いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

私的な財津和夫論。(2) private essay about k. zaitsu

2010-12-04 19:21:27 | 日記
 「私的な財津和夫論」の第2回目は、「コンサート」です。
 2 コンサート(concert)
 (1)財津和夫さんが音楽活動を始めた頃の日本のいわゆる当時の軽音楽界は、アメリカン
ポップスにロカビリーにグループサウンズ、フォークの流れの中にありました。洋楽を中心
にレコードレーベルの会社であった東芝レコードはオデオンレーベルとして、当時、世界の
音楽界を席巻仕始めていたイギリスのロックバンド、ビートルズの日本の受け入れ窓口であ
った。

 東芝レコードのディレクターであった新田和長さんは、世界の音楽界を革命的に変えるビ
ートルズサウンドを聞いて、その現象を見て日本にも今までにない画期的なまったくあたら
しい音楽を模索していたと思う。そこへ、向こうから飛び込んできたのが財津和夫さん率い
るチューリップであった。
 財津和夫さんもまた福岡で革命的なビートルズサウンドに大きな影響を受けて、今までの
日本にはない歌謡曲でもないフォークでもない、ビートルズ同様に自ら作詞作曲したあたら
しいメロディに日本語、言葉(lyrics)を自然に乗せて歌う音楽活動を始めていた。

 (2)財津和夫さんが単身、自ら詞曲の「魔法の黄色い靴」のデモテープを東芝レコードに
持ち込んだ時の様子をラジオ番組で新田和長さんが次のように話している。
 「仕事先から帰ってきたら会社の前にひとりの若者が立っていた。そのトレンチコートに
長髪の若者は右手にオープンリールのテープを多分むき出しで握っていたと思うが、見る
からに知性的でそのスナップを見て、もうそれだけで絵になっていてジャケットに使えるほ
どだった。彼はデモテープを聞いてくれと言うので、さっそく聞いてみた。それが「魔法の
黄色い靴」だった。聞いた途端に、もうほとんど手を加える必要もないほど完成度が高く
て、その場ですぐO.K.を出した。」
 財津和夫さん、そのつくりだす音楽がすでにその時光り輝いていたのがよくわかる話だ
った。その後、新田和長さんと当時楽譜発売事業のシンコーミュージック(当時は新興と
名称)の草野昌一さんのコンビで、チューリップによる今までにないあたらしいサウンドと
して日本の音楽界をニューミュージックとして牽引していく。

 (3)当時は、コンサート(concert)とはクラシック音楽の専用語で、その他いわゆる軽音
楽はリサイタル(recital)という名称を使っていた。軽音楽はどちらかというとアウトロー
的な見方があった。ビートルズも最初はアウトローとして社会的認知はされなかったが、
革命的な優秀な高い音楽性でその後、容姿、言語も含めて世界にビートルズ文化と言
われる社会現象まで起こして広く社会認知された。

 新田さんと草野さんは、まったくあたらしいチューリップサウンドで音楽の区別を取り払
おうと、チューリップのステージに「コンサート」と言う名称を使った。今では当たり前の
ロック、ポップスの「コンサート」はチューリップが最初に使ったと言われている。

 (4)チューリップは、ニューミュージックのパイオニアとして78年7月に当時では考えも
しない鈴蘭高原に8千人を集めての野外コンサートを企画、開催し、野外規模のステー
ジング、音響効果装置(PA)、照明装置でパイオニアとしての開発能力を示した。
 
 名古屋では、早くから財津和夫さん、チューリップのサウンドの優秀性を評価していた
東海ラジオのディレクターの塩瀬さんが81年8月にチューリップ結成10周年を記念して
今まで使用されたこともなかった名古屋城内での野外コンサートを企画した。
 管理事務所からは施設の安全対策上から問題もされなかったが、塩瀬さんほかスタッ
フの説得、努力もあってなんとか開催にこぎつけた。名古屋城深井丸広場でのコンサー
ト終了後、管理事務所の心配をよそに、若い聴衆観客ファンが自主的に会場のゴミ拾い、
清掃をすませて帰って驚かせ、その後の同会場のコンサート開催の常例化につながっ
た。今では、毎年、夏の名古屋城祭りの中で各種ライブが開催されている。

 (5)チューリップはニューミュージックのパイオニアとして、今までのメディア戦略とは
一線を画してテレビへの露出を避けてコンサート(ライブ)中心で音楽活動を続けた。
 82年には1000回コンサートを越して、年によっては2日に1回、年間数百本のコン
サートで全国を廻っている。
 財津和夫さんは、ライブには絶対的な自信を持ち、ライブ仕様のアレンジでは自らの
楽曲にあたらしいアンサンブルを加えて別の音生命を与える。

 62才の今年、財津さんはlive & talkコンサートで全国を廻っており、スローバラード
にアレンジしたビートルズの「抱きしめたい」のオープニングからアンコールの「虹とスニ
ーカーの頃」まで、財津音楽の源流の起承転結を見事に音楽表現している。「詩的な」
財津音楽の世界だ。                     (転載禁止です。)


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 私的な財津和夫論。 private ... | トップ | 自立する農業へ3D産業化。 ... »

日記」カテゴリの最新記事