いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

沖縄問題を考える。 thinking about the okinawa affairs

2011-10-21 19:33:30 | 日記
 (1)来るところまで来た沖縄問題を考える。政府、沖縄の相反する主張のガマン、根気比べに米国(軍)は普天間基地のこれまで通りの使用が続くだけのこれもガマン、根気比べだ。
 この三すくみのガマン、根気比べ、どこが焦(じ)れてそれぞれの抱える怒りを爆発させるのかの問題だ。

 少々まず米国から日本の対応、日米合意〔沖縄軍事スタンスのプライオウリティ化(priority principle)〕の履行を強く求める不満が表れ始めている。今年10月の日米首脳会談でのオバマ大統領からの強い要請に続き、米国政府関係者から来年6月までに日米合意に基づき辺野古沖移設の埋め立て工事開始の条件(知事認可)をクリアーすべく具体的な意向が示された。

 日本政府はそれを受けて、この後立て続けに官房長官、防衛大臣、外務大臣を沖縄に派遣して日米合意の実施を前提とした政府の方針を沖縄県知事ほか自治体関係者に伝えているが、足元を見られた政府の意図に沖縄の反発はただ強くまったくの平行線のままだ。
 それにしても、政府関係大臣の存在感の軽さだ。大臣の肩書に押し潰されそうなミスマッチの政治家のぜい弱さでは、とても説得力を持って迎えられない。

 (2)県外移設を求める沖縄、辺野古沖埋め立ての許認可権を持つ知事、辺野古沖周辺への移設で合意した日米(沖縄軍事スタンスのプライオウリティ化)政府との三すくみ、両極スタンスの中で、米国(軍)の「沖縄軍事スタンスのプライオウリティ化」(沖縄重視)がさらに問題を複雑化している。

 仮に強行執行突破できる可能性のある方針方向としては、「辺野古キャンプデェービット陸上部」への移設と言うことになる。しかし、この方針も駐留米軍沖縄最大規模の普天間基地の基地機能を考えれば、「物理的」に辺野古陸上部案では納まらずに収束はできない。
 仮に移設規模を縮小したとしても滑走路建設構造上、米軍機の離発着による付近住民へのあらたな危険を生むことになり、危険問題をスリップ・トレード(slip trade)しただけの本質的な問題解決にはならない。

 米国議会関係者からは嘉手納基地への統合案も聞こえてくるが、米国政府・軍は日米安保、軍事同盟と沖縄の治外法権化占有政策から問題にしないだろう。いまだに日本への原爆投下をやむを得なかったとする国民が過半数(60%)を占める米国だ。(メディア調査)

 (3)日本政府は辺野古沖環境影響評価(assessment)の報告書を今年中に沖縄県知事に提出する。沖縄県知事はこれに回答をする義務がある。基地周辺の安全性優先、日米合意前提の「政治的」観点を置いといて、辺野古沖環境影響評価での沖縄の「回答」を既定事実化して「足がかり」に移設環境整備の「理論的」協議を始めようというところだ。

 そもそもこの問題は日本国内、領土内のことだ。民主党政権が主張した駐留米軍基地の国外、県外移設はむしろ当然のことでもあった。もっと日本政府の意向が優先されて取り上げられる当然のテーマである。
 それが半年もたたない内に唐突に県内辺野古沖への移設の日米合意になった「不可解」が、日米の「力」(安保・軍事同盟)関係を示すものだと割り切ってはいけない。もっと議論を深めることだ。この問題で国民的議論が広がらないことが、米国に足元を見透かされている要因だ。

 (4)今後は、拙速な打開策として沖縄返還時のように国民に将来にわたって不利益を及ぼす「密約」などが基地移設問題でもまかり通ることなどないように、両政府を注視、勧告することが必要だ。

 最後にトリッキー(tricky)な手段としての首相の超法規的越権行為(知事の許認可権代行)だが、自ら民主主義の原点を踏みにじる地方自治の破壊を招いて余りにもリスクが大きすぎる。

 国民の生命、財産、安全、生活、権利を守るのが主権国家の責務だが、それを日米安保、軍事同盟に託している(託さざるを得ない)現実を三者がどう折り合うのかが突きつける問題意識だ。

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