日銀券を増刷して日本国を救う村島定行のBlog

①日本は世界最大の債権国、お金がなければ刷りなさい②英語を多用すると次第に馬鹿になる③靖国参拝は日本人の義務だ。

「信長公記」の著者太田牛一について

2005年12月27日 | 文化
 織田信長については多くの著作があるがその多くの著作のもとになったものとして「信長公記」太田牛一著が有名である。本能寺で明智光秀に襲われたときに森蘭丸より「光秀の手のものにござりまする」聞かされた信長が「是非に及ばず」と言ったことが知られている。これも「信長公記」に載っていることである。
 最近「信長の棺」という小説が「小泉首相も読んでいる」として評判になっている。早速購入してみたが意外や意外、「太田牛一」に関する本のようで、面白かった。「信長公記」の後書きで大田牛一が「ありしことを除かず、無かりしことを付さず。一ヶ所たりとも虚偽あらば、天われを許し給わぬべし」とのべていることを知った。できるだけ事実のみを記し、事実でないものは一切書かなかったというのだ。
 太田牛一がその通り実行できたか100%信ずるわけではないが、400年前の日本でずいぶん見上げた科学的な執筆態度である。日本には多くの記録が残されているがいずれも信用の置ける記録ばかりで捏造のようなものはあまりない。日本は奇跡的に多くの歴史資料の残されている稀有な文化国家であることがわかる。
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南京虐殺「ラーべの日記」は捏造

2005年12月24日 | 歴史
かなり前のことであるが1996年12月5日の朝日新聞にいわゆるラーべの報告書の記事がのった。思い出しながらその時考えたことを記す。タイトルは「南京虐殺、ヒットラーに報告、ナチ現地幹部の記録発見」とあり、「非戦闘員死者5,6万人と推定、根拠は示さず」となっていた。ラーべは安全地帯を管理していた15人の国際委員会の代表で南京陥落後の3ヶ月間における日軍犯罪統計を報告した人物である。犯罪は総計425件、そのうち傷害44件、殺人49件である。名前はジョン・ラーべ。彼はまた安全区を管理していた国際委員会の代表として、安全区を攻撃せず、20万人を無事に守った美挙に対して日本軍に感謝状を送っている。殺人を調査して49件しか報告しなかった人物、或いは日本軍に感謝状を送った人物が5,6万人と一般人の死者数を報告するのはあきらかにおかしい。小さな文字を読んでみるとヒットラーへ報告書を書いたが秘密警察に逮捕され、「南京事件について発言しないことを条件に釈放され、数ヵ月後報告書は本人に戻された」とある。ヒットラーが南京事件を隠そうとしたかのような説明で噴出しそうになった。同盟国人が隠そうとしたとまことしやかに書いているがまだその頃は日独伊三国同盟は結ばれていない。またヒットラーは日本人への人種的な偏見の持ち主であったから、日本軍の犯罪を隠そうとすることなどあり得ない。ラーべはジーメンスの武器を南京政府に売り込むために滞在していた人物だから日本が勝てば武器が売れなくなるからどちらかというと日本を快く思っていないと考えるのが自然である。ラーべが代表となってまとめた日軍犯罪統計は日本軍の犯罪を見逃すまいという姿勢で書かれている。それで殺人49件である。49件も伝聞が多く犯罪といえるかどうか疑問のものが多い。南京虐殺など全くなかったことを証明している資料である。
 さらに朝日の記事にはラーべの自宅(安全区にあった)に逃げ込んだ一人の中国人女性を追って100人以上の日本兵が押し入ったがナチの腕章を見せてラーベが追い払ったという事件が紹介してあった。一人の女性を100人以上の日本兵が追いかけるというのが先ず全く現実離れをしているし、ナチの腕章が有効だというのもありえない話である。
 私の見るところラーべはヒットラーに報告書を書いていない。この報告書は「南京の強姦(レイプオブ南京)」と同じく、中国共産党のでっち上げである。
 ベルリンにいるヒットラーが南京事件を隠そうとして隠しおおせるとしたらこれはこれでまた南京虐殺はなかったことの証拠になるであろう。ラーべを「南京事件について口外しないことを条件に釈放した」というのも馬鹿馬鹿しい。ラーべの口を封じても南京の周辺の人の口を封じなければ意味がないからである。ヒットラーが南京周辺の人に南京虐殺について口外しないように工作したという話は聞かない。ラーべの口を封じさえすれば南京事件について発言する人がいないということは南京事件はなかったということを意味する。
 それにしても日本憎しとはいえ、ヒットラーを「南京事件に驚き噂が広まるのを恐れた」と人道主義者に仕立て上げるとはいやはや真にやっかいな隣人達である。

 私の南京事件に関する見解
「南京虐殺30万人は全くのでたらめである。ラーべの『日軍犯罪統計』は正確ではないがより真実に近い。その数30人弱。南京虐殺は1万倍に誇張されている。」
「1990年代に発見されたという『ラーべの日記』は中国共産党の捏造である」
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私の嫌韓流17-親日派糾弾法について

2005年12月19日 | 嫌中、憎韓、特亞の反日
韓国で「日帝下の親日・反民族行為真相糾明に関する特別法」というのが成立したという。どこの国でも考えられない異常な法律である。日本の統治に違法性はなく多くの国の祝福の基に統治は行われている。また35年間の実績によって、裏打ちされている。大学への入学、結婚、就職も大日本帝国の法律の下に行われてきている。日本の統治を非合法とすると、日本の体制の中で行ったすべての行為を糾弾しなければならないだろう。朝鮮人は真珠湾攻撃の成功に狂喜乱舞していたし、満州に移住した朝鮮人は日本名を名乗り日本人としての特権を享受していた。朝鮮で行われた志願兵の募集には70倍の応募者があった。殆どの青年は日本人として政府に協力していた。
 このような法律を制定することは天に唾する行為である。厳密に適用すると殆どの韓国人に類が及ぶことになる。狭い範囲に限定すると恣意的で特定の人物の狙い撃ちのようになり、社会の正義と公正さが破壊される。第一、60年以上前のことはほとんど資料は残っていないし、記憶もあやふやになっている。殺人の時効だって15年である。戦後数10年も何もしていないでいて60年後に糾弾すること自体正当性を疑わせるもとになる。
 こういうでたらめな国との間に日韓友好年を決め、日韓友好行事を計画する日本政府を疑う。日韓友好を考えているのは日本側だけであり、相手側は露ほども友好などを考えていない。詐欺に引っかかっているに等しい。
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