うろ覚えライフ。

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佐世保銃乱射・・・自己中心主義の極み

2007年12月21日 | 時事社会ログ

 

naojii:

 

○狂乱の友人、馬込政義を制止しようとして、藤本さんは、親切に友情を与え続けた友に、無残に銃殺されたのか。

 

 自分が変わり者で孤独で、人付き合いも無いのに、そんな自分に優しく親切にしてくれて、親友として付き合ってくれる友達が居たとしたら、そんなことは多分絶対にしないとは思うけれど、もし自分が絶望して狂気の沙汰になって、銃器を持ってどこぞの施設なりに乱入して行ったとして、まあ、実際問題、そんなことはしないのだけど、多分、憎しみを覚える順から殺戮して行き、そこに唯一、自分に暖かい友情を与えてくれている友が居たら、そいつだけは殺さないだろう。孤独な自分に優しくしてくれた友のことは、狂気の間際でも、友の家庭のことも必ず考える。憎しみを持つ相手を射殺して回っても、その友だけは絶対撃たないだろう。撃てないし、友が身を呈して制止して来れば、迷い、凶行を止めてしまうかも知れない。間違いなく、逡巡する。

 まあ、仮にと考えてみた話で、そんなことはしませんけどね。
 しかし、この馬込という男は理解出来ないヤツだなあ。恩を仇で返す以上にひどいヤツじゃないか。心底、自己中心主義なんだろうな。自分が絶望したとしても、孤独な自分を見捨てずに唯一かまい続けてくれた友を、小さな子供の居る友を、冷酷に無残に撃ち殺すなんて。理解出来ない人間だ。

 誰も人間は何面もの顔を持っているんだろうけど、この馬込という男は、心底、自己中心主義な人間だ。現実にこういう人間もいっぱい居るんだろうな。普段、表面では解らず、普通に生活していて。確かに人間とは、環境や状況によっては悪魔になることもあるのだろう、とも思うけど。

 この男はキリスト教を信仰していたのか、教会にはよく行っていたのだという。最後に教会で自殺したのは、最終的には神に許してもらおうと思ったのか。ムシのいい悪党だ。最高に馬鹿げているけど、死に花を咲かす狂行で、失恋したおとなしい水着の女を狙い、無防備な施設へ完全武装なスタイルで出向き、凶悪殺人を行う、というのは本人には非常にカッコイイ死に出での演出だったのか。教会でのラストも演出か?キリスト教徒というのも、一般的には、思想や哲学的なものではなく、あくまで、ごく新興宗教的な、自分個人の保身の為の、利己的な願望や、欲を満たすことを祈るだけの、俗なもの、なのかな。

 本人はカッコ良く死に花を咲かすつもりでも、これは、後世、地元では延々と、最高に馬鹿馬鹿しくも恥ずかしいアホーな狂行として残り続けるんだろうな。

 

コメント
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