いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

戦没者と積極的平和主義。 the war dead and positive pacifism

2020-08-17 19:57:02 | 日記
 (1)8月15日が「終戦記念日」というのも、よくわからない言葉で、何を意味しているのかわからない。今年も8月15日に政府主催の全国戦没者追悼式が開かれた。主催者代表の安倍首相は主旨に沿って「私たちが享受している平和と繁栄は、戦没者の皆様の尊い犠牲の上に築かれた」(式辞抜粋)と述べているが、その惨禍を導いた戦争責任については「二度と繰り返さない」と述べるだけで終戦記念日の言葉のあいまいさを浮き彫りにしている。

 (2)遺族代表が述べた「罪のない一般市民まで巻き込まれる戦争の悲惨さと恐怖、平和の尊さとありがたさを語り続け、継承しなければならない」(報道)という言葉こそが戦争責任、終戦の日にふさわしいあってはならない戦没者(the war dead)への追悼の言葉だ。

 政府としてはあくまで戦没者追悼式という立場での取り組みのつもりなのだろうが、戦没者、遺族の多くにとっては「罪のない一般市民まで巻き込まれる戦争」への総括にほかならない。
 空襲死によるその他16万人の氏名は不明のままで調査は尽くされていない。(報道)

 (3)政府はあいまいに終戦の日をそうしておきながら、安倍首相は同式辞で「積極的平和主義の旗の下、国際社会と手を携えながら~役割を果たす」(同文抜粋)と述べて、憲法9条の戦力不保持、交戦権放棄を安倍首相独自の拡大解釈により変更し集団的自衛権(collective self-defense)の行使容認による自衛隊の海外紛争地域への派遣を可能にする「積極的平和主義」理念を今回初めて追悼式辞に盛り込んだ。

 (4)戦争責任には触れずに集団的自衛権行使による軍事同盟体制の積極的平和主義は主張するという都合主義で、戦没者追悼式としながら保守思想の強い安倍首相の自衛隊の海外派遣を正当化し進める理念を盛り込んで戦没者追悼式をますますわかりにくくしている。

 戦争責任、戦没者追悼と積極的平和主義は手法、方向性で相容れない理念、立場であり違和感がある。

 (5)6日広島、9日長崎の原爆の日の安倍首相のあいさつは93%同文であった(文字アプリ分析)といわれるが、戦没者追悼式辞は「積極的平和主義の旗の下」が初めて述べられて自らの目指す憲法改正に向けて保守思想の強い伝統文化の継承を強調したものと受け止められる。

 遺族代表の述べた「罪のない一般市民まで巻き込まれる戦争」への否定、責任こそが、戦没者への哀悼、追悼だ。
 

 

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