(1)まがりなりにも野党第1党の立憲民主党が野党連携、協力、結集に苦心している。昨年の衆院選で立憲は共産党との候補者一本化など選挙協力を強めて政権交代勢力を目指して臨んだが、議席を減らして当時の枝野代表は責任を取って辞任した。
(2)国民が立憲と共産党との選挙協力、政策協定に反対意思を示したもので、その衆院選で立憲と距離を置く日本維新の会が勢力を大きく伸ばして存在感を増して野党第2党になり、立憲は代表、執行部交代で共産党との協力関係の見直しに迫られている。
(3)これまでの立憲の大きな支援組織、団体の「連合」は立憲と共産党との協力関係に反対して、今夏の参院選に向けては連合として支援政党を明示せずに「人物重視、候補者本位で臨む」(報道)基本方針を決定した。
これまで連合、労組の支援で当選してきた立憲議員からは「動揺が広がっている」(同)といわれる。
(4)立憲民主党は議席数では野党第1党でありながら衆院選で躍進した日本維新の会に政党支持率では逆転されており、立て直しが急務となっている。立憲がいつまでもイデオロギー政治(ideological politics)にこだわっていれば将来活路はみえてこずに、「国民政党」(national party)に変わらなければ再建活路はない。
(5)そういう視点から、今回連合が立憲支持を基本方針から外したのは立憲が国民政党に生まれ変わる、変われる転機ととらえるしかない。立憲民主党の中心議員の多くが09年民主党政権にかかわっており、実は09年民主党政権は時代の変化に敏感なら革新勢力が「国民政党」に生まれ変わる、変われる転機であった。
(6)当時の民主党政権は公共事業の見直し、廃止、高速道路無料化、高校授業料無償化、事業仕分けなどそれまでの自民党政権にない革新的政策が国民の圧倒的支持を受けて本格的政権交代を実現しながら、政策を推進する財政的裏付けがなく党内的にも保革混成で保守勢力と革新勢力がことあるごとに党内対立をくり返して自壊して3年半で民主党は崩壊する。
(7)民主党政権の革新的政策が国民の圧倒的支持を集めている時に、党内がイデオロギーの対立、確執を超えて、あるいは棚上げしてでも「国民政党」に脱皮、脱却するために努力、結束すれば、政策推進過程での見通しの甘さ、不足はあっても見直し、反省として国民の支持を取り繕うやり方はあった。
(8)時代は米ソ冷戦時代の終えん、中国など共産主義独裁国家も市場資本主義経済への大転換で経済国家へ進んでいた時代であり、いつまでもイデオロギー政治にこだわっている時代ではなかった。時代に乗り遅れ、見誤った民主党政権の失敗は、その後国民の大きなトラウマとなって現在の野党の支持率低迷につながっている。