私のなべ四器(規矩準縄)

今、自分の周りで起きていること。ご近所のトマソンもそんなに、気にしてない。深めにかぶった帽子で、年内不定休営業中。

皿と鉢

2010-09-11 14:44:45 | Bの壺

久しぶりに陶芸教室に行く。

頭の中で作りたい形が浮き上がっては消え、消えては浮き上がり形に成らない。そんな気分で教室に入ると、既に生徒さんは作品作りに入っていた。始まり時刻より大分早くから作り始めていた様で、既に形になっている。完全に出遅れた。

 陶芸教室が2週間ほど休みだったので、みんなの気が高まっている様だ。 今回の土は堅めで粗く作品に自然な感じが出るそうで、縄文式土器を作るには打って付け見たいで嬉しい。早速土を伸ばし始める…。

 

作品展をやろうと話が持ち上がっていて、出来上がった作品をみんなに見てもらって(又は自分達も人の作品を見て)切磋琢磨しようというのだ。他の作家さんの作品も併せて、色々な作品展にしたいなどと、話はどんどん膨らんでいく。

 自分の作品に値段を付けるならいくらにするかと言う話になって、講師の小割氏の商品から按分して、6,000円などとホザイテいたら、先輩生徒さんに恐れ多いと叱られた。 小割氏はそんな生徒の戯言は聞き流しておられる様で、「土代だけは回収したいですね」とさらりと査定する。

今回のこの皿は、未完成ながら12,000と値を付けた。「安い!」と声が掛かり、予約しますかと切り返したのだけど、返事は無い。自然乾燥後、下駄をはかせる予定だけど縄文人の素朴さには負ける。

 

完成品。鉢カバー仕上げ前はこちら

 

使用例。

下駄箱の上に置いて見ると、しっとりと落ち着いて見える。

 

余った粘土で作った箸置き。仕上げ前はこちら

 

一番気に入った物を常用とする。

愚息にも一個分け与えたのだが、彼は一番尖ったシャープな仕上がりを選んだ。

彼の好きなトリケラトプスの様だ。

 

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検証

2010-09-11 08:51:50 | ご飯ですね
NHKテレビ放送の「ためしてガッテン」を試してみる。

目玉焼きを焼く回の事なんだけど、黄身がクリーム状で滑らかに出来るらしい。
そう言われていつも焼いている目玉焼きを見ると、半熟では有るけれど、良く焼かれた底の方は一つの塊になっている。

同じ玉子を同じ条件で焼いて、全く違う出来上がりにパネラーは一様に驚くのだけれど、彼らの言動は信用できない。何を食べても美味しいと言うタレントが多いからだ。

番組の中で最初のポイントは、玉子の割り方で、フライパンにギリギリまで近付けて割入れる。低い位置から入れることが肝心らしい。これによって、黄身の組織が壊れないそうだ。

ところが、これだけでは美味しく成らない。
玉子の黄身は産まれてから時が経つほど水分が増えて味が薄く成るそうだ。濃厚な黄身の目玉焼きを焼くには、更に一工夫が必要だった。



器に「我が子の様に」(番組中のキーワード)割入れた玉子の黄身だけをスプーンなどで取りだし先に焼く。
これによって黄身の水分が飛び、濃厚に成るのだ。



お好みの硬さ(見極めが難しい)になったら、白身を入れてお好みの硬さに仕上げて出来上がり。
想像以上に滑らかな目玉焼きが出来た。
舌に纏わり付く様な黄身が好きかどうか別として、
番組で言っていた滑らかさは、体験できたと思う。

ここまでやるのに、三日間毎朝目玉焼きを食べました。
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お辞儀

2010-09-06 08:20:16 | ひとり独り言
従弟の結婚式に出席する。

従弟と言っても20歳っも年が離れているので、良く遊んだって事もないのだが、叔母が小生を弟の様に可愛がってくれたので、付き合いが続いている。
叔母が「○○ちゃん」と小生を呼んでくれるので、従弟も同じ呼び方をしてくれる。年下で「ちゃん」付で呼ぶのは彼だけで、もしかしたら本名を知らないのかもしれないと思ったりする。
五十過ぎの大人を子供の時と同じ呼び方をされるのは、気恥ずかしいけれど、自分の歴史として嬉しかったりする。

両親への花束贈呈で彼のお辞儀が、新婦の父よりも低く、そして、一番長くお辞儀をしていた。そんな彼のお辞儀に感動して、我が身を振り返る。



この人を大事にしていきますと、相手両親に誓ったはずなんだけど、
出来ていなかったりする。
大事にするって、言う通りにするって事ではないと思うけれど、
育ち方の違いが、物の考え方捉え方の違いを生み出している様だ。

家族を守るって事がどんだけ大事なことか身に浸みた一日だった。
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新東名

2010-09-02 06:23:37 | ぶらり仕事旅
静岡市清水区。
庵原川に沿って通る県道75号線を遡って行くと新東名の橋脚が見えてくる。



此処は吉原ジャンクションなので道幅が狭い。
新東名の伊佐布ICはもう少し現東名寄りにある。

開通したら車のヘッドライトで夜も明るくなってしまうのでしょう。



本線はやっぱり幅が広い。
2008年5月にこの上を歩いていると思う。下から見てもすごい物が出来るんだと思った。

家人は小学生の頃、今の東名高速道路の工事中、上級生に連れられて本線を歩いたそうだ。
こんな事は滅多に出来ないからと言われたそうだけど、新東名も歩いている家人は、ある意味すごい人だ。




中部横断道路の橋脚。工事は全く進展する様子が無い。
このまま終わらなければ良いのだけれど、心配になる。

新東名の開通後でなければ、用の無い道だから
開通するまで動きそうもない。
まあ、コンクリートはある程度時間が経った方が強度が出るので
良いのかもしれない。

ただ、茶畑から延びる橋脚はちょっと不気味だ。



和田島浄水場。
何回見ても変わらない形が羨ましい。

安全靴良し。皮手袋よし。蚊取り線香良し。
変更に次ぐ変更で、一回で終わるはずの現場が今日で三回目。
役所もやっと諦めた様で、最終決定と信じたい。

さあ、また山登りが始まる。
前回よりも下草が伸びてるじゃん。
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四中

2010-09-01 08:31:24 | 気儘に散策
静岡市立第四中学校。

四中と言えば思い付くのは正門で、美術の時間にスケッチをした事を思い出す。
当時は大谷石だっただろうか、黄土色の軟石の門柱で風格があったと思う。
でも、着色が苦手でいつもべったりした平面的な絵が出来上がり、スケッチを台無しにしていた。

門柱と同じ位四中を印象付ける物に蘇鉄がある。構内に一歩踏み入れると、最初に迎えてくれるのがこの蘇鉄なのだ。卒業アルバムでもこの蘇鉄の前で写している。


在学当時の美術室入口に水彩画が飾ってあり、美術担任が四中から見た龍華寺を描いた物だった。その絵を見て、こんな絵が描きたいなあと思ったのだけど、少しも旨く成らなかった。スケッチは好きだったけれど、絵は下手だった。

今、龍華寺のスケッチの中に立ち四中を見ると、初めて先生が見ていた龍華寺が見えて来た
様な気がする。
眼下に龍華寺の門が見えた。
龍華寺と第四中学校は蘇鉄繋がりだった。



此処まで墓参りに来るのは大変だろうと思う。
ただ、この景色を見るとまた来たくなる。

この方向に富士山が見えるはずなんだけど、今年はまだ、夏雲が元気だ。



龍華寺の中にある高山樗牛の墓と胸像。
樗牛の胸像の目線の先の富士山が見える様に視界が開けている。

一般人の墓地と繋がっており、墓参者は無料なのかと思う。




高山樗牛の胸像。
富士山を見る様に、顔を少し左に向けている。


斯界の最高権威 朝倉文夫先生の代表作の一つであります。と龍華寺のHPに出ている。



●樗牛の遺言

先づこの度は墓地のこと申上候。

駿河国清水港附近龍華寺と申すは、

三保の松原より富士山への眺望本邦無二と存じ候。

私も数回遊覧し、当に慕い居り候土地に有之候。

もし少生死後に相成り候へば、

右龍華寺に埋葬相願い度く候。

素より故郷には先祖の墳域も有之候こと乍ら、

彼の陰鬱な禅宗寺は私の気には如何にしてもかなわず、

是非是非右願いの通りに成し被下度候。

龍華寺の宗旨は日蓮宗には候へ共、

宗門の異同などはかまいなく御許し被下べく候。

日蓮上人は私の平素崇拝する一大偉人にて、

某門末の寺に埋められるは何かの因縁と覚へ申候。

右墓地は私健康回復次第、私の地に罷り越し

予め談合買求め置き度く考へ居り候。

此の旨御含み被下度く候、兎角の御異在も之あるやも

測り知れず候へ共、このことは私の頑固なる願いに候間、

新士町とも御相談の上是非是非御許し被下べく候。

以下略

龍華寺ホームページより
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