(1)木下前都議問題は、公務のあるものは法人格と私人格の二つの人格権を持ち本人が免停中に無免許運転をくり返してより責任の重い人身事故を起こしていたことを私人の問題だとして、都議としての法人格の問題ではないとして議員に居座ろうとした問題だ。
都議会は法令違反のうえ説明責任も果たさないのは議員にふさわしくはないとして辞職勧告決議をして辞職を求めた。
(2)議員の身分は選んだ有権者の責任の問題であり、ふさわしくないとわかった場合でも次回選挙で決着をつける問題であり、その間の議員身分、辞職については本人が自ら判断、決断する問題であるから、議会といえども辞職勧告を決議して本人に決断を迫るしか方法論がない。
議員に問題があっても議員本人が自ら辞職をしなければ国民(都民)が投資(税負担)する財政財源から議員としての報酬などを受けることになるので、国民、議会が議員にふさわしくないと判断しても議員が居座り続ければ議員報酬などが支払われることになり、国民投資(税負担)者、有権者にとっては投資意思、意図に反する問題だ。
(3)それだけ議員の身分は憲法、法律で保障されており、選挙違反で裁判中の議員が議員活動をせずに議会に出席していなくても法定報酬が支払われていることに疑問があり、法令改正による報酬停止の見直し論があったり、選挙期間の設定都合で当選して月末31日に議会に出席してその月の文書通信交通滞在費の全額100万円が支給されることについて、当選した維新議員から疑問の問題提起されて日割計算支出に向けて取り組みが始まっているなど議員の身分保障の問題は多い。
(4)国民投資(税負担)を有効、効果、公正、公平に活用することの必要性、意味、意義が問われて、問題認識されている。そこで木下前都議問題では、法人格と私人格も同一人間の権利義務関係の問題であり法令違反行為となると基本的人権が制限、拘束されることになり法人格も私人格もないと考えられる。たとえ私人格としての法令違反行為といえども法人格を拘束するものだ。
(5)さらに国民投資(税負担)者からすれば、法令違反の議員に報酬を負担、支給することなど理解、協力できる問題ではない。議員身分が憲法、法律で守られているといっても、国民、有権者の選択、判断、支持があってのものであり、世論の動向を見極めて進退は自ら判断、決断するものだ。
議員の厚い身分保障(thic guarantee of position)の裏付けは、最後は議員自らが進退に責任を持ち、合理性のある判断、決断をしなければならないことを意味している。