いまさらながらの原点回帰
あの世に聞いた、この世の仕組み
三昧
※初めての方はこちら「プロローグ」、「このblogの趣旨」からお読みください。
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さんまい【三昧】
三昧(さんまい、Samadhi, サマーディの音写)とは、仏教における禅、ヒンドゥー教における瞑想において、精神集中が深まりきった状態のこと。
※フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
「さんまい」と言うより「ざんまい」と発音した方がなじみ深いですかね。
「部長の今回の出張、実は仕事じゃなくて連日ゴルフ三昧らしいよ。」とか、「いやぁ、休日はもっぱら競馬三昧ですよ。」とか、「明星のインスタントラーメン?あ、それは中華三昧。」とか、まぁ、そんな感じで日々会話に登場する『三昧』。
阿部さんの講演会や、いまここ塾なんかでは何度も登場してそうなのでご存じの方も多いかとは思いますが、今日は『三昧』に関してのお話です。
このお話、前回のトークライブ(夜の部)でも話題になっていました。覚えてます?
「三昧」の元々の意味は何かに対しての「道楽」を指しているのではなく、「身と心が一致している」と言う意味なんですって。
“禅”の世界では、人間が到達できる最も高い境地の事を「三昧」と呼んでいるのだそうです。
「身と心が一致している」ことが人間が到達できる最も高い境地。
だとしたら、それを逆さに見れば、私たちの普段の生活は、全然「身と心が一致していない」ってことですね。
「身と心が一致している」。これ、言葉を替えると「“いまここ”にいる」ってことなんです。
あまり意識はしていないと思いますが(いや、むしろ意識していないからこそ)、僕たちは普段「いまここ」ならぬ「いつどこ」状態なワケですよ。
日中仕事しながら「今晩のおかず、なににしようかなぁ…」とか、朝起きた途端に昨日の失敗を思い出して、学校行くのがイヤになっちゃったり、会議の席で、その議題よりもポケットで震え続ける携帯電話に意識が行っちゃってたり。
身体は「いまここ」にありながらも、意識が「夕刻(未来)のキッチン」や「昨日(過去)の教室」に飛んじゃって、いわゆる「心ここにあらず」の状態になっているんです。
身体は「いまここ」、意識は「いつどこ?」。
ね、これじゃぁサッパリ身と心が一致していません。
何を行うにも注意散漫状態だから、自分の持っている能力も、きちんと発揮しきれません。
そんな時は、気持ちはなんだかソワソワしてたり、憂鬱になってたり、妙に浮ついてたり。
呼吸は浅く、不規則。首や肩には力が入り、「落ち着き」というものが感じられません。
だからね、「三昧」は、人間が到達できる最も高い境地と言われるワケですよ。
でもって。
この「三昧」、その語源はインドのサマーディ(Samadhi)。
「サム(Sam)」と「アディ(adhi)」という2つの言葉が合わさって一つになった単語だそうです。
「サム」の意味は「ひとつなるもの」。「アディ」の意味は「到達」。
つまり「サマーディ」は、「ひとつなるものに到達する」、「(身と心が)一体になる」という意味になるのだそうです。
あれ?
ちょっと待った。
ひとつなるものに到達する?
ってことは、全てがひとつになる?
すべてはひとつ… whole…
これってどこかで見たような…
あ!
『癒し』だ!
「Samadhi(身と心が一致する)」も、「healing(本来の完全な状態)」も、結局は同じ事を指しているじゃないか!!
と、言うことで。
とどのつまり、「癒し」って「いまここに戻っている」という状態なワケですよ。
だからね、「瞑想(“いまここ”に帰ること)は大切だよ。」ってなるんです。^^
…
(  ̄Д ̄) 『これこれ。仕事中にブログ更新とは…それは「いまここ」と言えるのかい?』
\__”へ( ̄д ̄ ) 「只今仕事の事はスッパリと忘れ、ブログ更新に徹しております!」
(  ̄Д ̄) 『………』
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さんまい【三昧】
三昧(さんまい、Samadhi, サマーディの音写)とは、仏教における禅、ヒンドゥー教における瞑想において、精神集中が深まりきった状態のこと。
※フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
「さんまい」と言うより「ざんまい」と発音した方がなじみ深いですかね。
「部長の今回の出張、実は仕事じゃなくて連日ゴルフ三昧らしいよ。」とか、「いやぁ、休日はもっぱら競馬三昧ですよ。」とか、「明星のインスタントラーメン?あ、それは中華三昧。」とか、まぁ、そんな感じで日々会話に登場する『三昧』。
阿部さんの講演会や、いまここ塾なんかでは何度も登場してそうなのでご存じの方も多いかとは思いますが、今日は『三昧』に関してのお話です。
このお話、前回のトークライブ(夜の部)でも話題になっていました。覚えてます?
「三昧」の元々の意味は何かに対しての「道楽」を指しているのではなく、「身と心が一致している」と言う意味なんですって。
“禅”の世界では、人間が到達できる最も高い境地の事を「三昧」と呼んでいるのだそうです。
「身と心が一致している」ことが人間が到達できる最も高い境地。
だとしたら、それを逆さに見れば、私たちの普段の生活は、全然「身と心が一致していない」ってことですね。
「身と心が一致している」。これ、言葉を替えると「“いまここ”にいる」ってことなんです。
あまり意識はしていないと思いますが(いや、むしろ意識していないからこそ)、僕たちは普段「いまここ」ならぬ「いつどこ」状態なワケですよ。
日中仕事しながら「今晩のおかず、なににしようかなぁ…」とか、朝起きた途端に昨日の失敗を思い出して、学校行くのがイヤになっちゃったり、会議の席で、その議題よりもポケットで震え続ける携帯電話に意識が行っちゃってたり。
身体は「いまここ」にありながらも、意識が「夕刻(未来)のキッチン」や「昨日(過去)の教室」に飛んじゃって、いわゆる「心ここにあらず」の状態になっているんです。
身体は「いまここ」、意識は「いつどこ?」。
ね、これじゃぁサッパリ身と心が一致していません。
何を行うにも注意散漫状態だから、自分の持っている能力も、きちんと発揮しきれません。
そんな時は、気持ちはなんだかソワソワしてたり、憂鬱になってたり、妙に浮ついてたり。
呼吸は浅く、不規則。首や肩には力が入り、「落ち着き」というものが感じられません。
だからね、「三昧」は、人間が到達できる最も高い境地と言われるワケですよ。
でもって。
この「三昧」、その語源はインドのサマーディ(Samadhi)。
「サム(Sam)」と「アディ(adhi)」という2つの言葉が合わさって一つになった単語だそうです。
「サム」の意味は「ひとつなるもの」。「アディ」の意味は「到達」。
つまり「サマーディ」は、「ひとつなるものに到達する」、「(身と心が)一体になる」という意味になるのだそうです。
あれ?
ちょっと待った。
ひとつなるものに到達する?
ってことは、全てがひとつになる?
すべてはひとつ… whole…
これってどこかで見たような…
あ!
『癒し』だ!
「Samadhi(身と心が一致する)」も、「healing(本来の完全な状態)」も、結局は同じ事を指しているじゃないか!!
と、言うことで。
とどのつまり、「癒し」って「いまここに戻っている」という状態なワケですよ。
だからね、「瞑想(“いまここ”に帰ること)は大切だよ。」ってなるんです。^^
…
(  ̄Д ̄) 『これこれ。仕事中にブログ更新とは…それは「いまここ」と言えるのかい?』
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ヽ( ̄ー ̄ )ノ
ァ '`,、'`,、'`,、(o´▽`)oo(´▽`o)'`,、'`,、'`,、
なんでここに辿り着いたかも忘れてしまったぐらい自然に導かれて、先月あたりから読ませていただいております。
プロローグから過去の記事を全部読んでからコメントさせてもらおうと思っていたのですが、感謝の気持ちを抑えきれず今回コメントさせて頂きました。
本当は今思っていること全てお伝えしたいのですが、私の文章力、表現力が到底追いつかないので今お伝えできる限りのことを書かせていただきます。
雲黒斎さん、ありがとうございます。
「気付く」こと。できました。
人が自ら「している」事など何一つ無い。
全て「させて頂いてる」。
自分では分かってたつもりだったこのことをある瞬間自分の中にコロッと落とし込むことができました。(頭にイナズマが走るとはこのことか!と思いました。)
その後は全ての事に対し感謝の気持ちが溢れ、不平不満と苦は消え、現在とても思考クリアです。いわゆる「賢者タイム」がずっと続いてるみたいな感じです。(本当にこれが気付けた状態なのかはまだ分かりませんが。)
20歳という節目の歳に多くの事に気付けたという事に本当に感謝しています。
しかしまだまだ未熟で、思考に対して経験が追いついていないのでこの気付きを元にこれから一生かけて精進して行きたいと思います。
それでは引き続きブログ読ませていただきます。
最新の記事まで追いついたらまたコメントさせていただきますので宜しくお願いいたします。
あ、ちなみに僕が目指している職業が黒斎さんのご職業と同じなんです。勝手に何か感じてます。
「いまここ」に戻ると、時間が消え、思考や悲しみやトラウマも消え、他者も皆自分だという全体性を認識し、愛と慈悲が満ち溢れ、言葉がなくとも共感しあえるから、アセンションした世界では、テレパシーで意思疎通が出来るのでしょうね。
なぜか、突然、「フニクリフニクラ」のノリで、歌ってしまいました。「行こう、行こう、いまここへ 行こう、行こう、いまここへ」・・・
本日は、あべさんちとコクサイさんちで、ZEN三昧でした。
「いまここ」ですることをしていることになんのためらいもないですよね。
そういう罪悪感のようなものが、過去や未来へと誘惑しているという感じでしょうか?
今日もわかりやすい解説どうもありがとう
「いまここ」には なかなかいれず、
「欽どこ」…じゃない、
「いつどこ」に意識が さ迷ってる時、多いですよね~
「いまここ」精神を知らなかった(忘れてた)時代、
私はケツメイシのCD聴いたり、DVD観てる時は、
思いっきり身と心がひとつになってたなぁ(笑)
ケツメイシ三昧( ̄▽ ̄)
感謝ですねぇ
黒斎さんにも、いっつも感謝してますからね
お仕事をすっぱり忘れてブログ更新してくれるなんて(笑)
本当に感謝以外ないですわ〓
シズゴロウより
「明日の会議の準備しなきゃ・・・めんどくせーなー」
とか
「今日お客さん怒らせちゃったなー・・・あーあ」
とかないんでしょうか?
それともすぐ切り替えられるんでしょうか。
秋田でのいまここ塾を企画させてもらった桃ねこです。
このお話、うちのブログでも少し書かせていただいたんですが…実は秋田の講演会で打ち上げに使ったお店の名前が「三昧」だったんです。
私はなんにも考えず、ただおもてなしするのに良さそうなお店だなーと思う選んだんですが、打ち上げ中に阿部さんがじーっとお店のコースターの「三昧」の文字を眺めて「ねぇねぇ、これね」と三昧の意味をお話されたのでビックリしました。
黒斎さんの今日の説明は、阿部さんのをさらに詳しくグレードアップしてお話してくれたので尚更「おぉ~」と感激しました。
いまここ塾の打ち上げを〝いまここ〟でやったんだなぁと(笑)
雲黒斎さんのと阿部さんの声を初めてお聞きして楽しかったです(∀`)
また家に帰ったら聞こう♪と思いながら…仕事中にこの記事にコメントしている私も
いまどこ?状態になってます(笑)
仕事に集中しなければ(笑)
>何も言うことはありません。
それでは返答のしようがありません。
ヽ( ̄ー ̄ )ノ
ァ '`,、'`,、'`,、(o´▽`)oo(´▽`o)'`,、'`,、'`,、
オトシンさん
ヾ(≧▽≦)ノ Welcome to the real world!
>ちなみに僕が目指している職業が黒斎さんのご職業と同じなんです。
Σ( ̄Д ̄;;
…いや、それはどうだろう。やめといた方が良いんじゃないかな。
(-。-;) 若い芽は早めに摘んでおかなければ…
よしこさん
ヾ( ̄ー ̄)ゞヾ(_ _)〃ヾ( ̄o ̄)ゞヾ(_ _)〃 いっこう♪いっこう♪
↑フニクラのリズムにすっかりつられているご様子
リアさん
罪悪感というより、ただそれを握りしめることに慣れ過ぎちゃっているだけだと思うんですけどね。^^
静香さん
ケツメイシ、いいですよねぇ。
ゆーきーさん
逆にお伺いいたします。
「明日の会議の準備しなきゃ・・・めんどくせーなー」とか「今日お客さん怒らせちゃったなー・・・あーあ」などと言った思考を続けることによってアナタが得られるメリットは何ですか?
カズさん
お買上げありがとうございます( ̄^ ̄)ゞ
是非、ご感想もお聞かせください!
桃ねこさん
こんつわ!
ええ。桃ねこさんのブログでコッソリ拝見していましたよ。^^
この「三昧」のお話は、札幌でのいまここ塾でも話題になっていたんです。
ミリチャン☆♪さん
お買上げありがとうございます!
いやね、あのCD,自分で聞いて「あー、俺ってこんな声でしゃべるんだ~。なにこの妙なイントネーション…」とか、セルフつっこみ入れてました。^^;
・・・うーむ。
1.未来や過去のことを考えることで、未来の危機を回避できる、ような気が、しないでもない。
2.考えたくないけど、浮かんでくる。
でしょうか。
笑ってる最中は「いまここ」ですねって意味がこれ
ァ '`,、'`,、'`,、(o´▽`)oo(´▽`o)'`,、'`,、'`,、
全然タイトルとは関係ないのですが、夜瞑想していると、入ったな。と思うと部屋のあちらこちらからラップ音がでるんですよ。それが気になっちゃって・・・
黒斎さんのように(過去記事参照)自分が飛び回ってるんでしょうかねえ??
では、続きを。
>未来や過去のことを考えることで、未来の危機を回避できるような気がする
未来はまだ来ていないのに、なぜ「危機が訪れること」が前提となっているのでしょうか?
>考えたくないけど、浮かんでくる。
それは誰が(もしくは何が)「浮かばせている」のでしょうか?
なるほど。そういうことでしたか。^^
そうですね。確かに笑っている時は「いまここ」ですね。
だから鬱の時(思考のバッドループの中にある時)は笑えなかったワケだ。
>夜瞑想していると、入ったな。と思うと部屋のあちらこちらからラップ音がでるんですよ。
そのラップ音は、アナタの「いまここ」を邪魔するトラップです。
どうぞお気になさらずに。
場所も天井や壁だけならまだいいんですが
あぐらをかいてるベッドからお尻に向かって
バキッっと何でベッドからこんな音するの?って音がします(-.-;)
>そのラップ音は、アナタの「いまここ」を邪魔するトラップです。
って事はこれもエージェントなんですかね…
笑ってる時が一番いまここを感じます。
楽しいことや嬉しかったことを
思い出すときは
いまここ
じゃないのでしょうか。
そこがちょっとわかりません。
知らないでやってるのがまたすごいですね。
日々シンクロ三昧(*´ω`*)
あ。ちょっとウマい使い方かも。
ちなみに、なぜか阿部さんに「妹」だと思われて
る私ですが、黒斎さんは弟らしいので知らぬ間に
黒斎さんと兄弟の契りを交わしてしまいました…
微妙な気持ちです(笑)
( ̄ー ̄ )ゞビシ!
これも修行かと、気にならないくらいに頑張ってみます。
頭に響くくらい「ビキッ」って鳴った時は心臓にきましたよ~(;´д` )
びっくりさせないでよ、トラップくん・・・(そんなキャラクターいたなあ?なんだっけかな・・・)
あ、したの数字が連番だ(1234)
未来は、成功する可能性と、失敗する可能性、どちらもありますが、失敗する可能性を考え、シミュレーションすることによって、危機を回避する、または実際失敗しても傷つかないようにするためです(と思う)
2.「『考えたくないけど、浮かんでくる』思考は誰が(もしくは何が)「浮かばせている」のか?」
肉体のクセ、ではないでしょうか?「梅干しを想像するとよだれが出る」といったような、これまでの経験から肉体や脳に蓄積されたクセ、だと思います。
二度も黒斎さんにコメントをいただき、とてもうれしいです。ありがとうございます。
もう少しお話を続けさせてくださいね。^^
さて。
>「危機を回避する、または実際失敗しても傷つかないようにするため」
そのために、「明日の会議の準備しなきゃ・・・めんどくせーなー」と考える必要がありますか?
何かのために最善を尽くすことと、めんどくさがることは別次元の話です。
不平不満を言いながら仕事をする(「今」に抵抗をする)のと、積極的に仕事に取り組むこと(「今」を受け入れること)。
自分にとって、周りにとって、本当にいいのはどちらでしょう?
良い結果を残すことができると想定できるのはどちらでしょう?
>「これまでの経験から肉体や脳に蓄積されたクセ」
そのクセを無くせば「今日お客さん怒らせちゃったなー・・・あーあ」などの後悔に囚われることがなくなります。
クセが出たら、「あ、またクセが出た」って気付けば、その思考のバッドループは、そこで終わりです。^^
積極的に仕事に取り組むことでしょうね。
うーん、不安と不満をごちゃまぜにしていました。
「気付けば、その思考のバッドループは、そこで終わりです」
口グセや身体のクセを矯正するのと同じかんじでしょうか。
ひらに、ひらに感謝いたします。
黒斎さんのアドバイスを胸に、今週も仕事がんばります!もうすぐGWだ~(気持は未来へ・・・)