日銀券を増刷して日本国を救う村島定行のBlog

①日本は世界最大の債権国、お金がなければ刷りなさい②英語を多用すると次第に馬鹿になる③靖国参拝は日本人の義務だ。

日銀は信用できない(2)---日銀の財務体質は悪化しない

2010年02月27日 | 経済
 先の記事「岩田規久男氏の「日銀は信用できるか」はいい本だ。もちろん日銀は信用できない」に続いて日銀の誤りを指摘しよう。
 日銀は「そういうことをやると日銀の財務体質が悪化する」としばしばいう。水戸黄門の印籠のような感じである。リーマンショック後FRBや英国中央銀行がCPや社債、その他低い安全性の債権を大量に買い付けしているが日銀は殆ど変化なく前年どおりで、申し訳程度に購入増の姿勢だけ示す。消極的なのは損失がでると日銀の財務体質が悪化すると言うのである。
 日銀が「財務体質が悪化する」といって仕事をさぼろうとするのは二つの意味で間違っている。
 その一つは日銀は市中銀行と違って通貨を刷れるから損失をこうむっても財務体質の悪化など現実にはないのである。名目上「財務体質の悪化は避けなければならない」となっているだけで損失をこうむっても痛くも痒くもないのが日銀なのである。市中銀行は損失を蒙れば直ちに債務超過に陥る危険が生じる。そして多くの銀行が現実に倒産している。しかし破産に瀕した銀行をどの銀行を救いどの銀行を破産させるかを決めるのが日銀である。日銀は全ての銀行を救う事だってできる。「日銀が損失を蒙ると政府への日銀からの納付金が減り国民に迷惑をかける」と言うがその損失の十倍、百倍の日銀券を刷って政府に納付すればぜんぜん心配はない、お釣りが来るのである。
 二つ目の理由は日本政府が1000兆円の公的債務に苦しみ、国民の給与が毎年減少し、国民が失業にあえぎ、自殺者が3万人を越えている現状を前にして、「財務体質が悪化する」と言う理由で何もしないことが許されるのかである。日銀は国家のためにある。国家を、国民を塗炭の苦しみに落とし入れたままで守らなければならない、日銀の財務体質とは何なのか。日銀は国家や国民より上にあるのではない。
 日銀の財務体質を健全に維持出来たが国家が、国民が破産したというのでは話にもならない。それがありもしない「日銀の財務体質の悪化」を避けるためであるとすれば大笑いである。
 繰り返しになるが日銀券の信用は日銀の信用ではなく、政府即ち国家の信用で持っている。政府が重度のデフレで苦しんでいるのであればそれがそのまま日銀券の信認に影響する。政府の財務体質と日銀の財務体質とが別に存在するのではない。偉そうにいつも「日銀の財務体質」を口にして政府と国民の苦境に背を向ける日銀は無責任である。

  日銀をバカ呼ばわりしたがデフレの最中に歳出削減をする政府も日銀と同じ程度の大バカと考えている。誤解のないように付け加えると。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岩田規久男著「日銀は信用できるか」はいい本だ。もちろん日銀は信用できない。

2010年02月25日 | 経済
 散々日銀のことを批判してきた者としては岩田規久男「日銀は信用できるか」はいい本で決まりであるが、世間ではそうではないらしい。『岩田規久男著「日銀は信用できるか」は信用できるか』というブログがあった。
 日銀の役割を「デフレでもインフレでもない状態に維持することだ」と認めながらでは「デフレでもインフレでもない状態」とはどういう状態かを聞かれると日銀は答えられないのだ。それに対する解答をまとめるため最近研究会を立ち上げるという体たらくである。これは日銀が何も仕事をしていなかったことを自ら暴露したも同然だ。
 岩田氏は日銀流理論の例を挙げて批判しているが私の視点から見て日銀の誤りを指摘しよう。
 まずここ10年以上GDPデフレータはー1%の物価下落が続いている。これは10年間デフレであったと私は考えているが日銀は民主党にせっつかれてやっとデフレであることを認めた。私は「重度のデフレ」であるが日銀は「緩やかなデフレ」であることをやっと認めているに過ぎない。
 昨日山口副総裁が鹿児島に来て財政のバランスが厳しいと発言している。先日、日銀は政府に財政規律を促した。デフレ時に財政規律を促すのは禁物である。これまで日銀と政府は景気が悪いのに何度も引き締めを行いさらに景気を悪化させてきた。これが十年にわたる不景気の張本人である。
 財政のバランスはそれだけで見てはいけない。その時点で物価の上昇率がどれくらいかによって大きく変わってくる。もし+2%の物価上昇率で大幅な赤字であれば文字通り放漫財政である。しかし日本のように長期にわたるデフレと財政のバランスの悪さが共存する場合は必ずしも放漫財政と決め付けることはできない。中央銀行が通貨の価値の維持を適切に行っていて+1%の物価上昇率を実現できれば財政のバランスは急速に回復する可能性があるからである。日銀は現状がインフレかデフレかを見ていない。
 これまで基礎的収支の均衡だけをみて歳出削減を続けてきた結果どうなったか。日本の10年前の税収は65兆円から3年前には45兆円になり、今年は37兆円を切った。基礎的な収支の均衡を目指して歳出削減をした結果かえって基礎的な収支の均衡の目標は遠ざかったのである。
 歳出削減が必要かどうかは基礎的な収支だけ見るのではなくまずデフレを終わらせることが先決である。財政の赤字はまず歳出の削減を要請する。しかしながらデフレは歳出の拡大を要請する。どちらの要請を重く見るか慎重に考えなければならない。これまでこの判断を誤ってきたため日本は未曾有の不景気に苦しんでいるのである。
  バブル崩壊後政府と日銀が適切な金融財政政策を行い、+1%程度の物価上昇率を維持できていればこれほど大きな財政赤字は累積しなかったであろうし、GDPも落ち込まず、基礎的収支の赤字も微々たる物であったはずである。
 日銀は財政の規律を政府に要請したが日銀がデフレを阻止し+1%から+2%の物価上昇率を実現すれば殆ど財政の規律(すなわち歳出削減)は要請する必要がなくなる可能性があるのである。
 現在の日本の未曾有の不景気は日銀が通貨の価値の維持という本来の仕事を放置していることを棚に上げて政府に財政規律の維持を要求することによってもたらされたといえるのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「日本経済は1年で破綻ー相場師藤巻氏」ーー垂れ流されるデマ情報

2010年02月24日 | 経済
 週刊朝日の巻頭に伝説の相場師藤巻とかいう人物の「日本経済は1年で破綻する」という記事がのっている。日本経済は最大もって来年まで。国に金はなくなり、予算も組めない。そしてハイパーインフレがやってくる。広告だけ読んで中身を読んだわけではないがひどい記事である。直ちにハイパーインフレがやってくる等と短絡的によく言えるものだ。株で損をした腹いせに無茶苦茶なことを言ったような発言である。
 どういう状態をハイパーインフレというのか判らないが物価が1年で2倍になる場合を考えてみよう。例えば300万円のプリウスが600万円にあがったとしよう。従来300万円だったプリウスに600万円も払うのが普通になる状態は従来と大きく違っている。プリウスに600万円払えるということはみな従来に比べて格段に豊かになったことを意味する。そうなれば長期間苦しんできたデフレも終わらなければならない。みんながそれほど豊かになればスーパーやデパートの売り上げの減少も止まり、どの商売も利益が出るようになり、株価もあがるのではなかろうか。求人も増え失業率も大幅に下がると思われる。
 現在の重度のデフレから一挙にハイパーインフレに行くことはあり得ない。どういう順序で変わるかと列挙すると 
 1.重度のデフレーーマイナス1%のデフレ
 2.軽度のデフレーー物価上昇率0%
 3.丁度いい状態ーー物価上昇率1%
 4.軽度のインフレーー物価上昇率2%
 5.インフレーー物価上昇率5%
 6.中国並みのインフレーー物価上昇率10%
 7.狂乱物価ーー物価上昇率100%(戦後1年目頃の状態)
ハイパーインフレは7番目の状態を指すであろう。7番目の状態に行くまでいろんな段階がある。順を追って変わっていくのである。日本経済に望ましいのは3番目か4番目の状態である。現在は1の状態である。3ないし4番目の状態にするためには大幅な財政出動をやればいいのである。金がないのではなく金は刷ればでてくる。3,4番目の状態になれば失業率は減り、売り上げが増え、大企業だけでなく中小企業まで操業率があがり、ボーナスも増える。税収も大幅に増える。結婚も増え、出生率もあがる。4番目の状態を過ぎれば引き締めをやればいいのである。
 これまでの日本は1番目と2番目の状態を行ったり来たりしているだけである。2番目の状態になれば歳出削減をやり1番目の状態に引き戻すことを繰り返してきた。引き締めはインフレのときにやるべきであるという鉄則に違反し、デフレのときに引き締めをやるから景気が良くなることがない。
 15年間もデフレが続いたのは日銀、政府、財務省の失敗である。人災である。この災厄を防ぐ措置をとらないと太平洋戦争に再度負けるような大災厄になる。すなわちデフレを阻止するため国債の日銀引き受けでもいい、政府紙幣でもいい、日銀券の増刷による大規模な財政出動をやって景気を盛り上げることである。難しいことは何もない。
 伝説の相場師藤巻氏は日本株から撤退したそうである。藤巻氏だけでなく、ここ15年殆どの人が日本株で損をしている。日銀が日銀券を増刷せず、政府が歳出削減ばかりやっていればデフレが続き、株価が上がることはない。株価の変化ばかり見ていたらわからないが、日銀と政府の動きを見ていれば自明のことである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

週刊エコノミスト・日本国債暴落特集ーー騒ぐだけで決して暴落はありえない

2010年02月21日 | 経済
 週刊エコノミスト2月23日号が日本国債の暴落を特集していた。狼少年と同じである。騒ぐだけで決して暴落はありえない。
 さらに 日銀の白川方明総裁は18日、金融政策決定会合後の記者会見で「財政の持続可能性に関する市場の関心が世界的に高まっている」と述べた。財政の悪化が国債価格の下落につながるリスクを警戒する構えをみせた。日銀総裁も似たような考えなのである。だから景気回復がうまくいかない。
 日本の財政は先進国で最悪だといわれるが先進国で最も金利が低いのは何故であろうか。断トツに金利が低いのに決して札割れが起こらないのは何故であろうか。世界一金利が低くても売れるわけだから、金利が少しでも上がればさらに喜んで買う人が押し寄せるから暴落はありえないのではないだろうか。10年前から財政事情は大幅に悪化したといわれながら断トツの低金利というのは変わらない。仮に日本国債が大幅に下がった(金利が上がった)としても日銀が直接国債を買う事だって可能である。日銀が100兆円国債を購入してくれれば国債の金利が下がるし、政府の借金も100兆円減るのである。万々歳ではなかろうか。先進国の中で長期間デフレであったのは日本だけだから通貨増発によるインフレの心配はもっとも少ない国なのである。日銀が通貨を増発すれば多くの日本経済の課題が解決するのである。
 ここ15年ほど欧米は平均すると+2%を超えるインフレが続いているのに対して日本はー1%のデフレが続いている。これで日本の物価が相対的に大きく下がってしまっていることを意味する。ソウルの物価は東京より高くなっているという。下がった物価を30%ほど上げたとしてもそれほど経済に悪影響は出ない。日本はデフレを止めるためにはかなりの通貨増発が必要だし、+30%も物価上昇までかまわないとするとさらに通貨を増発できるのである。つまり日本の通貨を増発する余力は巨大であると言える。現在の日本のGDPは500兆円であるがこれを800兆円程度になるまで財政出動で規模を膨らませる(数年かけて)ことはそれほど無理ではない。公共事業を15兆円、防衛費を10兆円、医療費を増額し、教育関連日を増額して経済を活性化すれば、37兆円まで落ち込んだ税収も100兆円近くまで増えることも夢ではない。
 日本の税収は10年前の65兆円から3年前の45兆円へ減り、今年度は37兆円を切った。大幅な歳出増をやるべきところを大幅な歳出削減をやったから税収が落ち込んだのである。財政再建というと歳出削減と誰もが考えるが、実際は歳出削減により財政再建の目標が遠ざかってしまったことに気づかなければならない。
 先の記者会見の後半で白川日銀総裁はインフレ目標の設定に反対したが私には「白川氏が日本の財政再建をどんなことがあっても妨害する決意である」と聞こえた。欧米の学者の中には「日本はこれまでのデフレ政策の誤りを取り戻すために+4%のインフレ目標を設定すべし」と言っている者もいることを書き添えておこう。これを実現するためには公共事業15兆円、防衛費10兆円など、私が先に書いたようなことが必要である。
 日本は過去30年毎年10兆円の黒字が続いていた世界最大の債権国であり、借金で首が回らないと言う話はおかしいのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日銀 財政規律を政府に促がすーーー財政規律よりデフレ阻止

2010年02月20日 | 呼びかけ・提案

 昨日の新聞に「日銀が財政規律を政府に促がす」とあった。これこそ日本経済をこれほどの不況に沈めている考えだ。日本が財政出動をしようという時、或いは予算が膨らみそうなときに必ず財政規律を守れ、金の使い方を抑制的にせよという力或いはブレーキを踏ませようと言う力が働く。誰かが経済を加速させようとするとすぐにブレーキを踏むものが現われる。この声は日銀からだったり、財務省からだったり、政府の中からだったり、必ず財政規律を叫ぶ声がでてきた。景気がよくならないうちに必ずブレーキを踏むからしだいに景気は下降し、現在のような平成デフレ地獄が長期間続くことになる。日銀は重度のデフレの最中に「政府に向かってインフレに注意せよ」といっているのである。バカ日銀の見本である。
 日銀が「財政規律を政府に促がす」のであれば私は日銀には「デフレ阻止」を促がそう。「日銀総裁殿、いつになったらデフレを止めてくれるのか。財政規律の要請はデフレが終わり、インフレが2%を超えそうになったときにいうべき言葉だ」と。
 日銀の仕事は通貨の価値を維持することである。これほど長期にわたるデフレは過去に例がない。これは日銀の怠慢である。ゼロ金利でデフレを阻止する手は打っていると弁解するかもしれないがゼロ金利で景気が回復しないのは何故であろうか。それは政府が財政出動をしないからであるがそれを実現する資金を日銀が提供しないからである。日銀券を刷って年間50兆円規模の景気刺激が必要である。そうしないと物価下落は止まらない、デフレは止まらない。ゼロ金利にしただけでは不十分で財政出動に必要な資金を政府に供給するのが日銀の仕事である。これは政府が政府紙幣を発行して日銀の通貨増刷を促がすことも可能である。あるいは国債を発行して日銀に直接購入を要請することでもいい。長引く不況は日銀だけの責任ではない。政府にも財務省にも責任がある。
 とにかく重度のデフレの中でブレーキを踏むのは禁物である。
 財政規律を促がすのはデフレが終わり物価上昇率が+2%を越えてからにすべきである。
 財政規律などよりデフレ阻止が優先する。そしてそれは第一義的に日銀の仕事であることを忘れてはいけない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

デフレは自然現象でない‐---通貨を増発して止めなければならない

2010年02月17日 | 経済
 日銀がインフレ目標を否定したという記事がのっていた。デフレをしぶしぶ認定したと思っていたが、日銀の考えは「+1%程度のインフレが望ましい」ということは認めるが+1%のインフレになるように経済を動かすことはやらない。やりたくない。通貨増発はやりたくないという意味である。欧米は+2%程度の物価上昇になるように公共事業などの財政支出をやっているが日銀は何もしないという意味である。+1%のインフレがノルマになるのはいやだという意味である。日本はここ15年デフレが続いてきた。これが常態になり、物価の下落は目に見えて顕著になってきた。この流れを逆転させるためには大幅な財政出動をやって止めなければならない。その財源のために消費税増税をするとデフレを助長するのでやってはいけない。増税や歳出削減ではなく、純粋に歳出増を行わなければならない。そのためには通貨の増発しかないのである。 民主党のように子供手当てのために何かを削るということをやっていてはデフレは止まらない。不況は終わらない。何も削らず、大幅に新規の事業に予算をつけなければならない。
 デフレは自然現象ではない。政府、日銀、財務省が歳出を削減するからデフレになるのである。公共事業を削るから、防衛費を削るから、医療費を削るからデフレになるのである。デフレを止めるため、政府、日銀、財務省は日銀券を増刷して大幅な財政出動をしなければならない。15年誤った政策を続けてきて、デフレを放置していたから、それを修正するために、この大幅な財政出動は相当の期間続けなければならない。
 デフレは自然現象ではない。財政当局がデフレを選ぶのである。デフレを止めるためには、日銀券の増刷しかない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「国債は借金ではない、過剰貯蓄だ」について

2010年02月16日 | 経済
  あるところで「国債は借金ではない、過剰貯蓄だ」という言葉に感激して多くの人に説明して歩いている人の話がのっていた。国債は返さないといけないと言う意味で借金である。しかし国民の借金ではなく政府の借金である。過剰貯蓄だから借金ではないと言うのはおかしい。超低金利の国債に集まってくる膨大な資金と言うのも異常なものである。他に利益の出る投資先がないので国債に投資されるのである。ここ15年以上もデフレを放置している結果、あらゆる経済活動がうまくいかない。売り上げは減少し、価格は下がる。給料も下げざるを得ない。こういうデフレを放置していた結果、利益のでる投資先がなく、超低金利の国債が有利になるのである。
 最近急に消費税論議が盛んになってきた。金がないから消費税を上げなければならないから論議しようと言うことだろうが。財源論議より優先する仕事がある。それは「デフレを止める」ことである。これは本来通貨の価値を維持するという日銀の本務の一つである。日銀の仕事は(政府の仕事でもあるが)インフレもデフレも止めることである。これは財源論議より優先する。これを優先しなければならないのは経済活動の公正さを維持するためである。
 これは1000万円を年利3%で10年間貸し、10年後に一括返済する場合の話をしよう。3%のインフレであれば貸した人は無利子で貸したのと同じになる。10年後に利子をつけて返されても、インフレで帳消しになり全く利益がでない。
 3%のデフレであれば借りた人が大きく損をする。10年後の1000万円は以前のものよりはるかに価値があるし、そのうえ利子分も払わなければならないからである。このような不公平をなくすために通貨の価値の変動を避けるのが中央銀行の大切な責務になっている。
 その大切な責務を果たさず日銀は15年以上続くデフレを放置しているのである。
 財源論議は、デフレを終了させ、正常な経済を実現した後に、考えることである。「子供手当ての財源をどうするか」を考えるのではなく「先ずデフレをどうやって止めるか」を考えなければならない。この二つのどちらを考えるかによってやることは正反対に違ってくる。財源を考えればすぐに増税という話に行ってしまうが、デフレを止めようとすると大幅な財政出動が必要ということになり、デフレを助長する増税ではなく、国債の日銀引き受けによる大規模な財政出動、しかないことになる。デフレを止めることが出来れば全く現在と違った日本経済が出現する。
 そのときには成長力も違っているし税収も大幅に増えている。そうなれば消費税増税より消費税減税が必要だと言う話もあり得ない話ではない。
 まずデフレを止めることが最優先なのである。
 これまで目先の財源論議を優先してデフレの最中に歳出削減と増税をおこない一層の景気悪化をもたらすということを続けてきたのである。
 いつになったら目が覚めるのか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

政治主導も地方分権も政権交代も解決にならないーーお札をするのが第一!

2010年02月15日 | 政治

 現代の政治に関連して最も聞く標語は政治主導である。官僚の食い物になっている政治を政治家に取り戻せばよくなるというが政治家が官僚よりましだという根拠はない。官僚にデタラメなものが多いが政治家が官僚より優れているとは誰も思えない。鳩山首相は平成の脱税王であり、小沢幹事長は集めた政治資金(賄賂や政党交付金)で自分用の不動産を買い集める犯罪人である。政治主導ではなく、犯罪人主導になっている。
 地方分権は中央集権で地方のことまで霞ヶ関で決める現代の仕組みはおかしいということであるが財源の委譲がなければなんにもならない。中央に全く金がない状態で地方に主権があるといっても迷惑であろう。
 日本はデフレを止めるために毎年50兆円以上お札を刷らなければならない。刷ったお金を地方へ主権を委譲すると共にお金も委譲すればいい世の中になる。
 自民党はお札を刷らなければならないのに歳出削減を続けて国民生活を悪化させ続けて敗北した。しかし民主党は事業仕分けに見られるように自民党に輪を掛けた貧乏神である。政権交代して自民党の失敗をもっと大掛かりに続けようと言うのである。これでは国民は救われない。わずかな子供手当てでつられるほど国民は困窮している。お札を刷れば子供手当てでなく国民全員に月額3万円の健康文化手当てを与えてそれ以外にも公共事業15兆円、防衛費10兆円程度支出できる程度のことは出来るのである。
 政治家も官僚も馬鹿で「お金がなければ刷りなさい」と言う言葉が理解できない。お金をすれば日本がハイパーインフレで破産する等と言うが現実の日本が破産と同じ状態になっているのではないだろうか。10年前に世界の18%あった日本のGDPは現在は8%に過ぎない。このまま歳出削減や事業仕分けのような予算削りをやっていると10年後には世界の4%に落ち込むであろう。これこそ日本の破産ではなかろうか。
 これまで目標にしてきた基礎的収支の平衡はとても実現できないほど遠くへ飛んでいってしまった。デフレは物価下落が目に見えるほど顕著に強固になってしまった。政治主導、地方主権、政権交代など何の解決にならない。お札をすることが第一である。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「希望を捨てる勇気」より「考えを改める勇気」を!---お札を刷れば簡単に解決!

2010年02月14日 | 経済
「希望を捨てる勇気」をすすめる本が出ていて、人気が高いそうである。こういう本が売れるのは日本人の衰弱を示す兆候であり、日本人が相当馬鹿になったことを示す証拠である。情けない話である。
 「人間は希望を食って生きている」、或いは「どんな絶望的な状況になっても希望を失わないのが人間だ」と考えている小生としてはばかばかしくて読む気がしない。なんでも「今日より明日はよくなるという希望を捨てる勇気が必要だ」という。「希望を捨てれば長期停滞も悪くない」そうな。
 この本の作者池田信夫氏は経済政策をあれこれ自分のブログで発表しているが、どう考えても長期停滞の線しか出てこないのであろう。自分の経済政策で長期停滞の線しか出てこなければそれは誤っている証拠とは考えられないのであろうか。自分の考えを正しいとして、人に「希望を捨てよ」無理なことを押し付けるのは傲慢の極みであり、居直りである。
 ある経済政策で長期停滞の線しか出てこなかったらその経済政策は誤っていると考えるのは数学の常識、即ち演繹法である。希望を捨てる勇気を人に説くより、自分の考えを改める勇気が池田氏には必要ではなかろうか。池田氏は勝間和代氏が菅直人氏に日銀券を増刷してデフレを止めることを提言したことを口を極めて非難している。
 これまで政府が続けてきたゼロ金利と歳出削減は長期停滞よりさらに悲惨な結果をもたらしている。この現実はこれまでの政策の誤り示している。 平成10年に丹羽春喜氏は「お金が足りなければ刷りなさい」と書き、平成11年に小生も日銀券を増刷しさえすれば経済危機は克服できる書いた。ノーベル経済学賞を受賞したレスターサロー教授は10年前に来日し「日本政府のやるべきことはひたすら輪転機をまわすことだ」と発言している。
 ところが日本政府がやったことは終わることのない歳出削減である。不景気なときに歳出削減をすればデフレを助長するだけである。この政策は一貫して変わっていない。その結果が15年続いている戦後最長の重度のデフレである。現在の日本を覆っている現象は典型的なデフレである。 希望を捨てる勇気など必要はない。単にお札を刷って大規模な財政出動をするだけで希望にあふれた社会が出現する。
 デフレ対策は古今東西変わらない、通貨を増発すればいいのである。池田氏には正反対のやり方を研究されることをお願いする。裏切られることはないことを保証します。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

円も政府なき通貨と同じーー通貨発行益を使わない日本

2010年02月13日 | 経済

 ユーロがギリシャの経済危機でゆれている。2月13日の朝日の社説で「ユーロの憂鬱ーー政府なき通貨の試練」という解説がのっていた。放漫経営で苦しくなれば通貨を発行し、債権を処理してしまって、その過程でその通貨の価値が下がってしまう。つまり為替で調整することが一般に行われる。しかしギリシャはユーロの一員であるからギリシャのユーロだけを下げることが出来ない。通貨を刷って借金を返済する代わりに他国から資金を提供してもらって債務を処理しなければならない。各国の利害の調整は難航を極める。一国一通貨ならこの問題はない。「政府なき通貨の試練」といわれる所以である。
-----------------------------------------------------------
 ユーロの憂鬱----政府なき通貨の試練(朝日2月13日)
 ある国が放漫財政のあげくの破綻の危機に陥った。それを助けるために日本が資金を出すと政府が言い出したら納税者として国民は怒るであろう。しかし欧州ではいま、そんsんあことまで真剣に議論する事態になっている。問題の国はギリシャだ。放漫経営に加え富裕層の税逃れで歳入も増えず、財政赤字は国内総生産の13%に膨らんだ。しかも昨秋の政権交代までそれを隠していた。だが欧州連合はギリシャを支えないわけにはいかない。単一通貨ユーロの加盟国だからだ。
 ギリシャが対外債務不履行を起こせばポルトガルやスペインなどにも波及しかねない。これはユーロ圏全体の信用低下にもつながる。導入以来最も厳しい試練を迎えたといえる。どうやって切り抜けるか。他の加盟国が試練に乗り出すのは容易ではない。同じ通貨圏で相互に影響しあうといっても何故自分たちの税金で他国の尻拭いをするのかという反発は強い。すでにドイツでは政府がそんな動きに出ないよう牽制する空気が強まっている。 とはいえ国際通貨基金にゆだねるのは屈辱的。ギリシャがユーロ圏から出る選択肢は理論的には考えられても、仲間を見捨てるような具合になっても欧州の連帯感も損なわれる。政治的打撃も大きい。
 11日の欧州連合首脳会議での救済合意にもそんな憂鬱がにじむ。ギリシャの財政再建に積極的に支援すると氏ながらも具体的な資金援助には触れていない。
 ユーロは政府なき通貨といわれる。欧州中央銀行はあるが経済政策を取り仕切る中央政府はないという意味だ。共通の経済政策がないわけではない。財政については赤字を国民総生産の3%以下に抑えるという規律はあるものの主権は一義的には各国にある。一つの国のようには機能しない。それが問題が起こったときの解決の難しさにつながる。経済が一体化しているのに、政治が追いついていないのだ。その弱点を補うために欧州経済政府を設立する構想なども浮上している。欧州統合はいわば地球世界の小型版だ。国境を越えた経済に振り回される政治という構図は欧州連合以外にもにも共通している。どうすれば加盟国の溝を埋められるか。ギリシャをめぐる欧州連合の七転八倒は他人事ではない。
------------------------------------------------------
 朝日は十六カ国一通貨の欧州連合の難しさを論じているが。一国一通貨の日本はその判り易さを生かしているであろうか。
 日本はここ十五年以上デフレが続いている。これはこの十五年の間、放漫財政と逆のことが実施されたことを意味する。最近はデフレが常態化し物価下落が顕著に見えるようになっている。本来、放漫財政があって緊縮財政で修正するのが普通であるが、放漫財政でないのに緊縮財政を行い、それが税収を減らし、デフレを助長する。デフレの時には財政出動をしなければならないのに、デフレのときに歳出削減を続けてきたことが日本の経済政策の誤りである。
 民主党は事業仕分けで多くの事業を中止、予算削減に追い込んだが、世間はデフレ地獄で苦しんでいるのに、予算を削るのは逆効果である。歳出削減は公的債務があるからと説明されているが公的債務を減らすことよりデフレ阻止の方を優先しなければならない。デフレを阻止するためには通貨増発が必要である。増発した通貨は景気刺激と借金返済に使えるのでデフレも公的債務も解消できる。これは通貨発行益を利用することを意味する。日本経済は通貨を増発して財政出動をすべきであったのを歳出削減を続けて税収を減らし、公的債務を増大させ、デフレをひどくするという過ちを犯してしまった。日本の税収は10年前の65兆円から3年前の45兆円、昨年の36兆円と確実に減少している。公的債務を減らそうとして返って税収を減らし、財政危機を増大させているのである。一国一通貨で通貨発行益を利用するのに何の障害もないのにもかかわらず、通貨発行益を利用できない。政府、日銀、財務省がそろって無能で経済をまともに見ることができない。政府、日銀、財務省は日本経済をどう救ったらいいかわからず仕方なしに前年通りを繰り返し悪化させてしまった。ユーロは加盟国の利害の調整が難しい。日本は政府、日銀、財務省が無能な為、活用すべき通貨発行益を利用することを思いつかず不況に沈んでいる。円はまるで政府なき通貨或いは司令塔なき通貨と同じである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平成デフレ地獄ーー(3)大学生の親からの仕送り、26年前の水準に

2010年02月11日 | 経済

 デフレは日銀券を増刷することで解消できる。改革など必要ない。

  親元から離れて暮らす大学生への仕送り額が、25年前の水準まで落ち込んでいることが10日、全国大学生活協同組合連合会(東京)の調査でわかった。  調査は全国31大学の学生を対象に昨年10~11月に実施し、9660人から回答があった。
 マンションやアパートなど自宅外(寮を除く)から通う大学生への仕送り額は月7万4060円(前年比3520円減)で、月7万4240円だった1984年並みに下がった。仕送りゼロと回答した学生は全体の10・2%(同1・9ポイント増)に上り、70年以降で初めて1割を突破した。
 不況の影響からアルバイト収入も減少し、月2万2370円(同2230円減)となった。奨学金は前年比2100円増の月2万6430円で、仕送りなどの減収分を補っている様子がうかがえる。
 一方、支出を切り詰める傾向も続き、住居費以外の支出はすべて減少。特に食費は月2万3350円(同1080円減)で、1976年以降で最低の金額になった。

  「食費が34年前の水準になったと言ってもデフレだから実質的な購買力はそれほど減っていない」などと言ってはいけない。デフレであることによって多くの事業が倒産し、失業率が増大し、自殺者が増大している。結婚できない若者が多く、子どもも作れない。このようにデフレを放置していることが長期にわたる不況の原因であり、国民の貧困化の原因である。
 日銀がデフレであることを認めたのはほんの数ヶ月前なのである。これまで基礎的収支の平衡を達成することを目標にしてきたのが間違いなのである。デフレ阻止、+2%のインフレ率の達成を目標にすべきであったのである。日銀はインフレ目標を掲げることを拒否した。簡単にインフレは実現できないという理由である。インフレは簡単である。お札を増刷して大規模な財政出動を行えば簡単にインフレを実現できるのに、規則に縛られて、お札の増刷を考えていないからである。

 お金が足りないといって節約すればデフレを助長する。事業仕分けや、歳出削減ではなく、政府が日銀券を増刷して大規模な財政出動を行ってデフレを止めなければならない。デフレ阻止が最優先である。これはもともとに日銀の本来の業務である。
 このデフレ地獄は政府、日銀、財務省主導でマスコミが後押しして引き起こされた人災である。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

運慶の10の傑作ーー本当にすべて運慶であろうか

2010年02月09日 | 文化

 「今日の日曜美術館は運慶よ」とうちのカミサンが言うので久しぶりに日曜美術館を見た。運慶の作が次々に見つかっており、改めて運慶に注目が集まっているという導入で、10の作品が選んで紹介された。選ばれた10作品は
     
 1.東大寺南大門の金剛力士像
 2.願成就院の不動三尊像。
 3.金剛峯寺の八大童子立像。
 4.円成寺の大日如来坐像。
 5.願成就院の毘沙門天立像。
 6.六波羅蜜寺の地蔵菩薩坐像。
 7.瀧山寺の聖観音菩薩立像。
 8.東大寺の俊乗上人(重源上人)彫像。
 9.興福寺の北円堂の無着、世親菩薩立像
 10. 称名寺光明院『大威徳明王像』
 
 であった。運慶のすばらしさは何度も言われてきたが、最近の見方や新しく運慶作と判明した仏像の評価など期待したものは得られなかった。無着、世親菩薩立像はすばらしいが重源上人坐像は運慶の作でないと考えていたので何故運慶作に入れられているのか気になった。また田中英明教授は南大門の金剛力士像は運慶の作らしい美しさが無いという理由で運慶作を否定している。こういう話を聞いていると、すばらしい、素晴らしいだけでは乗っていけない。最後の大威徳明王像については新しい作品だが運慶らしさがないと感じたのだが番組ではどう考えているのかはっきりしなかった。
 ここに挙げられている10の傑作も10年後にはがらっと変わっているのではなかろうか。
 番組のお客さんが5人というのは多すぎる。多くて3人までにしてほしい。おかしな人を呼んで喋らせるよりじっくり運慶の仏像を見せてほしい。
 今回は運慶だというので見たが普段は見ない。あまり美術に関心のないように見える司会者姜尚中は興ざめだ。美術を鑑賞しようという気分を壊してしまう。もうそろそろ一年になる。早く代えてほしい。


 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サッカー日本代表はつまらない試合をするようになった

2010年02月06日 | スポーツ

 2月6日の東アジア選手権の対中国戦を見た。若手中心の中国に対して0:0の引き分けはひどい。引き分け狙いではないかと思うような試合であった。ワールドカップでベスト4を狙う等と大口をたたく資格はない。こんな試合をやっているようでは3連敗で一次リーグ敗退で決まりであろう。
 それにしてもアナウンサーの実況の言葉遣いにもいらいらし通しであった。「岡田ジャパン」と言わずに「岡田日本」と言ってもらいたい。韓国を「永遠のライバル」と呼ぶもやめてほしい。もうすぐ中国の方が強くなる可能性だってあるだろうし、勝ちに拘って審判を買収したと噂される国はスポーツをやる資格はないし、日本のライバルという敬称に値する国ではない。日本はもっとサッカーを愛するまともな強国を相手にすべきであろう。
  志が低いことが日本サッカーの問題点ではなかろうか。
  日本と英国のプロサッカーの試合の違いは日本のサッカーは意味不明の動き、意味不明のパス、シュートが多いことである。漠然とした考え方で、あいまいなまま動いているためスピードがないし創意、工夫がない。見ていて楽しくない。大相撲で日本人の関取が優勝できなくなって久しい。大相撲も、サッカーも同じ病気にかかっているのではないだろうか。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝青龍を惜しむ

2010年02月04日 | スポーツ
 朝青龍を引退させた。
 きらきら輝く天才横綱をこれから見ることができない。
 横審の馬鹿野郎ども。
 日本人の心の狭さを嘆く。

 相撲を愛した小さな大横綱。
 1年間に4場所優勝する気で居た横綱。 
 バルトを片腕で抱えて投げ飛ばした朝青龍。
 琴欧州をかいなひねりで裏返した朝青龍。
 横綱・朝青龍は我々の心の中に永遠に生き続ける。!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南セントレア市を覚えていますか

2010年02月04日 | 文化
 南セントレア市を覚えていますか。5年ほど前美浜町と南知多町が合併してできる新しい市の名前として考えられた市名です。中部国際空港(愛称がセントレアという)の南にあるからだと言う。二つの町の住民はカタカナのわけの分からない名前に反発して合併そのものが白紙に戻ってしまった。Centaral と air を一緒にした造語だという。一緒にすればなぜ centrair になるのであろうか。住んでいる町がカタカナになるのは自分の名前を、リチャードとかメアリーなどと変えるのと同じで誰しも恥ずかしいものだ。空港の愛称がセントレアというのもいかがわしい。誰が親しみを感じているいるのか等、など様々な反発が出たことが報じられている。
 南セントレア市は潰れてしまったがカタカナの名前は大量に作られ続けている。
 東京ドームはビッグエッグを愛称にすると決められたがビッグエッグと呼ぶものはいない。大分のW杯の試合が行われたサッカー場はビッグアイという愛称が決められたがビッグアイと呼ばれているのであろうか。出水市の鶴博物館は「クレインパークいずみ」が正式の名前だったと思うが正式名では誰も読んでくれない。多くのマンションにはカタカナ語のいかがわしいのが付いているが、実際に呼ぶ人は少ない。
 日本語を使うと言うのが基本と思うが多くの人は基本を忘れて、使いにくいいかがわしい名前が作られ続けている。英語の名前を使わないといけないと言う強迫観念に囚われている結果ではなかろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする