旅限無(りょげむ)

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金賢姫の猿轡 其の壱

2008-11-26 22:37:00 | 外交・情勢(アジア)
■世に謀略説は数多く、たまにその種の本を手に取ると案外と楽しめるものであります。しかし、合間には必ず解毒作用のある良質なノンフィクションを読むのを欠かしては行けません。謀略説には必ず論理の飛躍と都合の悪い事実を無視するか強引に曲解する手法が常用されるので、削除された事実や一方的な事実解釈を別の角度から検討する作業が必要になるわけです。中には個人や団体を悪役だと決め付けて、何もかも悪い事が起こったらその「裏」にはこの種の力が働いているに違いない!と竹を割ったようにすっきりストーリーが組み立てられている話も多いようです。こうした単純な謀略説は悪役とされる対象と熱心に主張している側との関係を見れば、単純な敵対関係が見えて来るものです。

■それでも巨大資本を独占的に動かして世界を混乱させている企業やら、それと結託しているのか操られているのか分からないような国家も存在しているのは事実で、そこに特殊なイデオロギーや宗教が絡んでいる場合もあるでしょう。『ダヴィンチ・コード』などという安直な陰謀ネタの寄せ集め本が大いに売れるのも、複雑過ぎる社会構造を簡単に説明して欲しいという気分が世に溢れていることの証拠なのでしょうなあ。


北朝鮮の女性元工作員で大韓航空機爆破テロ事件の犯人・金賢姫・元死刑囚が、親北・左翼的だった盧武鉉前政権時代、情報機関の協力の下でテレビ各局などが繰り広げた”KAL機事件謀略説”に対し抗議と怒りの書簡を発表し話題になっている。書簡は人権団体のイ・ドンボク北韓民主化フォーラム代表に送られてきたもので、金賢姫の対外的な訴えは初めてだ。

■世間には「人権団体」を自称する組織が掃いて捨てるほどあるのですが、誰の人権を何のために守るのかによって団体の性格は大きく変わります。韓国には「金大中拉致事件」を起こしたKCIAという筋金入りの諜報工作機関が存在していたのは事実で、北朝鮮も爆破工作が大成功!した後に韓国諜報機関による「自作自演」を言い立てていたのでした。


書簡は彼女が北朝鮮で受けた工作員教育の際、日本語を教えてもらったという田口八重子さん(北朝鮮では李恩恵)について「彼女の存在と彼女が拉致日本人だったことは北朝鮮も認めているではないか」とし、謀略説とそれに便乗した政府機関、親北・左派勢力のでたらめさをあらためて非難している。

■最近亡くなった筑紫哲也さんは、韓国か米国かは存じませんが北朝鮮以外の国が仕掛けた謀略だと長い間信じていた節がありますし、拉致犯罪に関しては将軍様の自白を聞くまでは信じていなかったことを示す映像が残っているはずで。生放送番組の怖さと申せましょう。勿論、追悼番組などではそんな映像は使われません。そもそも、「地上の楽園」という悪質な宣伝こそ最大の謀略だったのですが、日本は政府も大きかった野党も、知ってか知らずかウマウマとその宣伝に乗ったのでした。

■金正日将軍様が小泉訪朝の際に「拉致はやった」と自白するまで、多くの日本人ジャーナリストが程度の差こそあれ謀略説を信じていたのは確かです。新聞やテレビが拉致被害者の安否情報をそっちのけで「拉致を認めた!」ことを大きく取り上げていたのが印象に強く残っております。


謀略説というのは「事件は韓国当局がデッチ上げた自作自演で北朝鮮は関係ない。金賢姫はニセ者」というもので事件当時、北朝鮮当局や在日朝鮮総連、日本の親北・左翼系などによって流布された。国際的には「北朝鮮のいつものでたらめ宣伝」としてほとんど相手にされなかったが、社会的に親北・左派勢力が幅を利かした前政権時代になって「過去史真相究明委員会」など政府機関やマスコミなどで大まじめに取り上げられ、執拗に”金賢姫追及”が行われた。

■日本でもこの種の謀略説は広まっていたのですから、現地では凄まじいことになっていたのは想像できます。たまたま、当時はインターネットが発達する前だったのが幸いしたのでしょう。元テロリストで元死刑囚となれば、ちょっと有名になった芸能人の比ではなく、世界で最も誹謗中傷用語が豊富だとされる韓国語でネットはお祭騒ぎが続いたことでしょうなあ。それが新聞・雑誌の活字にまで流れ出して緊急出版!の嵐を呼び、それらを扇情的にまとめて増幅するテレビが拍車を掛ければ、誰でも追い詰められてしまうでしょう。


金賢姫がとくに問題にしているのは、確実な捜査結果や彼女の自供内容は紹介せず「金賢姫とは何者か」「16年間の疑惑と真実」「金賢姫の疑問の足跡」など題して一方的に謀略論をあおったテレビ各社。しかも彼女を管理していた情報機関の国家情報院は、偏向報道に利用されることを知りながら彼女に対しテレビ出演やインタビューをしきりに勧めたという。

■日本語に訳された数点の懺悔録や回想録は誰かに強要されたものではなく、生活費を稼ぐための手段だったのかも知れません。当時は日本のテレビにも多少の品性と遠慮深さがあったのか、彼女を日本に引っ張ってバラエティ番組、グルメ番組、温泉紹介番組などに出演させるような事はしませんでしたが、それも韓国側の偏向が影響していただけだったのかも知れませんなあ。拉致問題を解決する為に世論が一挙に盛り上がらなかったのも、日本側にも共鳴する人達がたくさん居たからなのでしょうか?

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