トルコの旅19・・・・・トルコが親日的な訳

2011年07月03日 | 
トルコの国に行くと、とっても親日的よと聞きましたが本当です。観光客の多い国だから位に思っていましたが、そこにはやっぱりドラマがあったのですね。

 明治時代トルコと通商条約を結んだ日本は小松宮親王を大使として送り、その返礼として1889年大使節団が日本にみえました。

 1年の航海の後到着し、3ケ月程滞在して帰国の途についたのですが、和歌山県沖で台風のために座礁し沈没してしまったのです。大使を初め約600人の乗組員が亡くなり。69名が救助されました。

 その時懸命な救助をしたのが、地元串本町のみなさんです。

 明治天皇の命により日本の軍艦で帰国をしたのですが、この史実をトルコ国民はみんな知っているのだそうです。

 話は変わって1985年のイラン・イラク戦争の時、テヘランに住む外国人は国外へ脱出をはかったのです。自国の民間機や救援機で脱出したのに比べて、日本は安全の保証がないからと救援機を送るのを躊躇したのでした。

 その事情を知ったトルコ政府は自国民を後回しにして、日本人を成田まで送り届けてくれたのだそうです。

 たしかそんなことが・・・・あったような気がします。

 湾岸戦争の後、地中海クルーズにいったことがありました。その船の中で、親の仕事でギリシャに暮らしている16歳の少女の話を甲板にも出ずに、ずっと聞いていたことがありました。

 彼女は地中海の島のお土産屋で日本の観光客の接客のアルバイトにきていたのです。その日、お土産屋で顔見知りになって、帰宅するために船に乗ったら彼女にバッタリとなつたのです。

 少女は湾岸戦争の時、日本の政府は国外にいる日本人に何もしてくれなかった、と怒りをこめて話しました。身の危険を感じた話を聞きながら、諸外国の自国民を守る姿勢を知ったのでした。

 最近は我が国も、国外の自国民を救出に向かうようになりましたが、こんな歴史があるのです。

 あんなに遠い国、常日頃は米・ヨーロッパの国以上には話題にならないのですが、こんなドラマがあってと心温かくなったのです。

                      依田美恵子

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