いまさらながらの原点回帰
あの世に聞いた、この世の仕組み
癒し
※初めての方はこちら「プロローグ」、「このblogの趣旨」からお読みください。
********************************************
えー…。
今日はですね、久々に阿部さんのブログに乗っかってお送りしようと思っております。
と、いうことで本日のテーマは「ヒーリング」です。
実はこの話題、先日のトークライブ(昼の部)の場でも質問が出た内容でした。
「阿部さんや黒斎さんは、ヒーラーについてどのように考えていますか?」的なご質問だったと思います。
その答えのコアになるものは、「究極的には、人が他人を癒すということは出来ない。」という内容でした。
まぁ、それだけ聞くとかなり納得のいかない答えでしょう。
でも、「癒し」ということそのものが何であるかを理解すると、「なるほど、それは不可能な話だ。」となるんです。
そのため、阿部さんはまず「ヒーリング」の語源のことから説明してくださったのですが…
話の途中で「元々“heal(ヒール)”の語源も、“大いなるもの”という意味の…なんて読むんですか…wh...ol...。ホ・ホ・ホール? …ワタシエイゴワッカリマセ~ンw」って感じでお話が中途半端になって、結局聞けずじまいになってしまった箇所があったんです。
会場にお越しになられてた皆様、そんなことあったの覚えてます?
僕も英語は苦手なのですが、実はそのお話の先が気になっていたので、後日自分で調べてみました。
と、言うことで、さっそく「healing(ヒーリング)」の語源から。
まずは「heal(ヒール)」について。
【heal】の意味は
〈切り傷・やけどを〉治す、とか〈悲しみ・悩みなどを〉いやす、が一般的なのだそうですが、その他に
〈不和・紛争などを〉調停する, 解決する だとか
〈心を〉清める
という意味もあるそうです。
で、この「heal(ヒール)」は、古英語の「whole(ホール)」の母音変異で生まれた単語。
「whole」は、「全て」や「完全」、「健全(もとのままの状態)」という意味を指す言葉です。
そのニュアンスは「total(トータル)」などに代表される「個々のものを合わせた結果としての全体」という意味合いとは異なり、『欠けた部分のない全体』を強調したものです。
つまり、現代英語の「heal」の意味を探っていくと、そこに見えてくる意味は「欠けているところがない本来の状態にする / なる」となります。
それだと、「治す」も「不和を解決する」も「心を清める」も、「なるほど同じ意味だ!」って理解できますよね。
「健康」を指す単語は、この「健全」のことを「状態」として表す「-th」を付けてるから、「health(ヘルス)」という抽象名詞になるんですね。
このように「-th」を付けて抽象名詞化した「health(ヘルス)」に対して、「-ing」を付けて動名詞化したのが「healing(ヒーリング)」です。
ですから、「欠けているところがない本来の完全な状態であること」と言うのが「healing(ヒーリング)」が持つ本来の意味です。
さて、大事なのはここから。
トークライブでもお話したことですが、元々私たちは「完全(whole)」なんです。
何一つ「欠けている」ものなんてありゃしない。
それなのに「アレが足りないコレが足りない」と日々あくせく錯覚の中にいるのが私たちの状態なんです。
「なにか足りないものがある・欠落している」からではなく、「(錯覚という)いらないものが多すぎる」ことでバランスを失っているんです。
わかりますよね?
バランスを「失う」とは言っても、何かが欠けているとか、足りないワケじゃないんです。バランスを失っているのは「抱えている荷物が重すぎるから」なんです。
ですから、大切なのは何かを「補う・加える」ことではありません。その逆です。
その人自身が、抱えている重い荷物(勘違いや誤った価値観など)を手放さない限り、「完全な状態」に戻ることはできません。
「完全」という状態から離れてしまっているのは、その人自身の個人的な問題なんです。
こちらがいくら「手放す」という事を促しても、その人自身がそれを大事に抱えている以上、その状態は決して訪れてはくれません。
ですから、僕たちには「人を癒す」ということはできません。
癒し(気付き・目覚め)を「促す」ことが、僕たちの出来うる精一杯のことです。
「癒しを促す」ということは、相手に対して何かを強制することではありません。
そうではなく、大切となるのは「自分が癒されている(目覚めている)」ということなんです。
だって、究極的には「全ては一つ(whole)」。つまり、「わたしはアナタ」なのですから。
僕たちの内部を辿っていった深い深い所で、アナタの目覚めが、相手の癒し・目覚めに繋がります。
本当の「ヒーラー」とは、「本来の完全な状態であること」が出来ている人のことです。
←そのクリックは僕の為?それとも、アナタの為?
********************************************
えー…。
今日はですね、久々に阿部さんのブログに乗っかってお送りしようと思っております。
と、いうことで本日のテーマは「ヒーリング」です。
実はこの話題、先日のトークライブ(昼の部)の場でも質問が出た内容でした。
「阿部さんや黒斎さんは、ヒーラーについてどのように考えていますか?」的なご質問だったと思います。
その答えのコアになるものは、「究極的には、人が他人を癒すということは出来ない。」という内容でした。
まぁ、それだけ聞くとかなり納得のいかない答えでしょう。
でも、「癒し」ということそのものが何であるかを理解すると、「なるほど、それは不可能な話だ。」となるんです。
そのため、阿部さんはまず「ヒーリング」の語源のことから説明してくださったのですが…
話の途中で「元々“heal(ヒール)”の語源も、“大いなるもの”という意味の…なんて読むんですか…wh...ol...。ホ・ホ・ホール? …ワタシエイゴワッカリマセ~ンw」って感じでお話が中途半端になって、結局聞けずじまいになってしまった箇所があったんです。
会場にお越しになられてた皆様、そんなことあったの覚えてます?
僕も英語は苦手なのですが、実はそのお話の先が気になっていたので、後日自分で調べてみました。
と、言うことで、さっそく「healing(ヒーリング)」の語源から。
まずは「heal(ヒール)」について。
【heal】の意味は
〈切り傷・やけどを〉治す、とか〈悲しみ・悩みなどを〉いやす、が一般的なのだそうですが、その他に
〈不和・紛争などを〉調停する, 解決する だとか
〈心を〉清める
という意味もあるそうです。
で、この「heal(ヒール)」は、古英語の「whole(ホール)」の母音変異で生まれた単語。
「whole」は、「全て」や「完全」、「健全(もとのままの状態)」という意味を指す言葉です。
そのニュアンスは「total(トータル)」などに代表される「個々のものを合わせた結果としての全体」という意味合いとは異なり、『欠けた部分のない全体』を強調したものです。
つまり、現代英語の「heal」の意味を探っていくと、そこに見えてくる意味は「欠けているところがない本来の状態にする / なる」となります。
それだと、「治す」も「不和を解決する」も「心を清める」も、「なるほど同じ意味だ!」って理解できますよね。
「健康」を指す単語は、この「健全」のことを「状態」として表す「-th」を付けてるから、「health(ヘルス)」という抽象名詞になるんですね。
このように「-th」を付けて抽象名詞化した「health(ヘルス)」に対して、「-ing」を付けて動名詞化したのが「healing(ヒーリング)」です。
ですから、「欠けているところがない本来の完全な状態であること」と言うのが「healing(ヒーリング)」が持つ本来の意味です。
さて、大事なのはここから。
トークライブでもお話したことですが、元々私たちは「完全(whole)」なんです。
何一つ「欠けている」ものなんてありゃしない。
それなのに「アレが足りないコレが足りない」と日々あくせく錯覚の中にいるのが私たちの状態なんです。
「なにか足りないものがある・欠落している」からではなく、「(錯覚という)いらないものが多すぎる」ことでバランスを失っているんです。
わかりますよね?
バランスを「失う」とは言っても、何かが欠けているとか、足りないワケじゃないんです。バランスを失っているのは「抱えている荷物が重すぎるから」なんです。
ですから、大切なのは何かを「補う・加える」ことではありません。その逆です。
その人自身が、抱えている重い荷物(勘違いや誤った価値観など)を手放さない限り、「完全な状態」に戻ることはできません。
「完全」という状態から離れてしまっているのは、その人自身の個人的な問題なんです。
こちらがいくら「手放す」という事を促しても、その人自身がそれを大事に抱えている以上、その状態は決して訪れてはくれません。
ですから、僕たちには「人を癒す」ということはできません。
癒し(気付き・目覚め)を「促す」ことが、僕たちの出来うる精一杯のことです。
「癒しを促す」ということは、相手に対して何かを強制することではありません。
そうではなく、大切となるのは「自分が癒されている(目覚めている)」ということなんです。
だって、究極的には「全ては一つ(whole)」。つまり、「わたしはアナタ」なのですから。
僕たちの内部を辿っていった深い深い所で、アナタの目覚めが、相手の癒し・目覚めに繋がります。
本当の「ヒーラー」とは、「本来の完全な状態であること」が出来ている人のことです。
←そのクリックは僕の為?それとも、アナタの為?
コメント ( 29 ) | Trackback ( )
« レ・ミゼラブル | 言葉の限界 » |
困っている人見るとどうしても慰めてあげたくなるのは、こういうコトだったんですね
情けは人の為ならずですね
私が思っていてもなかなか言葉に出来ないことを、いとも簡単に、皆さんにお伝えできる~ギフト~ですね。
胸をときめかせながら、メッセージ受け取っております。
有難う御座いますの感謝しかありません。
大好きです・・・・雲 黒斎 さん♪
表から裏から、外から内から・・・素晴らしい!まるで諸葛孔明と周瑜のようですね。・・・まだ、頭だけでの理解ですが・・。早く、気がつきたい!
さすがですね~ヽ(´▽`)/
そして真面目ですね。知らないことは調べてみよう!って。勉強になります。
でも、知らないことを怖れずに執着しないようにも心がけたいですね。そういう部分も在るということすら認めて抱きしめているとは思いますが(*‘-^)-☆
同じ事を阿部さんとは違う方向からの解説、ありがとうございます。
これからも更新お願いします。
語源一つ取っても素晴らしい真理に行き着くんだ(*´Д`*)
あ~人生は複雑でありながらかつ完璧に物事が進んでいきますね!
「・・・アナタが不幸なのは感謝が足りないからです。その穴を埋めるために、ありがとうと唱えなさい。」とか、「アナタに不運がつきまとうのは、先祖供養に問題があるからです。その欠陥を修復するために、お線香は3本立てるようになさい。」とか…。
なにかと、不安や苦しみを補う為の何かを「付け加えよう」とします。こういったおかしな論法に巻き込まれてしまうのは・・・
とありますが、もしやブログランキング1位のブログを批判してます?自分も読みましたが、あちらでは↑のようなこと言ってないですけど、「感謝、先祖供養、線香3本」のワードでそう感じました。もしそうだとしたら、黒斎さんの上記のような捉え方はかなり誤読なようなので残念です。ですが、僕の勘違いで、まだ読んだことないなら謝ります。
未読なら一度読んでみられるといいですよ。黒斎さんの勉強が捗ると思います。こちら以上にウンコくさいですけど。
これもまた手放す必要があったのだと思います。
今必要だと「思っていること」も運命を呼び込む為には
邪魔な存在にもなりえることを、
手放してはじめてわかるという感じがします。
対象に価値をおいている時というのは
バランスを失っていることになり、
手放せないものがあるということは、
不完全だと思う自分がそうさせているということですね。
大切なことって、当然のことのように無意識にそう思っているんじゃないかと思うと
ちゃんと一つ一つを見ていかないと難しそうですが、
やってみるとこんなことかっていう位、
簡単なことなんでしょうね。
東京講演昼の部で質問した私でーす!
バベルの塔を造った人たちに感謝ですね。
いろんな言葉からの学びはああ!という
感動があります。
神様のなさることは無駄がないですね。
周りは頭がおかしくなったと判断して精神科に連れて行かれました。
その後何度もそっちの体験をするたびに
私がうろたえてしまうので、
病院のお世話になりましたが、
いまは、回線がつながったままでも
日常生活を送れて
毎日平穏に生活しています。
でも、精神科への通院は月に一度通っていて
投薬も毎日です。
CD聞いて
これが究極体験というのをはじめて知りました。
でも、投薬をやめて、また以前のようにならないともかぎらないですが、黒斎さんにも阿部さんにも責任はとれないと思うので、
きちんと精神疾患者として生きようと思ってます。
私の体験したものは究極体験でしょうか、
と聞くヒトは黒斎さんはそれは違うトおっしゃってますが、
誰もあんなのを体感したらびっくりします。
周りがおかしいと思うよりも
自分がおかしくなったんだとわたしは思いました。
別に何の反応も同情も要りません。
ただ、こういう生き方もあります、と提示しただけです。
私の投稿を読んで
この人狂ってると思われたら
それでもかまいません。
一昨年くらいからコメントを残してます。
その文面で判断してください。
なぜ、こういう文章を載せたくなったかというと
この世で一番差別を受けているのが
精神障害者です。
その人たちへの見方が少しでも変わったらと思ったからです。
つい最近、わたしは自分を癒すために生きてると感じたばかりで、遠慮なくそれができそうです。
ありがとうございました。
間が空いてしまい申し訳ないです。
的確な御解答ありがとうございました。
ロジックとしては納得できるのですが、やはり感覚として、受け入れられません。
大手を振って、素直に賛同できないひねくれた質であるのは承知しておりますので、
自身の意見を掲載しながら大変失礼ですが、
ここで少々お時間をいただきたいと存じます。
もちろん、記事の内容も、FAMさんのご意見に反対する気は毛頭ございません。
こちらのブログは毎日コメント欄と共に楽しく拝見させていただいております。
CDも購入させていただきました。大変興味深かったとともに、やはり疑問も多くでてきます。
ではこのもやもや感を追求したいと思います(^_-)-☆
では質問です。。
以前コクサイさんは、酔っ払いシリーズのなかで「ウコンの力」という表現をされていました。
酔っ払い状態を一時的にスッキリさせるという・・
ヒーリングを、この「ウコンの力を相手に与えること」、と捉えてしまいがちだと思うのですが、、
(実際、ある方法を使えばこのウコンの力を与えることができてしまうと、たしかおっしゃっていました・・よね?)
自分が、欠けることのない完全な状態で在ること、そして、相手の気付きを促すことが本当のヒーリング。。
だとすると、、
酔っ払いシリーズで登場したこの「ウコンの力」
これは一体、何を表現しようとしたものなんですか?正体は何ですか??
不安や・・・いろいろなことが頭の中をかけめぐりますが、
こちらで学んだことを生かすよう、今を精一杯生きていると、
本当に自分を過小評価しているのは自分なんだな、と
いうことを実感します。
運転手が自我で、車が体で、スピリットを助手席の先生として・・・と今日も言い聞かせながら会社に向かいました。
「heal」にthがついて「health」だったなんて
知らなかった!
あの世に聞いたこの世の仕組みだけじゃない、
いろいろな分野のことを勉強できて、いつも
目からウロコです。
とってもためになります。
ありがとうございます!
私は全く逆の意見です。
私達は皆ヒーラー。
小さい時、かぁちゃんにお腹さすってもらったら
腹痛治ったとかね。
そんなプチパワーをみんな持っていると思いますよ。
現にこのブログからは数々のよいメッセージやエネルギーを頂いております。
「私はヒーラーだ」とか意識せずとも周りによい周波数を発信し続けたいものです。
同じコトだと思います
皆、完全な存在だから私達全てがヒーラーなんだと思ってます
ちがうかな。。。(ちょっと心配)
見返りを求めない愛、無償の愛…。
永遠に変わることのない真実の『愛』。
途方もない大きな「愛」で包みこまれた時、アンテナが反応して受信、結果的に癒しになる。
私は自分のこと、現実感の乏しいロマンチストなんだと思ってました。もう少し優しい目で自分を見てあげようと思います。
黒斎さん、阿部さん、ありがとうございました。
いつもいつも脱帽・・・
とってもわかりやすかったです。
Healが語源がWholeだったこと、
そして、Healthも、考えたら、Healの名詞化だということ、
アハ!!体験と新発見をしました。
すごい・・
★不完全=完全さんへ、
こんにちは♪
初めまして
「私達は皆ヒーラー」
素敵な言葉ですね。^^
そうですね、皆、何かしらの他人を癒すパワー持っていますよね。
落ち込んでいるのを元気づけて慰めたり、体の痛みをハンドパワーで和らげたり・・
黒斎さんがおっしゃりたかったのは、
要するに、
『根本的な問題の解決』には、
やはり、本人の「気づき」が必要、ということだなんだと思いますよ。
そして、気づかせるための導きの役目がヒーラーなり、カウンセラーだということ。
他の人がヒーリングできるのは、「表面の部分」までで、心底の、核の部分は、やはり、本人が気づかない限りは、ずーっとフィルター(錯覚)が覆っている状態なんだということなのではないでしょうか。
その要らない余分なフィルターをじかに取り外すのは(手放すのは)、本人で、そのお手伝いがヒーラーさんということなんだと思います。
黒斎さんもこのブログで皆が気づけるように、とあれこれ試行錯誤して、文章をつづって、幸せエネルギーを振りまいて、気づきのきっかけをくれていますが(まさに気づきのガイドさん・ヒーラーとして^^)、
それをどうとらえるか、それを読んで、気づくか、気づかないか・・・
(頭で理解するだけではなくて、実生活にそれが実現するか、しないか・・・)
本当に「本人次第」、ということですよね。
でも、不完全=完全さんのその
「周りによい周波数を発信し続けたいものです。」という心がけ、とっても素敵です♪
こういう意識の人がたくさん増えてほしいし、
皆そうなってほしいですね♪
「知らないことを怖れずに」ってのは「知らない」ということを怖れずにって意味で書いていたんです。おばけとか幽霊とかそういうことを恐れないってことではなくて。
小夜さんにも誤解されているかなと思っていましたがいかがですか?(; ̄Д ̄)
うん、そうなんだろうけどね。その場だけでも癒されたいという気持ちも分からんではないね。
「理解」できていないから、そう思うんだろうけどね。
前々回の「永遠」の時も少し思ったのだけれど、コクサイさんの言う事って『「全体」と「部分」と両方を同時に見る』感じがするのです。でも、普通はどちらか一方しかフォーカスできないわけでね。その両方を見つつどちらにも焦点を合わすことができるってことが『「目覚め」の視点』なのかしら?
なんて感じたりしたのです。
自分の中に死角になってるところがあるって気がするね。
意味不明ですよね、失礼しました。
(↑ちょっと言ってみたかったんだもん)
今日もいいですね~
ブログ上だけでも感じてましたが、講演会で生の黒斎さんに触れて、
その真面目さ、ひたむきさに心を打たれちゃいました
ワタシモエイゴワッカリマセ~ン
ので(笑) 黒斎さんが調べてくれて助かりんこっ
自分を目一杯、癒しながら、人の気付きを促すこともしていけたらなと感じました☆
本当に素晴らしいメッセージをありがとっ(^▽^)/
またね(・◇・)
携帯で、この記事を読み返して、
はっと思ったことが・・
--------------------------------------
だって、究極的には「全ては一つ(whole)」。つまり、「わたしはアナタ」なのですから。
僕たちの内部を辿っていった深い深い所で、アナタの目覚めが、相手の癒し・目覚めに繋がります。
本当の「ヒーラー」とは、「本来の完全な状態であること」が出来ている人のことです。
--------------------------------------
この部分、さらっと読み流していたのですが、
よくよく読み砕いてみると、
これって、すごく奥深い・・
奥深くの部分(よく潜在意識と言われていますよね)では、皆私達は繋がっている。
だから、「私」が余分な要らない重荷(錯覚)をとりはらって、「本来の完全な状態」になれば、繋がっている「あなた」への癒し・目覚めに繋がる・・
つまり・・・
みんな完全でヒーラーになり得ますね。^^
だから・・
えじさんのおっしゃることも、
不完全=完全さんのおっしゃることも
結局ポイントはこの記事のいわんとしていることと同じなんだな~と。
要するに、
自分が 真理=「本来は完全であるということ」 に気づけ(目覚め)ば、深いところで、そのまま周りの人への気づきの促しになり、
促された人は、錯覚という重荷を手放しさえできれば、真理に気づく(目覚める)ことができるということ
ですよね?
なんだか、クラインの壷のような感覚を体験したような気がしました。
黒斎さん流(?)の説明でいくと
他人を癒すことはできないけれども、
でも、自分の内部を癒す(=ここでは、不要な重荷を取り払って、本来の完全な状態に気づき、戻るという意味)ことで、奥深くでつながっている他人の癒しのきっかけにつながる(→これも「自分で癒す」という作業のきっかけになるという意味)
クラインの壷だ~!
長文失礼しました・・・
(本当に文章化って大変ですね。 1時間もかかってしまった・・笑)
では、今から寝ます。笑
子供の頃にオカンが全部片付けてしまってるからだそうな。
自分で片付けたことがないので、片付け方自体がわからない。
どうやって片付けたらいいかなぁ~と思ってるAさん(仮)に、ゾーニング・グルーピング等、整理術を伝授してくれるBさん(仮)。
「部屋が散らかってるんですね、それで悲しいんですね、わかりました、私が片付けてあげます。これで楽になりますよ、どうですか?」
と、片付けてくれようとするCさん(仮)。←無料か有料
Aさんはどうするのかな?
教わったことをやってみるのかな?
片付けてもらうのかな?
そもそもなんでAさんの部屋は散らかってたのかな?
いらんもんを積み重ねてんじゃないかなぁ…。
とか、そんなことを昨日のテレビを見ていて思いました。
さて、玄関の片付けでもしよう。
>答えのコアになるものは、「究極的には、人が他人を癒すということは出来ない。」
に反応してのコメだった訳ですが・・・
「他人を癒すことは無理・・・」
「完全な人はいない・・・」
「内なる宇宙と外なる宇宙・・・」
「クラインの壷・・・」
うぉ!繋がった!
よい周波数を出して頂いた皆様に感謝。
そして勝手に自己処理したアイデアを公共の場に掲載してしまいすみません。