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あの世に聞いた、この世の仕組み
極楽飯店.58
※初めての方はこちら「プロローグ」、「このblogの趣旨」からお読みください。
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「『神のエネルギーに乗る』っていうのは、分裂していた自己が、いよいよ完全に向けた流れにのって、本来あるべき流動が展開されているってことだよ」
「完全に向けた流れって?」
「全体性の流れを妨げることなく、自らも神として活動できているってことさ」
その言葉が理解できず、俺たちがまた首をかしげていると、閻魔は再度風船を見せてこう続けた。
「いい?いままで君たちは全体から切り離された感覚の中にある小さな意識、この小さな風船の方を『自分』だと錯覚していた。でも、本当の自己は、この大きな風船の中心に在るんだ。ここにある意識は、いわば、神としての意識。あらゆる創造エネルギーの起点はここに存在してる。何かを具現化する動力は、ここにしかない。なのに君たちは、その動力から離れた場で願いを叶えようとあがいていた。創造エネルギーの起点から大きく離れた場において、自分(分裂した自己)の願いを、自分(分裂した自己)の力で叶えようとしていたんだよ」
「ああっ!こ、このことだったんだ!」
突然白井が叫び、俺たちを見ながら口をパクパクさせた。何かを言いたいのだが、言葉が見つからないといった風にバタついている。
「落ち着けよ。どうしたんだ」
「ばぁちゃんの言ってたことですよ!『貴方には、自分の願いを叶える力はない』って、あの言葉!」
皆が声を揃えて小さく「あっ」と漏らすのを確認すると、閻魔は優しく微笑み話を続けた。
「その通り。分裂した自己(虚像)に、願いを叶える力はない。その力を持つのは『本当の自分(実体)』なんだ。願いを叶えたいのであれば、第一段階として、その願いが源(ソース)に届かなきゃいけない。でもそこに詰まり(カルマ)があれば、願いが源(ソース)に行き着かなくなっちゃう」



「とっても単純な仕組みなんだけどね、だからこそ、分裂した自己から見ると、この仕組みがとっても厄介なんだ」
「厄介?」
「願っても、なかなか叶わないってことだよ」
「どうしてです?」
「君たちのかつての願望の数々を思い返してみなよ。その多くが、不満や不安を元に生まれた願いなんだ」
言われてみて、確かにそうだと思った。金が欲しい、モノが欲しい、誰かに好かれたい、嫌われたくない、身の安全を確保したい、死にたくない、その他もろもろ。
思い出せた願いの多くは、確かに不満や不安を解消したいが故に生まれたものだった。そしてまた、その不満と不安を解消するにはどうすればいいのかと模索する思考がある。
と、いうことはつまり…
「なるほど。願いと同時に、恐れや思考(カルマ)が存在しているな」
……つづく。
←いま、アナタに押して欲しい。(恐れを手放しながら)
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「『神のエネルギーに乗る』っていうのは、分裂していた自己が、いよいよ完全に向けた流れにのって、本来あるべき流動が展開されているってことだよ」
「完全に向けた流れって?」
「全体性の流れを妨げることなく、自らも神として活動できているってことさ」
その言葉が理解できず、俺たちがまた首をかしげていると、閻魔は再度風船を見せてこう続けた。
「いい?いままで君たちは全体から切り離された感覚の中にある小さな意識、この小さな風船の方を『自分』だと錯覚していた。でも、本当の自己は、この大きな風船の中心に在るんだ。ここにある意識は、いわば、神としての意識。あらゆる創造エネルギーの起点はここに存在してる。何かを具現化する動力は、ここにしかない。なのに君たちは、その動力から離れた場で願いを叶えようとあがいていた。創造エネルギーの起点から大きく離れた場において、自分(分裂した自己)の願いを、自分(分裂した自己)の力で叶えようとしていたんだよ」
「ああっ!こ、このことだったんだ!」
突然白井が叫び、俺たちを見ながら口をパクパクさせた。何かを言いたいのだが、言葉が見つからないといった風にバタついている。
「落ち着けよ。どうしたんだ」
「ばぁちゃんの言ってたことですよ!『貴方には、自分の願いを叶える力はない』って、あの言葉!」
皆が声を揃えて小さく「あっ」と漏らすのを確認すると、閻魔は優しく微笑み話を続けた。
「その通り。分裂した自己(虚像)に、願いを叶える力はない。その力を持つのは『本当の自分(実体)』なんだ。願いを叶えたいのであれば、第一段階として、その願いが源(ソース)に届かなきゃいけない。でもそこに詰まり(カルマ)があれば、願いが源(ソース)に行き着かなくなっちゃう」



「とっても単純な仕組みなんだけどね、だからこそ、分裂した自己から見ると、この仕組みがとっても厄介なんだ」
「厄介?」
「願っても、なかなか叶わないってことだよ」
「どうしてです?」
「君たちのかつての願望の数々を思い返してみなよ。その多くが、不満や不安を元に生まれた願いなんだ」
言われてみて、確かにそうだと思った。金が欲しい、モノが欲しい、誰かに好かれたい、嫌われたくない、身の安全を確保したい、死にたくない、その他もろもろ。
思い出せた願いの多くは、確かに不満や不安を解消したいが故に生まれたものだった。そしてまた、その不満と不安を解消するにはどうすればいいのかと模索する思考がある。
と、いうことはつまり…
「なるほど。願いと同時に、恐れや思考(カルマ)が存在しているな」
……つづく。

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極楽飯店.57
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「ねぇ、みんなは『シンクロニシティ』って、聞いた事ある?」
しばらくコミュニオンを通じて語りかけていた閻魔が、風船をグニャグニャと変形させながらそう呟やいた。
「新くろにシティ?」藪内が首をかしげて口を挟む。
「『シンクロニシティ』だよ。日本語だと『共時性』。『意味のある偶然の一致』なんていう風に説明されることもあるね。たとえば…『あの人、いまどうしてるかな?』って思った瞬間に、その相手から電話がかかってきたり、『今晩はカレーが食べたいなぁ』って何となく思ってたら、横にいるお母さんが『今晩はカレーにしようと思うの』って、同じこと考えていたりとか、買おうと思っていたモノを、突然プレゼントされたりだとか。そういう物理的因果を超えて生まれる出来事のことを、『シンクロニシティ』って言うんだ」
「それで?」
「これも一つの『奇跡』。同じ仕組みで生まれる現象なんだよ。『奇跡』は、あり得ない出来事・滅多に起こらない現象じゃなくて、氷(カルマ)が溶けた時に自然と起こることなんだ」
「え?」
「源(ソース)はいつだって、僕たちに『最善』を与えようとしている。『分裂』という錯覚をもったモノへも、休むことなく無償の愛を送り続けている。だからこそ、源(ソース)との繋がりを閉ざす壁さえなければ、自然と『最善性』が反映された流れが生まれるんだ。『分裂した自己』の意志ではなく、『源(ソース)』の意志が主導となった現実が創られていくんだよ。それは時に、分裂した自己の次元から見るととても不思議な現象、意味のある偶然に見える。ねぇ、もう一度この風船を見て」

「人間は普段、思考や恐れによって源(ソース)との繋がりが遮断されている。でも、ずっと遮断されっぱなしってことでもないんだ。不意に思考と恐れがなくなることがある。それは、腹から笑えることだったり、お風呂に浸かった瞬間だったり、我慢していたおしっこを、ようやくすることができた瞬間だったり、時間や自分の存在を忘れるほど何かに没頭しきっている時だったり。あらゆる思考や恐れを手放して、リラックスしている時。考えることや評価することではなく、その状況を純粋に味わっている時。ほんのつかの間ではあるけど氷の壁がなくなることは、誰にでも、日常的にあることなんだ。とはいえ、人はなかなかその状態を継続しているとは言えない。それまでに培ってきた防御反応で、無意識のうちに壁を創り、繋がりを閉ざしてしまう。だからね……」

「こんな風に『お互いの壁が同時になくなっている』という状態は、もっと稀な出来事になってしまう。その『稀さ』が、『シンクロニシティ』や『奇跡』という稀な現象に見えるんだ。そして……」
「そして?」
「君たちはついさっき、極楽飯店でその奇跡に触れたんだ」
「どういうことです?」
「久しぶりの食事を、君たちは無心で味わうことができたよね。先の見えない状況の中ででも、徐々に警戒心を無くし、互いに信頼し、与え合うことができたよね。そこに生まれる充足感を共有することができたよね。その中に、『もっと○○だったら』みたいな、現状を否定する気持ちも、『こうなったら嫌だな』っていう未来への不安も、『あの時の方が…』みたいな過去との比較もなかったよね。そうやって君たちは、奇跡を捉えたんだ。神のエネルギーに乗ることができたんだよ」
「な、なんスか、『神のエネルギーに乗る』って……」
閻魔の話には、しばしば聞き慣れない言葉が現れる。
それはなにも、単語や専門用語だけではない。「神のエネルギーに乗る」というこれもその一つだ。
「神」も「エネルギー」も「乗る」も、それぞれは聞き慣れたものなのに、それが一つの文章になると、とたんに意味が分からなくなる。
相変わらず話が飲み込めずにぼんやりする俺たちを見て、くすりと笑いながら閻魔は話しを続けた。
……つづく。
←奇跡は、「まえだまえだ」だけに訪れるものではない
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「ねぇ、みんなは『シンクロニシティ』って、聞いた事ある?」
しばらくコミュニオンを通じて語りかけていた閻魔が、風船をグニャグニャと変形させながらそう呟やいた。
「新くろにシティ?」藪内が首をかしげて口を挟む。
「『シンクロニシティ』だよ。日本語だと『共時性』。『意味のある偶然の一致』なんていう風に説明されることもあるね。たとえば…『あの人、いまどうしてるかな?』って思った瞬間に、その相手から電話がかかってきたり、『今晩はカレーが食べたいなぁ』って何となく思ってたら、横にいるお母さんが『今晩はカレーにしようと思うの』って、同じこと考えていたりとか、買おうと思っていたモノを、突然プレゼントされたりだとか。そういう物理的因果を超えて生まれる出来事のことを、『シンクロニシティ』って言うんだ」
「それで?」
「これも一つの『奇跡』。同じ仕組みで生まれる現象なんだよ。『奇跡』は、あり得ない出来事・滅多に起こらない現象じゃなくて、氷(カルマ)が溶けた時に自然と起こることなんだ」
「え?」
「源(ソース)はいつだって、僕たちに『最善』を与えようとしている。『分裂』という錯覚をもったモノへも、休むことなく無償の愛を送り続けている。だからこそ、源(ソース)との繋がりを閉ざす壁さえなければ、自然と『最善性』が反映された流れが生まれるんだ。『分裂した自己』の意志ではなく、『源(ソース)』の意志が主導となった現実が創られていくんだよ。それは時に、分裂した自己の次元から見るととても不思議な現象、意味のある偶然に見える。ねぇ、もう一度この風船を見て」

「人間は普段、思考や恐れによって源(ソース)との繋がりが遮断されている。でも、ずっと遮断されっぱなしってことでもないんだ。不意に思考と恐れがなくなることがある。それは、腹から笑えることだったり、お風呂に浸かった瞬間だったり、我慢していたおしっこを、ようやくすることができた瞬間だったり、時間や自分の存在を忘れるほど何かに没頭しきっている時だったり。あらゆる思考や恐れを手放して、リラックスしている時。考えることや評価することではなく、その状況を純粋に味わっている時。ほんのつかの間ではあるけど氷の壁がなくなることは、誰にでも、日常的にあることなんだ。とはいえ、人はなかなかその状態を継続しているとは言えない。それまでに培ってきた防御反応で、無意識のうちに壁を創り、繋がりを閉ざしてしまう。だからね……」

「こんな風に『お互いの壁が同時になくなっている』という状態は、もっと稀な出来事になってしまう。その『稀さ』が、『シンクロニシティ』や『奇跡』という稀な現象に見えるんだ。そして……」
「そして?」
「君たちはついさっき、極楽飯店でその奇跡に触れたんだ」
「どういうことです?」
「久しぶりの食事を、君たちは無心で味わうことができたよね。先の見えない状況の中ででも、徐々に警戒心を無くし、互いに信頼し、与え合うことができたよね。そこに生まれる充足感を共有することができたよね。その中に、『もっと○○だったら』みたいな、現状を否定する気持ちも、『こうなったら嫌だな』っていう未来への不安も、『あの時の方が…』みたいな過去との比較もなかったよね。そうやって君たちは、奇跡を捉えたんだ。神のエネルギーに乗ることができたんだよ」
「な、なんスか、『神のエネルギーに乗る』って……」
閻魔の話には、しばしば聞き慣れない言葉が現れる。
それはなにも、単語や専門用語だけではない。「神のエネルギーに乗る」というこれもその一つだ。
「神」も「エネルギー」も「乗る」も、それぞれは聞き慣れたものなのに、それが一つの文章になると、とたんに意味が分からなくなる。
相変わらず話が飲み込めずにぼんやりする俺たちを見て、くすりと笑いながら閻魔は話しを続けた。
……つづく。

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極楽飯店.56
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源(ソース)との繋がりが訪れる状態。つまりは「思考」と「恐れ」から離れている状態は、思い返してみるといくつも見つかった。
その一つが、腹から笑っている時だ。
人は、思い悩みながら笑うこともできないし、恐れながら笑うこともできない。つかの間ではあるが、「笑い」というその瞬間においては、まさに思考も恐れも消え去っている。
しかも、睡眠時とは違い、「自意識が途切れる」ということもなく、その感覚を自覚することができる。
だからこそそこで、思考や恐れと引き替えに現れた、開放感や安心感、歓喜や充足感、信頼や一体感などといった、温かなエネルギーを味わうことができる。
それは言うなれば、日々「自分」を守るため必死に抱えていた盾を下げることのできる安心と信頼。緊張・防御姿勢からの解放だ。
腹から笑えるというその態度は、ある意味では非常に無防備とも言える。
時には、「笑うしかない」といった言葉が表す様に、いま目の前にある八方塞がりの状況に対しての完全降伏を意味することもあろう。
とはいえその降伏は、決して「負け」を意味するものではない。白井のインスピレーションを借りるなら、まさに「笑い声」がそのまま「神の思し召すままに」といった宣言となり得るということだ。
(その通りだよ、タクちゃん。素直な笑いにしろ、降伏を意味する笑いにしろ、そこに共通するものは「状況(いま)を受け入れる」という態度なんだ。笑いは「抵抗」を手放したところにある。それはつまり、現実創造のイニシアチブを、「分離した自己」という錯覚の自分から、「本来の自己」源(ソース)へ譲るということなんだ。錯覚で生まれた小さな自分ではなく、神や愛という本来のエネルギーが現実を紡ぎ出すことになる。「奇跡」と呼ばれる現象は、そうやって生まれるんだ)
奇跡?
(「奇跡」ってさ、よく「人智を超えた出来事」なんて言われるでしょ。「人智」は思考、この氷のことさ。神との繋がりを断っている原因を用いて奇跡は生まれない。奇跡は源(ソース)との共同作業で初めて成立するんだ。これを理解したら、これまでの君の人生全てが奇跡だったことが分かるはずだよ。どんなに小さな願いも、それを叶えてきたのは君自身(分離した自己)じゃなく、源(ソース)を起点とした「全て」が必要だったことに気付くからね)
それは、どういう意味だ?
(現実を創造する力は、神しか持っていないってことさ。「分裂した自己」がどんな願いを持ったとしても、その願いが源(ソース)に届かなければ具現化には至らないんだよ。ほら、君達はついさっき、極楽飯店でその仕組みに触れたばかりじゃないか)
え?
(料理、どれも美味しかったでしょ?)
は? いや、たしかに美味かったが……。なぜ今、その話に?
(君たち五人の心が同時に開くことで、その仕組みに触れたんだよ)
すると閻魔は、再度あの風船を指さしながら、その仕組みを話しだした。
……つづく。
←神の思し召すままに
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源(ソース)との繋がりが訪れる状態。つまりは「思考」と「恐れ」から離れている状態は、思い返してみるといくつも見つかった。
その一つが、腹から笑っている時だ。
人は、思い悩みながら笑うこともできないし、恐れながら笑うこともできない。つかの間ではあるが、「笑い」というその瞬間においては、まさに思考も恐れも消え去っている。
しかも、睡眠時とは違い、「自意識が途切れる」ということもなく、その感覚を自覚することができる。
だからこそそこで、思考や恐れと引き替えに現れた、開放感や安心感、歓喜や充足感、信頼や一体感などといった、温かなエネルギーを味わうことができる。
それは言うなれば、日々「自分」を守るため必死に抱えていた盾を下げることのできる安心と信頼。緊張・防御姿勢からの解放だ。
腹から笑えるというその態度は、ある意味では非常に無防備とも言える。
時には、「笑うしかない」といった言葉が表す様に、いま目の前にある八方塞がりの状況に対しての完全降伏を意味することもあろう。
とはいえその降伏は、決して「負け」を意味するものではない。白井のインスピレーションを借りるなら、まさに「笑い声」がそのまま「神の思し召すままに」といった宣言となり得るということだ。
(その通りだよ、タクちゃん。素直な笑いにしろ、降伏を意味する笑いにしろ、そこに共通するものは「状況(いま)を受け入れる」という態度なんだ。笑いは「抵抗」を手放したところにある。それはつまり、現実創造のイニシアチブを、「分離した自己」という錯覚の自分から、「本来の自己」源(ソース)へ譲るということなんだ。錯覚で生まれた小さな自分ではなく、神や愛という本来のエネルギーが現実を紡ぎ出すことになる。「奇跡」と呼ばれる現象は、そうやって生まれるんだ)
奇跡?
(「奇跡」ってさ、よく「人智を超えた出来事」なんて言われるでしょ。「人智」は思考、この氷のことさ。神との繋がりを断っている原因を用いて奇跡は生まれない。奇跡は源(ソース)との共同作業で初めて成立するんだ。これを理解したら、これまでの君の人生全てが奇跡だったことが分かるはずだよ。どんなに小さな願いも、それを叶えてきたのは君自身(分離した自己)じゃなく、源(ソース)を起点とした「全て」が必要だったことに気付くからね)
それは、どういう意味だ?
(現実を創造する力は、神しか持っていないってことさ。「分裂した自己」がどんな願いを持ったとしても、その願いが源(ソース)に届かなければ具現化には至らないんだよ。ほら、君達はついさっき、極楽飯店でその仕組みに触れたばかりじゃないか)
え?
(料理、どれも美味しかったでしょ?)
は? いや、たしかに美味かったが……。なぜ今、その話に?
(君たち五人の心が同時に開くことで、その仕組みに触れたんだよ)
すると閻魔は、再度あの風船を指さしながら、その仕組みを話しだした。
……つづく。

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極楽飯店.55
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未だ壁が取り払われていない坂本、田嶋、藪内は置き去りのまま、白井の質問はさらに続いた。
とはいえ、坂本たちに「取り残されている」といった表情は見られない。彼らにとっては、俺たちの間で何が起きているかが捉えられないし、さらに言えば、このやりとり(繋がり)が、時間を超えた(時間のない)次元で行われているため、彼らにしてみれば、ほんの一瞬の中で行われているものにすぎないのだ。
(いや、ですから…。心を開けなんて簡単に言いますが、臆病な私たちにとって、防御壁(カルマ)を消すということは至難の業なんです。私自身も、なぜ今この状態にあることができているのかも理解できていないんです。自分の意志とは関係なく、何かこう、ハプニング的に起きたような……)
白井が源(ソース)を通じて無言のまま閻魔にそう問い掛けると、彼もまた(その疑問の中に、すでに答えがあるじゃないか)と、無言のまま返答する。
(まず第一に、「自分でカルマを消そう」という、その態度自体が間違っているんだよ。だって、考えてもみてごらん。そのカルマを消そうとしている「自分」は、カルマあってこそ存在できる「自分」なんだよ。壁があるからこそ生まれる自分だ。だからこそ、「自分がカルマを消そう」とすれば、そこに確固たる「自分」が在り続けてしまうでしょ。ムネっちが指摘したとおり、まさに「自分を守るために」カルマを抱えているんだから)
(あっ……。そうか、確かに)
(だからね、「自分でカルマをなくそう」という試みは空回りするだけだよ)
(いや、……だとしたら、余計にどうすればいいかわからないじゃないですか)
(難しく考えすぎだよ。「自分で」しようとせずに「繋がり」を信頼して、それに身を委ねるんだ。源(ソース)は燦々と降り注ぐ太陽のように、いつだって僕たちに熱を与えてくれている。君たちが冷却装置を切ってくれさえすれば、その熱は氷を溶かしてくれるんだ。繰り返し話している通り、「思考」と「恐れ」がなければ、その状態は自然に訪れるんだよ。君たちだって何度もその状態を経験しているじゃないか)
(何度も、経験してる? でもそれは、さっき言っていた自覚も一緒に失っている、寝ている時の話しですよね)
(いや、それ以外でだって日常的に経験してるさ。ただ、その状態を意識的に維持できていたかといえば「ノー」だけどね。思い出してみて。「思考」と「恐れ」が消え、源(ソース)の優しさと暖かさに触れることができる状態、それがどんな時かを)
なるほど…。そういうことか。
あのドアを通り、プリズムの向こうへと入った時に感じた「ここに来るのは初めてじゃない」という感覚は正しかった。
閻魔の示す通り、そこへは何度も、日常的に足を踏み入れていた。
ただ、それがあまりにも瞬発的なため、記憶に定着していないだけ。それでもやはり、その感覚は誰もが経験済みだ。
それに気づいたとたん、俺は、つい声を上げて笑ってしまった。
「あははははははは! ……なるほど確かに、この時ばかりは思考も恐れも停止するな」
そして、俺と閻魔は目配せすると、二人同時に白井を見つめ、さらに大げさに笑ってみせた。
「ほら白井、キョトンとしてないで早くおまえも笑ってみろよ」
「え?なに?どういうことですか?………あっ!そうか!!あはははは! なるほど!確かに!あはははは……」
……つづく。
←今日は、笑いながら。
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未だ壁が取り払われていない坂本、田嶋、藪内は置き去りのまま、白井の質問はさらに続いた。
とはいえ、坂本たちに「取り残されている」といった表情は見られない。彼らにとっては、俺たちの間で何が起きているかが捉えられないし、さらに言えば、このやりとり(繋がり)が、時間を超えた(時間のない)次元で行われているため、彼らにしてみれば、ほんの一瞬の中で行われているものにすぎないのだ。
(いや、ですから…。心を開けなんて簡単に言いますが、臆病な私たちにとって、防御壁(カルマ)を消すということは至難の業なんです。私自身も、なぜ今この状態にあることができているのかも理解できていないんです。自分の意志とは関係なく、何かこう、ハプニング的に起きたような……)
白井が源(ソース)を通じて無言のまま閻魔にそう問い掛けると、彼もまた(その疑問の中に、すでに答えがあるじゃないか)と、無言のまま返答する。
(まず第一に、「自分でカルマを消そう」という、その態度自体が間違っているんだよ。だって、考えてもみてごらん。そのカルマを消そうとしている「自分」は、カルマあってこそ存在できる「自分」なんだよ。壁があるからこそ生まれる自分だ。だからこそ、「自分がカルマを消そう」とすれば、そこに確固たる「自分」が在り続けてしまうでしょ。ムネっちが指摘したとおり、まさに「自分を守るために」カルマを抱えているんだから)
(あっ……。そうか、確かに)
(だからね、「自分でカルマをなくそう」という試みは空回りするだけだよ)
(いや、……だとしたら、余計にどうすればいいかわからないじゃないですか)
(難しく考えすぎだよ。「自分で」しようとせずに「繋がり」を信頼して、それに身を委ねるんだ。源(ソース)は燦々と降り注ぐ太陽のように、いつだって僕たちに熱を与えてくれている。君たちが冷却装置を切ってくれさえすれば、その熱は氷を溶かしてくれるんだ。繰り返し話している通り、「思考」と「恐れ」がなければ、その状態は自然に訪れるんだよ。君たちだって何度もその状態を経験しているじゃないか)
(何度も、経験してる? でもそれは、さっき言っていた自覚も一緒に失っている、寝ている時の話しですよね)
(いや、それ以外でだって日常的に経験してるさ。ただ、その状態を意識的に維持できていたかといえば「ノー」だけどね。思い出してみて。「思考」と「恐れ」が消え、源(ソース)の優しさと暖かさに触れることができる状態、それがどんな時かを)
なるほど…。そういうことか。
あのドアを通り、プリズムの向こうへと入った時に感じた「ここに来るのは初めてじゃない」という感覚は正しかった。
閻魔の示す通り、そこへは何度も、日常的に足を踏み入れていた。
ただ、それがあまりにも瞬発的なため、記憶に定着していないだけ。それでもやはり、その感覚は誰もが経験済みだ。
それに気づいたとたん、俺は、つい声を上げて笑ってしまった。
「あははははははは! ……なるほど確かに、この時ばかりは思考も恐れも停止するな」
そして、俺と閻魔は目配せすると、二人同時に白井を見つめ、さらに大げさに笑ってみせた。
「ほら白井、キョトンとしてないで早くおまえも笑ってみろよ」
「え?なに?どういうことですか?………あっ!そうか!!あはははは! なるほど!確かに!あはははは……」
……つづく。

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極楽飯店.54
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『その自覚があろうがなかろうが、僕たちは、決して分割できない一つの同じ存在』
閻魔が話したその言葉の意味が、白井のカルマが消えた瞬間、ようやくクリアに飲み込めた。
白井の問いは俺の問いであり、その問いに対する閻魔の答えは俺の答えとなる。
奇妙な感覚の中で、理解は新たなカタチへと変わっていった。

「カルマ」という名の氷があろうがなかろうが、一つの同じ存在。
そしてその「カルマ」さえも、決して「悪」ではない。元から神の中にある、同じ質のエネルギーだ。
一つの同じ物質が、温度によってその状態を変化させるのと同じように、神の中に満ちるエネルギーの総量は、増えもしなければ、減りもしない。
風船の中にあるものを「H2O」だと例えるなら、それが気体として空間に満ちているか、液体として流動しているか、それとも、固体として形作られているかといった違いだけだ。
(そうなんだ!タクちゃん、いいところに気づいたね。まさにその通り、僕たちは一つの同じ存在として、増えもしなければ減りもしない。生まれもしなければ消えもしない(不増不減・不生不滅)。僕たちに満ちているそれは、「恐れ」によって冷やされ、愛によって暖められる。そうやって「状態」を変化させ続けて脈動するエネルギーそのもの(諸行無常)が僕たちなんだ。こう考えてみて。源(ソース)の中心に向かえば向かうほど高温になっていく。そこは、どんなに固まった氷だろうと、瞬時に気化させるだけのパワーを秘めているんだ。逆に、この源(ソース)から離れれば離れるほど、温度は低下し、気体を液体へ、液体を固体へと変化させていく。ムネっちが抱えていた氷が気化すればほら、この通り。僕たちは「ひとつ」を実感することができる。そしてまた、いまだ氷を抱えたメンバーだって、その「状態」が変化すれば、ひとつになれることが、ハッキリとわかるでしょ)

(人間が抱える「苦悩」は、まさに源(ソース)から離れようとする姿勢から生まれる。言い換えるなら、分離意識の強まりに比例して、凝り固まった思考の集積に比例して苦しみを感じる。神界(ソースの中心)から離れるからこそ不安が生まれ、神を、愛を求めだす。そして、愛を求めて彷徨い出すが、愛を見失っているがゆえに、その努力は「分離感」を増す方向に傾き、状況をより悪化させてしまうんだ)
愛を、見失っている…?
(そう。「愛」は存在の内側にある。「コミュニオン」という繋がりそのものが、もっと言えば自分という存在そのものが愛なんだ。でも、カルマで源(ソース)との繋がりを閉ざされた状態にいると、それが感じられなくなり不安へと変わる。そして、その不安を外側での交流、「コミュニケーション」で補おうとしてしまうんだ。「ひとつになる」という潜在的に知っている安心感を求め、「個」を保った状態の中で、擬似的に「ひとつ」を再現しようと藻掻く。しかし、その状態では何処まで行っても「個」という性質(「分離感」という苦悩の根本原因)から抜け出せ無い。むしろ「他」との関係性の中で、より「個」を強めてしまうんだよ)
じゃぁ、一体どうすればいいと言うんだ?
(だから、何度も言っているじゃないか。本質的な救いは、自分が神であることを思い出すしかない。愛を外にではなく、内に見つけなければならない。世界には数え切れないほどの対立が存在するけど、その原因をたどっていけば、どんな対立も同じ理由が起点となってる。それは「わかりあえない(隔たりがある)」という状況だよ。それを解決するには、その隔たりを無くさなければならないんだ。その「隔たり」とは、つまり、「カルマ」そのもの。「他」が存在するという錯覚の中で恐れが生まれ、その恐れゆえに「カルマ」という壁で防御をはかっているのが人間なんだ。そこから脱するには、「分離」という錯覚を見破るか、自らの手で築きあげた防御壁を取り払うかしかない。どちらにせよ、源(ソース)を信頼して心を開く必要があるね)
……つづく。
←神を信じるとはつまり、己を信じるということ。アナタハ カミ(じぶん)ヲ シンジマスカ?(シンジラレマスカ?)
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『その自覚があろうがなかろうが、僕たちは、決して分割できない一つの同じ存在』
閻魔が話したその言葉の意味が、白井のカルマが消えた瞬間、ようやくクリアに飲み込めた。
白井の問いは俺の問いであり、その問いに対する閻魔の答えは俺の答えとなる。
奇妙な感覚の中で、理解は新たなカタチへと変わっていった。

「カルマ」という名の氷があろうがなかろうが、一つの同じ存在。
そしてその「カルマ」さえも、決して「悪」ではない。元から神の中にある、同じ質のエネルギーだ。
一つの同じ物質が、温度によってその状態を変化させるのと同じように、神の中に満ちるエネルギーの総量は、増えもしなければ、減りもしない。
風船の中にあるものを「H2O」だと例えるなら、それが気体として空間に満ちているか、液体として流動しているか、それとも、固体として形作られているかといった違いだけだ。
(そうなんだ!タクちゃん、いいところに気づいたね。まさにその通り、僕たちは一つの同じ存在として、増えもしなければ減りもしない。生まれもしなければ消えもしない(不増不減・不生不滅)。僕たちに満ちているそれは、「恐れ」によって冷やされ、愛によって暖められる。そうやって「状態」を変化させ続けて脈動するエネルギーそのもの(諸行無常)が僕たちなんだ。こう考えてみて。源(ソース)の中心に向かえば向かうほど高温になっていく。そこは、どんなに固まった氷だろうと、瞬時に気化させるだけのパワーを秘めているんだ。逆に、この源(ソース)から離れれば離れるほど、温度は低下し、気体を液体へ、液体を固体へと変化させていく。ムネっちが抱えていた氷が気化すればほら、この通り。僕たちは「ひとつ」を実感することができる。そしてまた、いまだ氷を抱えたメンバーだって、その「状態」が変化すれば、ひとつになれることが、ハッキリとわかるでしょ)

(人間が抱える「苦悩」は、まさに源(ソース)から離れようとする姿勢から生まれる。言い換えるなら、分離意識の強まりに比例して、凝り固まった思考の集積に比例して苦しみを感じる。神界(ソースの中心)から離れるからこそ不安が生まれ、神を、愛を求めだす。そして、愛を求めて彷徨い出すが、愛を見失っているがゆえに、その努力は「分離感」を増す方向に傾き、状況をより悪化させてしまうんだ)
愛を、見失っている…?
(そう。「愛」は存在の内側にある。「コミュニオン」という繋がりそのものが、もっと言えば自分という存在そのものが愛なんだ。でも、カルマで源(ソース)との繋がりを閉ざされた状態にいると、それが感じられなくなり不安へと変わる。そして、その不安を外側での交流、「コミュニケーション」で補おうとしてしまうんだ。「ひとつになる」という潜在的に知っている安心感を求め、「個」を保った状態の中で、擬似的に「ひとつ」を再現しようと藻掻く。しかし、その状態では何処まで行っても「個」という性質(「分離感」という苦悩の根本原因)から抜け出せ無い。むしろ「他」との関係性の中で、より「個」を強めてしまうんだよ)
じゃぁ、一体どうすればいいと言うんだ?
(だから、何度も言っているじゃないか。本質的な救いは、自分が神であることを思い出すしかない。愛を外にではなく、内に見つけなければならない。世界には数え切れないほどの対立が存在するけど、その原因をたどっていけば、どんな対立も同じ理由が起点となってる。それは「わかりあえない(隔たりがある)」という状況だよ。それを解決するには、その隔たりを無くさなければならないんだ。その「隔たり」とは、つまり、「カルマ」そのもの。「他」が存在するという錯覚の中で恐れが生まれ、その恐れゆえに「カルマ」という壁で防御をはかっているのが人間なんだ。そこから脱するには、「分離」という錯覚を見破るか、自らの手で築きあげた防御壁を取り払うかしかない。どちらにせよ、源(ソース)を信頼して心を開く必要があるね)
……つづく。

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