旅限無(りょげむ)

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教育基本法改正の年 其の九

2007-01-16 08:40:34 | 教育
■これまで積み上げ先送りして来た選挙目当ての矛盾を、ろくな説明もしないままで、「財政再建」を錦の御旗にして開き直り始めた時代です。「地方切捨てだ!」などと野党が騒いでいるようですが、地方は田中角栄さんが政権を握った時代を除けば、ずっと切り捨てられて来たはずです。戦後の復興期から地方の過疎化は始まっていますし、核家族が大量に出現した時から「地域の崩壊」は始まっていました。そして、高度成長期が終った70年代から「家庭の崩壊」が顕著になっていたはずです。そんな嫌な予感を誤魔化すために、政府は「人口減少」という客観的なデータを隠し続け、底が抜けている年金制度を放置し、減税先行の人気取り選挙を繰り返して来たのです。

■近代国家の根幹を成している所得の再分配機能を持っている、地方交付税交付金という制度をハコモノ(借金付き)に集中させる土建政治を半世紀近くも続けると同時に、時代遅れの食糧管理法を曲解して農業の安楽死を画策したのですから、地方に夢と希望が消えて労働人口が都市部に流出し続けるのは誰でも分かっていたのでした。そして、冷厳な時の流れは、人為的な誤魔化しでは凌げなくなるほど都市部と地方との格差を一挙に露出させているというわけです。こうした時期に、「伝統と文化……をはぐくんできた我が国と郷土」を愛せ!という文言を書ける神経は大したものですなあ。

■戦争となれば、どんな情けない状態の「祖国」であろうとも、兵士は武器を持って戦うものです。別に小学校時代から「愛国心」をやんわりと教えられていた国民が好戦的になるというものでもありません。命を懸けて平和を守ると叫ぶのなら、食糧が尽き、輸入エネルギーが途絶し、金融制裁を受けるような絶望的な状況になった時には、にっこり笑って餓死か自殺をしましょう。と付け加えなければなりません。貧困と飢餓に絶望して狂気が生まれた人間集団を「教育」によって鎮めることなど不可能です。その貧困と飢餓が静かに日本全土に迫り、広がっているとしたら、『教育基本法』に抽象的な「愛国心」を盛り込むかどうか、そんな事しか議論にならない。その程度の議員しか平成の日本は持てなかったという事でしょうなあ。

■「愛国心」ならぬ「国を愛する態度」を盛り込めたのですから、一刻も早く愛すべき「伝統」と「文化」の具体的な内容と項目を列挙すべきでしょう。歴史をどう教えるのか?漢字はどう扱うのか?古典は何を教えるべきなのか?それを国会の議論を逃れて『指導要領』などで動揺させ続けるのなら、一本の法律を変えたくらいで日本の教育は「再生」しませんぞ!


第3条「生涯学習の理念」
国民一人一人が、自己の人格を磨き、豊かな人生を送ることができるよう、その生涯にわたって、あらゆる機会に、あらゆる場所において学習することができ、その成果を適切に生かすことのできる社会の実現が図られねばならない。

■これは旧法には影も形も無かった、まったく新しい「理念」です。旧法の第2条「教育の方針」に書かれていた「あらゆる機会、あらゆる場所」がこの新しい条文の中に亡霊のように浮かんでおります。旧法では、第1条で規定された「教育の目的」を実現するという話の中で「あらゆる機会、あらゆる場所」が出て来たのですが、今回は高齢化社会を念頭に置いていると思われる条文の中に書き込まれています。「社会の実現」というのも、旧法には見られない思い切った大きな話ですぞ!冷静に考え見ると、これは大変なことです。この条項は、学校という枠を飛び出して日本中に教育の網を掛けようとしていますぞ!

■「国民一人一人」と規定されていますから、日本国籍を有している者は例外無くこの「理想社会」で暮らさねばなりません。「自己の人格を磨」きましょう!まさか、日本中が道学者と求道者で満ち溢れるようになるのでしょうか?そんな事になったら風景が一変しますぞ!続いて出て来る「豊かな人生」というのは、株の裏取引やや電話詐欺で大儲けして面白おかしく暮らすという意味ではなさそうですから、おそらくは、磨き上げてぴかぴかになった人格で、本能的な欲望を制御して道徳心の塊みたいな人生を「生涯にわたって」送らねばならないようです。丁半博打から賭け麻雀、賭けゴルフにバカラ賭博、博打なのに博打ではない競馬・競艇・パチンコ、売春広告まで載っているスポーツ新聞やらエロ雑誌、不道徳な映像ソフトなどなど、こうした「人格を磨く」のに障害となりそうな物を一掃するべく、昔の特高警察や憲兵隊みたいな強力な摘発組織が動き始めるのでしょうか?


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