心と神経の哲学/あるいは/脳と精神の哲学

心の哲学と美学、その他なんでもあり

松坂慶子の美 27歳

2020-08-24 00:38:35 | 動画

何度も取り上げた松坂慶子をまた。

ただし動画です。

コメント欄もよく読んでください。

https://www.youtube.com/watch?v=VOlj5ViawA0

 

次の動画は「夜のヒットスタジオ」からのもので、こっちの方が有名ですね。

https://www.youtube.com/watch?v=NE0h-oWSf3c

 

ついでに画像も。

 

本当に吉永小百合か松坂慶子か、迷うところです。

美のイデアに関して。

おまけで、清楚版・愛の水中花

https://www.youtube.com/watch?v=CaS5V6VVPLE

 

 


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渡哲也と吉永小百合

2020-08-23 20:11:36 | 動画

渡哲也は若い頃、実は吉永小百合と恋仲で結婚寸前までいっていた。

しかし、吉永の両親の反対でそれは実現しなかった。

しかし、その後も二人の間には見えない糸が結ばれていた。

映画で共演したり、テレビ番組で共演したりで、だいたい恋仲の役柄だった。

 

それを伝える番組の一場面↓

https://www.youtube.com/watch?v=CrRRyNL614Q&list=RDCrRRyNL614Q&start_radio=1&t=2

 

1966年の日活映画『愛と死の記録』で共演してから・・・・

 英語のタイトルが THE HEART OF HIROSHIMA となっているのは、原爆症による白血病が主題となっているからである。


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渡哲也と志村けん

2020-08-14 22:49:15 | 日記

俳優の渡哲也が10日、肺炎のため亡くなった。

78歳であった。

ワイルドなイメージだし、そういう役柄ばかりだったが、実は病に彩られた生涯だった。

そんな渡が2013年に志村けんと共演していた。

周知のように志村は3月30日に新型肺炎で死んだ。

後を追うように渡も10日に死んだ。

志村は新型コロナウイルス感染症の悪化による肺炎だったが、渡は若い頃から肺に障害を抱えており、それがついに末期に至った、ということである。

この二人の死、しかも同じ肺炎。

これはこれから来年にかけてのコロナ蔓延と日本の崩壊の予兆のように思えて仕方ない。

私は二人とも好きでした。

このブログのイケメンのカテゴリーに渡についての記事がいくつかありますよ。


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新型コロナ感染症のシステム論的理解の必要性

2020-08-14 09:09:05 | 社会・政治

新型コロナの感染拡大が止まないが、比較的軽症が多いこの感染症に医学・生物学的要素の他に心理・社会的要素が密接にかかわっている。

前世紀に始まったシステム論は、扱う事象を生物・心理・社会の三側面から統合的に把握することを目指すものであり、特に精神医学において重視された。

精神疾患は基本的に脳の生理学的障害であるにしても、それに精神的ストレスや社会的人間関係が深く関わっており、

脳の生理と薬理にばかり注目していると、いわゆる薬漬けの医療に堕落してしまう。

 

新型コロナの場合、単にPCR検査や重症患者の治療や軽症者の生活自粛ないし隔離を推進しているだけではだめであり、経済の停止や医療崩壊や教育崩壊も顧慮しなければならない。

つまり、医学的側面の他に心理・社会的側面を十分顧慮しなければならないのである。

感染が拡大している沖縄の情勢は特に深刻であり、観光によって生き延びてきたこの地は今、絶望の淵に立たされている。

本土もそのうちそうなるであろう。

既に観光業界の連鎖倒産が起こっている。

高校から大学にかけて、文系と理系を分離し、自然科学と社会科学の接点に目を開かせないような教育をしてきたので、多くの大人が新型コロナのシステム論的理解と対処ができないている。

 

自分が病気になったり怪我したりして二週間以上休まなくてはならなかったときのことを思い出せば、身体の物質的異変と社会生活と精神状態は一体のものであることを実感できると思う。

それなのに、思考法が分割的になってるので、統合的理解に至らないのだ。

物質と客観的精神(社会、政治、文化)は一体のものであり、心のケアと生活習慣もそれと統合的に理解しなければならない。

 

にゃん

 


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モンローとマドンナ

2020-08-10 01:17:55 | 美人

前の記事の続きとなるが、改めてモンローとマドンナの類似性と相違について考えてみたい。

とにかく、マドンナがモンローを意識していたことは間違いなく、それは常態化していた。

それはマドンナ自身の意向もあったろうが、プロモーターによるプッシュも強かったに違いない。

次にあげる画像はモンローである。

そして、次がマドンナである。

モンローの相方は夫でプロ野球選手のジョー・ディマジオ。

マドンナの相方は説明無用のマイケル・ジャクソン(生前)である。

マドンナ単体をクローズアップしてみよう。

完全にモンローのパクリである。

しかし、よく見ると、マドンナの方がより美形で美人であることが分かる。

両者で何が違かと言うと、モンローがマイルドで可愛いのに対して、マドンナはシャープで端正な美形の美人タイプなのである。

これは別の両者のメジャーな画像を比較すると分かる。

まずモンロー。

次にマドンナ。

マドンナのこの画像は40歳代のものなで、熟女化しているが、かえってシャープな美が際立っている。

ちなみに、モンローは36歳で死んだので、中年以降の画像はない。

 

ところで、マドンナのマテリアルガールのときの画像以外の画像を見ると、それほど飛びぬけて美人には見えないことが多い。

上の白いドレスを着たときも美が際立っているが、それはやはりモンローを真似たからである。

とすると、モンローには何か美の奥義が隠されており、それを端正な美形のマドンナが引き出した、ということになる。

金髪の髪型もこのときが一番マドンナの美を引き立てているように感じる。

 

美とはそのように一筋縄ではいかない奥深さをもっているのである。

 


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マドンナの美

2020-08-09 22:26:46 | 美人

言わずと知れた世紀の大スターにして史上最高の女性ポップス・シンガーのマドンナ(Madonna Louise Cicoone, 1958.8.16~)。

好みはあると思うが、大方の意見として女性歌手で世界一の美人と言える。

特に、ピンクのドレスを着てマテリアル・ガール(1984)を歌ったときの金髪のマドンナは美の極致である。

 

 

マテリアル・ガールのプロモーションビデオ ↓

https://www.youtube.com/watch?v=6p-lDYPR2P8&list=RD6p-lDYPR2P8&start_radio=1

 

ちなみに、このときのマドンナのパフォーマンスにはモデルがある。

それはかのマリリン・モンローである。

『紳士は金髪美女がお好き』でのモンローである。

 

マドンナはモンローの再来と言われたが、モンローよりも美人だというのが定説である。

マドンナの顔の方が端正で美形である。

目が大きく、鼻の形もよい。

セクシーさでは甲乙つけがたいであろう。

どっちもセックスシンボルと謳われたのだから。


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今年の学生は例年の学生より学力がついている

2020-08-01 09:12:05 | 日記

今年の哲学A1の春学期の講義はオンライン形式であり、私の話を直接聴けなかった。

しかし、課題が二倍となった。

例年は中間試験と期末試験の二回のみである。

それに対して今年はそれに二回のレポートが加わった。

授業における私のテキストの読みと解説がなかったぶん、各自で読まざるを得なくなった。

例年では三分の二の学生は早くからテキストを買い、そのうちの半分が授業前に予習してくるが、他は予習しないで講義を聴くだけである。

ひどいのになると、試験の一週間前から前日までにようやくテキストを書い、試験に臨む。

しかし、今年は初っ端からレポートがあり、早くからテキストを買って読まざるを得なかった。

第一回目のレポートでは受付初日から提出者がいた。

 

繰り返すが、勉強は自分で自主的にやらないと力つかないよ。

テキストは難しく感じても、とにかく分かるまで読む努力が肝心だ。

これでもかなり簡単にしたつもりだが、難しいと投げ出す学生がいるので困る。

とにかく、定期試験以外に二回のレポートがあったのだから例年の学生よりも勉強量ははるかに多いのだ。

それは提出率にも表れている。

 

その通りだと思うにゃ


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哲学A1文章講義(第30回)

2020-08-01 09:04:44 | 哲学

今回で春学期の哲学の文章講義は終わりである。

今年の春学期は前代未聞のオンライン授業ということになり、当初動画配信も考えたが、通信環境を考えると無理なので、毎回文章講義とした。

秋学期もオンライン授業ということが決定したので、またこの形式で行く。

 

もともと一般教養の授業は出席率が低く、興味があり意欲的な学生とそうでない学生に大きく分かれ、必要不可欠というものでもない。

ただ単位がもらえれば、という学生も多い。

文系の学部はゼミ以外は専門科目でもだいたいそういう感じである。

勉強したい人はとことん勉強するし、ただ卒業証書がもえればよいという学生もいる。

 

勉強とは本来自分一人で自主的にやるものであり、授業はその補助にすぎない。

ただ、勉強好きないし知識欲旺盛な学生が少ないので、授業への依存度が高くなる。

授業に出席して、教授の話を聴いているだけ、という学生も多い。

ひどいのになると寝ているか、スマホをいじっている。

 

私は去年まで30年近く、対面形式の授業、それも大教室での講義を行ってきたが、もし学生が毎回指定されたテキストの箇所を読んでいるなら、

このオンラインによる文章講義のほうが効果的とすら言える。

ある学生は、私の話し方は非常にうまく、その絶妙な間の取り方に感心した、と書いていたが、人によってはテキストの読みと解説だけでつまらないらしい。

それなら、わざわざ土曜日の夜に遠方から大学にやってきて、眠い講義を聴くよりは、好きなときに家でネットの文章講義を読んでいたほうがよいのだ。

 

私にとってこのオンライン授業は利便性がある。

まず、片道1.5時間の通勤時間がなくなる。

それと、ブログに週2回ぐらい文章講義をupし、最後に好きな猫の画像を付加する。

これがまたたまらない。

どれも効果的で面白い、その回の内容にふさわしい猫の画像を載せたつもりだ。

独り部屋で自粛生活しているときは、この猫に癒されてほしい。

 

ところで、テキストの最終章だが、これは興味がある者が各自読んでもらうことにして、今回は秋学期につながる話と、コロナ禍の自粛生活についてアドバイスしておくことにする。

 

最終章にはinformationの話が出てくる。

これは第7章にも出てきたものだが、秋学期の講義では主役に躍り出る。

 

現代は高度情報化社会であり、様々なオンライン授業やインタビューや会議が有力となり、テレワークもオンラインないしIT技術、そのスキルによって充実してくる。

無駄な会議や出社が必要なくなり、東京の住居を捨てて、地方や実家に転居してテレワークにしたり、起業したりする人も増えている。

今後、無駄な人と人との交流が削減され、情報ないしIT技術が社会の主役になるかもしれない。

デジタル社会の登場である。

 

しかし、そうなっても人間社会の本質はやはり自然に根差した独自の生命性に満ちたものなので、機械的な情報技術では齟齬が生じてくるであろう。

そこで、あらためて情報の本当の本質を見極める必要が出てくるのだ。

それは情報と意識と生命の三者関係を知ることによって可能となる。

 

ところで、我々の意識は情報によって形成されている。

自粛生活で暗くなり、寂しくなる意識も情報の結合様式、そのシステム形成によって造られる。

他人とコミュニケーションしないと情報が自分の脳内で循環するだけで、鬱っぽくなる。

オンライン飲み会というものが流行っているが、やはり生身の飲み会には到底及ばない。

通信機器がこれほど発展して便利になっても、やはり機械的なオンラインの付き合いと生身の会話では格段に違う。

 

今年の新入生は可哀そうである。

こんな事態は想像もできなかったし、かつてなかった。

しかし、第二次世界大戦中や先の原発事故による避難生活に比べたら、大分楽だし、不満や不快を吐露するのは贅沢とも言える。

 

キャンパスライフはないし、友達もできない、お金が減り、ひもじくなる。

私の見るところ東洋大の二部の学生からは、毎年生活が苦しいという話はほとんど聞かない。

全国の多くの大学で、学生が生活の貧窮で悲鳴を上げ、退学すら考えている、と言われるが、この哲学の授業を取っている学生は比較的安泰だと思う。

それは課題の提出率にも表れている。

ただし、苦境にある学生は、遠慮なく学生相談室や市役所や両親に相談して、前向きな対策を考えてほしい。

苦労を乗り越えた体験は後の人生の大きな糧となるのだ。

 

それでは、また秋学期のオンライン授業で会いましょう。

 

また会いたいにゃ

 

 


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