いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

極端な独裁。 ultimate autocracy

2011-10-24 19:34:46 | 日記
 (1)王制を無血クーデターで倒した中東リビアの軍人独裁者カダフィ大佐が、半世紀近くの国民抑圧の末に「アラブの春」市民革命に拘束後殺害された。
 独裁者カダフィ大佐の殺害の仕方については全容は不明だが、独裁者であっても世界は十分に寛容だから、正義のパラダイム(paradigm)に反しているのではないのかと問題視されている。

 国家に元首(首相)も置かず憲法もない、「自分(カダフィ大佐)」だけが正義のパラダイム(justice paradigm)の極端な国家支配体制(ultimate autocracy)で、強大な石油資源利権を背景に理念のない個人崇拝、長期独裁支配国家だった。
 自国独裁支配の思惑を国際テロ支援で君主気取りに世界不安に広めようとしたが、経済・軍事制裁の国際包囲ネットにさえぎられて、事実上カダフィ大佐の個人独裁支配の思惑は終わりを迎えていた。

 その後は唐突な包囲ネット主導の米国寄りに軌道修正したり、個人の思惑だけで国が動く支離滅裂な無軌道ぶりだけが目立ち、遅すぎた市民革命の「アラブの春」に一応言うならば政治生命を絶たれた。
 こういう古い原始的な政治風土、体質が見直されるのに半世紀近くも費やしたところに、世界の政治の不条理、不正義を強く実感する。

 国家主権の相互不干渉は、国民、市民の自由な選択権があってこそのパラダイムで、近代国家論の現在にいまだそれを抑圧する政治風土、体質が現存することに人間の不条理(unreasonableness)、不可思議を覚えるばかりだ。
 世界はグローバルな経済協調基調主義の中、せまい独裁抑圧主義(自分だけが正義)が生き残る道はない。
 
 (2)日本に目を移せば、福島原発事故、九電原発PR報道メールやらせ事件での政府の関係民間事業者への露骨な内部(人事・責任)干渉だ。 
 自社防衛偏重で責任の取り様も心得ない事業者に問題はあっても、行政の突出した民間干渉は、「自分だけが正義」の思い込み間違いはないのか。
 政治の主権者である国民、市民の判断能力、「力」をもっと信用していいはずだ。
 政府の方向性には、経済再建のモチーブパワー(motive power)となる民間活力を損なう思い込み間違いの反ベクトルの負荷を感じる。

 そうしていると今度は民主党議員の中から、裁判官の判断、判決に対する威圧的な横ヤリ発言だ。「冤罪(無実の者に対する有罪化)判決にかかわった裁判官には何らかのこと(弾劾)を考えるべきだ」との趣旨発言だ。

 裁判には、判決が不当だと思うものには当事者責任で控訴が認められており、なにより三権分立の相互不干渉の独立性が保障されている。
 行政(政治家)が司法(裁判所)に「自分だけが正義」を振りかざすことは認められない。

 ことに政治資金規正法違反での民主党元代表・幹事長の強制起訴裁判進行のなかでの、利益誘導ともとらえられかねない不当干渉発言だ。
 政治の不条理は、中東、北アフリカだけのことでもなく、議院内閣制、民主主義国家の日本でも存在することが現実だ。

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