(1)クレイジーケンバンドのリーダー横山剣さん。ブラスロックの乗りのいい軽快なリズムロックにちょっとユニークな味を歌に乗っけて、ひたすら真面目に演奏する横浜ミュージックシーンを代表するバンドリーダー、コンポーザーだ。
50才を過ぎた今も自宅ガレージに大型特殊オートバイを所有する大変なオートバイ愛好家でもある。ストローハットにサングラスがトレードマークで四角い顔はちょっと見には「こわもて」だが、話し出すとすぐに常識人、気のいいおじさん風なのが特徴だ。
自身、小学生時代は学校反抗の問題児(trouble maker)だったと新聞記事の特集で述懐している。
「社会に迷惑をかけるようなことは小学校で卒業したんですよ。~そのうち悪くなることが『ばかばかしく』なり~勉強もやる気が出て、テストで0点を取らなくなりました。」(新聞記事要約・『』は本ブログ注)と示唆に富んだ話を展開している。
(2)自身が言う「悪くなること」が「ばかばかしく」なるか、「自己陶酔」していくかは、成長と堕落、自覚と暴走の分岐点だ。早いうちに不道理に気付き、「悪くなること」が「ばかばかしく」なることが自覚できれば、しめたものだ。
性悪説、性善説どうでもいいが、知識欲、吸収力の余地の大きい若い早い年頃での教育の重要性、必要性だ。横山剣さんのように初等、中等教育への現場教員応援メッセージを送る人もいる。
(3)文科省の行ったり戻ったりの定まらない教育指導方針(要領)に、初等、中等教育からの塾偏重の受験中心高学歴志向が教育現場に混乱を招いている。
下地として、長年の教育現場での組合思想闘争も影響はしているだろう。教育の公平性、公正性、身分保障の権利、生活保障闘争と言うのだろうが、大人の権利、権力闘争をあからさまに初等、中等教育現場、とりわけ学校生活現場に取り込んで示したことは、社会的反発、影響力が大きかった。
労働(教職員)組合は時代の多様性に適切に適応せず、思想原理主義に固執して衰退の一途を辿(たど)り今や存在感は皆無に等しい。
(4)その結果、初等、中等教育現場では教育人の資質劣化、孤立(isolation)、過剰負担労働で今日の教育環境破壊を招いている。教育人、教育現場が変わる番だ。
「ゆとり」教育は、教員の時間外指導を増やしたとも言われている。ゆとり趣旨を生かすだけの地力と資質と実効力が大きく不足、欠落していた。
教育は成長期での意味のない学力競争ランクに惑わされて、今度は教科書ページ増の詰め込みへ回帰と継続的方向性を見失っている。
初等、中等教育では知識欲、吸収力も大きく詰め込みも意味はある。「ゆとり」のある「詰め込み」でいいのではないのか。
(5)昼にはもう街に生徒があふれる学校教育ではなく、1日7~8時間(休憩含む)は学校生活で過ごす初等、中等教育が必要だ。
その分、教員の時間外指導も減ってパラドックス(paradox)として教員と生徒のコミュニケーションも増える。
教員の資質(talent)の問題が残るが、教員養成大学のカリキュラム工夫・充実、授業シミュレーション(simulation)の経験、充実、必修、選考と多様な教育現場に適応できる教員養成システムの確立が必要だ。
「悪くなること」が「ばかばかしく」なる教育の充実だ。
50才を過ぎた今も自宅ガレージに大型特殊オートバイを所有する大変なオートバイ愛好家でもある。ストローハットにサングラスがトレードマークで四角い顔はちょっと見には「こわもて」だが、話し出すとすぐに常識人、気のいいおじさん風なのが特徴だ。
自身、小学生時代は学校反抗の問題児(trouble maker)だったと新聞記事の特集で述懐している。
「社会に迷惑をかけるようなことは小学校で卒業したんですよ。~そのうち悪くなることが『ばかばかしく』なり~勉強もやる気が出て、テストで0点を取らなくなりました。」(新聞記事要約・『』は本ブログ注)と示唆に富んだ話を展開している。
(2)自身が言う「悪くなること」が「ばかばかしく」なるか、「自己陶酔」していくかは、成長と堕落、自覚と暴走の分岐点だ。早いうちに不道理に気付き、「悪くなること」が「ばかばかしく」なることが自覚できれば、しめたものだ。
性悪説、性善説どうでもいいが、知識欲、吸収力の余地の大きい若い早い年頃での教育の重要性、必要性だ。横山剣さんのように初等、中等教育への現場教員応援メッセージを送る人もいる。
(3)文科省の行ったり戻ったりの定まらない教育指導方針(要領)に、初等、中等教育からの塾偏重の受験中心高学歴志向が教育現場に混乱を招いている。
下地として、長年の教育現場での組合思想闘争も影響はしているだろう。教育の公平性、公正性、身分保障の権利、生活保障闘争と言うのだろうが、大人の権利、権力闘争をあからさまに初等、中等教育現場、とりわけ学校生活現場に取り込んで示したことは、社会的反発、影響力が大きかった。
労働(教職員)組合は時代の多様性に適切に適応せず、思想原理主義に固執して衰退の一途を辿(たど)り今や存在感は皆無に等しい。
(4)その結果、初等、中等教育現場では教育人の資質劣化、孤立(isolation)、過剰負担労働で今日の教育環境破壊を招いている。教育人、教育現場が変わる番だ。
「ゆとり」教育は、教員の時間外指導を増やしたとも言われている。ゆとり趣旨を生かすだけの地力と資質と実効力が大きく不足、欠落していた。
教育は成長期での意味のない学力競争ランクに惑わされて、今度は教科書ページ増の詰め込みへ回帰と継続的方向性を見失っている。
初等、中等教育では知識欲、吸収力も大きく詰め込みも意味はある。「ゆとり」のある「詰め込み」でいいのではないのか。
(5)昼にはもう街に生徒があふれる学校教育ではなく、1日7~8時間(休憩含む)は学校生活で過ごす初等、中等教育が必要だ。
その分、教員の時間外指導も減ってパラドックス(paradox)として教員と生徒のコミュニケーションも増える。
教員の資質(talent)の問題が残るが、教員養成大学のカリキュラム工夫・充実、授業シミュレーション(simulation)の経験、充実、必修、選考と多様な教育現場に適応できる教員養成システムの確立が必要だ。
「悪くなること」が「ばかばかしく」なる教育の充実だ。