者だけは、自殺なんかしないんだよ。
黒幕は笹井氏じゃなくて、別にいるな。
メルロ=ポンティの専売特許に「生きられる身体」という概念がある。
これをもじって「生きられる猛暑」と言いたくなる。
さらに「生き抜かれる猛暑」とまで言いたくなる。
身体と同様に猛暑は各人の責任をもって生き抜かれなければならないのだ。
そのために生きかつ死にうるような実存的理想として生きられる身体、生きられる猛暑、いや生き抜かれる猛暑というものがあるのだ。
しかし、生き抜かれる猛暑ってやばくないか。
そう。
頑張っているうちに、熱中症で死ぬのである。
猛暑に殉職してどうすんだ。
とにかく、熱中症のメカニズム、発症機序を理解して、熱中症に陥らないように、猛暑を生き抜かなければならないのだ。
ブログを健忘のために書いている人がけっこういるらしい。
多くの閲覧者を獲得したわけでもなく、日記のように書き連ねているのである。
私はその両方の傾向をもっている。
多くの人に読んでもらいたくて、奇抜な記事を書くこともあれば、あの時こうしていたなー、ということを後で想いだすために、たまに日記様に書くのである。
想えば、去年も一昨年も今の時期は暑さについて日記を書いている。
今年は7月が比較的涼しかったが、下旬から暑くなり、ここのところは猛暑日が連続している。
猛暑日はつらい。
いやだー!!
と、主観的感情をぶちまけているだけでは哲学者失格である。
特に心の哲学を専攻し、心理学や生理学とも対話している私に、そんなことは許されない。
猛暑と意識の関係を客観的に考察し論じなければならないのだ。
意識は常に適温を求めている。
5月や10月の快晴の日のさわやかな適温は、我々の意識を極めて快適にする。
それに対して、8月の35℃以上の日や1月の最高気温7℃の日は意識に攻撃を仕掛けてくる。
意識は身体と一体のものなので、皮膚にまとわりつく猛暑や極寒は、生理的に嫌なものとなる。
「あの人は生理的に嫌」という言い回しがあるが、それと同じである。
気象学的に気温の変化がどうで、生理心理学的に意識と気温がどう関係するか、を客観的に説明できても、感情が許さない。
どうにもならない。
猛暑と極寒とどっちがましか、というのは、針山地獄と血の池地獄のどっちがましか、と似ている。
くそ暑くなると寒かった時の方がまだましだった、と思い、くそ寒くなると暑かった時の方がよかったなー、と思ってしまう。
外出はどちらもつらいが、夏の方が冬よりも自由度はある。
夕方以降、ぶらっと散歩するのは夏>>>>>冬である。
エアコンの効きはどうだろうか、
夏の冷房効果と冬の暖房効果のどっちがましだろうか。
・・・・・・・
このように比較は絶えないが、意識は適温を求め続けるのだ。
今、このような感慨を書いているが、冬になったらこれを読み返して、どういう気分になるのだろうか、と思ってしまう。