いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

君は怒涛の拍手を聞いたか。 did you hear the clapping of hands of raging billows

2024-07-05 20:31:44 | 日記
 (1)バンド・チューリップの音楽を考える時、音楽というものを考える必要があるのか、詞、曲、アレンジ、アンサンブル、アクセント、歌、演奏、リズム、ハーモニーの構成要件が人間の「本能」、あるいはあるとすれば「心」、細胞、組織に怒涛のように押し寄せて受け入れられるのだろうと、それは「考え」られる。

 (2)音楽を「ビートルズ」、「財津和夫」、「チューリップ」と聞いてきて(この順番が大事)、つまりは音楽とは「何」なのかわからずに、ただそこに「ある」いくつもの中のひとつの必然的な「現象」でしかないと考える。

 (3)どんな音楽も好きだ。ボブ・マーリーのカリプソもいいし、ハーブ・アルパート(ティファナブラス)のマリアッチもいいし、グラディス・ナイト(ヒップス)のRBもいいし、アース・ウインドウ&ファイヤーはモーリス・ホワイトの最盛期メンバーの来日コンサート(ステージ頂上の三角錐にメンバー全員が一瞬に消えてすぐにステージに登場のマジック)を聞いて感動したし、サンタナのステージに何か所かあやしげな煙を炊いた中で哀愁のギター・ギグ(当時は観客に背を向けてギターを弾くことが多く、演奏の力量に疑問が出たこともある)も本能的にいいものはいいし、そろそろコーヒーに入れたウイスキー(独自のブレンド)の量が多かったのか気分がよくなってきた。
 ウォーカー・ブラザースもよかったし、ローリング・ストーンズもいいし、ジャズ、クラシックもよく聞く。

 (4)今回のチューリップ50年の名古屋コンサートでは、財津さんもこれが本格的なコンサートとしては最後だとのフレーズが効いたのか観客の聞いたこともない拍手がありったけの怒涛のすごさで、財津さんがMCマイクに向かうのを押し戻す「すごさ」を見せた。
 チューリップはポップロックとして日本で最初に「コンサート」(それまではクラシックの呼び名)を使い、「ライブ」(当時はステレオ録音技術が確立されていなくて、2部屋を結んでのステレオ録音構成で失敗が許されない中で、「僕たちは実力がありますから一発で決めます」ー財津和夫)を使った。

 (5)財津和夫、チューリップは「ライブ」に強かった。そこに「ある」だけのつくられたものではない「ライブ」に絶対的な実力と自信があった。当時のレコードでは平凡な曲でも「ライブ」ではアレンジの効いた見違える曲に変わっていた。

 (6)チューリップの名古屋コンサートでの観客のチューリップを圧倒する怒涛の「拍手」は、終わりでもない、始まりでもない、ただそこに「ある」必然的な「現象」でしかなかった。
 君は怒涛の拍手を聞いたか(did you hear the clapping of hands of raging billows)。

 

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