旅限無(りょげむ)

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教育基本法改正の年 其の八

2007-01-16 08:39:57 | 教育

第2条第4項
生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。

■これも旧法には無かった新しい「態度」です。旧法が制定された昭和22年は、最近話題になった昭和30年代よりも、更に明治や江戸の時代に近い牧歌的な風景の時代です。まして、折角、明治以来、営々と築き上げて来た近代的な施設のほとんどを米国が焼き払ってしまったのですから、「自然」だの「環境」などを考える人は皆無でした。その後、日本は高度成長時代に突入して、田畑を潰し、山を切り拓き、海岸と川岸をコンクリートで固め続けましたし、青い空が黒々とした煙で隠され、海や川に工場の廃液が垂れ流される風景が、何故か発展と成長の象徴のように考えられた狂気の時代が続きました。

■「公害」という言葉が新聞紙上を埋めるのは、旧法が制定されてから20年以上も経過した後の話です。環境問題を教育に取り入れるのは、実に結構なことでしょう。しかし、環境問題は国際的な政治問題なのですから、あまり学校でこれを取り上げると、現場の先生方が困ることになるかも知れませんぞ。全国の学校施設に放置されているアスベストを筆頭に、通学途中で生徒が目にする風景には、大人達が環境問題を真剣に考えているようには思えないものが多過ぎるからです。大規模な不法投棄をしているのは子供ではありませんし、田畑を荒廃させているのも子供ではありません。ですから、あまり子供を焚き付けると、反社会的な精神を養成する結果になりそうですなあ。

■いよいよ、国会で最も熱心な議論が行なわれた箇所になります。


第2条第4項
伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。

■「とともに」という接続部分を挟んで、ほぼ同じ字数で「愛国心」と「国際協調」とを並べているのですから、この条文から「軍靴の音が聞こえる!」論を展開するのは苦しいところです。万一、野党側から見事な反論が出るようであれば、前後を入れ替えてしまっても構わなかったでしょう。懐かしい「55年体制」を髣髴とさせる与野党対決が不発に終ったのは、きゃんきゃん騒ぐ野党の中に最初から政権を担当する気が無い政治家が含まれているからだけでなく、こんなに重大な「目標」を掲げた政府が背負う任務の大きさが想像も出来ないからではないでしょうか?

■「伝統と文化」という抽象的な表現が許される事自体、日本の歴史教育が崩壊している証拠なのです。縄文と弥生、奈良から平安、平安から鎌倉、室町から江戸、そして、江戸から明治、こうした大きな歴史的な亀裂と大変化をどう考えれば良いのでしょう?歴史の継続性を考えれば、敗戦後の昭和時代すらも「伝統」になってしまっています。衣食住ばかりでなく、労働も風景も言語も、何もかもが大きな変化を被っている現実に対して、「伝統と文化」をどう扱えば良いのでしょう?「愛国」の対象を具体的に例示出来る政治家や官僚が居るのでしょうか?国会の議論が盛り上がらなかったのは、「愛国心」「伝統」に反対するには、平和精力としての社会主義を標榜する野党の立場でしか発言できない日本の悲しい政治状況が、今でも克服できていないようです。

■左翼と右翼という単純なイデオロギー対立は、煎じ詰めればレーニンか天皇か、国体打倒か国体護持か、という大枠の中に収まったまま半世紀が過ぎましたなあ。ソ連が崩壊し、北京政府が市場主義に突入し、ヴェトナムと北朝鮮が一党独裁の限界に苦しんでいるのですから、社会主義は世論を糾合して対抗勢力となる武器にはなりません。政権交代を自らの存在理由にする奇妙な民主党が、野党第一党なのですから、21世紀を貫通する国家の大計を議論する人材が国会に見当たらないのは当たり前なのですが……。

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