いまさらながらの原点回帰
あの世に聞いた、この世の仕組み
言葉の限界
※初めての方はこちら「プロローグ」、「このblogの趣旨」からお読みください。
********************************************
『おもちですか?』
店員「当店のポイントカードはお餅でしょうか」
おれ「えっ」
店員「当店のポイントカードはお餅ですか」
おれ「いえしりません」
店員「えっ」
おれ「えっ」
店員「まだお餅になってないということでしょうか」
おれ「えっ」
店員「えっ」
おれ「変化するってことですか」
店員「なにがですか」
おれ「カードが」
店員「ああ使い続けていただければランクがあがってカードが変わりますよ」
おれ「そうなんだすごい」
店員「ではお作りいたしましょうか無料ですよ」
おれ「くさったりしませんか」
店員「えっ」
おれ「えっ」
店員「ああ期限のことなら最後に使ってから一年間使わないときれます」
おれ「なにそれこわい」
店員「ちょくちょく来ていただければ無期限と同じですよ」
おれ「なにそれもこわい」
店員「えっ」
おれ「えっ」
『きせいちゅう』
警官「寄生虫なので、できれば引き返して最初の信号を右に行って下さい」
ぼく「えっ」
警官「寄生虫ですから、引き返してください」
ぼく「なにそれひどい」
警官「えっ」
ぼく「ぼくが寄生虫ってことですか」
警官「寄生してるのは警察ですよ。寄生してるので重体なんです」
ぼく「えっ」
警官「えっ」
ぼく「だれが重体ですか」
警官「誰というか、まぁここを通った人全員ですかね」
ぼく「あなたも僕に寄生しますか」
警官「えーとね、あのですね、この先でトラックが横転して積荷が産卵したんですよ」
ぼく「えっ」
警官「つまり事故ですね」
ぼく「何が産卵したんですか」
警官「精肉業者のトラックで、冷凍された肉が産卵したみたいです」
ぼく「なにそれやばい」
警官「ええ」
ぼく「重体の人は大丈夫ですか」
警官「えっと、まぁ寄生虫とはいえゆっくりと動いてはいますから」
ぼく「なにそれこわい」
警官「えっ」
ぼく「えっ」
警官「とにかく、先ほどから警察が現場の方で超刺してますから」
ぼく「なにそれもこわい」
警官「えっ」
ぼく「えっ」
※2chからのコピペ(ふじこーさんに教わりました。)
言葉の指す意味を取り違えると、コミュニケーションは成り立たない。
「自分」の価値観や先入観、偏見を抱え続けている限り、物事が全て歪んで見えてしまいます。
コミュニケーションの中で大切になるのは「自分」の価値観ではなく、「相手」の価値観。
自分を消して、相手になること。
つまり、そこに必要なのは「分離意識(自我)」ではなく「統合(無我)」。
「私」という分離意識がなくなり、相手と「ひとつ」になれたなら、そこにはもう言葉は必要ありません。
自我でコミュニケーションを取ろうとすると、そこに歪みが生まれます。
ま、つまりはそういうことですよ。
←コレを押してくれる優しさはお餅ですか?
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『おもちですか?』
店員「当店のポイントカードはお餅でしょうか」
おれ「えっ」
店員「当店のポイントカードはお餅ですか」
おれ「いえしりません」
店員「えっ」
おれ「えっ」
店員「まだお餅になってないということでしょうか」
おれ「えっ」
店員「えっ」
おれ「変化するってことですか」
店員「なにがですか」
おれ「カードが」
店員「ああ使い続けていただければランクがあがってカードが変わりますよ」
おれ「そうなんだすごい」
店員「ではお作りいたしましょうか無料ですよ」
おれ「くさったりしませんか」
店員「えっ」
おれ「えっ」
店員「ああ期限のことなら最後に使ってから一年間使わないときれます」
おれ「なにそれこわい」
店員「ちょくちょく来ていただければ無期限と同じですよ」
おれ「なにそれもこわい」
店員「えっ」
おれ「えっ」
『きせいちゅう』
警官「寄生虫なので、できれば引き返して最初の信号を右に行って下さい」
ぼく「えっ」
警官「寄生虫ですから、引き返してください」
ぼく「なにそれひどい」
警官「えっ」
ぼく「ぼくが寄生虫ってことですか」
警官「寄生してるのは警察ですよ。寄生してるので重体なんです」
ぼく「えっ」
警官「えっ」
ぼく「だれが重体ですか」
警官「誰というか、まぁここを通った人全員ですかね」
ぼく「あなたも僕に寄生しますか」
警官「えーとね、あのですね、この先でトラックが横転して積荷が産卵したんですよ」
ぼく「えっ」
警官「つまり事故ですね」
ぼく「何が産卵したんですか」
警官「精肉業者のトラックで、冷凍された肉が産卵したみたいです」
ぼく「なにそれやばい」
警官「ええ」
ぼく「重体の人は大丈夫ですか」
警官「えっと、まぁ寄生虫とはいえゆっくりと動いてはいますから」
ぼく「なにそれこわい」
警官「えっ」
ぼく「えっ」
警官「とにかく、先ほどから警察が現場の方で超刺してますから」
ぼく「なにそれもこわい」
警官「えっ」
ぼく「えっ」
※2chからのコピペ(ふじこーさんに教わりました。)
言葉の指す意味を取り違えると、コミュニケーションは成り立たない。
「自分」の価値観や先入観、偏見を抱え続けている限り、物事が全て歪んで見えてしまいます。
コミュニケーションの中で大切になるのは「自分」の価値観ではなく、「相手」の価値観。
自分を消して、相手になること。
つまり、そこに必要なのは「分離意識(自我)」ではなく「統合(無我)」。
「私」という分離意識がなくなり、相手と「ひとつ」になれたなら、そこにはもう言葉は必要ありません。
自我でコミュニケーションを取ろうとすると、そこに歪みが生まれます。
ま、つまりはそういうことですよ。
←コレを押してくれる優しさはお餅ですか?
コメント ( 51 ) | Trackback ( )
« 癒し | 三昧 » |
もちろん、
僕は超刺される側にも超刺する側にもなりたくないですけど。
3コ口!で悩まされました。
タップの気持ちになりきれて無かったんだね。
タップが何を伝えようとしているか理解しようとしていなかったんだね。
じっくり見ればわかったのにね。3こぐち。
言葉に惑わされてしまったんだよ。。。
まぁ、そんなこともありつつ・・・。
これって、私、恋愛で勉強させてもらってるなーって思うんです。
かれこれ7年お付き合いさせていただいてる人がいて、5年程遠距離中なんですが、言葉に限界があるのは嫌という程感じます。
抱き合えば言葉は要らないのに。
言葉はコミュニケーションの最終手段だと感じます。
でも、遠く離れた人とのコミュニケーションは言葉メインになりがちだし、難しい。不足を埋めるのは思いやりなんでしょうね・・・。
更新のない日にもついております。
話しは変わりますが、以前某ファーストフード店でバイトしていた時、英語圏のお客さんと話した時に言葉の無力さを知りましたね。
話せなくてもお互い意思疎通をしようという気持ちがあれば伝わるんです。
お互い相手が何を言いたいのか、『言葉』よりも相手の『気持ち』に意識を集中した結果ですね。
言葉は手段でしかなくて、使っているのは同じ人間なんですよねぇ。
黒斎さんから学ばせてもらった事です(^^)
ありがとうございます(__)
B:お菓子~?
A:うんうん、だって、壷にはまるじゃない?
B:壷にお菓子がはまっているの?
A:おかしくって、壷にはまったの。アハハ。
B:お菓子食って壷にはまって抜けられなくなったの? 食べすぎなんじゃない? そりゃおかしいね。アハハ。
A:・・・・
即興でつくってみた・・笑
(ギャグとばすのは苦手なんですが・・ オヤジギャグっぽくなってしまったかしら。笑)
今日の記事は、笑えました。
昨日のコメントは1時間もかかったけど、今日のコメントは、たった5分くらいでかけました。笑。
言葉にすると難しいし、受け取られ方が実に様々ですよね~笑。
という心理を黒斎さんも表したかったのでしょうか? 笑
黒斎さん。
マトリックスを見ていて最近思うようになったのですが、人間って「選択」できなければ発狂する生き物なんですね。
自分は愚かですが、「愚かで居続ける権利」を認めてもらえないと、「愚かで居続けるか」、「目覚めるか」の選択が出来なくて、発狂するんだと思います。
こちらのブログの記事は全部通して読んでいますが、自分の受け取り方の問題なのでしょうか?
どうも「愚かで居続けてはいけない」と急かされているような気になります。
最近よく見るフレーズ「伝わっていますでしょうか」にも、伝わってないことに対する苛立ちなんかを感じてしまって……。
ダブルバインドって言うんですか?
言葉は「やっていいよ」
でも、態度では「やっちゃダメ」
っていう。
そんなふうに思えてしまいます。
黒斎さんは、ブログを読んでいる我々ではなく、道具としての”言葉”の使い勝手の悪さに苛立っているのかも知れませんが。
何だか、自分が怒られている気持ちになってしまいます。
ただ、最近は、黒斎さんの苛立ちも少し落ち着いているようなのも分かります!
今まで感じていたことが、なんとなく自分の中でまとまったので、報告したかっただけなのでした。
すみません。
黒斎さん。
自分は愚かで居続けていいんでしょうか。
日本語には音読みと訓読みがありますが、音読みにも漢音読みと呉音読みがあります。
たとえば、仏教では「飲食」(いんしょく)を、「おんじき」と読み、「観世音菩薩」(かんぜおんぼさつ)は「かんしいんぶさー」と読むこともあります。
名古屋の近くに四日市という町があり、そこの名産品が「万古焼き」…。ばんこやきですね。〇んこやきではありません。
また、韓国の有名な湖に「……湖」というのもあると聞きます。
それから、うちの実家の遠い親戚に古美術商を営む家があるのですが、その屋号は
「丸万古美術店」といいます。
音読みの限界、わかってもらえますか。
真相はケチャップライスが握る。
只今 ハンバーグ定職中です。
○。。。ルミネぐち
×。。。ルミネロ
ローマ時代の皇帝の名前かって言うの
自分が、わかっているかどうかは別にして
ジョークだけには反応してみました
「自分」の言いたい事がいっぱいいっぱいで、
たまに歪みが生じてます。
ニュアンスだけで伝えようとしてしまう事もあり、
言葉の乏しさにだけに留まらず、
そこに「これ伝えたい」という自我がコミュニュケーション計ろうとするから、
余計に歪みが生じてしまいますね~。
人によっては、
全く言葉が要らず、コミュニケーション取れる場合もあります。
「あ」「うん。」な関係?
それって、相手と自然にひとつになれてるからでしょうね。
そういう時は、自分を分かってもらおうとする、
自分営業マンが顔をだしてませんね。
気付いてなかった。
必要だったのは「統合(無我)」だったのか。。。
どんなコミュニケーションにおいても、
それを思いだせれたらいいな。
ご指摘ありがとうございます。
言葉の言海、漢字増すよねー
私の優しさはお餅ではないけど木の実木のまま
隙な時に押してます~
今日は推してみよ~!
誰を?木の実ナナ?
餅のランクが上がるのは楽しそうですね(笑)
話がなんか噛み合ないなぁ・・・って感じるとき、自我から発信しているんですね~。ホントためになります!
ありがとうございますヽ(´∀`*)ノ
「パンつくったことある?」
とか聞いて答えさせる遊びでしょ。はやってました。
ん?そういうことじゃないの?
ちなみに上の原稿を携帯が変換するままにしてみたら次のようになっちゃいました。
↓
沿うそうよ区やりました代証が区政残ろ恩な鋸に
(後略)
エゴで解釈するのと、現実(言ってることの真意)を見ようとすることの違い…ですよね。
聞く人がエゴで解釈して、真意が伝わらないもどかしさ…を感じているのですね。
と、言ってる私自身もまさにそんな人かもなんで、偉そうに言えないですが
書いていて、何だか虚しいです。たまに思うのですが…結局、ここでコメントをすると言うのは、自分のエゴを披露しているって事ではないかと。
1人1人に対して、納得がいくまでそれをお互い教えられるのなら、それもいいのかもですが、なかなかそうは行かないですよね。
少し黒斎さんの文章を見ただけで、目が覚めるクリアな人もいれば、自分のように個人レッスンまでしてもらっても真理が澄み渡らない人もいるのですよね。
別に自分や誰かの事がどうとかじゃないんです。うまく言えないんだけど、変なもどかしさを感じます。
いまいち何が言いたいのかわからんですね。疲れてるのかもですね。
胸に刺さる言葉です、そのとおりですね。
もちろん、すべての方がそうであるとは思いませんが・・・(自分は反省です)
勉強させていただいております
それでいいと思うんです!
自分で自分のことに気付けないことがたくさんありますから、こうやって様々な方たちが様々な方向から書いてくれるおかげで、おお!とかああ!って気付けるんですよ!
あ、こう言うエゴもあったんだ、ってこともありますし。お互いがお互いを映し合って気付くんですね。
ですので、エゴだろうがなかろうが、書くってことは自分の為にも他の人の為にもなってるんです!!
黒斎さんも伝わっているかどうか、コメントを書いてくれないと分からないでしょうし…
伝わっていないから受け取る方が悪い、と言っている訳ではなく、言葉には限界がありますから「限界がある」ってことを前提にして
お互いが何を言おうとしているのか、お互いがちょっと相手の視点に立って考えてみればもっとスムーズにコミュニケーションできますよ、ってことなんですよね。
人それぞれ必要なタイミングとプロセスがありますから。焦らずゆっくり自分のペースで、周りと比べずに進んでくださいね。
こてつさんの言いたいこと、私なんとなくわかるような気がするんですよ!
この間の4月の阿部さんとのコラボに参加した方は覚えてると思うんですけど、あのとき阿部さんが「般若心経」の話したじゃないですか。
それで、阿部さんは、
「般若心経に書いてあることの本当の意味は目覚めた人にだけにわかることだ。つまり、目覚めた人にとっては読まなくってもわかることだし、目覚めてない人には読んでもわからない内容だから、結局あの本はどちらにしても役に立たない本ということになる。」
って、まあ、おもしろくしゃべって下さったんで会場の皆さんは笑ってましたよねー。
でも、よく考えてみると、こくさいさん達が伝えて下さっている内容にしても、それと同じような面があるんじゃないのか?っていうことでしょ!?
こてつさんの言いたいことはそういうことなんじゃあないかなー? 違うかな?
もしもそうだとしたら、私にもそのこと少しわかりますよ。
皆さんはよくコメントに「よくわかりましたー」とか「すっきりしましたー!」とか書いていらっしゃいますけど、もしも、黒斎さん達の書いている内容が本当に目覚めた人にしかわからないような内容であるのだったとすれば、それは、目覚めてない人達にとって、いくら一生懸命に書いてくださっても何の役にも立たない内容‥っていうことになっちゃうし、また、逆に、目覚めた人たちにとっては別に今さら聞く必要もない内容っていうことになりはしませんか?
それとも、それは目覚めてない人が聞いても役に立つんですか? 黒斎さんは、「少しずつ目覚める、っていうことはありえない。」と断言なさいましたよね。そうしたら黒斎さんの書かれた内容を読んでも「少しずつ分かるようになる」ということもない、ということになりますよねー。
それとも、わかる時はいっぺんに「わかる」ようになるけれど、その前に色々と考えたり知っておくことは(そのための準備としては)役に立つから、、、ということなのですか???
どうなんでしょう?
(あ~あ、また言っちゃった、、、
おそらくこのコメントも載らないでしょう。
(泣)、、、
さわらさんと同意見です。(先を越されました(<m(__)m>))
私もコメントさせて頂いております。
コメントして次の日に自分のコメントを読む度に
傲慢で稚拙で勝手に判断してそして解っていなくて・・・情けなくなります。
でも、それがあの時の真実の私の姿だから…
コメントをする事は「今ここ」の確認のような気がします。
私の情けないコメントにも、ここに集まって下さる人は愛して、許してくれます。
だから、なんでもいいと思っています。
ここに来るのは何かを感じてきているのだから…。
目覚めに「近道はない」と今の私にメッセージがきています。
頑張りましょう
んとね、言ってることはすごぉく分かります!
でも少しずつ目覚めることはなくても、少しずつ思い込みを手放すことはできるんです。
今私達が苦しんだりするのは、自分の「思い込み」のせいなんですよね。
それが「当たり前」だと思っている。
それを黒斎さんたちが「それはアナタの思い込みですよ」と教えてくれて「ぉおそうだったのか!!」と今まで持っていた荷物を解放し、楽になれる。
今までずっと「分離」していた自分を「統合」できる。
例えばこの間の「時間はない」って言うのも、今まで時間があるって思い込んでいて、過去を悔やみ未来を憂いながら生きていたのに(意識が浮遊していたのに)時間はなかったんだ!って理解するだけでも、過去に捉われず、未来を心配せず「いま」に在る「手助け」になりますよね。
そう言う積み重ねだと思うんです。
目覚めをコントロールすることはできないけれど、そうやって意図して、思い込みをどんどん手放すことで「早める」ことはできるんじゃないかって思う。
人それぞれのタイミングがあるとは思うけど…
教えてくださいさんも、このブログを読んで「おぉ!」って思って、意識が変わったり考え方が変わったりしたと思うんです。
そう言う「小さな気付き」もすごく大切だと。
「あ、そうか!そうだったのか!」って閃くのて一瞬ですよね。少しずつ理解し、目覚めは一瞬。
なので、役に立つんですね!!
教師も人間だから。
そして教師が度肝を抜くような、閃きを持つ生徒から、逆に教えられる事もある。
「知りたい」が、視野を狭める事もあれば、世界を広げる事もある。
どうせならば、広がれば良いと思う。
だから「?」を持っていたい。「これが答えだ。」と決め付けて信じ切って、良い意味で疑う事を忘れてしまわないように。
「さあ、もう大丈夫だよ。先に進もうよ」
でも、石につまづいた子供は悔しくて石に八つ当たりして執着していました。
「この石が悪いんだ。この!この!」
石に仕返ししても転んだことは変わりません。
石を向こうに捨てて、諭してあげます。
「さあさ、憎い石はもうないよ。だから一緒に登ろう?」
そして子供の手を引いて一緒に登って逝きました。
・・・
あ~つまり、伝わってないなと思うことは書いていてあると思うんですよ。
でも、食いつくところはそこじゃなーい!と、それを解消してあげようと色々な方法で書いてくださっているんだと思うんですよ。
言葉での説明では限界があるから。感覚的に理解できるように囚われている事や執着してしまっていることを解消する手助けにしか我々はできないのですってことが「癒し」のお話でしたか。
皆が癒しの山を登り切り、ヒーラーになれると良いですよね。
ヽ( ̄ー ̄ )ノ
教えてくださいさんへのレス、
すごく分かりやすかったです。
(勝手に自分の視点で読みました;汗)
「小さな気付き」も大切なんですね。
そんなふうに言ってもらえると、安心します。
横からすみませんでした!m(__)m
「目覚める」と言うことを大きな目的にしてしまうと、毎日の小さな気付きをスルーしたり、これじゃまだダメなんだ、と思ってしまいがち…
でも気付く、ってこと自体、とても素晴らしいことだと思うんです。
流花さんがおっしゃっているように、今「分からない」ことは決して悪いことではない。
その悪い、と言う判断を手放して、その今をも認めて受け入れること…
そしてmさんがおっしゃっているように、私達の本質は同じであるので、一方的な関係と言うのもないと思うんです。
お互いがお互いを映し、そこから学ぶものがある、と。
ですので目覚めていないこと、分からないこと、理解できないことは、決して悪いことでも卑下することでも焦ることでもない、と言うことをお伝えしたいです。
間違えました(汗)
頑張りましょうーーは「お互いに頑張りましょう…」です。
失礼致しました<m(__)m>
今日の記事はピン!と心の琴線に触れました。(最近、身近な人間関係の悩みが出来てしまったので)
エゴは厄介事のタネですね。
「自分」を消して臨んでみることにします。
名詞だったんだー。
てっきり副詞かと思ってました。
あ、そういう問題じゃないっすね・・・
変化は対話と交流から生まれるんだろうなと思います。
その対象が他者であれ自己であれ自然であれ事象であれ
歩幅の差はあるけど
根っこじゃ大差は無いのかもしれないなぁなんて。
ま、当たり前すぎて言わずもがなな感じではあるんですけどねー。
面白いネタが思いつかなかったので
空気を読まずに思いごとを書き綴ってしまいました
すいません。
いや、相変わらず吸ってますよ。
ついでに相変わらず飲んでますよ。
はっとしました。
自分も相手も尊重することだと思ってた・・・
店員「ああ期限のことなら最後に使ってから一年間使わないときれます」
おれ「なにそれこわい」
店員「ちょくちょく来ていただければ無期限と同じですよ」
おれ「なにそれもこわい」
店員「えっ」
おれ「えっ」
・・・こういうことか~
店員「ああ機嫌のことなら最後に使ってから一年間使わないとキレます」
おれ「なにそれこわい」
店員「ちょくちょく来ていただければ無期限と同じですよ」
おれ「なにそれもこわい」
店員「えっ」
おれ「えっ」
・・・て、ことだったんかな?
( ̄  ̄)無機嫌中・・・・
さわらさんの話はいつも分かりやすい…感謝ですm(__)m
教えてくださいさん…多分、そんな感じの事が言いたかったのだと思います。汲み取ってくださり感謝です。書いていてる時、少しやさぐれた心境だったので、何だかいやらしい文章になっている気が…
黒斎さんがよく言ってましたが、コメント欄のコメントの質が、前より上がってる…冷やかし半分だったりする人が今はいない、みたいな事だったと思いますが、まさにそれを実感してます。
もともと、自分の意見を書いて残すことに、抵抗を感じていたんですよね。何か主張したりすることも、怖いというか…未熟な表現だたり、間違った事を書いて反論されるんじゃないか…とか、フィルター全開だったんです。
なので、自分のmixi日記にさえ記事を書くのをためらったりしてました
でも、そしたら珍しく黒斎がコメントしてきて…言いたい事があるのに、気持ちを曲げてごまかすのはよくない、間違っていて指摘されたら、そこで素直に受ければいいだけだよ…みたいな事を言われました。
表現するから、得られるもの…確かにありました。
ありがとうございます
ごめんね黒斎さん
「目覚め」っていうと何だかものすごく大きくて
メチャクチャ素晴らしいもので、それを体験していないと
どうにもならないような感じがしてしまいますが、
そういうわけでもないんじゃないか、と思ってます。
日常の中の小さな気づきの中にも「目覚め」は入っている。
何より、わからない状態でいるからこそ「気づく」体験が出来る。
最初から目覚めてたら、何が目覚めなのかわからない。
だからわざわざ人間には”フィルター”が用意されているのかもしれないな、
などと考えています。
>自分を消して、相手になること
これは決して自分を否定たり、抑圧することではないんですよね。
相手を自分と同じように理解しようとすることなんだと思います。
「そうか、そういうことだったのか」
と納得できれば、お互いの距離が一歩縮まりますから。
自我というものが人に存在するのは、
それを横に置いて無我になろうとするときに
愛情が発動するからかなぁ・・・と思ってます。
(いろいろ勝手なことを書かせていただきました~)
今日の阿部さんとこ記事の二代目勤勉亭親不孝さんのコメントでわかったことがあります。
黒斎さんは僕のパパだったのです。
卵の殻をつついてくれてありがとう♪
おかげでいつも幸せです(笑)
自分がエロいのもあなたの遺伝子?
どうりで。。。(爆笑)
途中まで聞きましたが、本当に 途中から心地よくって眠りそうでした。黒斎さんの声に「惚れてまうやろ~!」と思いながらうっとりしましたよ。
話しは長くなりますが、私も 鬱を経験し、その後、原発不明の卵巣癌になり、周囲のありがたさに反省と感謝のなか ハートが満たされ、体験した事のない 穏やかな気持ちになってましたが、
それもつかの間で、今日は 母にひどい言葉で傷つけてしまいました。
まだまだ酔っ払いモードですね。母に対して間違った受け取り方をしたと思います。CDを聞いて頭を冷やします。長々とすいませんでした。
黒斎さんたちのおかげで小さな気付きが増えてこの2,3年でだいぶ人生観が変わってきました。
それを揺るがないものにするために
わたしも目覚めたいと思うようになりました。
そしたらすっきりするだろうなー
黒斎さん、いつも根気よく伝え続けてくださってありがとうございます
いつもこのパターンですよ―
(ΘoΘ;)
こてつさんがコロっと納得してしまったために、やっぱり最後に残ってしまったわからずやさんは結局わたし一人になってしまいましたね~。
まあ子どもの頃からそうだったから慣れてます…。
先生が「みんなわかったかあ?」って聞くと たいてい回りの友達は全員手を挙げてましたねー。いつも。
大人になってからはやっぱりみんなに合わせて「わかりましたー」って手を挙げなきゃいけないのかなー?って思うこともあるけど、、、
だって「目覚めには段階が無い。」「少しずつ目覚めるなんてあり得ない。」っていうのに、「気付きは少しずつでもいい」ってなんか矛盾してるようでよくわからないなぁー。
(-"-;)
どうしてみんなにはそのことがすぐにわかっちゃうんだろう???
不思議でなりません。
(*_*)
「なるほどなー」
「どう説明したらいいかな」
「そういえば自分もわからないや」
と、きっと読んでるみなさんそれぞれに思う所がありますよね♪
面白いなー、それぞれが分からない点を持ち寄って、それをそれぞれが考えて、自分の理解度を確認したり学び直したりしてお互いに成長していける。
本当に皆が生徒の学校ですよね♪
「教えて下さい(本物)♂さん」ですー
すみませんm(__)m
はじめてカキコします。
今日の記事笑ってしまいました。
自我でコミュニケーションをとってる限り
どこかで歪みが生じるというのはまさに納得ですね。
ぜひコピペさせてくださいね。
これからも楽しく読ませてもらいま~す。
マトリックスシリーズ大好きですよん。
いつも伝えよう、と
して下さって本当に
有り難うございます。
お陰さまです。
また沖縄にいらしてくださいね。
人それぞれの「分かった」がありますから。
教えてくださいさんと同じように思っている人たちは一杯いると思うんです。
けれども恥ずかしくって聞けない!って思っていたりして。
それを代表して思いを言葉にしてくれているので、とてもありがたいんです。
分かったふりをする必要はないと思いますので!!
えと、「目覚め」は一瞬ですよね。
そいで目覚めるときって言うのは私達が「いまここ」にいる時ですよね。それ以外では決して目覚められない。
けれども、黒斎さんや阿部さんみたいに、何があろうと絶対目覚めさせられる、みたいな人を除けば、それは私達の意思に委ねられているように思います。
ですから私達が「目覚める」と意図(選択)する事が必要ですが、だからと言ってその後何にもしなければ目覚めることはできないんです。
なぜなら「いまここ」にいないから。
何も知らないと、私達は殆ど体と意識がバラバラで「いまここ」にいることが出来ませんよね。
さまざまな「思い込み」のせいで。
イキナリ「いまここ」にいなさい、と言ったとしても、それすら理解できない。
ですので、阿部さんや黒斎さんが「いまここ」とはこう言うことで、私達が常にそこにいられるよう、思い込みを手放そう、とおっしゃってくれているんですね。
自分は自分の作り出した世界にいたんだ、エゴで生きていたんだ、時間はなかったんだ、苦しかったのは自分で自分を苦しめていたんだ、と言うのも小さな気付きですよね。
それが「ああそうか」と実感できれば、殆どいることができなかった「いまここ」にいられるようになりますよね。
ですので「いまここ」にあるための気付きは必要なんです。
でも、いくら黒斎さんたちが「いまここ」ですよ、と言っても本人が「いまここ」に在るよう意識しないことには、どうにもならないって言うことだと。
…以上、小さな気付きと目覚めの関連でしたっ!
長々と失礼しますたっ!('◇')ゞ
見事なお手前でございます。
そしてまた拝みます。ナムーーーー(-人-)・・・
目覚め と 気付き との違い(あるいはその関連性)について ちゃんとした理論的説明を聞いたのは初めてのような気がしますよ。
結局、「少しずつの目覚め」というものは無いが、それに至る前の小さな「気付き」を積み重ねて行く努力をすることはけっして無駄にはならない、っていう解釈でいいんですね? 違うかな?
もしもそうなら少し安心(£納得)して出来ることがある気がするんですが、、、
以前から「在り方」だって説いていましたね「やり方(方法論)」ではなくて。
1歩前進ですよヽ(´▽`)/
月面に降り立った始めの1歩を思い浮かべてしまいました。この1歩は偉大な1歩なのですね!
私は美術鑑賞が大好きなんですが、一流の作品の前に立つと、
その作品に込められた温かなものが一気に流れ込んできます。
それは個人の意識を超えたもので、おそらく記事に書かれている
「無我」の状態で創り出されたものだと思ってます。
しかし一流でない方の作品からはしばしば自意識(自我?)のようなものが吹き出され、
それが押し付けがましく感じられてしまうこともあります。
まさに「私」という分離意識が存在するために、
こちらへすんなりと伝わってこないのです。
統合された状態(無我)は、私たちの奥底で繋がっている部分だから、
理屈抜きでダイレクトに「わかる」んですよね。
で、ふと思ったのですが、今世の中でなされようとしているのは、
「心(精神?)の一流化」なのかなぁ、と・・・。
芸術となるとそれ相応の技術や才能が必要ですが、
心ならば「気の持ちよう」でどんな人でも出来るような気がするんです。
ただそのための努力は必要で、
それが毎日の小さな気づきの積み重ねなのかなぁと、考えています。
(長文失礼しました。。。)
私は前から非常にその意識が高いので、ぷよの色も自分で作って増やしてたかもしれません。
自分の感性の引き出しを全部引っ張り出して、阿部さんの言う「ハートで生きる」がいいのかな。
最近は「Don't think! Feel!」が頭の中でこだまします。
是非、このサイトを‼
http://www.wamon.co.jp/