(1)将棋、囲碁を極めた人(名人、本因坊)というのは、たとえ年令が若くても卓越した謙虚で落ち着いた「たたずまい」には驚かさせる。受け答えも終始「おだやか」で、総じて澄んだ目、遠くを見据えるかのような視線が印象的だ。
将棋の最高峰名人戦グループと囲碁の同本因坊グループというのは10名にも満たない限られた選ばれた突出した資格才能者による総当たり戦での最高峰勝負の世界観だ。
毎回(毎年)このグループから陥落する人もいれば、同じ数だけこのグループに昇進する厳しい人間淘汰の世界でもある。
こういう特殊環境の中で磨かれた感性だから、若くしても卓越した人格とたたずまいが自然と身に付く結果というところだ。
つまり特殊環境に流されて歪(ゆが)むことなど、一般社会の公平論、平等擁護理論など問題もされない、そこに辿(たど)りつくことも出来ない天上の究極(ultimate)世界だ。
出来た人間がよく抱く「おごり」などはるかに超越した自己管理の厳しい世界観だ。かって将棋の名人が冗談ともつかずに「兄は才能がなかったので将棋の道に進まずに東大に行った」(引用に語弊があったらお許し願いたいが)と言ったが、それだけ特殊環境の天上世界だと言い当てている印象的な言葉だ。
(2)かっては若くして名人も含めて将棋全タイトル7冠達成を果たしていた羽生善治さんが、今ライバルの森内名人に挑戦している名人戦。
観戦記(新聞)には、勝利を目前にして「羽生の指の震えが止まらない。(駒を)打つ手が(盤上の)駒に触れて大きくゆがんだ。震える(trembling)指先で一応直すが、戻らない」と迫力、究極の真剣勝負の「すごさ」を表現してみせた。
2日間に及ぶ二人棋士だけの面と向かい合った白熱の真剣勝負の正に「勝利」の先が見えた「詰め」での心の動きを押さえ切れない、ふっと舞い降りてきた人間性がそれでも顔を出す。
こういう一手、ひと勝負のくり返しが人間の卓越した精神性、たたずまいを育て上げるのだ。
(3)うらやましい限りだが、他の勝負事にはない、あまり見られないものだ。よく勝負事では所作(しょさ)で相手に心の内を悟られないことが大切だと言われることがあるが、それはまだまだ甘いゆるい世界観であることがわかる究極の時間を過ごしてのいよいよ決着を迎えた場面での、超人でも押さえ切れない(超人だからこそ押さえ切れないというか)、感情露出(震え)が周囲の心を洗うのだ。
(4)将棋の世界では、勝負の先が見えて趨(すう)勢を悟れば敗者は決着の型がつく前に潔(いさぎよ)く負けを認める。相手勝者への尊敬の念、最高峰、最善の精神性だ。
それが若くしても卓越した精神性、たたずまいを育(はぐく)むのだ。
(5)自らの手で放棄した国民公約にやたらと言い訳をつけて正当性を主張し、自己擁護だけに走る政治、社会の世界を見ると、あまりの世界観の違いにあ然とするばかりだ。
責任、負けを認める潔さと、震える、人のための一手(trembling one touch)が打てないものなのか、政治、社会の世界観が小さく見える。
将棋の最高峰名人戦グループと囲碁の同本因坊グループというのは10名にも満たない限られた選ばれた突出した資格才能者による総当たり戦での最高峰勝負の世界観だ。
毎回(毎年)このグループから陥落する人もいれば、同じ数だけこのグループに昇進する厳しい人間淘汰の世界でもある。
こういう特殊環境の中で磨かれた感性だから、若くしても卓越した人格とたたずまいが自然と身に付く結果というところだ。
つまり特殊環境に流されて歪(ゆが)むことなど、一般社会の公平論、平等擁護理論など問題もされない、そこに辿(たど)りつくことも出来ない天上の究極(ultimate)世界だ。
出来た人間がよく抱く「おごり」などはるかに超越した自己管理の厳しい世界観だ。かって将棋の名人が冗談ともつかずに「兄は才能がなかったので将棋の道に進まずに東大に行った」(引用に語弊があったらお許し願いたいが)と言ったが、それだけ特殊環境の天上世界だと言い当てている印象的な言葉だ。
(2)かっては若くして名人も含めて将棋全タイトル7冠達成を果たしていた羽生善治さんが、今ライバルの森内名人に挑戦している名人戦。
観戦記(新聞)には、勝利を目前にして「羽生の指の震えが止まらない。(駒を)打つ手が(盤上の)駒に触れて大きくゆがんだ。震える(trembling)指先で一応直すが、戻らない」と迫力、究極の真剣勝負の「すごさ」を表現してみせた。
2日間に及ぶ二人棋士だけの面と向かい合った白熱の真剣勝負の正に「勝利」の先が見えた「詰め」での心の動きを押さえ切れない、ふっと舞い降りてきた人間性がそれでも顔を出す。
こういう一手、ひと勝負のくり返しが人間の卓越した精神性、たたずまいを育て上げるのだ。
(3)うらやましい限りだが、他の勝負事にはない、あまり見られないものだ。よく勝負事では所作(しょさ)で相手に心の内を悟られないことが大切だと言われることがあるが、それはまだまだ甘いゆるい世界観であることがわかる究極の時間を過ごしてのいよいよ決着を迎えた場面での、超人でも押さえ切れない(超人だからこそ押さえ切れないというか)、感情露出(震え)が周囲の心を洗うのだ。
(4)将棋の世界では、勝負の先が見えて趨(すう)勢を悟れば敗者は決着の型がつく前に潔(いさぎよ)く負けを認める。相手勝者への尊敬の念、最高峰、最善の精神性だ。
それが若くしても卓越した精神性、たたずまいを育(はぐく)むのだ。
(5)自らの手で放棄した国民公約にやたらと言い訳をつけて正当性を主張し、自己擁護だけに走る政治、社会の世界を見ると、あまりの世界観の違いにあ然とするばかりだ。
責任、負けを認める潔さと、震える、人のための一手(trembling one touch)が打てないものなのか、政治、社会の世界観が小さく見える。