いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

変革を見失う答えがない。 miss the change, make no response

2021-06-11 20:50:00 | 日記
 (1)当時安倍首相と枝野立憲代表との「歴史的使命は終わった」という党首討論が2年ぶりに菅首相と野党代表で開かれた。コロナ感染拡大、ワクチン接種、東京五輪開催については国会論議で菅首相の紋切り型(原稿棒読み)答弁で話がかみ合わずに、それではと代表同士の1対1の党首討論で切り込めると思ったのか、菅首相からはこれまで通りワクチン接種に全力を挙げるとして1日100万回を超えたとして医療ひっ迫は大幅に改善されると楽観論ばかりで、コロナ自宅療養者の死亡増加、医療従事者の過負担労働の核心対策には真剣な議論はみられなかった。

 (2)野党としてはせめて対案型、提案型の討論で存在感を示すべき2年ぶりの党首討論であったが、見せ場はなかった。菅首相に迫るならこれまでの菅政権のコロナ後手後手の対策でコロナ感染拡大を抑え込めない国民の内閣支持率の低下に、大臣経験者、政府職員などの会食接待、政治とカネ、選挙不正続出で菅内閣として責任を果していない現状政治に対して内閣不信任案に相当する議論の展開に持ち込む気概を示すべき機会だった。

 (3)東京五輪開催には国内、海外からも批判が高まり四面楚歌の状態で、菅首相からは悠長な64年東京五輪の感動話を聞かされてもコロナ感染拡大で国家危機状況の中での五輪開催の意義、目的が何なのか指摘されていることについて、海外チームの不参加、国内アスリートからの五輪開催、アスリート優先への疑問について菅首相の安全、安心論だけで説明がつくのか、問い直す声が聞きたかった。

 (4)IOC側からの無茶な開催推進論もあり、コロナ感染拡大で国民の健康、生命を守るなら「ダメなものはダメ」とはっきり開催見直しを迫ることもみたかった。2年前の党首討論は双方ともに持論、理論の主張に終始して議論がかみ合わずに気構え、能力が問われて、党首討論の意義が問われた。

 わずか1時間にもならない党首討論など制度上も問題はあり、改善、見直し論も出ていながら何ら変わらない中ではヤル気がみられずに日本の政治の低下、劣化だけが国民の前であきらかになって、小市民的国民意識(the petite bourgeoisie)が定着した国民としてこれをどう感じるのか、国民の判断、審判の秋はまじかだ。

 (5)ここでも答えがなければ、変革を見失う(make no response , miss the change )。

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